平凡

平凡

この世に恐ろしいものなどない。そう錯覚させてくれるのは、猫の寝息なのだ

保護猫カフェにて。

 

ごろんとあおむけになり、猫ちゃんが寝ている。手を顔のあたりに当てており、たいへん愛らしい

写真はお借りしたもので、文章中の猫とは無関係です

 

背の低い棚の上で、猫が寝ている。からだを伸ばし、前脚と後ろ脚をそれぞれクロスさせ、天板にぺったりとほおをつけて。ハチワレ猫のおなかは白く、からだの中でもひときわやわらかそうな毛に覆われ、ふくふくと上下している。

 

起こさぬようにそっとそっと、首のあたりをかいてやる。刺激に一瞬、ぴくりとなったものの、害意がないと悟ったのか、すぐにからだをぐいーと伸ばしてまた弛緩する。

 

すう、すうと寝息が聞こえてきそうなピンクの鼻。今度は額をかいてやると、すこし目が開く。起こしてしまったかと心配したけれど、その瞳は瞬膜に覆われているのだった。起きているときは、ビー玉のように完璧な弧を描く猫の瞳。それを保護しているのがこの瞬膜なのだっけ。

 

やがてハチワレ猫は、白い前脚を折りたたんであごを乗せる。今度こそ起こしてしまったかと思いきや、まだ白い腹は規則的にゆっくりと上下しているのだった。からだを丸めることもなく、人間の気配におびえることもなく、あたたかなからだはのびのびと。こまぎれで、一回一回は人間よりもずっと短いはずの眠りに身をまかせるその姿。
充足。
猫自身がどう思っているかはわからないけれど、そんなことばが浮かぶ。

 

ふたたび、首のつけねをゆっくりと丁寧に、かくようになでる。いま、このとき、ここには脅威はない。それをよく知るちいさな命が、目の前で眠っている。その安堵に、まどろみに、こちらの心もゆるんでいく。人生はそれほど怖いものではない。そう錯覚する一瞬がある。指から伝わるあたたかさに眠気を誘われる。

 

できればこの寝息を、家で聞かせてくれないか。わたしが眠る布団の上で、枕元で、あるいはお気に入りの座布団の上で。食って遊んで眠って満ち足りる。その生きざまを、間近に見せてくれないか。猫といっしょに目を閉じて、ふわふわの毛をなでながら、わたしは起きながらにしてそんな夢を見る。

 

*画像はぱくたそからお借りしました。

「ゴロ寝中のにゃんこのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20190218051post-19646.html

平凡な暮らしを、平凡に書く。それだけのことが、きっと

最初は、結婚生活を記録したかったのだと思う。

晩婚と呼ばれる年齢になってから出会った夫との暮らしは穏やかで、「平和な結婚生活」など想像したことがなかったわたしにとっては、驚きと喜びに満ちていた。

その喜びは、平凡な営みの中にあった。会社勤めの夫と朝ごはんを食べ、寝ぼけまなこで送り出して在宅仕事のわたしは家で一日働き、帰宅した夫と夕飯を共にする。夫の会社の上がりが早い日は、駅前で待ち合わせて町場の中華を食べることもある。休日は並んで散歩して、ちょっとした季節ごとの変化について話し合う。

でも、そういったことは、三日も経てば忘れてしまうから。せめて、覚えておきたかったのだと思う。だから、ブログをはじめた。第一回のタイトルは、「結婚したって実感した」。散歩で訪れる近所の池で見かける蛙の姿に四季の巡りを感じ、《今年も来年も再来年ももっと先も、こうやってこまごまとした変化をふたりで感じていく。そんな平凡な未来像が、鮮やかに私の中に浮かんだ。》と書いている。

いまでも、あの池に蛙がたくさんいたことは覚えている。が、記事に書いたように、初秋にちいさな蛙が一匹跳ねていたなんて細部は忘れてしまっている。何より当時のわたしの胸に満ちていた、「これから繰り返されるであろう未来」への期待のみずみずしさ。ブログを書いていなかったら、絶対に忘れ去っていただろう。

 

ブログをはじめて八年。ときどき過去に書いた記事を読み返すと、「書いておいてよかった」としみじみ思う。池で見たちいさな蛙の姿のように、いまでは忘れてしまったディティールや感動に出合うことができるからだ。

 

とはいえ八年も書いていれば、更新間隔が開くこともあれば、何かに取り憑かれたように毎日更新をがんばっていた時期もあった。そのつど、さまざまなことを書いた。時事や暮らしで気づいたハウトゥについて書いたこともある。それでもそのすべてが、わたしの平凡な暮らしの一部なのだ。ブログのタイトルが「平凡」なのだから、それでいい。

 

そうやって八年、書きつづけてきた。

 

ところでこの文章は、文学フリマ東京37で配布される「はてなブログ文学フリマ本」に応募するつもりで書いている。わたし自身、この文学フリマには、サークルで初参加する予定だ。このブログに書いている内容を新規参入したSNSに流したところ、ほめられたことがあった。「新しい場には、新しい書き手、読み手との出会いがあるのではないか」と考えるに至り、リアルイベントへの初参加を決めた。ブログを書いていなかったら、起こり得なかったことだった。

 

平凡な暮らしを、そのままのサイズで、平凡に書く。できるだけそのときの感興を覚えておけるように、ことばを選びながら。それだけのことが、きっとわたしを遠くへ連れて行ってくれる。新たなものを見せてくれる。その胸の高鳴りを忘れたくなくて、やっぱりわたしはここにこうして書いている。

 

くしくも文学フリマが開催される十一月は、ブログの開設月だ。九年目も、日々の喜びを綴っていく。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由

「子どもがもてない」ことに対する、今のところの帰結

ゴールデンウィーク初日。

スマホを開けたら、知人からの「いろいろあって確実に産めるまで伏せていたけれど、実は妻が妊娠しておりまして……無事、子どもが生まれました」報告が目に飛び込んできた。

速攻で「おおおお、おめでとう!!!!」とメッセージを送って、「子どもめっちゃかわいいです」って文面見ながら、「わたしにはそういうことは一生起きないんだな」と思ったら悲しくなって、びっくりした。

びっくりしたのは、悲しくなったことじゃなくて。「わたしは子どもを持つことがない」「それが、悲しい」と、そのふたつを連続して、ちゃんと自覚できたことに驚いた。

知人や友人が妊娠・出産するのは今も昔もうれしいし、めでたい。お子さんの写真入りの年賀状やフェイスブック投稿も大歓迎。
「あのちっちゃかった赤ちゃんが、いまや雲梯を!?」と、すくすく育っているのを見られると幸せな気持ちになる。

友人たちにも、子どもたちにも、健康で、幸せでいてほしい。街中では親子連れを見たら、できるだけ手を貸したいと思う。

 

それは変わらないのだけれど、少し前のわたしは、友人の子の誕生を心からうれしく感じたあとで、混乱してしまうことがあった。
他人と自分の事象は切り離しているのだけど、こと「自分」の悲しさがコントロールできなかった。

いまならわかる。

「わたしは子どもがほしい」とはっきりと認められなかったし、「子をもつことがない」ことも受け入れられなかったからだ。もともと、絶対に子どもがほしいタイプでもないから、なおさらややこしかった。

不妊治療をバシバシにやってこれなら言い訳もたつ。

でも、わたしは病的な怖がりだ。最近では産婦人科の内診で過呼吸になりかけたこともある。性的なトラウマがあるわけではなくて、歯医者でも同じような感じ。

 

なにより、わたしにはどうしても「子どもを100%望んで医療行為を行う」ことができなかった。
いまや不妊治療はあたりまえで、人の話を聞いても「成功しますように」としか思わない。
しかし、いざ自分ごとになってみると、それはまぎれもなく生命倫理を問われる問題だった。
それを乗り越えるためには、「絶対に子どもがほしい」強い気持ちが必要だ。

そして「絶対に子どもがほしい」気持ちが必要な不妊治療は、成功の可能性は極めて低い。

わたしには何もかもが受け入れられない。

それが根性なしの限界だった。

 

夫の温度感も同じようなものだった。

夫婦で話し合い、「不妊治療はしない」「自然にまかせる」と決めた。年齢や今までの経緯を考えれば、それは妊娠はあきらめる決意とニアイコールだった。

しかし、ニアイコールはニアイコール。心のどこかでは、子どもを持つ人生をあきらめきれない。

 

わたしたちは大の猫好きなので、「子どもをあきらめたら猫を」と話していたのだけれど、それも「たられば」だからできた話。
現実的には、わたしのアレルギーを考えるとそれも難しい。数値はかなり高く、猫カフェに行くとマスクをしていても症状が出る。実家では猫と暮らしていたこともあったのだけれど。

 

そんな情けない自分の話を軽い気持ちでエッセイにしたためたら、あっという間に精神のバランスを崩したのが一年前。
半年様子を見てもあまり状態がよくならなかったので、以前お世話になっていたカウンセラーの先生を予約したのが秋のことだった。

子どもも猫も、問題は変えられない。

「どうしたらいいんですかね、これ」と問うと、「それを持ち運べる形にしていきましょう」と先生は言った。

それから半年、いろんな話をした。生育環境の話から、まったく関係なく思える仕事の話、創作の話。

カウンセリング料はわたしにとって、安くない。

はっきりとした症状が出ていない状態で通うのはムダじゃないのか? と思ったことは何度もある。

けれど。

いま、はっきりことばにできた。わたしは子どもがほしかった。でも、もてなかった。それが悲しい。というか、わたしは何より、夫の子どもが見たかった。夫に子どもを抱かせたかった。だから、女性よりも男性からの「子どもが生まれました」報告に動揺する。

ちゃんと育てられるか自信はないけど、子どもを育ててみたかった。でも、それはかなわない。そのことが、悲しい。

悲しい。けれど、心のどこかで、「子どものいない人生」を受け入れようとする音がする。気配がする。

きっとこの悲しさは薄れはしても、消えることはない。でも、それがわたしの人生なのだ。

 

カウンセリングに通ったことは、無駄じゃなかった。自分と向き合い直したことで、自分のことが前よりわかるようになった。

それはたぶん、創作やコミュニケーションにもよい影響を及ぼしている。「子どもをもつ」とか「小説書く」とか、それぞれ別物に見えるけれど、人生は全部が全部、人生だから。

 

悲しみが、わたしの胸の奥底で震えている。夢見たことはもう起きないと告げている。
でも、わたしにはそれが「わかる」。「そうだね」と答えることができる。「わたしはそれが悲しい」と口にすることができる。

 

消えない悲しさをよいしょよいしょと整える。

コンパクトに収納して、取っ手をつけて。

持ち運べる形にしたそれを、しっかり抱いて運んでいく。

人生はそうやって、進んでいく。

雨の季節に愛用品の来し方行く末を思う

ブーツにつづいてまたかよ、と思われるかもしれないが、わたしの傘は20年(弱)選手だ。

ブーツと違うのは購入時期で、ブーツは新卒で就職したとき、傘はフリーライターになったばかりのころに買った。

 

ブーツについては、以下の二記事を書いている。

20年目のブーツと未来へ歩く - 平凡

わたしの、新しい靴「2022年買ってよかった」 - 平凡

 

 

若かりしころ、粗忽なわたしは「どうせなくしちゃうしなあ」と、ビニール傘ばかりを使っていた。しかし、ビニール傘とていつもいつも忘れるものではない。運よく手元に残り続けた場合、繰り返し使ううちにビニールはくもり、骨が錆びつき、なんともみすぼらしいありさまになってくる。なまじまだ使えるだけに、捨てどきがわからない。そのうち台風の強風にやられ、傘地がはがれる、骨が折れる。そうしてようやくビニール傘は寿命を終える。そうなっても長さがあるだけに「不燃ごみ」と出すのもやっかいで、「ビニール傘なら気楽です」とも言い切れないなと、うすうす感じはじめていた。

 

さらに、一本の傘を捨てたあとで困るのは、買い時のわからなさだ。急な雨に降られたときなら「えいやっ」と買えるが、そうではない場合、どうするか。「いま、家に一本も傘がないしな~」と、晴れた日にわざわざビニール傘を購入するのもなんとなく気が進まなかった。

「わたしは自ら選んで、恒常的にビニール傘を使っています!」と割り切りができなかったのだろう。

 

折り畳み傘だけを使ってもよいのだけど、やはり風も強い日には心もとない。

 

そのころ、フリーランスとして独立したわたしのもとに舞い込んだ仕事のひとつが、ラグジュアリー系ショップの新店舗取材だった。ニューヨークでセレブが履いていると話題のパンプスショップ、エクストリームな値段のジュエリーが並ぶ宝石店、話題のアートスポット……きらきらした世界に、きらきらしていないわたしは月イチで迷い込むことになった。

わたしはファッション好きの元同僚に見立ててもらった洋服にジャケットを羽織り、ショルダーバッグにパンプスでなんとか“武装”して、きらきらに対抗した。

そこで困ったのが、傘だった。

たとえば「大人の落ち着きを表現したシャンパンゴールド」の内装の店には、モダンでミニマルなデザインの金色の傘立てがあるわけで。

そこにくたびれたビニール傘を立てると、浮く。

まあそんなこと、ひょっとしたら誰も気にしないのかもしれない。わたしがきらきらしていないことは、わたし自身を見ればよくわかる。

でも、そのころのわたしはすこしでも武装して、安心したかったのだ。

 

そんなとき、運よく銀座の百貨店の傘セールに行きあい、一本の傘を買い求めることができた。モスグリーンで、傘地のふちには甘すぎない花の刺繍がほどこされたシビラの傘。ビニール傘よりは高いが、ブランド傘にしてはそう高くはない値段だったと思う。わたしはその落ち着いた色合いをいたく気に入って、雨の日の取材には意気揚々と持っていったものだ。

 

それから20年近くがたった。在宅稼業で出番が少ないからか、傘はまだ現役だ。いつぞや住んでいた部屋で、玄関の近くに立てかけておいたら柄に壁紙の白がついてしまったなどの汚れはある。“武装”としてはいささかどうだろう? と思う向きはあるが、それは雨の日の装いにまだまだ自信を与えてくれる。

 

もちろん20年も使っていれば、何度か忘れたことはある。しかし、そのたび運よく傘は帰ってきた。

 

その傘を持って、この間、銀座・ミキモトホールで開催されていた「真珠のようなひと-女優・高峰秀子のことばと暮らし-」(現在は閉幕)に足を運んだ。

わたしは高峰秀子のエッセイの大ファンであり、そのゆかりの品をどうしても見たかったのだ。ガラス器や洋服、真珠のネックレス、夫・松山善三とそろいのトランク。どれも品よく、質がよく、センスよく、いまでもきれいに保存されていた。

パネルには写真とともに高峰秀子のことばが掲示されていて、そのうちの一枚に、「いいものだけをそばに置き、長く使う。これらのものはわたしが亡きあと、新しい主人のもとにわたるだろう。どうぞよろしく」といった内容が引用されていた。いま、引用元のエッセイ本が手元になく、うろ覚えであることはお断りしておく。

 

わたしは手元の傘を見た。この傘は、わたしにとってはそれなりに高価で長年愛用しているが、「次の主人」を探せるような名品ではない。わたしが死んだらどうなるのだろう。なんらかの形で遺品整理され、きっと捨てられるだろう。客観的価値はどう見てもなく、誰が整理をするとしても「捨てる」選択は容易なはずだ。

それはそれでよい。傘など一代限りのものだ。

しかし、ほかのものは? 思い浮かんだのは、仕事用の机だ。わたしは古道具が好きで、昭和の木製片袖机を使っており、できればダイニングのテーブルも、いつか古道具やアンティーク、あるいは新品でも木製のものに変えたい憧れがある。

 

昭和の木製片袖机は、わたしのように愛好する人はいるにはいるが、それほど高価ではなく、貴重でもない。しかし、もう二度と新しくは作られないものだ。

購入した古物商では、不要になったら引き取ると言っていたが、持ち主であるわたしの死後の処遇はわからない。それほど丁寧に使っているわけでもないので、使用感は年々募るばかり。それは味わいというよりは劣化といったほうがふさわしい。

 

わたしの前に誰かが使い、わたしの手にわたされた、もう二度とこの世では作られないもの。それほど少量生産品でもないけれど、減りゆく一方のもの。それをわたしの代で終わらせるのか。ものの命を確実につなぎたいなら、生前に古物商に売り戻し、現代の大量生産品を使うのが筋なのかもしれない。

 

わたしは高峰秀子のように審美眼もなければ有名でもなく、所有する「よきもの」といっても値段が違う。次の主人にどうぞよろしく、なんてとても言えない。

今後、大きな家具を買うときに、古道具屋アンティークを選ぶなら、それ相応の覚悟がいる。ダイニングのテーブルは、現代の大量生産品をみつくろうのが適当なのでは。

 

気に入ったものを長く使うのは、しあわせなことだ。傘もブーツも昭和の片袖机も、そのことを教えてくれた。

しかし、老いゆくわたしの手におえるのは、ひょっとしたらこの傘のような、ちいさな品物だけなのかもしれない。

 

傘の柄をぎゅっと握りしめる。どうしたらよいのかわからないことだらけだ。でも、できるだけ長く、この傘を使いたいと思う。

 

ミキモトホールを出ると、雨は上がっていた。そうして、わたしは傘を忘れないように注意しながら、電車を乗り継いで家まで帰り、片袖机に向かって、この文章を書いている。

 

机が出てくる記事はこちら

また新しい夢を見る - 平凡

 

今週のお題「レイングッズ」

 

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画像は写真ACよりお借りしました。

横断歩道を渡る歩行者と街並みぼかし風景 - No: 26429112|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

継続した学びが、知への信頼を育てるっぽい

夫はよく言う。

「昔より、上手くなってる。わかるようになっている」

彼のライフワークである英語を学んでいるときも、何か小難しい文章を読んでいるときも。

果ては、「ファミコンのゲームも、今やったら、子どものころより上手くできると思うんだ」。

実際、レトロゲームカフェで「スパルタンX」をやったとき、それを実感したのだと言っていた。

 

いまあげたのは英語、読書、ゲームの具体例だけれど、彼の中では対象がなんであれ、絶対的な「今がいちばんできる」信頼があるようだ。

だから、「昔、苦手だった数学もさ、いまのほうが理解できそう」なんてことも言う。

 

それを聞くたび、わたしはぼんやりと不思議だった。

昔、苦手だったことが、いまのほうができることってある?

人間ってそんなに成長するかな?

これは同時に、わたしは「これ、昔よりできている!」と実感したことがあまりない、ということでもある。

仕事なら多少成長を感じたことはあるけれど、プライベートでは皆無。

そう思っていた。

 

「そういえば、昔、できなかったことができている」と気がついたのは、新聞の政治面を読んでいるときだった。

子どものころはなめるように新聞を読むのが日課だったけれど、「なめる」のはせいぜい一面のコラム、事件の詳報が多くを占める三面、文化面ぐらい。がんばって社説。一面も、政治や経済色が強いニュースは読みこなせなかった。

難しかったのだ。

いまでは、一面も政治経済面も国際面も、難なく読むことができる。そちらに時間を割くので、三面はかえって読まなくなった。

大人になってから、ずっと新聞を読んでいたわけではない。ブランクがあるので、いつそうなったのかわからない。なぜ政治経済面が読めるようになったのかも不明。

わたしはいまも、政治や経済には疎い。疎いながらも、子どものときよりも政治家の名前などの固有名詞が蓄積され、理解できるようになったのか。それとも、知性が発達したのか。

不明づくしながらも、新聞を丸々読めるようになっていることだけはたしかだった。

「いまのほうができるようになっていること、あるのかも」。

それは、断続的とはいえ、「子どものときからやっていたこと」があるからこそ、つまり継続があるからこその気づきだった。

 

同時に思い当たった。夫が成長を信じているのは、「継続」があるからではないか。

以前にも書いたことがあるが、夫は英語を継続して学んでいる。

夫にとっての「英語」は、「会話」を意味しない。「国語」が「日本語のスピーキング」を意味しないのと同様だ。大学受験の英語知識をベースに単語や文法を勉強し続けている。おそらく、わたしと出会う前から。高校、大学、社会人を通じてずっと。

そこにとくに目的はない。小説が好きな人が小説を読むように、テニスが好きな人がテニスをするように、ただただそのとき話題の英語学習法をためしたり、英単語アプリをためしたりしている。TOEICや英検など目標がある時期もあったが、大半はただライフワークとして学んでいる。いまはネットで気ままに時事記事を読みあさったり、TEDを見たりするのが楽しいようだ。

 

ある特定の「学び」を長年続けているからこそ、夫は自分の成長がわかるのではないか。昔、読みこなせなかった長文が読める。ニュース記事が読める。それがわかるから、「いまが一番できる」と自分の成長を強固に信じられるのではないか。

つまり、継続が知と成長への信頼を育てるのだ。

その信頼がファミコンのゲームにまで及んでいるのは、ちょっとよくわからないけれど。

 

そんなことを考えていたある日。

わたしはMisskeyに何か放流しようと、いろいろなところで書き散らかした過去記事を整理していた。読み返していると、思ったよりも旅をモチーフにしたものが多い。

古くはmixiにアップした「バカンス」というエッセイがあった。結婚前に夫と行った、沖縄・石垣島でのできごとを書いたものだ。ビーチもきれいだったけれど、いちばん印象に残っているのは、台風到来で閉じ込められ、ホテルで見て聞いた雷であり、嵐の様子だった、という内容だ。

上記の内容がほぼそのまま、シンプルに書かれていた。複雑さばかりを愛するわけではないけれど、今ならもうすこし違う書き方をするだろう。

そう思いながら、やはり同じ旅ネタである、4年前に書いたこのブログ記事を開いた。

海外旅行へ行く理由 - 平凡

この記事では、ニューカレドニア旅行と台湾旅行での体験を、「海外旅行へ行く理由」に落とし込んでいる。

「海外旅行へこんな理由で行っています」というテーマがあること(お題ではあるが)、ふたつの体験を組み合わせることで、体験をストレートに書いた「バカンス」より、印象はだいぶビビッドだ。

 

ところで、最近読んだ『一生ものの「発信力」をつける 14歳からの文章術 』では、よい文章の基本として、主張を一貫させること、論拠をできれば2つあげることが提示されていた。論拠のひとつは書籍や識者のことば、データを引用すると、説得力ある文章が書けると。

この本は基本的には自己PRから論文まで、「論理的な文章を書く」を前提にしているのだけれど、エッセイに転用できる内容だなと感じた。

エッセイに論拠は必要ではないものの、読んでいていいなと思うエッセイは、当初の話題に意外なイメージを組み合わせたり、作者が別の場所で見聞きしたものを引っ張ってきていることが多い。これは、上記書籍の「2つ目の論拠」に近いのではないだろうか。

「海外旅行へ行く理由」では、それほど上手くできているわけではないし、意外性も少ないけれど、少なくともふたつの体験を組み合わせ、ひとつのテーマ(主張)を設けている。

 

つまり、昔より、成長しているのではないか? そう思ったとき、驚いた。

正直、こうしてプライベートで書いている文章で、「成長」なんて概念自体、考えたことがなかったからだ。

これも、書きつづけていたからわかったことだ。

同時に、「わたしはまだ、成長していけるのではないか」「よりよいものを書けるようになるのではないか」と希望がわいた。

 

「年を取るって失うものも多いけどさ、まだまだ成長していけるんだよ、俺たち」

夫は笑顔で言う。

そのすがすがしさの意味が、わかった気がする。

 

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画像は写真ACよりお借りしました。

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Misskeyにハマってましたという近況報告

ブログ更新が1カ月以上あいてしまいました。ガッデム。

その間、統一地方選があり、ゴールデンウィークがあり、五月の爽やかな風が吹き渡り、G7サミットが開幕して閉幕しました。

夏日になる日がちらほら。空気には湿度を感じるように。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

そのあいだ何をしていたかというと、新しくはじめたSNSであるところのMisskeyに常駐していました。

「Misskeyをやっている」とひと言で言ってもサーバーによりまったく性格が異なるので、どこでどんな居心地のよさを感じているかはさまざま。

Misskeyといえば、「レターパックで現金送れ」などのミームで知られるioサーバーが最大手。このミームからもわかるように、ioの雰囲気は、一定年齢以上の人には、いにしえのネット文化の残り香が感じられるものなのだと思います。わたしはアカウント持っていないので、外から見ての印象ですが……。

 

わたしが出入りしているのは、一次創作をしている人が集うデザインサーバー。一次創作ならなんでもよいので、イラスト、作曲、ハンドメイド、小説などいろんなことをやっている人がいます。イラストひとつとっても、漫画、アニメ塗り、背景、エモーショナルな絵画、水彩風と多彩。

自作を自薦する文化があり、「RN(TwitterでいうRT)は何度やってもいい」「むしろ好みの作品が目に入るから、何度もRNしてくれるのは助かる」といった風潮が強いです。

TwitterだとRTはしつこいと嫌がられるのでは? という考えが主流ですし、基本は他薦が強い文化がありますよね。というか口コミって基本、他薦が強いものだと思うんですよ。メーカーがすすめるのは当たり前。利用者がすすめるのは本物。

ただ、デザインサーバーはサロン的な雰囲気があるからか、「制作者の愛が見たい!」「あなたのパッションをぶつけてくれ!」といった空気感があります。

これは他SNSではあまり見ない文化だなと思います。

また、創作系でも、のべるすきー(小説好きが集うサーバー)だとここまで自薦文化は強くない気がします。ioはデザインサーバーと近い自薦文化があるのかな? サーバーによって本当に性格はいろいろ。

 

デザインサーバーでは、みんな「うちの子はこんな性格で……」といった、「うちの創作の話」をバンバンしています。キャラクターの設定シートを公開している人も多いです。設定と断片的な物語がある、「本編がないタイプの創作」と呼ばれるものを公開している人もたくさんいます。

で、「うちよそ」といって、自分が創作したキャラクターと他の人が創作したキャラクターでクロスオーバーした作品の制作も活発です。

こういった文化になじみがなかったので、わたしは最初はびっくりしました。

 

デザインサーバーには多種多様な制作者がいるので、ミームが生まれると、それに曲をつける人あり、編曲する人あり、歌詞つける人あり、歌う人あり、gifアニメを作っちゃう人あり、テキスト書く人あり、それを読み上げる人あり……と、創作者たちの即興遊びに発展するのは見ていて非常に楽しいです。

Misskeyにはそのサーバーにいる全員のノート(ツイート)が自動的に流れてくるTLがあるので、フォローの有無関係なく、そういった遊びを目撃することが可能です。

 

また、「TLで見かけた曲に、小説を書いてみた」「小説に曲をつけてみた」「すてきなイラストにインスパイアされてショートストーリーを書いた」「ショートストーリーをイラストにしてみた」といったジャンル横断の創作も生まれています。

 

わたしが書いているものは、このブログからもわかるとおり、それほどポップなものではありません。

最初は「自分の創作は『うちよそ』とかやるタイプでもないし、場違いかなあ」と思っていました。でも、慣れてくると、意外に文芸的な作品を書いたり読んだりしている人も多いとわかってきました。なによりこの「いろんな人がいるけど、みんなモノを作っていて、尊重している」環境がすごく居心地がよくなって。

 

何しろいろんな人がいるから、ポップなイラストも好むけれどがっつりした文芸小説を読みたい人とか、アーティスティックな絵を描いて文学を愛している人とか、音楽作っていてなおかつ文章を読むのが好きな人とかもいるわけです。

わたし自身も、「見る人」「読む人」「聞く人」に自然となっていきます。

 

で、何よりいいのが「多様なスタンプ文化」。「いいね」だけじゃなくて、Misskeyには「素敵」「美しい」「良い…」「格好いい」など、簡単にニュアンスを添えて感想を伝えられるスタンプがたくさんあります。コミュニケーションにおいても、「ヨシヨシ」できるスタンプは弱音を吐いている人へのなぐさめのときに便利ですし、ペンライト振ってるスタンプも「がんばれ」と手軽に伝えることができます。スタンプはユーザーが申請しているので、日々増え続けています。

 

「スタンプを送る」ワンクッションで心理的なハードルが下がるのか、テキストでの感想ももらいやすいです。

また、もらった感想に対しても「ありがとうございます」などスタンプひとつで返せるので心理的負担が少ない。

 

Misskeyは一ノートに3000文字まで貼れるので、エッセイを直貼りして放流すると、「エモい」「良い」「好き」とか、ニュアンスの伝わる感想スタンプがもらえるんですよ。

PV数としてはそう多くないと思うんです。でも、「確実に読まれている手応えがあり」「どう受け取ってもらえたかが最低限わかる」反応がダイレクトに返ってくる。

「数字」じゃなくて、「質感のある反応」が返ってくる。これってめちゃくちゃうれしいんですよね。

 

Twitterでプチバズりしたことは、何回かあります。多くはつっこみたい、語りたい欲を刺激するツイートでした。それはそれでSNSのお楽しみですし、情報系のツイートが広がると、世間のお役に立てた感はあります。ただ、「たくさんの人から反応があってうれしい」とは思わないんですよね。つっこみ半分で知らない人からリプライもらっても、何かが満たされることはありません。

 

デザインサーバーでは、創作が好きで、他人の創作にふれるのが好きな人に手軽に届けられて、その人たちから反応がダイレクトにもらえる。これがすごくうれしい。

ぬるま湯といえばぬるま湯なのかもしれないけれど、う~ん、でも、なんでもかんでも反応しているわけではないなって感じはあって。

前に書いた、「創作サイトではいいと思ったら感想が来るが、いいと思わなかったら無反応。ブラッシュアップは自力本願」に近いものはあると感じています。

Web小説投稿サイトは一種のSNSではあるけれど…… - 平凡

 

いままで文章をアップしたどの場所よりも「『反応』がもらえた」手ごたえを感じますし、励まされます。

各小説サイトにアップした小説のURLを投稿すると、直貼りほどではないけれど、やっぱり読んでもらえます。

「読んでもらえる」といっても、わたしの場合、100とか200の反応が付くわけではないですよ。創作系のテキスト直貼りノートでは、最高でスタンプ(1ノートに1人1回押せる)は30ぐらい。でも、それにプラスしてテキストで感想もらえる確率は高いし、作者として認識されているのかなって感覚もあって、充実感があるんです。そのあたり、ひとによって基準が違うのでしょうけれど。

 

Twitterの代替としてどうか……というのはわかりません。

わたしのTwitterのメイン運用は創作アカウントとしてではなく、雑談と情報収集がメインでした。

わたしがデザインサーバーにアカウントを作った1カ月前よりも、サーバー内で雑談はずっと多く見かけるようになりました。ただ、情報収集という意味では弱い。でも、そもそもサロン的な雰囲気が魅力なのだから、それが「弱さ」なのか? とも思います。

情報収集は外で、交流はMisskeyで、という使い分けもありかなと考え始めています。

 

SNSでの情報収集って、苛烈な感想とセットになっていることが多いです。最近は、SNSで感情を刺激されるのがしんどくて。社会的なニュースは新聞かニュース番組で。エンタメ系や情報系のニュースを軽くTwitterでおぎなう、ぐらいのバランスにしています。

差別関連では、バックラッシュのようなことが起きていますし、社会問題は数多い。そんななか、「SNSで感情を波立てたくない」といえるのは、マジョリティの特権なのだとも自覚しています。そこは「SNS以外の場所で社会問題に興味を持つこと、調べることをやめない」を自分なりの落としどころにしています。社会や政治に、興味があることには変わりはありません。

 

もともと創作中心のTwitterアカウントを運用していた人は、また違った感想があるのだと思います。

コミュニティは刻々と変わっていくもの。いつまでこの雰囲気が続くかもわかりません。

 

この1カ月半、ブログはお留守にしがちでした。が、やはりここは大事な場所であるなと再認識しました。この場があるから書けたことがたくさんあるし、これからもそうでしょう。蓄積するからこそわかるものもある。「マイプレイス」と強く思える自ブログをベースにしたゆるい交流もまた、得難いものです。

1カ月半も新しいエントリーを書いていないと、からだがなまってへんな気分になります。

 

1週間に1回ぐらいは、2000字から3000字書きたいものであるな、と言っているうちに、本エントリーは3900字。

5月中にあと1本ぐらいは近況報告以外のエントリーをアップしたいですね。

メモが汚いライターが、誰かの幸せを祈る話

メモが汚い。超汚い。そして、その超絶乱れた文字を見るたびに、ある人の幸せを祈る。今日はそんな話です。

 

 

わたしは商業的な記事を書くライターをやっている。異論反論あると思うが、ライターの必需品といえばメモ帳とペンだ。

「いまどきそんなアナログな」と思うかもしれないが、席が用意されているカンファレンスのレポートや、座ってできるインタビューならともかく、店の中で話を聞いたり、何かのスポットを案内してもらいながら特徴をメモするときは、やっぱり紙のメモとペンなのだ。

 

「メモ」と書いたが、たいていはA5判のノートを使っている。

A5判にする前は、B7というのだろうか。手のひらサイズのキャンパスノートを使っていた。

ある日、そのころのメモが大量に出てきたので、「いやあメモが汚くてさあ」と開いてみたら、いまでも読めてびっくりした。ひるがえっていまはどうだと、最新のメモ帳を開いて見る。ぜんぜんわからん。下手したら、メモしたその日でも読めないものもある。必需品なのに?

見たもの、聞いたことをハナから忘れていくのでメモを取るのだが、メモを取りながら何かを聞く、話すことはとても難しいダブルバインド。そのうえ、年々、文字が書けなくなっている。「漢字が思い出せない」といったレベルではなく、文字という記号を手で書くことが難しくなっている。おそらく、「考える」「文または一節を書きつける」ことがあまりにもキーボードでの運動に結びついてしまったのだろう。その反動で、「文を書きつける」と「文字を手で書き連ねる」の紐づけがほどけかかっている、と。

 

「まあ、平凡さんはそれでどのようにお仕事を?」と思われるかもしれないが、メモした当日から2日後ぐらいまでは記憶がそれなりにあるので、補完しながら手書きメモをテキスト化することで、「原稿の素」にしている。最近では、スマホで写真をパシャパシャ撮るのも当たり前になった。スポットや施設、お店系の取材では、それらにずいぶん助けられている。

 

しかし、このメモのひどさで、インタビュー相手の人柄の良さが感じられたこともあった。

わたしのメモのひどさは、インタビューのときにMAXになる。インタビューは対面での受け答えに集中するので、メモを取っているどころではない。それに、油断もある。インタビュー中はICレコーダーを回しており、最終的には音声を文字に起こすので、そもそもメモはほとんど使わない。ならメモを取らなければいい。実際にそうしているライターも多い。だいたい冒頭で、「席に座ってできるインタビューなら(手書きのメモなしでも)ともかく」って書いとるやん。しかし、わたしはなんとなく……緊張を散らしたい気持ち半分、音声データに万が一のことがあったら、どんなにひどくてもメモがあったほうが良いのではという不安半分でメモを取ってしまう。

 

時はコロナ前。まだインタビュー相手とインタビュアーの距離が、応接用の小さなコーヒーテーブルを挟んで差し向かい、ということも多かった時代。

あるインタビュー相手がわたしのメモを見ながら言った。

「それは速記ってやつですね!」

ウッ……かたまるわたしにインタビュイーは畳みかける。

「すごいなあ、さすが記者さんだなあ」

曇りなきまなこを見れば、悪意がないのは明白だった。「うへっ、へへっ……速記じゃ……なくて……文字が……」ごにょごにょ言いながら、わたしは思った。こんなどちゃくそ汚い文字を見て、「速記なんだ、すごい!」と思える光の感性を持ちたい……。

 

それ以来、そのインタビュー相手のことは「善性の持ち主」として、以前よりいっそう応援するようになった。活躍を見かけるとき、また、結婚し、お子さんも生まれ……とプライベートな知らせを見かけるときはもちろん、自分の汚い手書き文字を見るときにも、「速記ってやつですね!」と言ったときの輝くような表情を思い出し、「どうか幸せであれ」と祈ってしまうのであった。

 

今週のお題「メモ」

 

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画像はぱくたそよりお借りしました。

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