ぞりぞりぞり。
何かが耳のなかで剃られる音、感触がする。
耐えがたいような、心地よいような。
どちらとも判断をつけかねるまま、わたしは施術台に横になり、身をゆだねていた。
「耳の中の産毛を剃りましたんで、次は耳かきしていきますねー。
大中小だけじゃなくて、これだけの耳かきを使ってやっていきます。
え~と全部で8サイズかな?」
「あっ、説明しているところも撮ってください……! 道具がぜんぶわかるようにしていただけると……!」
わたしは顔を横に向けたままカメラマンに向かって呼びかける。
間をおかず、シャッター音が響く。
そう、この日は雑誌の取材で、「スーパー耳エステ」なるものに来ていたのだった。
臨場感のある施術写真を載せたいけれど、されどモデルさんを雇うほどの写真じゃないし、
予算もないし。
そういうときは、たいてい編集者やライターが客役をやる。
そんなわけでその日、駆け出しライターであるわたしは話を聞きながら施術を受け、なおかつカメラマンさんへの指示も出すと3役をこなしていたのだった。
それから15年以上がたった。
わたしはパソコンの前でため息をついている。
ブログにしてもなんにしても、どうしてこう、すなおに自分のことが書けないのだろうか。
いや、夫のノロケ話とかバンバン書いているし、嘘偽りなく、こっぱずかしくないの~と言われそうな文章を書いている自覚はある。
にもかかわらず、何を書いても、どこかすなおじゃないなという気持ちがある。
一方で、人様の文章を読むと「すなおだ。なんてあけっぴろげなんだ。すばらしい」と感じて、「くらべてわたしは……」と、落ち込んでしまうのであった。
そういうときによみがえってくるのが、駆け出し時代の「スーパー耳エステ」の思い出なのだ。
耳の穴の産毛処理をした後は、細かくサイズがわけられた耳かきを使っての耳掃除だ。
「オリジナルで作ったものなんです。これだけ種類があるから、その人の耳の形状に合わせられるんですよ~。だんだん気持ちよくなってきますよ~」
穏やかで、でもしっかりとした自信を感じさせる声。
耳の中の産毛がない状態での耳かきは、なんというかダイレクト感もマシマシだった。
施術してくれている店主は30代前半ぐらいだろうか。
肌がきれいで、自己研鑽を積んだ人特有のくっきりとした輪郭があった。
「耳の穴って不思議なんですよ~。こう、リラックスするとね、だんだん広がってくるんですよ」
「へえ、メンタルと同期しているんですね、おもしろいです」
ちょっと緊張気味だけど、そのうちわたしもリラックスするのだろう。
コソコソカサカサ。耳かきはつづき。
「え……」
やがて、店主がちいさく息をもらして手を止めた。
「ぜんっぜん、耳の穴が広がらない……」
わたしは顔をわずかに上げて、店主の顔を見た。
顔にはのっぺりと表情がなく、そのことが愕然、呆然、怒り、落胆、を如実に物語っていた。
「自己開示がへたくそだな」と思うたび、あのときの店主の顔が浮かぶ。
さながら目が覚めているときに見る白昼悪夢だ。
従来、こわがりで耳かきがあまり好きではなかったからしかたがない。
それもそうなのだ。
ただ、あの店主の表情には、コミュニケーションを拒まれた傷つき、のようなものも含まれていた。
わたしはあのときはじめて、自分の緊張がときとして拒絶に映ることを自覚したように思う。
「スーパー耳エステ」の例は極端だ。
緊張して人に壁を感じさせたからって、多くの場合、誰かを傷つけやしない。
ただ、人との距離が縮まらないだけだ。
文章における自己開示が下手くそなのも、同じこと。
それでいいと言えばいいけれど、やはりわたしは耳かきをしたら耳の穴がリラックスして広がる人間になってみたい。
文章にすなおに何かをつづれる人間になってみたい。
文章はすなわちコミュニケーションだから、「拒絶」や「殻」は破ったほうがいい。
それはとどのつまり、愛されたい、ということかもしれない。
あるいは、「そうしたらもっと楽しくいろんなひとと関われるのにな」という単純な願いなのかもしれない。
あのときもしリラックスできていたら、耳かきエステの店主とはもっと楽しく会話ができただろう。
あの店の名前も場所も、もう忘れてしまった。
店主はいまも耳かきをしているだろうか。
それともいまは業態を変えているだろうか。
わたしのほかにも、ぜんっぜん耳の穴が広がらない客はいただろうか*1。
たぶん、いまのわたしが同じ施術を受けても、耳の穴は広がらない。
秋がくると、このブログは開設して丸7年になる。
更新頻度を意図的に増やしてからは1年。
書くことはやめられないのだとしたら、何かを変えたい。
でも、何を変えればいいかわからない。
耳の穴、文章、インターネットに放ち続けるボトルメール。
頭にそんなキーワードがぐるぐると回るうち、近所の柿木の葉はツヤを失い、落葉に備えはじめている。
画像《雨上がりの地面と落ち葉のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220212056post-39017.html》
*1:たぶんいただろう