平凡

平凡

愛しの洋梨体型。あるいは、フリーライター界最弱のわたしがリングフィットを続けているわけ

老いは恐怖だ。

つかれやすくなり、太りやすくなり、歯間にものがはさまりやすくなり、しわが増える。

若いころは、「年を取って時間ができたら思い切り本を読んで……」なんて考えたものだ。

が、親世代を見ていると、加齢後に希望を託すのはあまりに無謀だとわかる。

母は視神経が疲れやすくなり、映画や本を集中して楽しめなくなった。

おもしろい本に夢中になりすぎると、肩こりからの目まいを起こし、数日立ち上がれなくなる。

父と焼肉屋へ行って、オーダーのさいに「父がほとんど食べない」ことを考慮するようになったのはいつからだろう。

 

 なじんだ芸能人が亡くなり、行きつけの店が閉店し、街が変わってゆく。

新奇なものを楽しむスピードよりも、喪失のスピードのほうがずっとずっと上まわっているように感じる。

とにかく老いは恐怖なのだ。

 

そして、加齢とともにふりつもる贅肉。嗚呼。

 

そんなある日、

「平凡ちゃん! 当たった! 当たった!」

スマートフォンを見ていた夫が声をあげた。

数カ月間応募しつづけたNintendo Switchの購入権に当選したのだ。

 

Switchを入手できたら、絶対にやってみたかったのが、「リングフィット アドベンチャー」。

からだを鍛えながらアドベンチャーができるという、あのソフトだ。

さいわい、近所のショッピングモールで運よくソフトを入手でき、8月の終わりから、わたしの在宅フィットネス生活がはじまった。

 

ゲーム初回は、どれぐらいの運動負荷が適正かをソフトに判断してもらう。

押し込み、引っ張りができる「リングコン」と呼ばれる円形コントローラーを使い、簡単に測定。

わたしの負荷は「ゼロ」からスタート。

わたしはプレイヤー全員がゼロからスタートすると思っていたのだが、そうでもなく、これは最弱である。

 

毎回、ゲームを起動すると、「ダイナミックストレッチ」からスタート*1

ダイナミックストレッチとは、「動的ストレッチ」とも呼ばれ、実際の運動を模した動きでからだを動かし、柔軟性を向上させる……ものらしい。

動きは単純。

1.リングコンを両手で持って上げ下げ。同時に、左右の膝を交互に上げ下げしてリングコンに当てる。

2.リングコンを両手で持って上げ下げ。同時に、左右のくるぶしを上げ下げして、リングコンに当てる。

3.リングコンを両手に持つ。片足を前に出して、重心を下げ、同時にリングコンを上にあげることで背筋をぐっと伸ばす。

4.リングコンを頭上にかかげ、左、右とからだを傾けて体側を伸ばす。

なんてことはないストレッチなのだが、初日から1カ月ほどは、これだけで息が切れた。

いまも「2」はくるぶしにリングコンがまったくつかない。

「4」では「反動をつけずに体側を伸ばそう!」とアドバイスが入るが、からだが固すぎて、反動などそもそもつけられない。

 

スタートからして「在宅稼業者のなかでも最弱……」と現実を突きつけられたが、ゲームは予想に反して楽しかった。

 

ゲームは、主人公がしゃべるリングコン、「リング」を手にするところからはじまる。

リングは、かつての友であり、悪に染まったフィットネスマニア「ドラコ」を救いたいと思っている。

そのために、主人公が力を貸すという筋書きだ。

 

具体的に何をするかというと、まず、部屋のなかで模擬的にランニングをしてステージを駆け抜ける。

途中で敵と遭遇すれば、スクワットしたり、腕を上げ下げしたり、リングコンを押し込んだり引っ張ったりして戦う。

さらに、スクワットで進むブランコやトロッコ、リングコンを引っ張ると進むリフトなどなども用意されており、バランスよく各所の筋肉を鍛えることができるようになっている。

 

リングフィットアドベンチャーが楽しい理由はいろいろあるが、大きいのは、他者のリアクションがあることだ。

からだを動かすと、「いいね!」「その調子!」「筋肉が輝いているよ!」とリングが褒めてくれる。

もともと、からだを動かすことは大なり小なり楽しい。ただ、筋トレは短調な苦行になりがちだ。そこに、他者の「褒め」が加わると、やる気が起きる。

 

ゲームバランスは絶妙で、軽いがんばりでサクサク進むようになっている。

壮大な滝が流れ落ちているステージ、原っぱ風のステージなど、見ていて飽きないし、

自分のからだの動きと連動して、敵を攻撃するのも気持ちよい。

 

負荷が低いと、スクワットなど、多くの運動のノルマは一桁だ。

無理なく、「今日もからだを動かして気持ちよかったな~」と思うことができる。

(難易度によるが)簡単に確実に達成感を与えてくれるゲーム性と、運動の気持ちよさがあわさった、実によくできたソフトだと思う。

 

無理してもつづかないので、やるのは一日1ステージと決めた。

最初のストレッチから最後のクールダウンまで20分ほど。

 仕事の気分転換にもちょうどよい。

 

そう思って2週間ほどつづけたころ。

仕事で、ちょっと気張った場所へ行くことになった。

そこで憂鬱になるのが、服選び。

ここ数年は、すっかり贅肉がついてしまい、ほとんどの“きれいめ”の洋服は、「着られるけど、お腹周りがキツイ」「シルエットが……」となっている。

かつて母に言われたことばがよみがえる。

「わたしもあんたも、骨格が細めやから、太っても横にはいかへん。そのかわり、『前』につくで。肉が」

親の言うことは正しい。

それを噛みしめる。

 

「いやだなあ」

憂鬱な気分で、お気に入りのワンピースに袖を通す。

近年、ジッパーをあげるのに苦労するようになり、なんとか着られるものの、お腹がぽっこり出てしまう一枚だ。

しかし、あら不思議。昔ほどではないけれど、お腹まわりが苦しくない。

無理に引っ込めなくても、自然なシルエットになる。

「すごい、すごい!」

興奮しつつ、細身のスラックスも履いてみる。

こちらは、ボタンはとまるが、履くとお腹がぽっこり乗ってしまう一枚。

その「お腹の肉が乗っている」感覚が嫌で、タンスの肥やしになっていた。

なのに、ボタンをとめるのは苦しいものの、肉があまり乗らない。

同様の理由で避けていたレギンスなどを次々履いてみる。

お腹はぽっちょり出ている。

しかし、細身のズボンを履いたときに不快なほどではない。

明らかにからだが変わっていることを感じた。

 

わずか1日20分。楽しくゲームをして、2週間でこれだけ効果があれば、やめるほうが難しい。

せっせと続けること、のべ1か月。

いわゆる“脇肉“がみるみる減った。

こちらもお腹と同じで、「はみ出ている」身体感覚そのものに不快感を覚えていたことが、なくなってからわかった。

痩せているときから寸胴だったところに、「くびれ」ができた。

 お尻も引き締まった。

そして、お腹にうっすらと線が入った。 

 

 鏡の前に立ったとき、いちばんよく見えるのは腹まわりだ。

自然と、腹を毎日観察するようになった。

しかし、しかし。

お腹にぽっちょりとついた肉は落ちない。

「引き締まったお腹に、贅肉がついている」。

文章にするとどう考えても矛盾している、校閲から赤字が入りそうな状態が現実にある。

 

タイミングよく、リングフィットで豆知識が提示された。

「お腹の肉はいちばん落ちにくい。そして、お腹の肉がいちばんつきやすい」。

Twitterで愚痴ったところ、「体脂肪がかなり落ちても、お腹の肉は落ちなかった」との衝撃情報まで寄せられた。

現実とはなんと残酷なのであろうか。

 

とまどううちにも、筋肉はついていく。

腹の下に亀の甲羅があるのでは……との気配がしだいに濃厚になっていく。

が、その上には変わることない贅肉。

よく見ると、くびれの上、腰にもうっすら肉が乗っている。

まだまだ割れていないとはいえ、シックスパックに贅肉が乗る。

くびれボディに贅肉が乗る。

奇妙な洋ナシ体型。

それがなんとも滑稽で、ある日、思わず吹き出してしまった。

同時に、思った。

こんな体型、若いときは想像した? いや、想像すらしなかった。

これはおそらく、中年だからこそ、そこそこ長く生きて代謝が落ちたからこそ、成しえた形ではないのだろうか?

 

滑稽であっても、美の基準から外れていたとしても、それはまぎれもなく「老いないと見られないもの」だった。

それが物理的に、わたしのからだに、腹の上に乗っている。

大げさにいえば、顕現している。

老いることに、はじめて「おもしろみ」を見出した。

その「おもしろみ」自体、加齢しないと味わえないものだった。

 

老いることは相変わらず怖い。

リングフィットアドベンチャーをやったことで、あらためて自分の体力のなさ、からだのかたさを自覚した。

70日以上つづけて、いまだに負荷は「6」だ(最大は30)。

負荷を公開しているひとで、一桁台のひとはほかに見たことがない。

このままでは、さらに筋力が落ちる老後が不安だ。

いまのうちに、なんとかせねばならない。

 

それでも、老いに対する漠然とした恐怖は、緩和された。

すこしずつからだは変わっている。

外出から帰っても、以前ほど疲れなくなった。

「どうしてこんなに体力がないんだろう」と落ち込むこともなくなった。

 「老後もずっと歩きたいから、脚の筋肉をもう少しつけよう」と、不安に対する具体的な「解」が見えた。

 

生きていて、変えられないものは多い。

さいたるものが、人間が生まれて老いて、死んでいくことだ。

けれど、自分が動くことで、わずかに変えられるものがある。

そのことは、いつだって人生に光を与えてくれるのだ。

それを「リングフィット アドベンチャー」はあらためて教えてくれた。

だから、わたしはきょうも変わらずリングコンを握って遊ぶ。

いまのところ80戦ぐらいして全敗している、「ディスクヒット」*2で全部ロボを壊すミッションを、いい加減達成したい、人間やればなんでもできるはず、と唱えながら。

*1:飛ばすことも可能

*2:ロボが投げるフリスビーを、ハリセンで叩き返すゲーム。クリーンヒットするとロボを破壊できる

ネット普及以前、わたしたちはいかにして買い物をしていたのか

冷え込む部屋のなか、スマホ片手にため息をつく。

探しているモノが、ネット上で見つからないのだ、珍しく。

ほしいのは、フリースのルームスリッパ。

それも、足の甲にバンドがついた、小学生が履くうわばきのような形をしたもの。

スリッパと靴下の中間ぐらいの感覚で履けて気に入っているのだが、手持ちはひとつ。

いい加減みすぼらしくなってきたので、もうひとつ、ふたつ求めたい。

雑貨屋で気まぐれに買ったものだから、一度はそういう形が市場に出回ったことがあるはずなのだ。

なのに、「フリース」「靴下」「スリッパ」「ルームスリッパ」「ルームシューズ」「上履き型」など、

次々と検索窓に打ち込んでも、同じような形のものは出てこない。

 

2020年現在、たいていのほしいモノは、ネットで探せばなんとかなる。

多くのケースでは通販で「ポチる」ことができるし、ポチれなくても、どこで買えるかの実店舗情報を見つけることができる。

そんな時代にあって、まれにこうして見つからないものがあると、

なんともいえないさみしい気持ちに襲われる。

広大なネットにある、細くて深いすき間。

ふだんは見えないその場所に、自分の欲望がストンと落ちてしまったような心細さ。

 

ただ、さみしさの理由はそれだけではない。

そのルーツをたどっていくと、上京したばかりのころに行き当たる。

 

「東京って、ホームセンターはどこにあるの?」

できたばかりの数少ない知り合いに尋ねると、

みな、一様に「あらためて聞かれると……」と困った顔をした。

 

上京して最初期にぶち当たった壁のひとつが、

「ほしいモノがどこへ行けば買えるのか、まったくわからない」というものだった。

そのとき、わたしは廉価な包丁とまな板がほしかったのだ。

しかし、どこへ行けば買えるのか、見当がつかなかった。

地元では、ほしいと思ったら、自動的にホームセンターやイオンに向かっていただろう。

当たり前すぎて、「こういう場所でこれが買える」と考えたこともなかった。

 

わたしが上京した90年代後半、

インターネットは存在したもののそれほど普及しておらず、

PCを個人所有している学生も多くなかった。

加えて、100円均一ショップも今よりかなり少なかった記憶がある。

 

「そんなになんでも詰めんでええよ。東京行ったらなんでも揃うんやし」

上京の荷造りしているとき、手伝ってくれた父にそう言った。

ここは大都会。なんでも揃う。

ただし、「どこで何を買えるか」を把握していれば。

 

しかたがないので、わたしは唯一思いついた東急ハンズへ向かい、

包丁とまな板を買った。

両方とも、予算を大幅にオーバー。

まな板は、実家で使っていたものよりも、ずっとがっしりとした重いものだった。

 

夏前になると、大学でそれなりに知り合いができた。

ある友達から、「ほしいものがあったら『たけや』へ行けばいいよ」と教えてもらった。

なんだか昔風の、不思議な名前。

その子に連れられて、上野へ向かう。

始発から終点まで、どこで乗っても降りても同額という、都バスの料金体系に驚きながら、上野へと向かった。

着いてみると、「たけや」は「多慶屋」だった。

そこでは、たいていのものがディスカウントされて売っていた。

食品、家電、カジュアルウェア、家具、文具……。

「どこにでも売っている、誰でも知っている商品なのに、

あらためて探すと見つからない」モノの筆頭株、

カラーボックスを見つけたときは興奮した。

 

しかし、多慶屋で最初に買ったのは、パジャマだった。

当時住んでいた学生会館は風呂が共同で、湯上りにはみな、

パジャマで館内をウロついた。

地元から持ってきた、着古したペラペラのパジャマでは恥ずかしかったのだ。

やはり雑貨屋もどこにあるのかわからず、なかなか求めることができなかった。

多慶屋で買ったのは、深緑色のトラサルディのパジャマで、

その日はちょっと胸を張って共同風呂へ行ったことを、覚えている。

ここへ来れば、なんでもそこそこ安く揃う。

多慶屋はわたしに安心感を与えてくれた。

 

やがて生活に慣れてくると、大学のまわりに

ちいさな個人経営のディスカウントショップやリサイクルショップを見つけた。

キャンパス近くの格安の衣類店では、パジャマでなくても、

気楽なスウェットが求められることがわかった。

大きなスーパーの2階では、生活雑貨が購入できる。

そうやって、すこしずつ「何をどこで買えばいいか」の「地図」ができていった。

 

いまでは、「どこで何が買えるか」は、だいたいわかっている。

都心から郊外まで、行ける範囲にあるホームセンターのありかだって把握している。

何より、冒頭にも書いたとおり、困ったときはネット検索をすれば実店舗の場所もわかるし、

モノ自体を「ポチる」ことができる。

 

それでもごくまれに、「フリースでできた上履き型のルームシューズ」のように、

ネット上の検索では見つけることができないモノもある。

そういうときは、懐かしいなと思う。

途方に暮れる、この感じ。

何がどこで手に入るかを記した自分なりの「地図」を、

少しずつ、少しずつ頭の中に作っていた時代には、

よくあった感覚ではないか。

 

あのころは、東京のことはほとんど知らなかった。

知るには「東京23区マップ」を手に実際に歩くか、

雑誌を読むか、ひとに聞くしかなかった。

いまのわたしの手には、途方に暮れながらもスマートフォンがにぎられ、

部屋にはWi-Fiが飛んでいる。

あのころとは雲泥の差がある。

自分なりの「地図」を脳内に作っていた時代の記憶は、

どんどんおぼろげになっていく

 

ネットでモノが見つからないとき。

それは、「地図」を作っていた時代を思い出すタイミングでもあり、

その時代の感覚が、記憶がおぼろげになりつつあることを感じ、さみしくなる瞬間でもある。

 

なんでも揃うネットで、何かが見つからないときの孤独感。

「何をどこで買えばよかったかわからない時代」が遠くなっていくさみしさ。

そんなさみしさや孤独感は、昔は想像すらしなかった。

そう思いつつ、わたしはスマホのブラウザを閉じた。

ここにいるのが好きだ

COVID-19のために、世の中はたいへんなことになった。

そんなときに「生き方を見直せた」と言うのは好きじゃない。

フェアじゃない、ように感じてしまう。

それでもやはり、世の中が変わると、ものの見方は変わる。見直さざるを得ない。


春、仕事が激減した。

店の取材はできないし、映画や舞台も公開延期になり、それにともなうインタビューもなくなった。

それでも細々と、定期仕事はある。

何かの穴埋めと思われる、資料だけで書く飛び込み仕事もポツポツあった。

それをこなしながら思った。

フリーランスになって15年近く。こんなに時間があるのははじめてだ。

 

わたしは部屋の片付けをはじめた。

ダイニングを整え、ずっとほしかったオーブンを買い、炊飯器や湯沸かし器をひとまとめに置けるレンジ台を購入した。

小さなところでは調味料入れを買い、その便利さに驚嘆した。

それまでは、袋を輪ゴムで縛って使っていたのである。

片付けられない人間であるところのわたしは、常々、「時間があっても片付けをしないと思う」と断言していた。

だって、時間があったら、ダラダラ寝ていたいもの。

そして、そう発言するたび、自己嫌悪におちいっていた。

しかし、大量にあった資料や雑誌を捨てながら思った。

わたしがひとより気力がないのはたしかだ。

でも、時間と気力がたっぷりあれば、片付けをやらないことはない。

 

晴れた日には、近所を散歩した。

半径2キロに通ったことがない道はないのでは? というほど、あちこちをただ歩いた。

うちは郊外にあって、畑が多い。直売所もちらほらある。

たけのこ、小松菜、じゃがいも、菜の花、大根。

めぼしいものがあれば迷わず買い、オーブンで調理した。

散歩の必需品は、小銭とエコバッグだった。

直売所の野菜はスーパーで買ったものと何が違うのかわからないが、歯ごたえがあり、鮮烈で濃厚な味がした。

4月をすぎるころには、たとえ野菜ばかりでも、毎日食べ過ぎると胃を疲れさせることを実感した。

 

ほかにも、肉を近所の精肉店で買うようになった。

ソーシャルディスタンスの実践のため、店外に行列ができているのを見て、個人客も気軽に入ってよい店なのだと知ったことがきっかけだった。

 

下戸のためおいそれと入れない飲食店が、テイクアウトや弁当をはじめた。

昼はなるべく出かけて、それらを手に入れて食べた。


春はそんなふうに過ぎて行った。

「生活をしている」という手ざわりがあった。

 

そうこうしているうちに、多少仕事が戻ってきた6月。

ふとした拍子に、「誰にも見せない文章を書こう」と思い立った。

わたしはいままで、文章というのはおおよそ誰かに見せるものだと思って書いてきた。

ときどきつけている日記でさえ、後日、自分自身という他人が読むことを意識して書いている。

わたしの頭のなかには、常にいくつかの世界が遊び場、あるいは劇場としてあり、そこにはさまざまな世界や登場人物がいた。

いつか文章にして外に出してみたいと思うものもあれば、まったく外に出すことを考えたこともない、わたしだけの遊び場もあった。

そのとき思いついたのは、誰にも見せるつもりのなかった遊び場を、誰にも見せない文章にして記す、ということだった。

これがやってみたら楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。書いて書いて書きまくった。

頭のなかにわきあがったものをそのまま書く。書いているうちにわきあがってくるのでそれをまた書く。

今の時代、クラウドに保存しておけば、PCでもスマートフォンでも書けるし読める。

布団のなかでスマートフォン片手に書きながら眠り、書いたものを読み返し、また付け足すのが楽しくて、朝、目が覚める。

これはロングスリーパーのわたしにとって、驚異的なことだった。

仕事を極力計画的に進めて、可処分時間のすべてを使い、妄想をただただ出力しつづけた。

 

これはいまも続けている。当初のような楽しさはない。それは、書きなぐるだけでは満足できなくなったからだ。

もっと自分が読んで楽しいものにするため、インプットをしたり、資料本を図書館で手に入れて読んだりしている。

なかなか筆は進まなくなったけれど、あのめくるめく楽しさは、ぜったいに忘れたくない。

 

その経験を通じて、わたしは思った。

書くことが好きだ。

実用的な意味で、文章はいつもわたしの身を助けてくれた。

大学受験時代は小論文で受験を乗り切り、大学時代は小論文の添削のバイトをし、社会に出て、道に迷いに迷ったわたしが唯一落ち着けたのは、ライターの仕事だった。

ネットが普及してからは、サイトだブログだTwitterだと、根気はなくてつづかなくても、なんだかんだとやっている。

見たものは文章にしたい。感じたことは文章にしたい。

取材やインタビューをしたあと、こんなふうに書こうと考えると心が躍る。

書きたいと思うのは、当たり前だった。

だからこそ、書くのが好きかどうかは、考えたことはなかった。

 

でも、気がついたのだ。

頭のなかにあるものを出して、書くのは楽しい。

想像していたものは、外へ出したとたんに駄作になる。

文章の下手さも、人物描写の薄っぺらさも、筋書きを作る筋力の弱さも、表に出すとよくわかる。

わたしは凡人なのだと思い知る。

それでも「形」を与えるのが楽しいのだ。

 

頭の中で組み立てたものを出す楽しさは、仕事の文章と物語では、別個のものと思っていた。

でも、根底は一緒なのだとも気がついた。

そして、それは苦しさも同じ。

何を書くにしても、書くのはしんどい。

先に書いたように、外に出せばアラが見える。

今度はそれを埋めるための、正解のない迷いと、先が見えない上り坂がはじまる。

苦しい、苦しい。そんなことが好きなのか? 

でも、やめられない。

 

この春から夏、そんなふうにして暮らしていた。

わたしが充足を覚えることは、ぜんぶ家から半径1キロないし2キロで済むことなのだった。

わたしは思った以上に出不精だった。

それがコンプレックスになっていたことも自覚した。

SNSで情報を摂取するたび、「美術展も映画も演劇も見たい、やりたいこともたくさんある、でも、腰が重い」と焦っていたことにも気づいた。

出不精のままでよいとは思わない。

わたしはもっと外へ出たほうがよい。

しかし、自分を変えるにせよ、泰然自若とするにせよ、出発点として、「自分がどんな人間か」を知ることは必要なのだ。

 

そんなふうに暮らしているうちに、秋が来ようとしている。

ここまで書いてきてあらためて断言するが、新型コロナウイルス感染症にまつわるあれこれは、ないほうがよかった。

わたしは安全な場所にいられて、運がよかった。

健康で、激減しても仕事があり、家があった。

しかし、街には閉店の貼り紙が増えていく。

医療従事者をはじめ、強いプレッシャーのもと、仕事をしているひとも多い。

わたしはそういったひとたちに支えられている側の人間だ。

不安もある。

肝に銘じつつ、それでもせっかくつかんだものは、手放さないようにしたい。

そう思いながら、手洗い、マスクが標準になった世界で、鉛筆を走らせ、キーボードを打ちつづけている。

もうその人には会えない

それは、楽しい仕事だった。

刺激的な取材を終え、わたしと編集者、カメラマンは

息を弾ませながら帰路についていた。

まだまだ寒い時期で、吐く息は白い。

一見、気難しいインタビュー相手になんとか食らいつき、

生き生きとした言葉が引き出せた。

その手ごたえを、みんなが感じていた。

 

「平凡さんにお願いしてよかったなあ。

これから、司会的なお仕事もできるんじゃないですか!?

ああいうゲストを呼んで……」

 

編集者は機嫌よくそう言った。 

 

「いやいや、取材ならともかく、司会なんて無理です。

今回は上手くいきましたけど……」

 

ほめるときはくすぐったいぐらい、調子よくほめてくれる人なのだ。

そして、原稿をちゃんと読んで、赤(修正)を入れてくれるタイプ。

いつもおもしろい、いかにも雑誌的な誌面づくりを考えている。

そういう編集者だった。

その雑誌で、「よくこんな誌面づくりを思いつくな」と驚くページは、

たいていその人の仕事だった。

取材の待ち時間には、そういったページの制作裏話を聞きながら大笑いしたものだった。

 

年に1回の、とある大きなイベント前は、誰に取材するかを相談する。

それが恒例になったのは、もう7、8年前か。

 

その人との仕事が、わたしは好きだった。

プライベートでの人付き合いはほとんどないわたしだが、

仕事では、幸い、そう思える人が何人かいる。

 

「じゃあ、詳しくは、また改めて連絡しますんで!」

駅前で手を振って別れてからしばらく、連絡がなかった。

そろそろ締め切りとか、確認しなきゃ。

そう思いながら、日々の業務にかまけていた。

そんなある日、知らない電話番号から着信があった。

「あのインタビューの原稿なんですけど、わたしが引き継ぎまして……」

えっ、あの編集さんは、どうされたんですか?

「わたしもよくわからないんです……。

とにかく、出社していないんですよ」

血の気が引いた。

引き継いだだけなので、と話す相手と簡単に打ち合わせ、電話を切った。

 

そのあと、周囲へそれとなく聞いてみたものの、

その人がいなくなった理由を、ほとんどの人が知らなった。

ただ、なんとなくではあるけれど、

生命に問題がある状態ではないらしいことは、ぼんやりとつかめた。

生きていているんだな。

胸をなでおろした。

 

しかし、そのあとは喪失感に襲われた。

ある作品が周年を迎えたと聞けば、

「これ、超超おもしろいですよね!」と盛り上がったことを思い出す。

興味深い相手への取材が決まると、

「あの編集さんだったら、すごく興奮しただろうな」と思う。

 

興味と興味、喜びをピンポンのように打ち合って、

その人との仕事はこれからもずっと続いていくものと思っていた。

いや、その人もわたしも年を取ってきた。

「いつまでも」がないことは、心のどこかで知っている。

その人だって、転職をするかもしれないし。

でも、こんなにぷっつりと切れてしまうとは、想像もしていなかった。

 

毎年予定を空けていた年に1度のイベントも、

その年は何事もなく過ぎ去った。

 

数カ月後、転職したと、本人から連絡をもらった。

元気であることはうれしかった。

連絡をくれたことも。

が、同時に、もう編集者とライターとしては関われないのだと思うと、

限りなくさみしかった。

 

プライベートでも付き合いがあるような、

人間同士の関係ではない。

でも、仕事での関係は、わたしはとても、とても好きだった。

その人との、ある社会的なかかわりを喪失すること。

そのことが、こんなにショックだなんて。

 

そしてわたしには、前にも書いたように、

仕事関係者でそういった人が何人かいる。

彼ら彼女らとも、いつか、どこかで別れはやってくる。

人生は流転するし、「社会的な喪失」どころか、

我々は誰もがいつかは死んでしまうのだから。

 

今もときどき、共通の仕事関係者から、その人の近況を聞いている。

元気でいてくれるのは、やっぱりうれしい。

お互い、生きて歩いていれば、またどこかで

愉快に関り合うこともあるかもしれない。

それでも。

喪失感に打ちひしがれて、わたしはいまだ、

近況を知らせるその人からのメールに、返事を出せないでいる。

手料理という深淵

この、腹に響くものはなんだろう。

夫の料理を食べるたびに考える。

が、答えは出ない。

「料理って、家事のなかでも特別な気がする」と、夫は言う。

掃除や洗濯に比べて、やってもらったときの「ありがたい」度が高いのだと。

「人間の生命維持と関わっているからかな」。

そうかなあ、そんな気もする。

答えながら考えるけれど、やっぱりわたしにはよくわからない。

 

ここ数カ月で生活に変化があり、夫が料理をしてくれるようになった。

これまでの人生で、夫はまったく料理をしたことがない。

義母はわたしが義実家へ行っても何もさせないひとで、それは夫や義姉に対しても同様だ。

ただ、夫は、料理に興味はあるようだった。

以前から、「時間があったら、料理はやってみたい」としばしば口にしていた。

わたしが作った料理について、「これは……しょうがとニンニク?」「これは焼いているの? 蒸しているの?」など、聞くことも多かった。

 

我々家族の生活に変化があった時期、わたしは激烈に忙しかったため、

夫はいきなりひとりで料理を担当することになった。

ただ、わたしが横にいるとかえってやりづらいようで、それは彼にとってよいことだったのかもしれない。

 

「いちょう切り」がいかなる切り方なのか、「中火とは何か、弱火とは何か」などの基礎知識は、ネットで調べられる。

いまある食材を検索窓に打ち込めば、それらを使い切れるレシピは山のように出てくる。

夫はいつも、「すこし食材を厚く切りすぎた」「ぜったい火を入れ過ぎた」など、さまざまな心配をしながら料理を仕上げた。

インターネットの恩恵を受けつつ、おっかなびっくり作る夫の料理は、どれも驚きのおいしさだった。

食材の切りそろえ方、火の通し方、そして盛り付けまで、どこにも乱暴なところがなく、すべてが行き届いている。

心配性で丁寧で、まずはマニュアルをよく読むタイプ。

そんな夫の善性が表出している。

品数は多いが、一品一品は荒っぽいわたしとは真逆だ。

 

夫がかなり初期に作ってくれた料理に、焼きうどんがあった。*1

醤油を使った、和風の味付け。具材は油揚げとネギだけ。

醤油を吸った油揚げがややカリッとして、くたっとなったネギの甘味が絡み合う、素朴で安心できる味。

――これは小学生時代、半ドンのときに近所のやさしいお兄さんが作ってくれた焼きうどんの味……。ああ、あのお兄さんはタイムリープした夫だったのか……。*2

実際には、近所のお兄さんも、彼が作ってくれた焼きうどんも存在しない。

が、そんな偽の記憶が生まれるほどの味だった。

 想像力が広がる、というのはすなわち情動が動くということ。

夫の料理を食べるたび、軽く涙ぐんだ。

味覚ばかりか、腹に、心に響くもの。

これはなんなんだろう。

以来、考えつづけるけれど、わたしには、よくわからない。

 

そこでひとつ思い出したのは、母の再婚相手、すなわち義父の思い出だ。

義父はおおよそ表情を変えない昭和の男だったが、母の手料理を前にすると、相好を崩した。

母の料理を食べて、ではない。

母の手料理が並ぶ、それだけで、ほかでは決して見せないやわらかな表情をした。

実父は「妻が料理を作るのは当然」という人だったので、この反応はわたしにとっては驚きだった。

大人の男が、配偶者が料理を作るだけで、うれしそうにする。

そこに家庭の食卓がある。そのことに、喜びを示す。

それも、子どものわたしにもはっきりとわかるぐらいに。

 

長じて結婚すると、夫も同じような反応を見せた。

わたしはそう料理が得意なほうではない。

それでも、食卓に何かが並んでいるだけで、夫はうれしそうな顔をする。

悪い気はしない、というか、うれしい。

ただ、わたしには、夫の気持ちも、義父の気持ちも、我がこととして理解はできなかった。

「作られて喜ぶひと」の気持ちは、他人事だった。

「仕事から帰ってきて、食事があったらそりゃうれしいか、そうか」。

 

でも、そうじゃなかった。たぶん、それ以上のものがあるのだ。

夫が料理を作ってくれるようになってから、わたしにもそれが理解できた。

「それ以上のもの」が何なのかはわからないけれど。


今日の夕食は、夫の手による豚の生姜焼き。

ズッキーニとたまねぎも一緒に炒めたもの。

付け合わせとして、レタスとトマトが添えられている。

「生姜焼きに合わせるのはキャベツって思い込んでいたけど、レタスもいいもんだね」と夫は満足そうに言う。

炒め物をするとき、「付け合わせの生野菜」を用意するのは、けっこうめんどうくさい。

わたしはそう思っている。

だからこそ、夫がそれを付けてくれたひと手間がうれしい。

ちょっと生姜が多めの味付けは、夫婦ともに好きな味だ。

ほどよく食感が残ったズッキーニ、よく炒められたたまねぎの甘み。

それについてふれると、夫はズッキーニとたまねぎを投入するタイミングをズラしたと説明する。

 

 「ズッキーニが入っていると、夏の料理って感じがするね」。

もし、最後の晩餐が選べるなら、こんなものを食べたい。

メニューはなんだっていい。

季節の食材を使い、わたしたち好みに仕上げられた味。

食材について、ちょっとした工夫について、語り合いながら味わうそんな食卓。

夫の料理を食べると、いまもすこし、涙ぐんでしまう。

その理由は、考えてもやっぱりわからない。

*1:味付けは「白ごはん.com」を参考にしているそう

ばっちり美味しい焼うどんのレシピ/作り方:白ごはん.com

*2:半ドンがあった世代です

ニューカレドニア、Wi-Fiどうするよ問題

知名度のわりに、案外、情報が少なかったニューカレドニア旅行。

そこで、事前準備で戸惑ったWi-Fi事情について解説してみる。

 

ネット大好き、旅行中もスマホで調べものしちゃいます! な現代っ子にとって、

ニューカレドニア旅行で戸惑うのは、Wi-Fi環境ではないだろうか。

以下、SIMフリースマホを使いこなすリテラシーがない前提で話を進める。

 

 

日本からのレンタルは一社のみ!

まず、2019年6月現在、日本からニューカレドニアへ借りていけるポケットWi-Fiは

グローバルWiFiのみ。

イモトのWiFiは、ニューカレドニアはサービス対象外だ。

グローバルWiFiのプランは限られていて、

3Gまたは4Gで「300MB/日」のみ。

無制限や大容量ではない。

渡航日数が計5日なこともあり、

故障時の補償を安価な「ライトプラン」にしても、9000円を超える*1

わたしが出した見積もりでは、3Gも4Gも変わらなかった。

この容量に9000円超を払うのは抵抗がある。

 「グループ旅行の場合、数人で割れば安い!」と書いているサイトもあったが、

数人で使ったら300MB/日はますますもたなくなるのではないだろうか。

 

 現地のWi-Fi環境の脆弱さ

そして、ホテルのWi-Fi環境がそれほど整っていない。

地球の歩き方』(’17-’18年版)には、

「最近では全室Wi-Fi対応のホテルも増えてきている。

なかには無料で利用できるホテルもある(略)」と書かれている。

これは、Wi-Fi環境が整った国に対しては用いられない表現だ。

わたしたちが宿泊したヌバタホテルは、「1日250MBの無料Wi-Fi付き」。

口コミには、「250MBなんてすぐに使ってしまって、有料で追加購入した」と書いている人もいる。

ガイドブックには、街中でもあまりWi-Fiは期待できないとある。

そして、これは事実だった。

 

おススメは現地でのレンタル(日本語可)

そんなときに目に入ったのが、

現地の日本人経営セレクトショップAQUAのポケットWi-Fiレンタル*2

最新情報

回線は4Gで容量は無制限。レンタル料金は 1日1,190cfpとある。

cfpは現地通貨の単位で、だいたい1cfpが1円前後。

日本から借りていくグローバルWi-Fiと違い、現地で借りるため、レンタル日数は3日。

1,190×3=3,570円*3

グローバルWiFiの4割程度の価格だ。

そのうえ容量無制限。最高だ。

気になる故障時などの補償をメールで問い合わせたところ

(問い合わせメールはもちろん日本語でOK)、

貸出時、現金2万cfpを預けるか、またはクレジットカード情報一式を書面に書き残すことがデポジットになるとのこと。

客の過失や故意で故障した場合は、その2万cfpで弁済とのことだった。

セキュリティコード含むクレジットカード情報を書面で書き残すのは、どうしても抵抗があった。

店の人は信頼できると感じたが、窃盗などの不測の事態が怖かった。

ただ、2万cfpの両替手数料・再両替手数料が発生してもグローバルWiFiよりも

AQUAで借りるほうが安いので、デポジットは現金2万フランを選択*4

今のところ、両替・再両替手数料や為替ロスは3000~4000円を見込んでいる。

クレジットカード情報を使ってのデポジットで構わなければ、料金は本当に安く抑えられる。

 

日本から問い合わせたところ、AQUAの方はメールで丁寧に対応してくれ、さらに契約書も事前に送ってくれた。

出発前によく考えることができ、大変助かった。

旅行客のワガママとわかっているのだが、唯一の欠点といえば、お店は10時からなので、初日の朝イチからは使えないことだ。

一方で、お店は19時まで開いている。

ニューカレドニアではこれは遅い閉店時間であり、その点は大変ありがたい。

立地はたいていの旅行客が滞在するアンスバタ地区のど真ん中、ヒルトンのショッピングモール内なのでわかりやすくて大変便利。

 

AQUAが扱うポケットWi-Fiは「NC Pocket WIFI」のもので、

取り扱いを始めたのは2019年5月から。

「NC Pocket WIFI」のサービス自体が始まったばかりなのかもしれない。

そして、現地では唯一のレンタルポケットWi-Fi会社なのではないだろうか。

 

この「NC Pocket WIFI」、空港のターンテーブルにもデカデカ広告を出しており、

空港にもレンタルカウンターがある。

帰路に気づいて、「次の旅行のために教えてほしい」とカタコト英語で話したところ、

料金表を見せてくれた。

なんとAQUAのほうが安い。

AQUAでは3日以上借りるとレンタル料金が1,090cfp/日に値下げされるのだが、

空港では5日目以上借りないと1,090cfp/日にはならない。

補償方法までは聞かなかったが、AQUAは「(Wi-Fiレンタルは)代理でやっている」と話していたので、方法は変わらない可能性がある。

 

また、ニューカレドニア旅行は、JTBだろうとHISだろうと、

現地の仕切りは全部、サウス・パシフィック・ツアーズという旅行会社が行っている。

何らかのツアーで申し込んだ日本人客は、

空港に着くとこの会社のカウンターに立ち寄るのだが、

そこでポケットWi-Fiらしきものを受け取っている人を見かけたので、

ひょっとしたら扱いがあるのかもしれない。

ただ、公式サイトには記載がない。

気になる人は問い合わせをしてみよう。

 

レンタルポケットWi-Fiの使い心地は?

肝心のWi-Fiの使い心地はよかった。

画像などの表示が遅いというより、「引っかかる」感じで、

少し遅れて表示されることがあったが、ストレスになるほどではない。

Googleマップの表示は快適だった。

レンタル機器が真新しいせいか、

8時間から10時間電源を入れっぱなしでも、電池がもった。

日中は地図を表示することが多く、少し仕事も持ち込んだ身としては、

容量無制限は安心感がある。

街中では、Wi-Fiを飛ばしている店は限られるので、

ポケットWi-Fiは頼もしい存在だった。

レンタルするなら、ぜひ現地で。

 

スマホを見ないニューカレドニアの人々

そして、現地で思ったことは――。

スマートフォンを見ている人が少ないこと。

これはスマホが普及していないのではなく、

ネットに対する興味が低いんじゃないかと思った。

あるいはスマホが普及していないのだとしたら、それは需要の低さからではないか。

人々は基本、おしゃべりをしているか、ひとりでいるときはボーッとしている。

ボーッとしている人は、何を使って再生しているかは不明だが、スピーカーで音楽を流していることが多かった。

首都・ヌメアでは、1軒だけネットカフェを見かけたが、デスクにパソコンを並べた、古いタイプの店だった。

ただ、AQUAにしても、現地のレストランにしても、自前のサイトを持っていて、メール対応も迅速だ。

観光に関わる界隈では、インターネットは広く使われている。

 

グローバルWiFiに無制限プランがないところを見ると、

現地の回線状況はあまりよくなかったのかもしれない。

ただ、今は容量無制限の「NC Pocket WIFI」がある。

旅行客のWi-Fi環境に関しては、数年たたないうちに、

この記事が役に立たないくらい、変わっていくかもしれない。

「日本でレンタルすると、選択肢が1社だけ!?」

「容量が300MB/日!?」

と驚くことが多かった2019年6月現在の、ニューカレドニアのポケットWi-Fi事情。

何かのお役に立てれば幸いです。

*1:たとえば台湾の場合、5日間、4G、1.1GB/日で8000円ちょっと。ただ、ニューカレドニアの例も台湾も例も、料金は特定サイトからの申し込み割引20%などが引かれた料金なので、時期や申し込むサイトによって変わってくる

*2:このAQUAに行きついたのは、前回のエントリーに書いたように、気候について調べまくっていたとき。店主ご夫妻はニューカレドニア在住20年超の日本人であり、サイト内で現地の気候からマナー、両替のレートまで、懇切丁寧なQ&Aページを設けている。それをチェックするうち、「ポケットWi-Fi取り扱い開始」のニュースが目に入った

*3:後述の理由により、実際は1090×3となった

*4:Wi-Fiは最終日ギリギリまで借りるため、2万フランの現金を現地で有益に使い切ることはできない。そのため、最初から再両替するつもりで2万フランを両替。到着時、現地空港のATMでクレジットカードキャッシングで現地通貨を下ろし、出発時、現地空港の両替窓口で日本円に再両替した

海外旅行へ行く理由

今週のお題「2019年上半期」

 

曇天の下で、寄せては返す波をぼんやりと見ている。

透き通った海水が波となって立ち上がるその瞬間、繊細な飴細工のように見える。

視界を広く取ると、エメラルドグリーンの海が広がり、白い小さな波頭がそこかしこで砕けている。

まわりには、わたしたち以外にも同じように過ごしている人たちがいる。

ベンチに座ったり、その辺の砂浜に草が生えたところに寝転がったり、

サンドイッチを頬張ったり、おしゃべりをしたり。

 

夕方になると、風が強く、冷たくなってくる。

雨まじりの天気の下、現地の人が、ウィンドサーフィンを始める。

なかでも初老の男性が一番速い。

引き締まった体で巧みにセイルとボードを操り、沖を飛ぶように進んでいく。

砂浜では、彼の飼い犬が遊んでいる。

主人の活躍を見守るでもなく、浜辺に穴を掘ったり、木の根っこあたりのにおいをふんふん嗅いだりして、実にマイペースなものだ。

われわれの後ろ、遊歩道からは、カツンという音と、男性たちの歓声が聞こえてくる。

男性たちが集まり、拳ぐらいの大きさのボールを砂場に散らし、そこに同じようなボールを投げてぶつけているのだ。

フランス語圏ではメジャーな「ペタンク」という遊びで、ゲートボールのようなものらしい。

ニューカレドニアの1日が暮れていこうとしている。 

 

年に1回、夫婦で海外旅行へ行くことにしている。

行くのはたいてい、1年の折り返しとなるこの時期だ。

ホテルと航空券がセットになったフリーツアーに申し込み、

現地では王道の観光地へ行き、おいしいものを食べて、帰ってくる。

ごくごく普通の観光旅行だ。

それほど長く休みを取れるわけではないので、

ヨーロッパなど遠くへは行けない。

行ける範囲で、そのときのふたりの

精神的・肉体的・金銭的余裕に見合った土地を探して出かけている。

 

休みを取るのも楽ではない。

それでもいそいそと出かけていくのは、

出発してからの楽しさと、ちいさな発見があるからだ。

 

忘れられない思い出がある。

台湾・台北の大きな書店へ行ったときのこと。

夫婦ともに出版業界で働いているので、旅先では、書店を見かけると入るようにしている。

どのフロアにも、多くのお客さんがいた。

トークイベントは満員御礼、店内では地べたで“座り読み”する人も含め、かなりの人が本を手に取っていた。

日本とは違った活気がある。

ぼんやりとそう感じていた。

それがはっきりと形になったのは、最上階の催事場に着いたときだ。

そこでは、本のセールが行われていた。

どれぐらい新しい、あるいは古い本が並んでいるのか、何割引なのか、

再販制度がどうなのかは、よくわからない。

ただ、そこには頬を上気させ、目を輝かせて本を選んでいる人々がいた。

ほしい本をたくさん抱え、レジは大盛況。

宅急便で戦利品を送っている人も多かった。

本が買えてうれしい! 本を選んでいて楽しい!

そんな熱気が、会場に満ち満ちていた。

「こんなにも、本が求められている」

「こんなにも、本を求める人がいる」

「人々が、本を手に、こんなに幸せそうにしている」

そのことが、わたしたちの胸を打った。

書店全体、どのフロアにもふんわり漂っていた活気と喜び。

それが、セール会場には凝縮されていた。

 わたしたちは、比喩ではなく泣いた。

それは長らくわたしたちが忘れていたものだった。

こういった喜びのために、わたしたちは本を作り、

届けたいと思っているのではないか?

そして、自分たちがいかに出版不況に疲れているかを自覚した。

他人から見たら、ちいさな話だと思う。

しかし、それはわたしたちにとっては大きく、

旅行をしなかったら、決して得られなかった気づきだった。

 

「ただの観光旅行でも、海外に来るのは、意味があるね」

「日本国内だけを見ていると、わからないこともあるのかも」

わたしたちが年に1回は海外旅行をしようと決めたのは、

あの台北での出来事があったからだと思う。

 

とはいえ、基本は気楽な観光旅行だ。

今年は、予算内でとにかくきれいな海を眺めてのんびりしたいねと、

ニューカレドニアにやってきた。

 

海をぼんやり見ていると、もうちょっと精神的な余裕がある生活をしたい、そのためにはどうしたらいいだろうと、思考が前向きになってくる。

そういったことを、夫婦で話す。

 

ニューカレドニアで飲食店に入ると、人々がスマホをあまり手にすることなく、老若男女がひたすら会話を楽しんでいた。

フランスの海外領土なので、そっちの文化なのかもしれない。

そういった時間の使い方が、とても新鮮に映った。

現地の人は、ツーリストにとても親切だ。

完璧に相手の意思を汲み取らなくちゃ、間違えちゃいけないといった力みがない。

それがかえって親切さにつながっているように思う。

たとえば、QUICKというファーストフード店では、まったく英語が通じないうえ(公用語はフランス語)、

手元のメニューもなかったのだが、レジの女性は迷惑がるでもなく、落ち着いて我々のオーダーを聞こうとしてくれた。

出てきたものは、意図したものとはちょっと違ったのだが、眉間に皺を寄せたり、オロオロすることなく対応してもらえるありがたさを実感したのだった。

 

台北のカウンター注文の店では、まごまごしていると、たいてい店の人が『観光客が食べたいのはこれだよね!』

『美味しいのはこれ!』って感じで出してくれるよね」

「そういうときって、注文受けるときはしかめっ面しているけど、最後は『美味そうでしょ、それでしょ!』って感じで笑ってくれる」

「あの強引さ、うれしいよね」

普通サイズを頼むつもりが、XXLになってしまったポテトをつまみながら、ふたりで話す。

 

海沿いを、手をつないでホテルへと帰る。

まもなく冬を迎えようとするシーズンオフのニューカレドニアは、閑散として、とても静かだ。

天候には恵まれなかったし、理想的なシーズンでもない。

一方で、こののんびりとした時期に来られてよかったとも思う。

いつもと違う環境での、リラックスした、開放的な気持ち。

自分たちとは違う「当たり前」を、ちょっとだけのぞくこと。

ありふれた発見を、自分たち自身のものにする、ありふれた観光旅行。

それを楽しみに、今年の後半もがんばろうと思う。