平凡

平凡

メモが汚いライターが、誰かの幸せを祈る話

メモが汚い。超汚い。そして、その超絶乱れた文字を見るたびに、ある人の幸せを祈る。今日はそんな話です。

 

 

わたしは商業的な記事を書くライターをやっている。異論反論あると思うが、ライターの必需品といえばメモ帳とペンだ。

「いまどきそんなアナログな」と思うかもしれないが、席が用意されているカンファレンスのレポートや、座ってできるインタビューならともかく、店の中で話を聞いたり、何かのスポットを案内してもらいながら特徴をメモするときは、やっぱり紙のメモとペンなのだ。

 

「メモ」と書いたが、たいていはA5判のノートを使っている。

A5判にする前は、B7というのだろうか。手のひらサイズのキャンパスノートを使っていた。

ある日、そのころのメモが大量に出てきたので、「いやあメモが汚くてさあ」と開いてみたら、いまでも読めてびっくりした。ひるがえっていまはどうだと、最新のメモ帳を開いて見る。ぜんぜんわからん。下手したら、メモしたその日でも読めないものもある。必需品なのに?

見たもの、聞いたことをハナから忘れていくのでメモを取るのだが、メモを取りながら何かを聞く、話すことはとても難しいダブルバインド。そのうえ、年々、文字が書けなくなっている。「漢字が思い出せない」といったレベルではなく、文字という記号を手で書くことが難しくなっている。おそらく、「考える」「文または一節を書きつける」ことがあまりにもキーボードでの運動に結びついてしまったのだろう。その反動で、「文を書きつける」と「文字を手で書き連ねる」の紐づけがほどけかかっている、と。

 

「まあ、平凡さんはそれでどのようにお仕事を?」と思われるかもしれないが、メモした当日から2日後ぐらいまでは記憶がそれなりにあるので、補完しながら手書きメモをテキスト化することで、「原稿の素」にしている。最近では、スマホで写真をパシャパシャ撮るのも当たり前になった。スポットや施設、お店系の取材では、それらにずいぶん助けられている。

 

しかし、このメモのひどさで、インタビュー相手の人柄の良さが感じられたこともあった。

わたしのメモのひどさは、インタビューのときにMAXになる。インタビューは対面での受け答えに集中するので、メモを取っているどころではない。それに、油断もある。インタビュー中はICレコーダーを回しており、最終的には音声を文字に起こすので、そもそもメモはほとんど使わない。ならメモを取らなければいい。実際にそうしているライターも多い。だいたい冒頭で、「席に座ってできるインタビューなら(手書きのメモなしでも)ともかく」って書いとるやん。しかし、わたしはなんとなく……緊張を散らしたい気持ち半分、音声データに万が一のことがあったら、どんなにひどくてもメモがあったほうが良いのではという不安半分でメモを取ってしまう。

 

時はコロナ前。まだインタビュー相手とインタビュアーの距離が、応接用の小さなコーヒーテーブルを挟んで差し向かい、ということも多かった時代。

あるインタビュー相手がわたしのメモを見ながら言った。

「それは速記ってやつですね!」

ウッ……かたまるわたしにインタビュイーは畳みかける。

「すごいなあ、さすが記者さんだなあ」

曇りなきまなこを見れば、悪意がないのは明白だった。「うへっ、へへっ……速記じゃ……なくて……文字が……」ごにょごにょ言いながら、わたしは思った。こんなどちゃくそ汚い文字を見て、「速記なんだ、すごい!」と思える光の感性を持ちたい……。

 

それ以来、そのインタビュー相手のことは「善性の持ち主」として、以前よりいっそう応援するようになった。活躍を見かけるとき、また、結婚し、お子さんも生まれ……とプライベートな知らせを見かけるときはもちろん、自分の汚い手書き文字を見るときにも、「速記ってやつですね!」と言ったときの輝くような表情を思い出し、「どうか幸せであれ」と祈ってしまうのであった。

 

今週のお題「メモ」

 

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画像はぱくたそよりお借りしました。

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