平凡

平凡

ライターとして書くなら好きなジャンルを書いたほうがいい? そこんとこどうなの?

ゴールデンウィーク明け、忙しくて魂が抜けております。雑誌を中心にライターをしております平凡と申します。

なぜゴールデンウィーク明けが忙しいかと申しますと、まず撮影や取材、インタビューは連休前に詰め込まれがち。そしてお休みの前後にレイアウトがアップします。そうすると文字数が決まるので、ゴールデンウィーク中に執筆です。えっ、わたしの連休どこ行った⁉ で、休み明けに締め切りが集中。そして、原稿アップ後は書いた分だけ校正があります。ぜえぜえ。

 

 

前置きが長くなりました。本日は、ライターとして何を書くのがよいか、という話です。

たとえばコスメ好きな人はコスメについて書いたほうがいいのか。K-POPが好きな人は、車好きな人は、映画好きな人は……てな話ですね。

 

大筋でいえば、わたしは好きな領域で仕事をするメリットは大きいと思っています。

答えは単純で、「土地勘があるから」。

知り合いのライターで、ファッションが大好きな人がいました。高校時代はパリコレがあるたびに中継を見ていたといい、筋金入りです。

対してわたしはファッションはかなり苦手。ファッション要素がすこしでも入る記事は、「書くのが難しいな~」と感じます。たとえば「きものリメイク流行中!」てな記事があるとすると、9割はなんで流行ってるのか、どこでどんなリメイクができるのかの情報です。残りの1割は実際にリメイクした服についての説明を書くことになり、そこが難しい。

対して彼女は、「えっ、ファッションの記事って見たまま書けばいいだけじゃん。いちばん書きやすいよ!」とこともなげに言いました。

その「見たまま」が難しいんじゃ~~! まず何を書けばいいの? 色? 形? 組み合わせ? そしてそれぞれをどう表現すれば?

くしゅっとした生地は「シャーリング」と言ったり、最近だと健康的で飾り気のない着こなしを「ヘルシー」と表現したりしますけれど、そういう言葉が出てこないわけです。 

でも、彼女にはわかるわけですよね。コーディネートのポイントや、そのアイテムがどんな流行を取り入れているかも、見てすぐわかる。それは、彼女がふだんから興味を持って情報を自然に集め、アップデートし続けているから。

みんな好きなことについてはそうなんですよね。ゲーム好きな人なら、メインビジュアルとイントロダクションを読めば、それがどんな人に向けて作られたものか、どこがターゲットに刺さるポイントか、だいたいわかるでしょう。でも、ゲームを普段やらない人には、その辺がまずわからない。

好きなジャンルに関しては、脳内でマッピングができているんです。だから、「それがどの辺に位置するか」がわかる。説明するための、自然で適切なことばもたくさん知っています。

たとえば洋服だと、裾が広がっているデザインについて「フレアが~」と説明すると違和感がないけれど、「富士山のような裾広がりのシルエット」と書いたら明らかに外れている。知らないジャンルについては、そういうことが起きないかヒヤヒヤします。

好きなジャンルは、ラクに楽しく、クオリティ高く書ける! だから、読者が喜ぶ原稿を書ける! いいことづくめです。

 

ただ――。上の一般論から外れるジャンルがあるとわたしは思っておりまして……。それは、「推し」的に、「オタク」的に好きなもの。

と書いておきながら、わたしはあまり熱狂するものがないので、この辺はもにゃっとした物言いになります。

K-POP全般が好きな人が、K-POP全般について書く。これは幸せだし、知らないと書けないと思います。しかし、「推し」にインタビューしたり、書いたりする機会を得たときに果たして幸せなのか? は、正直わかりません。ディープなファン道は人の数だけあるので、人によっても違うと思います。たいていは(緊張したり舞い上がったりで大変だろうけれど)幸せだろうとは思います。

 

あとはコンテンツ系で、そのジャンルが人生の支えになっている場合、注意が必要かもしれません。

というのも、わたしには好きなコンテンツ系ジャンルがあり、それについての仕事もうけています。海外ドラマとか映画とか文学とかJ-POPとかアニメとかゲームとか、まあそういうざっくりしたジャンルのひとつだと考えてください。

もともとあまり好き嫌いはないほうですが、仕事ということでよりまんべんなく作品をチェックするようになりました。

ジャンルへの見識と愛は深まったのですが、自分が本来、どんなものが好きだったのか見えなくなった時期があるんですね。もともと「好き」が淡い人間なこともあり、それで困ることもないのですが、ちょっと据わりが悪く感じました。「好き」のアイデンティティが揺らいだんです。

それでも続けていくうち、「自分が好きなもの」「好きではないけれど、作品としてすごいもの」「制作体制がおもしろいもの」などなど、切り分けがはっきりしてきて落ち着きました。

そしてそして。いまはデメリットを取り上げましたが、「好き」や「好み」の枠を外したからこそ見えるものが確実にあるんです。「あんまり好みじゃないな」というものでも、「仕事の一環」と思うと正面から向き合えます。そのことで、好みではない作品の良さが見えてくる。視野が広がるわけです。

ときどきTwitterなどで、有名な同業者に「好きでもないモノを見なきゃ・プレイしなきゃいけないんでしょ~カワイソ~」なんてリプが飛んでいるのを見ると、「カーッ! わかってねえな!」と思います。

消費者の立場で好きなものにだけふれ、気楽にあれこれ言うのはまったく正しい姿勢ですし、楽しいものです。でも、そうじゃない喜びも存在するのです。

もちろん人と気楽に話すときは一消費者に戻り、わたしも「ああだこうだ」言いますし、楽しいものですが。

 

ともあれそんな経験があるので、「嫌いなものは絶対見たくない」人はもちろんですが、「このコンテンツに人生が救われている」など、そのジャンルへの強い気持ちがあり、アイデンティティにがっちり結びついている場合は、仕事でかかわるには注意が必要かもと思うのでした。

 

ただ、ライターですから。制作者になるよりは、「『好き』を仕事にするのは幸せか?」の問いはシビアではないと思います。

 

最後に、じゃあ、興味がない対象やジャンルについて書くのはどうなのか――。

仕事にすると興味がわいて、たいていのものは面白く感じます。わたしは本来、興味のレンジがすごーく狭い人間なのですが、なんでも屋的に仕事をしたおかげで、「好き」や「興味」の幅が広がりました。その一方、ファッションのように、「これはあまりに土地勘がなくて無理ー」というものもあります。

 

何回か書いていますが、ライターに限らず請け負い仕事は「好き」を発信しておくと、それについての仕事がきます。仕事を発注するほうも、できれば好きな人に楽しくやってもらいたいと思っているからです。なので、SNSなんかで「あれ見て楽しかった」「最近これが好き」と発信すると、みんな幸せになります。

仕事関係なくても、何かに楽しそうにハマっている発信って、見ているほうも楽しくなりますよね。世界の幸せの総量が増える!

 

そんなわけで、「ライターとして書くなら好きなジャンルを書いたほうがいい?」は、わたしとしては力強くYes! 世界もあなたも幸せにしてくれる! と答えます。

……が、人とジャンルによっては注意が必要かも~と、ちょっとただし書きをつけたくなるのでした。

 

追記:

今回は「書く対象」についての話ですが……。書くこと自体が好きな人がライターをやる、に関してはまたいろいろと思うところがあるのでした。

そのあたりはこの記事に書いています。

hei-bon.hatenablog.com

 

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