2022年。
いよいよダメになった。
何がって、この記事に書いたブーツである。
記事に書いたとおり、修理しながら履いていたのだが、今年の春先、ついに足先の縫い目がほつれてきた。
ちょうど銀座に行く用があったので、買った靴屋に持っていく。
「これ、わたしが新卒で入社したときに発売された型番ですね」
ブーツを差し出すと、ベテラン風の落ち着いた男性店員が言った。
わたしがブーツを履いた年月と同じだけ経験を積んだ店員は、慎重にじっくりとブーツの状態をチェックしていく。
ほつれたところは、似た色の革をパッチのように当てて補修できる。
が、当然、足の甲に当たるので履き心地が悪くなってしまう。
革自体がかなり弱っているので、今後、別の場所がさらにほつれる可能性もある。
「いきなりほつれて、全部がバラバラになってしまって、出先で困るような可能性も……?」
おそるおそる聞いてみると、「ないとは言えません」との返答。
カウンターに乗せたブーツを、わたしはまじまじと見た。
いつも足元にあるそれを、目線と同じ高さで見ることはめったにない。
手入れのときだって、手に持ってあれこれするのだから、見下ろす形には変わりない。
「履き込んだ」を通り越して、くたびれた革。
靴底と革が今にもはがれそうになっているところもある。
すっかりわたしの足の形と歩き方になじんだ結果、もはやショートブーツは直立しない。
20年間履き倒してもびくともしなかった強固な縫い目がほつれている。
ブーツを履き続けるうち、頭をときどきよぎるようになった疑問がある。
「大事に使う」と「こんなに使い倒してかわいそう」の境目はどこなのだろう。
もちろんそれは、とても主観的な話だけれど。
その境目も基準もわからないままに、その疑問にけりがついた。
わたしのなかで、「こんなに使い倒してかわいそう」にカッチリ切りかわったのだ。
修理して、修理して、いつか歩いているうちに、このブーツがバラバラになる。
それはとても残酷なことに思われた。
「修理、しません」
わたしはそのまま、20年前と同じ店舗で、新たなブーツを探すことにした。
プレーンで、できるだけ履きやすくて、比較的きちんとした服装に合いやすく、それでいてちょっとカジュアル感もあるデザイン。
いくつか見つくろって、サイドゴアでヒールがほとんどないブーツに決めた。
すこし白っぽい、オークル感ある茶色。
黒や茶色でないので、靴クリームの入手には難儀しそうだが、好みにはぴったり合っていた。
家に帰って、新しいブーツに足をそっと差し入れる。
「どこまでもどこまでも、歩いて行けそう!」
若かったあの日の喜びはもうない。
次に、古いブーツを履いてみる。
いつも通り、ぴったりとやわらかくわたしの足を包み込む。
この黒いブーツで、泥を踏み、落ち葉のパリパリとした感触を楽しみ、草のやわらかさを感じ、取材で入ったホテルのふかっとした絨毯の感触にドキドキして、時には固いアスファルトを蹴って走った。
新しいサイドゴアのブーツは、ワンピースにも、パンツのすそを折り返して履いてもよく合う。
2月に買って以来、存外、いろんなところへ履いていっている。
下手なスニーカーよりも歩きやすいのは、前のブーツと変わらない。
ただ、なんというか、履き心地がさらに気楽だ。
その気楽さが、“今”だな、とも思う。
冬を迎え、サイドゴアのブーツの親指の脇あたり、わたしの足の出っ張ったところがうっすらと擦れてきている。
新しいブーツは、いつの間にか、「新しかったブーツ」になっている。
このブーツを20年履くことはないだろう。
それでいいのだとも思う。
それでも――。
それなりに長い付き合いになるであろうこのブーツは、わたしをどこへ連れて行ってくれるのだろう?
思いがけない土地を踏むこともあるだろうか?
ブーツに足を入れるたび、コロナ禍と円安ですっかり枯れかけた希望が、かすかによみがえるのを感じるのだ。
だから。
「買ってよかった2022」はサイドゴアのブーツ。
未来へと連れて行ってくれる、わたしの新しい靴。
いま、出会えてよかったという気持ちを、ここに記しておく。
今週のお題「買ってよかった2022」
冒頭の画像は画像は写真ACからお借りしました。《
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