平凡

平凡

ブログのこと書いてるうちに柿がなり9月が終わる

日差し……強っ。

こんにちは、平凡です。

洗濯ものを干しにベランダに出た、わずか10分で日差しにやられました。

にもかかわらず、湿度が低いので快適。

しんどいのか心地よいのかわかりません。

 

 

9月はあんまりブログを書いていないうちに過ぎ去っていきました。

三連休2回もあったのにホワイ?

書いてる内容も、書くとは……とか、ブログこうしていきたいとか、それ系が多いです。

 

9月は、ごくごく個人的な事件がいくつかありました。

9月13日にアップしたこの記事が、過去最高のアクセスを叩き出したのです。

24日一日で4086。25日で1174。

hei-bon.hatenablog.com

 

はてなブログのトップページで取り上げていただいたことがきっかけです。

で、もう一段階ありまして。他サイトから言及いただいたのですが、そのひとつがかーずSPさんでした。ひええ。

 

スマホをなくす*1」のは誰にとっても身近なのは言わずもがな。

それに加えて、「スマホを使った二段階認証は簡単に詰む」ことへの言及が多かった印象があります。

はてなユーザーにIT系の方が多いからでしょうか。

 

「お役立ち記事」が短期間に多く読まれるにはいくつかの要素が必要で、今回は以下の3要素があったんだなと思いました。

 

参考になりそう+個人の体験が入っている+自分の体験、ふだんから考えていることを語りたくなる(ツッコミ欲をあおる)

 

実は、過去にもはてなブログトップで紹介してもらったことはありますが、一日300~400。

たしかエッセイ的要素が強い記事だったと思います。

 

お役立ち記事にしても、エッセイ的な文章にしても、読まれるエントリーをバシバシ書いている人ってすごいんだな~と改めて感じました。

いずれにせよ、炎上ではなく多くの方に読んでいただけたのは、幸せなできごとでした。

 

9月はもうひとつ、小説のほうも100超え、200超えの日がありました。

他の方に教えていただいたのですが、100のときは「注目の作品」にピックアップしてもらっていたようです。

わたしが利用している「カクヨム」のトップページにはそういうものがあるのです。

この「注目の作品」は最近アルゴリズムが変わり、閲覧履歴を加味して、人により表示内容がアレンジされている模様。

「恋愛」カテゴリーをたくさん読んでいる方のおすすめに表示されていたのかもしれません。

 

読者の増加はわずかでした。

前ならそこで落ち込みましたが、もはやそういうのは超越して、「読まれる機会に恵まれたんだからいっか」と思えるようになりました。

あとね、個人の創作を読んでくれる人がわずかでも増えるって、すごいことですよ……。

 

また、小説の告知ツイートをしていたら、そこから読者になってくださった方もいました。

個人の創作の告知ツイートって、「毎日がんばったら意味がありました!」みたいな目に見える効果は皆無です。

ただ、当然のことながら、楽しく「書いたよ~」ぐらい告知しておけば、「このキャッチなら読んでみようか」と思う人の目に入る可能性はある。

あと、交流のある書き手さんが他人の告知をRTしていると、「この人が気になっている作品なのか~。じゃあ読んでみるか」ってなりますしね。

「どうせ意味ないし……」と拗ねたりなまけたりせず、できることを楽しめる範囲でやることには意味があると、当たり前のことを実感しました。

 

今月は、自分自身、メインのTwitterでフォロワーさんが激推ししていたWeb小説を読んでみたらとても面白かった、という体験をしました。

正確にいうと、そのフォロワーさんは2~3年前からその作家さんを推していました。

目にしていたけれど、クリックにいたらなかったのです。

でも、夏に発表された新作のタイトルと設定が、わたしにとってすごく魅力的だったんですね。

そのフォロワーさんが激推しし続けていなかったら、きっと読むことはなかったと思います。

発信って大事。

 

本業のほうでも、Web上でありがたいお言葉をいただく機会がありました。

 

ところで。

わたしはここ2年ほど、「しいたけ占い」を心の支えにしています。

しいたけ占い」は、占い師のしいたけ.さんによる星座占い。

読めばすぐわかるのですが、この占い、「当たる、当たらない」ではないんですよね。

しいたけ占い - 星座・今週の運勢 | 占い | VOGUE GIRL

「あなたはこういう傾向のある星座の人で、こういう星まわりだから、今週はこうやってがんばるといいかも」的なことが書いてある。

励まし付きのライトなコーチングといいますか。

「人は12星座なんかでくくれない」「誰にでも当てはまることが書いてある」のは当たり前で、だからこそ意味がある。

だって、みんなだいたいがんばってるでしょ? 

だったら12カテゴリーにくくった、ざっくりした励ましがあってもいいじゃない、みたいな。

 

で、「しいたけ占い」の下半期占いによると、わたしは9月がラッキー月。

それを見たときは、本業でどっかんどっかん稼ぐとか大きなことを期待したのですが(笑)*2

 

蓋を開けてみれば、

「続けていれば、読んでいただく機会に恵まれることがある(ブログとか小説)」

「まじめに仕事をしていれば、誰かの目にとまって、お言葉をいただけることもある(本業)」

という、ちいさくて当たり前で、でも続けるための大きな支えになってくれるできごとに恵まれたことがラッキーだったのかな、と思います。

 

何事も、ちょっとずつしか進まないんですよね。

 

と、いい感じに9月を締めくくろうと思ったのですが……。

 

いい加減運動習慣も取り戻さないとヤバいです。

とりあえず「書く」ことは、あと一年ぐらいは同じようなペースでやろうと思っていますが、

どっかにねじ込まないと……。

 

最後になりましたが、期間限定で公開していた「その音」、下書きに戻しました。

反応もいただいて、うれしかったです!

ありがとうございました。

 

それでは年末に向け、皆さま、ご無理なさらず走ってまいりましょう。

 

画像は《コスモスに包まれるのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220247040post-38801.html

秋と言えばコスモス! どっか行楽に行きたいですねえ……。

*1:あのエントリーに見つからないと書いた「2枚目のクレジットカード」と接種証明、無事発見されました!

*2:さっきまで、「当たる当たらないではない」と書いていたはなんだったのか

ネットで、複数のアカウントを使い分けている。

とはいえ、そんなに人格を変えたりはしていない。

てか、そんなもん器用に変えられない。

わりといつでもどこでも丸出しである。

違うのは、政治的な話題に言及するかしないか。

実名がわかる仕事の告知をするかどうか。

このふたつぐらい。

 

メインにしているTwitterアカウントは匿名だが、そちらでつながった人とはリアルで会ったり、仕事をしたりしている。

仕事は実名でやっており、彼ら彼女らは“中の人”を知っているわけで、完全なる匿名アカウントか? というと微妙だ。

そっちでは私的な発言をずーっと垂れ流しているので、そのうえで付き合いが続いているのは貴重だなと思っている。

 

もうあんまり分けなくてもいいんじゃないかなあ、なんて思っている。

仕事に関する文章は、同業者が見ているところで流すのもいいかもしれないし。

エッセイ的な文章だって、小説だって別に。

「へたくそだなー」と思われたら、次からは読まれないだけだ。

逆に、そっちを読んでくれている人*1に、実名の仕事が知られてもとくに問題はないような気も、する。

 

結局、わたしはわたしでしかないのだし。

今のところは、分けることで守られている、何か柔らかいものはあるかないかを考えている。

 

ブログは――。

ここがこの形であったから出力できたことがたくさんあるのはたしかだ。

また、プラットフォームやコミュニティがつくってくれるものもある。

はてな」は、UIもユーザー同士のつながり的にもとても書きやすい。

 

私的な文章「も」書く。

とにかく最後までその打席に立ち続ける。

わたしの目標はそれだけ。

形や場所については、目下迷い中だ。

 

欲求に即したことをいうと、もはや自分の文章を書かないと気持ち悪い。

それと、下手でもなんでも、どこかに公開した自分の文章を読むことで得られる落ち着き、みたいなものが存在する。

それは内面をつづったものでも、スマホをなくした体験談でも、海外でのWi-Fiでの借り方でも、小説でもなんでもいい。

で、それを続けるうち、「商業ライターの仕事も好きだ。ぜったいに続けたい!」という気持ちも同時に強くなった。

金銭と生活以外にも、仕事の出力でしか得られていないものが確実にある。

 

あと一年ぐらいはこのまま走るかもしれないし、形を変えるかもしれない。

いまの使い分けに意味を持たせ、十年先もこのままかもしれない。

 

もしも何か変更する場合、移転先または告知アカウントをお知らせするので、よろしくお願いいたします。

*1:このブログの読者の方々とか

古い革の手帳には、一枚の写真が挟まれている。

 

大学時代、部活の引退試合を終えて、同期みんなで撮った集合写真。

高校時代まで、わたしは部活とかスポ根とかとは無縁だった。

運動神経も皆無。

団体行動も苦手。

そんなわたしがどうして大学でわざわざ運動系の部活に入り、曲がりなりにも4年間つづけられたのか、周囲も不思議がったし、自分自身もいまもってわからない。

 

集合写真のなかのわたしは、歯を丸出しにして、ハタチを過ぎた人間とは思えない笑顔を見せている。

負けて、負けて、負けて、うまくできたためしのない4年間だった。

思えば苦手なことをやりきったというのははじめての経験で、それはわたしに一定の達成感と自信を与えてくれたような気はする。

その達成が、とくに人生を劇的に好転させたことはない。

それでも自分の一部になっている。そういうもの。

 

リフィルを変えながら使っていた古い手帳は、もう長い間ほこりをかぶったままだ。

スケジュール管理はGoogleカレンダーに、メモはEvernoteに移行してしまった。

わたしは手書きすることに意味を見出すアナログ派だが、同時にメモリがあまり大きくない人間でもある。

手帳を手放し、スマホに一本化したことで、外出時の荷物管理の負担は大きく減った。

たぶんもう、手帳が復活することはないだろう。

 

写真のことも手帳のことも長らく忘れていた昨今。

『もういっぽん!』という柔道漫画を読んだ。

mangacross.jp

冒頭は、主人公の中学時代の最後の試合からはじまる。

第1話は主人公の敗北だ。

それ自体はよくある展開なのだけど――。

主人公は試合後の更衣室でつぶやく。

「けっこう頑張ってきたきたつもりだったけど」

「あんまり強くなれなかったねえ」

 

ころころとかわいらしいものの、線が多くて空気感がビシビシと伝わってくる絵柄で描かれる、試合中の描写、更衣室のざわめき、多くの学校の生徒が入り乱れる体育館のホール。

そこにいる、周囲から注目もされない、強くもないワンオブゼムとしての主人公たち。

 

そのとき、一気によみがえってきたのだ。

汗をかいたときの、道着のむせかるようなにおい。

次第にほつれていく襟首のやわらかさ。

夏のダッシュ

寒げいこの早朝ランニング。

受け身をとってとってとってとって投げられて。

わたしがやっていたのは柔道ではないのだけど、

 

「けっこう頑張ってきたきたつもりだったけど」

すごくすごく頑張ってきたけど。

「あんまり強くなれなかったねえ」

ほんとうはもっと強くなりたかった。

 

部活をやっていたのは、「人間関係のモデルがない寄る辺のない大学生活で、ロールプレイがしたかったから」。

hei-bon.hatenablog.com

長年そんなふうにうそぶいてきたし、上記のようなエントリーも書いたことがある。

それも嘘ではないけれど。

でも、ほんとうは何かを求めてがんばっていたのではないか。

それはきっと、とても単純なもの。

勝ちたいとか強くなりたいとかことばにしたら、かえって本質が見えなくなってしまうほど、純粋なもの。

 

ひとが追い求めるものは、時として結果をともなうものばかりではない。

でも、結果をともなわないものは、すぐにノイズにかき消されてしまう。

 

ひさしぶりに手帳を開いてみる。

写真のわたしは、もうほとんど他人に見える。

きっとあなたは気づいていないけれど。

何かをもとめて、毎日毎日稽古に明け暮れていたんじゃない?

 

10年近く前のリフィルがはさまったままの革のバイブル型手帳。

時を止めた写真のわたし。

ずいぶん遠くまできてしまったな、と思う。

それでも白い歯を見せて笑うわたしが見ていた光は、まれに時空を超え、瞳を刺して、心を貫く。

宇宙をたったひとりで歩くように老いに向かう日々のなか、それはあまりにもまぶしい。

 

今週のお題はてな手帳出し

吐露

ぶっちゃけ自分の文章を書きたいと思っている。

それでどうなりたいのかわからない。

仕事なのか、趣味なのか、半アマチュア、半プロなのか。

数少なくていいから、だれかの心にふれるものを書きたい、とは思っていることはたしか。

「数少ない」というのは言葉のアヤだ。

想定する「数少ない」は、いまのわたしの立場から言うなら「かなりの読者数」となる。

 

うまくないことも、浅いことも、自覚している。

うまく引き出せないのもたしかだけれど、内部に蓄積しているものもたいした量ではない。

卑下ではなく、この年になるとそういうことは「見える」。

 

カクヨムで小説を書いている。

自分の小説は愛しているけれど、いま書いているものに対し、「なんでこんなに読まれないんだろう」と思ったことは正直、一度もない。

最大限読んでもらえていると思う。

これが実力なのもわかる。

20万字100話超で、総PVは4000ちょい、読者約30人、評価も約30。

更新するとコンスタントに10~15PV。

これは90話あたりから変わらない。

ひとから見たら、「なんでそれでつづけてんの!?」と思われる数字だと思う。

それでも、わたしにとっては分不相応に読んでもらっている感触がある。

 

ライター仕事は好きなので、ぜったいに辞めたくない。

この生業への感情は、「自分の文章を書きたい欲」とは別個に、独立して存在している。

逆もまたしかりで、生業がどうあれ、「自分の文章を書きたい欲」「それを他人に届けたい欲」は厳然として存在する。

 

自分の文章、書いてるじゃん。いまも。ここで。カクヨムで。

それでいいと割り切れないのだから、「何か」になりたいんだろうとは思う。

それなのに、毎日書くことは習慣にはなっても、何が書けるのかわからない。

でも胸にうずまく書きたいことと、書きたい欲と、届けたい欲はある。

だから毎日なにかを書く。

 

だまってやっとけよ、という話なのであるけれど、やっぱり「自分の実力を見つめつつ、何かを望む」のは精神的にしんどい。

仕事もあって肉体的にきつい。

それでもやりつづけたい、やりつづけてしまう。

 

自分が注いだと思っている労力に対し、見返りというものは常に釣り合わないものだ。

それでもここ二年ぐらい、いろいろ書いてみてわかったこともある。

 

才能はない。それでもやめられない。

でも、何かをもっと上手く引き出せないまま死ぬのはいやだと思っている。

 

浅薄は浅薄なりに、まだ引き出せていないものを引っ張り出したい。

 

創作に関しては、キツい展開を容赦なく入れたとき、または負の感情を思い切り注げたときに、他人からの反応がある。

たぶん、それが自分の数少ない持ち味だ。

これからは、それをたっぷり盛るための手法を考えたほうがいい。

 

ハートフル路線は紋切型になる。

 

小説の書き方本は役に立つが、実作への反映は難しい。

反映できるようになるために、まず、手を動かしつづけないといけない。

 

調べものをして物語を書くのは楽しいけれど、内容に反映するのはかなり難易度が高い。

 

自分には、ライターとして体験したことを他人に伝えて、残しておきたい気持ちがある。意外と。

 

世間からはみ出た人にあきらめてほしくない。そういう気持ちで文章を書くことがある。

 

ああ、蒸し暑い。

今夜は小説をもうすこし書きたいけど時間がない。

書きたい。

もっと読みたい。

調べたい。

 

胸のなかにあるこの妄想も、感情も、ぜんぶ書けたらいいのに。

ぜんぶ書いたうえで、ひとに伝えたいものだけ残してブラッシュアップしたい。

書いて、書いて、書いて、削りたい、削りたい、削りたい。

 

吐き出すだけ吐き出す練習をしたら、もっと組み立てながら書く練習もしたい。

 

わたしにはわからない。

人生のいろんなことがわからない。

自分の文章を書いて、それがひとに響くのがどんな瞬間かわからない。

何もわからない。

でも、わかりたい。

 

なんだかそれだけ。

疲れるけれど、それだけ。

noteとはてなブログは文化が違ってびっくりした話

いまさらですが、ちょっくらnoteでもやってみようかなあ、と思いまして。

今まではTwitterで回ってきた記事を読むぐらいだったのですが、noteのトップページからランダムにいろいろ記事を読んでみたり、ライター界隈の記事を追いかけてみたりしております。

 

で、わたしはnoteもはてなブログも「がっつり書きたい人が集うところ」とふんわり認識していました。

でも、このふたつは文化がぜんっぜん違うんですね。

当然っちゃあ当然ですが、これは衝撃でした。

本来なら各100記事ぐらい読んで統計を取らなければならないところ、雑感で申し訳ないのですが……。

わたしが感じたその違いをまとめてみようと思います。

 

 

初投稿が違う

わたしはブログでもnoteでも、その書き手の初投稿を読むことが多いです。

「この人がどういうモチベーションで、ここで書こうと思うに至ったか」

あるいは「そういったモチベーションが書いてあるかどうか」が知りたいんですね。

 

この「初投稿」がまず、noteとはてなブログで違うように思いました。

 

はてなブログは、「書くのが苦手だけど、こういう理由でアウトプットしたくなって」など、「書くのに苦手意識がある」と表明している初投稿をよく見かけます*1

または、「今日からブログといふものをしてみむとするなり」ぐらいの前置きで、自分スタイルの日記や記録を書き連ねるか。

 

noteだと、「こういうことで以前に文章を褒められたことがある」と、自身が文章に自信を持った体験を織り込んでいる初投稿が多いです。

つまり、「文章、多少は腕に覚えあり!」なところからスタートしています。

ほか、今ままでつちかってきたもののなかで、何をアウトプットに生かせそうか、世の中に役立てられそうかを明示しているケースも。

たとえば、「こういう転職歴があるので、転職に悩んでいる人に役立つことが書けるんじゃないか」とか。

「今後、わたしをフォローしておくとこんな情報が得られますよ」とあらかじめ明示するスタイルです。

 

SNS色は薄め

はてなブログより、noteはSNS色薄め。

 

はてなブログはご存じの通り、「スター」「ブクマ」「読者登録」を通してゆるい交流を楽しんでいる人も多く(わたしもそうです)、使い方によっては長文交流SNSとも言えなくもない。

同じ場所で連続して書き、蓄積していくことに意味を見出す人も多いです。

「場」としての活用ですよね。

 

noteはほかのSNSありきのテキスト置き場。

Twitterなどでつながって発信してnoteに誘導、みたいな使い方が多いです。

著者フォローはよほど気に入るか、実用的な情報を交換したい相手だったらする、という印象。

著名人が「長文が書きたくなった場合のテキスト置き場」として使っている例も多いですよね。

課金システムがあるので、メルマガに近い使い方をしているケースもよく見かけます。

また、「いいね」にあたるハートはログインなしで押せるので、つながりの外からも応援の気持ちを伝えやすい側面もあります。

 

「なぜ書くか」の有無

はてなブログでは「どうしてブログを書いているのか」をしばしば問い直す人も多いですが(わたしもそうです)、

noteは実利、実用、ビジネス的な用途で使っている人が多いからか、あまりそういった問いかけは見かけません。

 

プラットフォームとしての位置づけも違いますよね。

ブログは「斜陽、斜陽(平たくいうとオワコン)といわれるブログでなぜ書くか」みたいな雰囲気がある。

すくなくとも、イケイケの場所でイケイケのわたしが書いています! という自意識が発生するのは見たことがありません。

noteがイケイケかどうかの判断は各人によるでしょうが、ブログのように「斜陽の場所」とは思われておらず、それは書き手の自意識にも反映されているように思います。

 

稼ぐ手段の違いから生まれる差

はてなブログでお金を稼ごうと思ったら、アフィリエイトアドセンス。間接的ですよね。

一方、noteは投げ銭機能でテキストへの直接課金を狙えます。

機能の違いが、今まで書いてきたような違いに影響しているように思います。

 

noteの強気、ブログの弱気

ブログでは適度な苦労話やアフィリエイトの軌跡など、過程の露出も好んで書かれ、読まれます。

連続した「場」なので、それが親近感を演出し、ファンを生むことにもつながっていく。

 

一方、単独で文章を読まれる可能性が高いnoteでは、あまり弱いところを見せないのかな、という印象。

ひとつの記事で、「こういう苦労はした」と書いても、最後はサクセスストーリーで締めている。強気な姿勢を感じます。

 

これは、「稼げる場所」「ビジネス色が強い場所」での態度としてはちょっとわかるんです。

というのも、わたし、個人事業主、つまり商業ライターとしては、わりと「強気じゃないと仕事が来ない」と思っているんですね。

たとえば、駆け出しでもないのに「仕事ぜんぜん来ないんですよぉ~」「わたしなんて」と言っている個人事業主に仕事頼みたいか、と。

スケジュールをもうちょっと詰めたくて、「この時期(比較的)空いていますよ!」とかはぜんぜんアリですし、尊敬する先輩方もそうしています。

が、言い方は大事。

「この時期は空いています!」と、「暇で困ってます」みたいな書き方はぜんぜん違う。

そういう意味では、noteの書き手の方々のマインドは個人事業主に近いんだな、そういう使い方をしているんだな、と理解できます。

が……!

だからこそ……!

見ていると……!

正直、疲れる……!

 

ざっくりまとめ

ざっくり書くと、次のようなイメージを抱きました。

はてなブログは連続する「場」、手軽、記録としてのアウトプット。稼いでいても、「素人」感がある。

noteは単独、切り売り、文章力で殴り倒すバーリトゥードとしてのアウトプット。「プロ」感やその覚悟を感じる場所。

 

「noteに書いてみたけど、やっぱりはてなをメインにします」と書いているブロガーさんを何人か見たことがあります。

のぞいてみて、ちょっとわかりました。

自力でギラギラできないと、気持ちが負けちゃうんですね。

 

noteは「こういうビジネス(または生き方)をするから、それに付随するテキストも書いてやるぜ~~~!」という明確なビジョンがある人にとっては、とてもいいプラットフォームだと思います。

逆に、そういうビジョンがないとつらい。

 

もちろんnoteを日記っぽく使っている人もいれば、ブログをプロの広報活動に使っている人もいる。

でも、ざっくり言うと……という雑感レベルのお話でした。

 

違う土地には違う文化がある。

そんな当たり前のことを感じた体験談でした。

*1:そう書きつつ、みんなたいてい上手いです……!

スマホをなくしたときにやること 2022

えー毎度毎度、トラブルの話題で申し訳ないのですが、先日、スマホを落としました。

オチだけ申し上げますと、善良な方に拾われ、無事、手元に戻ってまいりました。

ありがとうございます。

それでも拾得されているとわかるまでの20時間ほどは、落ち着かないなんてものではありませんでした。

今回のことでわかったのは、「落としてからじゃ遅い」対策がいろいろあること。

また、以前から使っているアプリはともかく、ここ3年ぐらいで愛用しはじめたものに関しては、「落としたら」を考えたことがなかったこと。

そのあたりの経験をシェアできればと、記事を書きました。

「平凡さんは間抜けだなあ」と思いつつ、万が一に備えていただけますと幸いです。

 

 

 

何を紛失したか

スマホiPhone

スマホケース

クレジットカード×2枚

緊急事態用の1000円札

 

やったこと(時系列順)

・クレジットカード1をストップ(固定電話使用)

・パソコンからGoogleアカウントのパスワード変更

・パソコンからスマホを探す(携帯電話会社の独自サービス)

・パソコンからiCloudで「iPhoneを探す」(不発)

・パソコンから携帯電話の利用を停止

・交番へ遺失物届を出す

・パソコンからクレジットカード2を止める

・各種SNSTwitterInstagram)、Webサービスはてなカクヨム)のパスワード変更

・PayPayの利用停止

 

時系列 ※忙しい方は、ここを飛ばして「ふだんからやっておくとよいこと」へ

1日目 

友人と遊んで公園から帰る途中、スマホがないことに気づく。

道中、スマホを使ってGoogleマップを何回か確認していたことから、落とした範囲は簡単にしぼりこめた。

ズボンのポケットに入れたつもりが落ちてしまったもよう。

 

Googleアカウントを使って、スマホを探せた気がする」と聞き、友人のスマホを借りて、Googleアカウントにログインしようとする。

が、二段階認証でタブレットとの連動が必要。手元になく、あきらめる。

来た道を戻るけれど、ない……!

 

***

帰宅。

Gメールに「あなたのGoogleアカウントに不正アクセスがあった」と連絡が来ていた。

時刻はスマホ紛失後。あわててパスワードを変更。

賢い人はお気づきでしょうが、これ、友人のスマホを借りてログインしようとした自分自身の行動が「不正アクセス」の正体でした。

 

Googleの「スマートフォンを探す」のページへ行き、端末からログアウト。

スマートフォンを探す」ページからは、「iPhoneをロックする」などの項目があるものの、ぜんぶiCloudに飛ばされるだけ。リンク集としては便利。

 

クレジットカード1枚を電話して止める(うちには固定電話がいまだにある)。

もう1枚はネット上で停止手続きをしようとするものの、「すぐに無事、見つかったら……」と二の足を踏む。利用明細には、使われた形跡もないし。

ご存じの方も多いと思うが、クレジットカードは一度止めると同じ番号では再開ができない。新たな番号のクレカを発行してもらうことになる。

 

携帯キャリア(ソフトバンク)のマイページへ入り、「携帯電話を探す」を実行。

わたしは月額支払いの「セキュリティパック」に入っており、マイページ内から探すことができた。

それによると、スマホは19時半時点で公園の最寄り駅の向こう側にあり、更新すると20時時点では交番付近にある!

公園から最寄り駅までは2キロほど離れており、表示誤差は300m。これは!

その後、「携帯の電源が切られたか圏外」とのことで、20時の時点から情報更新がされなくなる。

あとでわかったのですが、どうも、警察に届いた時点で電源切られてしまうっぽい。

 

携帯キャリアのサイトで、回線利用を一時停止。

 

iCloudで「iPhoneを探す」を実行。「探せない」と出る。

iPhoneを探す」はあらかじめオンにしないといけないらしいが、していなかったのだろうか……。

iPhonen自体のロックをしたいのだが、これ以上の操作をするためには、2ファクター認証が必要と言われる。そのコードは、どうもスマホに送られているらしい。

人に聞いたところによると、Apple社の他の端末を持っていると何とかなる可能性があるらしい。

うちにあるApple社製品はiPhoneのみ。

 

携帯電話会社の「セキュリティパック」には遠隔ロックも含まれていたのだが、なんとこれには事前のアプリダウンロードが必要。

スマホをロックする手立てはなさそう。

 

ここまでやって、交番まで自転車を走らせた。

ぜったい届いていると思ったのに、スマホのお届けものはなし。

ただ、交番のスタッフが交代したばかりなので、それより前に届いていたらわからないとのこと。

絶望しながら遺失物届を書く。動揺して字がめっちゃ汚くなってしまう。

このとき、「連絡がつく電話番号」を求められる。

夫の携帯番号には奇跡的な語呂合わせがあって覚えているので、それを書いた。

 

再び自転車かっ飛ばして帰宅。

クレジットカードをもう1枚止める。

TwitterInstagramはてなブログカクヨム、思いつく限りの「ログインしっぱなし」のサービスのパスワードを変更した。

 

LINEは端末を乗り換えることで、前の端末での利用がストップされる。

PC版でログインしていると、端末乗り換えなしにログアウトか何かできるそう。

ただ、PCからログイン状態にしていないので、これは止めるのは難しそう。

PC版にログインする際には、スマホが必須なので。

 

iDなどに関しては、おおもとのクレジットカードを止めているため問題がない。

また、メインのクレジットカードは不正利用疑惑で番号変更となったばかり。

通販サイトなどのクレカ情報は更新しておらず、その点では懸念が少なかった。

 

メルペイ、LINEペイは銀行口座と紐づけは一度行っているのだが、「本人確認が必要です」となってから、めんどくさくて使わなくなった。つまり、実質チャージは不可。

 

PayPayも同じくで、クレカ、銀行口座との紐づけはなし。ATMから入金している。

ただ、ちょっとした理由があって6万ぐらいは残高がある。それは痛いが、それ以上使い込まれる心配はない。

 

気になるのはYahoo!ショッピング

PayPayに加え、銀行口座と紐づいている。

が、Yahoo!のアカウントに入るには、「スマホを使っての2段階認証」または「緊急時用のメールアドレス」が必要。

メールアドレスは古く、使っていないもの。

ログインできない場合は、いくつか利用状況を答えるのだが、何回やっても「状況に合っていないのでログインさせられない」とのことで、詰んだ。

 

心配してくれていた友人に、顛末をTwitterDMで送る。

仕事に出ていた夫には、Gmailで連絡。

これ以上できることがあれば聞きたいと、ソフトバンクショップ来店をネットで予約。

仕事関係で迷惑をかけそうなところには、メールで「連絡は固定電話かメールへ」と連絡。

 

2日目

「PayPayって止められるんじゃない?」と思いつく。

電話で止められました!

 

ソフトバンクショップに行く前に、交番へ立ち寄る。

遺失物届に記入した緊急連絡先の番号が間違えていたのでは? と心配になったから。

その結果、スマホが届けられていることが判明!

ただ、遺失物は所轄の警察署にあり、土日は取り扱いができないとのことで、週明けに取りに行くことに。

ソフトバンクショップはキャンセル

 

3日目

週明け。原稿終わらず、夕方まで引っ張る。

警察署より「拾得物あり」と電話あり。

ちゃんと電話くれるんだ! と感動した。

夕方、スマホを無事受け取り。

落とした場所は予想通り。

場所と時間帯から、おそらく見つけてすぐに、警察に届けてくださったのだと思う。

拾ってくださった方、ありがとうございます!

もちろん、いざというときに入れていた紙幣もクレジットカードも、何もかもそのまま。

ふだんからやっておくとよいこと

スマホケースに貴重品を集中させない

クレカ入れるのは危険ですね……。キャッシュレス決済派にとっては便利ですが。

2枚も入れていたのは、最近、クレカが新しくなり、支払い登録を変更する機会が多かったため。

 

iPhone使用者は、「iPhoneをさがす」がオンになっているか確認を

わたしの場合、「オン」になっていましたが、電源が切れていて探せませんでした。オフラインでも探せるよう設定を変更。

 

iPhone使用者はAppleアカウントのメールアドレスとパスワードを確認

iPhoneを探す」とき、iCloudへのログインが必要になります。

Apple製品ヘビーユーザーだとiCloudをたびたび使うのかもしれませんが、わたしはふだんまったく使わないので。

奇跡的に覚えていてよかったです。

 

●セキュリティパックに入っている人は、事前準備を

オプションに入っていそうな人は、携帯電話のマイページなどで何に入っているか、何ができるか確認をしてみましょう。

事前にオプションアプリ入れておけば遠隔ロックできるなどのサービスがある場合、準備を。

いざというときに使えず、月額をドブに捨てた! と頭を抱えることになります。うう。

 

●連絡先はスマホオンリー&ひとり暮らしの人は、シミュレーションを

スマホを落としたとき、PCやタブレット、そしてネット回線があればずいぶんいろんな対策ができます。

わたしはいまだに家に固定電話があり、パソコンもWi-Fiもあり、今回の件では大いに役立ちました。

もしひとり暮らしで家の通信機器はスマホのみという人がいたら、いざというときにどうするか、ちょっと考えておくことをおすすめします。

電話が必要なものはこの公衆電話からかけるとか、昔のスマホを引っ張り出してここのフリーWi-Fiで手続きをするとか。

完璧でなくてもいいので、「どこを頼るか」をぼんやり考えておくだけでもきっと役に立ちます。

なぜなら、いざスマホ落とすとめっちゃ動揺するから!

 

●紛失時に止めるべき決済方法を一度洗い出しておく

スマホで決済することが多い人は、自分は何のサービスを使っていて、何を止める必要があるか、一度把握しておくといいかもしれません。

決済方法はちょっとずつどんどん増えており、「利用可能だけど、今は使っていない」決済方法もあるのではないでしょうか。

 

●長年使っているサイトは、登録アドレスが古くないか確認を

安全性が大切なサイトは、たいていスマホを使った2段階認証が必要。

それができない場合は、緊急用に登録したメールアドレスを求められます。

長年使っているサイトは、登録情報が古くなっていて、いざというとき使えないことも。(わたしの場合は前述したYahoo!

情報はこまめに更新を!

 

●ロック画面&待ち受け、なんですか?

遺失物届を出したり、受け取りに行ったりする場合、「ロック画面はなんですか」とけっこう聞かれます。

決定打ではないですが、本人確認の一助にされていることもあります。

これ、わたしだけかもしれないのですが……紛失した当日、ロック画面の画像を答えられなかったんです。

長年ロック画面も待ち受けも変えていないに!

一日に何回も見ているのに!

以前、地下鉄でスマホを落とし、駅に受け取りに行ったことがあったのですが、そのときの受け取り時の本人確認は、「ロックの画像を告げる」「ロックを解除できる」でした。

あのときは、「ハチワレ猫が横を向いて、こう……ちょっとおしりふりふりして獲物を狙っているところです!」と即答できたのに……!

そこのあなた、だまされたと思って……脳トレだと思って答えてみてください。

あなたのスマホ、ロック画面と待ち受け画面はどんなものですか?

 

●課金しているゲーム、漫画アプリは引き継げますか?

紛失、またはスマホの突然の破損でもそうですが、課金しているゲームや漫画アプリなど、エンタメ系サービスを引き継げないと痛いです。

普段からIDをスマホ以外の場所に控えたり、アカウント登録しておき、いざというとき引き継げるようにしておきましょう。

わたしの場合、今回気になったのはピッコマとFGO

ピッコマ→たしかアカウント登録済なのでだいじょうぶなはず。購入したコイン残高あり。コイン残高よりも、すでに課金したものが読めなくなるのはつらい。

課金している人はアカウント登録しときましょ。アカウント登録してないと復旧は無理っぽいです。

 

FGO→idはたぶんスマホ内のスクショにしかないので、スマホが戻ってこなかったら不明なまま。ただ、FGOでは、スマホの紛失、破損の場合、問い合わせ窓口から問い合わせればidわからなくても復旧してくれることもあるもよう。

実はわたし、以前スマホ破損したとき、パズドラでこうしたイレギュラー復旧をお願いしたことがあります。「直近にやったステージ」とか、「覚えているキャラ何体か」とか、いくつか情報を伝え、無事復旧がかないました。

 

●家に現金ありますか?

スマホとクレカのW紛失により、ひさびさに現金支払いをしました。

キャッシュレス派も、多少の現金は家に持っておくと安心です。

災害時にも現金が活躍するそうですし……。

 

愚痴1

スマホをなくしたのは、クレカ不正利用未遂があり、新しいカードを送ってもらった直後。

お間抜けなばかりに、また再発行となりました。

オペレーターさんに、「えっ、新しくお送りしたばかりですが……それを……紛失……された……?」と確認されました。

今回は自責なので再発行手数料(500円ぐらい)かかります。

 

愚痴2

スマホケースに入れていたクレカ2枚は、スマホとともにそのまま戻ってきました。

でね、愚痴1でも書いたとおり、2枚のうち1枚は、再発行されたばかりのものを入れていると思い込んでいたんです。

でも、実際にスマホに入っていたのは古い番号のクレカだったんですよ。

スマホケースの形状からも、クレカ3枚は入れていないので、これが元の状態なんです。

つまり、「なくしたー!」つって止めるまでもなく、1枚はすでに止まったクレカだったんです。

それにしても、新しいクレカはどこに……?

いまだに見つかりません。

だいじょうぶか?

止めてあるのでだいじょうぶなのですが、クレカではなくわたしが……。

 

愚痴3

話が飛びますが、ちょっと前から、ワクチン接種証明が行方不明なんです。

7月末、発熱外来にかかったとき、「必要かも」と思って持って行ったことは覚えているのですが……。

スマホ紛失、新しいクレカもどこにあるかわからない、ワクチン接種証明の紛失。

自分がずさんすぎて、だいぶ不安を覚えます。

もともと、ずさんなタイプではあるのですが。

なんか、頭のリソースが足りてないのかなあと。

もっと忙しい人も多いなかで恥ずかしい話ですが、仕事が詰まっていても、ブログとか小説とか毎日書く癖がついたことで、頭の中がいっぱいいっぱいになってるような。

「このままでは進歩しない」みたいな焦りもあって、毎日楽しいけど、頭がパーンという感じもしなくはない。

いやこんなん、育児とか大変でもやっている人いるやん……って話なんですけど。

 

ええと、最後に!

とにかく! 皆さん、スマホは落とさないように気をつけましょう!

わたしも再度はないように気をつけます!

 

画像は《右手で握りしめる iPhone 12 Proのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20201153325-iphone-12-2.html

こんなふうにしっかりスマホを握りしめてなくさないようにしよう……という決意を込めて。

自己開示と耳の穴

ぞりぞりぞり。

何かが耳のなかで剃られる音、感触がする。

耐えがたいような、心地よいような。

どちらとも判断をつけかねるまま、わたしは施術台に横になり、身をゆだねていた。

「耳の中の産毛を剃りましたんで、次は耳かきしていきますねー。

大中小だけじゃなくて、これだけの耳かきを使ってやっていきます。

え~と全部で8サイズかな?」

「あっ、説明しているところも撮ってください……! 道具がぜんぶわかるようにしていただけると……!」

わたしは顔を横に向けたままカメラマンに向かって呼びかける。

間をおかず、シャッター音が響く。

 

そう、この日は雑誌の取材で、「スーパー耳エステ」なるものに来ていたのだった。

臨場感のある施術写真を載せたいけれど、されどモデルさんを雇うほどの写真じゃないし、

予算もないし。

そういうときは、たいてい編集者やライターが客役をやる。

そんなわけでその日、駆け出しライターであるわたしは話を聞きながら施術を受け、なおかつカメラマンさんへの指示も出すと3役をこなしていたのだった。

 

 

それから15年以上がたった。

わたしはパソコンの前でため息をついている。

ブログにしてもなんにしても、どうしてこう、すなおに自分のことが書けないのだろうか。

いや、夫のノロケ話とかバンバン書いているし、嘘偽りなく、こっぱずかしくないの~と言われそうな文章を書いている自覚はある。

にもかかわらず、何を書いても、どこかすなおじゃないなという気持ちがある。

一方で、人様の文章を読むと「すなおだ。なんてあけっぴろげなんだ。すばらしい」と感じて、「くらべてわたしは……」と、落ち込んでしまうのであった。

 

そういうときによみがえってくるのが、駆け出し時代の「スーパー耳エステ」の思い出なのだ。

耳の穴の産毛処理をした後は、細かくサイズがわけられた耳かきを使っての耳掃除だ。

「オリジナルで作ったものなんです。これだけ種類があるから、その人の耳の形状に合わせられるんですよ~。だんだん気持ちよくなってきますよ~」

穏やかで、でもしっかりとした自信を感じさせる声。

耳の中の産毛がない状態での耳かきは、なんというかダイレクト感もマシマシだった。

施術してくれている店主は30代前半ぐらいだろうか。

肌がきれいで、自己研鑽を積んだ人特有のくっきりとした輪郭があった。

「耳の穴って不思議なんですよ~。こう、リラックスするとね、だんだん広がってくるんですよ」

「へえ、メンタルと同期しているんですね、おもしろいです」

ちょっと緊張気味だけど、そのうちわたしもリラックスするのだろう。

コソコソカサカサ。耳かきはつづき。

「え……」

やがて、店主がちいさく息をもらして手を止めた。

「ぜんっぜん、耳の穴が広がらない……」

わたしは顔をわずかに上げて、店主の顔を見た。

顔にはのっぺりと表情がなく、そのことが愕然、呆然、怒り、落胆、を如実に物語っていた。

 

「自己開示がへたくそだな」と思うたび、あのときの店主の顔が浮かぶ。

さながら目が覚めているときに見る白昼悪夢だ。

 

従来、こわがりで耳かきがあまり好きではなかったからしかたがない。

それもそうなのだ。

ただ、あの店主の表情には、コミュニケーションを拒まれた傷つき、のようなものも含まれていた。

わたしはあのときはじめて、自分の緊張がときとして拒絶に映ることを自覚したように思う。

 

「スーパー耳エステ」の例は極端だ。

緊張して人に壁を感じさせたからって、多くの場合、誰かを傷つけやしない。

ただ、人との距離が縮まらないだけだ。

文章における自己開示が下手くそなのも、同じこと。

それでいいと言えばいいけれど、やはりわたしは耳かきをしたら耳の穴がリラックスして広がる人間になってみたい。

文章にすなおに何かをつづれる人間になってみたい。

文章はすなわちコミュニケーションだから、「拒絶」や「殻」は破ったほうがいい。

 

それはとどのつまり、愛されたい、ということかもしれない。

あるいは、「そうしたらもっと楽しくいろんなひとと関われるのにな」という単純な願いなのかもしれない。

あのときもしリラックスできていたら、耳かきエステの店主とはもっと楽しく会話ができただろう。

 

あの店の名前も場所も、もう忘れてしまった。

店主はいまも耳かきをしているだろうか。

それともいまは業態を変えているだろうか。

わたしのほかにも、ぜんっぜん耳の穴が広がらない客はいただろうか*1

たぶん、いまのわたしが同じ施術を受けても、耳の穴は広がらない。

 

秋がくると、このブログは開設して丸7年になる。

更新頻度を意図的に増やしてからは1年。

書くことはやめられないのだとしたら、何かを変えたい。

でも、何を変えればいいかわからない。

耳の穴、文章、インターネットに放ち続けるボトルメール

頭にそんなキーワードがぐるぐると回るうち、近所の柿木の葉はツヤを失い、落葉に備えはじめている。

 

画像《雨上がりの地面と落ち葉のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220212056post-39017.html

*1:たぶんいただろう