平凡

平凡

Web小説投稿サイトは一種のSNSではあるけれど……

Web小説投稿サイトを見ていると、定期的に「読まれない!」という記事を見かけます。

 

この間は投稿サイトのひとつ「カクヨム」で、「作品があまりにも読まれないことに絶望し、お金を払って感想を書いてもらう『感想屋』に依頼し、ハマった」という記事が人気を博していました。

筆者は有料で感想をもらうことにハマり、1回何百円が塵も積もって合計金額5万円を超えたところで目が覚めた……のですが、そのきっかけは、ほかの書き手から感想をもらったことだと言います。

その感想はキャラクターの深い心理を読み解いてくれたもので、それはどの感想屋も見逃していたポイントだったとか。

「あ、感想をもらうってこういうことなんだ」と開眼し、有料の感想屋に頼むことはやめたという話でした。

けっして感想屋に恨み節を吐かない筆者の姿勢もあいまって、さわやかなよい話にまとまっていました。

 

そういった読まれない系の嘆きへの定番の反応として、「読まれたかったら、(ユーザーが企画できる)自主企画に参加したり、『いいね』的なものや『評価』を入れたり、ある程度のつながりは必要。投稿サイトは一種のSNSなんだから」があります。

 

基本的には、一利用者であるわたしも「そうだなー」と思うわけですが、ときとして「ちょっと待って」と言いたくなるときもあって……。

 

それは同じようなコメントでも、「純粋に読まれるなんてどだい無理だから、つながり、つながりですよ」と、皮肉めいた響きを帯びているとき。

そういった皮肉めいたニュアンスには、「宣伝やつながりを求めず、純粋に読まれるのが本来」「つながりを持つことは簡単である」という、ふたつの前提があるように思います。

 

それに対し、なぜ「ちょっと待って」と思うか。

わたしはWeb小説投稿サイトでほかの書き手とつながりを持つって、あんまり簡単じゃないと思っているからです。

 

まず、他人の作品、それもできれば自分の作風に近いものに「いいね」や評価を入れる。

たしかに自分の作品を読んでもらうきっかけとしては、有効ではあります。

でもこれね、ただ1、2話読んでテキトーに反応するだけじゃ、つながりには発展しません。

自作に反応を返してもらえても1、2話です。そこで終わってしまいます。

じゃあ、どんなときに「関係」といえるものが発生するか。

自分が「本気で好き!」と思える作品を読んで、応援して、ときには失礼ではないコメントを残して、なおかつ相手がこちらの作品も好きだと思ってくれたとき――じゃないでしょうか。

そこでやっと、「お互いが応援したいと思える作家さん」という「つながり」に発展するように思います。

お互いの作風が合わなくても、「初期から自分の作品をめちゃくちゃ熱心に応援してくれた」「一生懸命書いているのはわかる」「悪戦苦闘しているけど、創作は応援したい」「この人に筆を折ってほしくない」みたいな思いがあれば、「つながり」に発展することもあるでしょう。

当然、自分の作風がお相手の口に合わなければ、一方通行になります*1

 

ようするに、「本気の好き」がボールの投げ返し発生の最低条件だし、キャッチボール状態を継続するには、「作品」「創作姿勢」への共鳴がいる。

ちょっと「いいね」や「評価」を入れれば、なれ合って読み合いが発生する簡単な世界ではない。

それがわたしの実感です。

いや、もっと人づきあいがうまかったり、うまい書き手は違うのかもしれませんが……。

 

当然、つながりがあっても、ぜんぶの作品を応援してくれるとはかぎりません。

「好き」「よくできている」と思ってくれた作品にのみ、反応があることがほとんど。

ほかの書き手さん同士のつながりを見ていても、そんな印象を受けます。

 

書店でプロの作家さんの本を選び、手に取るときとは違うけれど、「純粋に読まれる」にそれなりに近しいものじゃないかと思うんです。

すくなくとも「簡単な、インスタントなつながり」「なれ合い」とは言えないんじゃないか。

 

そうやってつながっても、多くの書き手は求められない限り、「ここをこうしたら」とは言いません。

基本、コメントするのはいいと思った点について。

それがなれ合いに映ることもあるのかもしれません。

そのかわり、いいとは思わない点を無理にほめることはありません。

ブラッシュアップは常に“自力本願”です。

 

内容と共感でつながる。

それはブログでもTwitterでもInstagramでも小説投稿サイトでも同様です。

が、なかでも小説投稿サイトは、「つながる」ハードルが高いと感じます。

だからこそ、「読まれない」悩みが頻出するわけですが……。

 

冒頭でふれたエッセイの筆者は、エッセイをきっかけとして、「読まれない」と嘆いていた作品のアクセスや反応が増えたようでした。

理想的な連鎖です。

そうなったのは、エッセイのキャッチ―なタイトルと題材選び、良質の内容、そこから伝わる人柄、そして読まれるべき小説が「用意されていた」から。

結局は、作品ありきなのです。

 

ここまで、「自分から反応して読んでもらう」ことを中心に書きましたが、小説投稿サイトでは、ほかの書き手や読み専の人に見つけてもらえる、そういう奇跡もあります。

そういった奇跡を呼び込むためには、キャッチフレーズやタイトルで端的に小説の魅力を伝えたり、冒頭1話をできるだけビビッドにしたり、初期は更新頻度を増やしたり、といった工夫が必要です。

 

小説投稿サイトは一種のSNSであることは間違えがない。

ただし、作品ありきで、つながるハードルはそれなりに高い。

そんなふうにわたしは思っています。

*1:書き手の中には、反応を返さないポリシーの人もけっこういます