平凡

平凡

平凡な暮らしを、平凡に書く。それだけのことが、きっと

最初は、結婚生活を記録したかったのだと思う。

晩婚と呼ばれる年齢になってから出会った夫との暮らしは穏やかで、「平和な結婚生活」など想像したことがなかったわたしにとっては、驚きと喜びに満ちていた。

その喜びは、平凡な営みの中にあった。会社勤めの夫と朝ごはんを食べ、寝ぼけまなこで送り出して在宅仕事のわたしは家で一日働き、帰宅した夫と夕飯を共にする。夫の会社の上がりが早い日は、駅前で待ち合わせて町場の中華を食べることもある。休日は並んで散歩して、ちょっとした季節ごとの変化について話し合う。

でも、そういったことは、三日も経てば忘れてしまうから。せめて、覚えておきたかったのだと思う。だから、ブログをはじめた。第一回のタイトルは、「結婚したって実感した」。散歩で訪れる近所の池で見かける蛙の姿に四季の巡りを感じ、《今年も来年も再来年ももっと先も、こうやってこまごまとした変化をふたりで感じていく。そんな平凡な未来像が、鮮やかに私の中に浮かんだ。》と書いている。

いまでも、あの池に蛙がたくさんいたことは覚えている。が、記事に書いたように、初秋にちいさな蛙が一匹跳ねていたなんて細部は忘れてしまっている。何より当時のわたしの胸に満ちていた、「これから繰り返されるであろう未来」への期待のみずみずしさ。ブログを書いていなかったら、絶対に忘れ去っていただろう。

 

ブログをはじめて八年。ときどき過去に書いた記事を読み返すと、「書いておいてよかった」としみじみ思う。池で見たちいさな蛙の姿のように、いまでは忘れてしまったディティールや感動に出合うことができるからだ。

 

とはいえ八年も書いていれば、更新間隔が開くこともあれば、何かに取り憑かれたように毎日更新をがんばっていた時期もあった。そのつど、さまざまなことを書いた。時事や暮らしで気づいたハウトゥについて書いたこともある。それでもそのすべてが、わたしの平凡な暮らしの一部なのだ。ブログのタイトルが「平凡」なのだから、それでいい。

 

そうやって八年、書きつづけてきた。

 

ところでこの文章は、文学フリマ東京37で配布される「はてなブログ文学フリマ本」に応募するつもりで書いている。わたし自身、この文学フリマには、サークルで初参加する予定だ。このブログに書いている内容を新規参入したSNSに流したところ、ほめられたことがあった。「新しい場には、新しい書き手、読み手との出会いがあるのではないか」と考えるに至り、リアルイベントへの初参加を決めた。ブログを書いていなかったら、起こり得なかったことだった。

 

平凡な暮らしを、そのままのサイズで、平凡に書く。できるだけそのときの感興を覚えておけるように、ことばを選びながら。それだけのことが、きっとわたしを遠くへ連れて行ってくれる。新たなものを見せてくれる。その胸の高鳴りを忘れたくなくて、やっぱりわたしはここにこうして書いている。

 

くしくも文学フリマが開催される十一月は、ブログの開設月だ。九年目も、日々の喜びを綴っていく。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由