新刊『絵がド下手くそな文字書きが半年お絵描きして感じたこと
えーっ⁉︎ 絵って線を一本一本引かないと描けないんですか!?』
(詳細は下記のリンクに)
より、内容を抜粋してご紹介していきます!
ビントロングだけでなく、いろいろな動物を描いているうちに気がついた「経験の大切さ」のお話です。それではどうぞ!
(Webで読みやすいよう、改行は変えております)
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ビントロングに飽き足らず、わたしは次第に他の動物を描くようになっていった。というわけで、その日、わたしはコアラを描いていた。
ぬいぐるみやデフォルメイラストでは愛らしさ100%だが、実際のコアラは、目が小さいというか、全身がだらんとしているというか。ペンを走らせながら、動物園で実際に見たコアラの姿、そしてオーストラリアで、コアラを抱っこしたときのことを思い出す。
ある日、オーストラリア旅行から帰った母が言った。
「コアラな、意外とかわいいで。『したーっ』と体を預けてくるんよ」
母は繰り返した。「したーっと」。それがいとおしく、愛らしかったのだという。「オーストラリア行ったら、絶対抱っこしたほうがええよ」。
というわけで、友人の海外挙式に参列したさい、わたしもコアラを抱っこしてみたのであった。間近で見るコアラはぽってりとして、ふてぶてしかった。施設の女性がコアラを抱き上げ、わたしに渡す。それはさながら、ユーカリの木からわたしの腕という止まり木への移動のようであった。
コアラはわたしに身を預ける。その重み、体温とともに立ちのぼるユーカリのにおい。それはまさに、「したーっ」としか表現しえないものであった。
そういったことを思い出しながら、わたしはコアラの重みや、くったりと脱力した様子を描こうとする。模写をしながら、気がつく。コアラの頭は小さく、それに比べて腕が太い。こんな腕で、コアラはわたしの腕をつかみ、体を預けたのだ。
その実感を込めて線を引き、存外やわらかかった毛質を思い浮かべながら色を塗る。「目にした」「さわった」ことは、絵を描く上で大きな意味をもつと実感する。
この「ふれたことがある」意味をことさら感じるのは、猫を描くときだ。わたしは猫が大好きで、しばしば保護猫カフェに足を運んでいる。記号的に描けば、猫の顔は楕円に三角形をふたつ乗せた形になるが、実際には、耳は丸みのある頭骨の途中に位置している。
「ああ、そうか、猫ちゃんの頭って、丸いもんなあ」
猫の頭を描くとき、実際になでた感触を思い出し、その骨格を想像する。そうして写真を見返すと、「ああ、頭が丸いから、耳がこんなふうに見えているのか」と合点がいく。
とはいえ、まだまだわたしの技術は拙い。コアラはなんだか木に紙人形を置いたようだし、猫の頭はぺたーんとしてしまう。
――コアラは、猫は、もっとかわいいのに。
次こそは、そのかわいさを余すところなく描きたい、と思う。今度保護猫カフェへ行ったら、もっともっと、猫ちゃんを観察しよう。動物園で本物のコアラもじっくりと見たいな。表現することで、かつての体験を再び味わう。そうしてひとつの事物への理解が深まっていく。それは「愛でる」ということなのかもしれない。
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明日は、りんごを描いたときのびっくり体験!
「あれ? 世界って立体なんですか?」をお送りする予定です。

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