このひとの、このカーブを描きたい、と思う。肘から手の甲にかけての、ゆるく弓なりになったカーブ。よく鍛えられた筋肉の先では手首がくびれ、5本の指は何かを求めるように天に向けられている。
焦りながらもじいっとその形を見て、「とらえられた」と感じたら、思い切ってシュッと線を引く。手にしているのは4Bの鉛筆で、その線は自然、濃く、柔らかくなる。
うん、なかなか上手く引けた。じゃあ次は脇から腰にかけてのライン。と、これは失敗。なんだかぬるんとした、カワウソみたいなシルエットになってしまった。
そんなことをしている間に残り時間は20秒を切っている。下半身はいわゆる「棒人間」状態で、単純な線で動きだけをおおまかに描く。そこで合図が鳴ってフィニッシュ。そして次のポーズがはじまる。
ごく短い時間で動きをとらえるジェスチャードローイング、通称「ジェスドロ」を再開して半月がたった。

ジェスドロは、よく「モデルを見て、その動きの印象を表現するもの」と説明される。「印象を表現する」のだから、線だけでもかまわない。その躍動や緊張感がとられえられていればいいわけだ。
その目的としては、「ある程度絵を描ける人が、『自分のイラストは、動きがかたい』『もっと魅力的な動きを描きたいな』『見本がなくても自由に描けるようになりたいな』と思ったときにやる練習法」と紹介されていることが多い。さまざまな練習教材があるが、「決められたごく短い時間で、モデルを見て描く」ことは共通していると思う。
わたしはもともとまったく絵を描かなかったのだが、2024年3月に偶然からそのおもしろさに目覚めた。
その経緯はこの記事で説明している。
描いているのはいわばリアル路線。最初の半年は動物の写真模写をし、それ以降は夫をスケッチしたり、ジェスドロをやっている。
漫画、アニメ的なイラストは見るのは大好きだし、挑戦しなくはないのだが、描くとなると苦手意識がぬぐえない。何より、わたしはビジュアル的な想像力が豊かではなく、「自分の中からあふれる自発的に描きたいもの」がそれほどないのだった。そうしたものの受け皿として、すでに文章という慣れ親しんだ手法をもっているせいかもしれない。
わたしにとっての絵はどちらかというと、このブログに書きつけているようなエッセイに似ている。モチーフは「リアルにある好きなもの」で、「描くとなるとそれをよく見て知る必要があるので、好きなもののことをよく知ることができる」「描くことで『今』をとどめることができる」といった喜びを感じている。そして、いまのわたしの興味は、「実在する誰かの肉体の魅力を、できるだけ自分の手で描きたい」という方向に向かっている。その方向に、ジェスドロは実に都合よくマッチするのだ。
振り返れば、昔から、アクション映画やダンス、格闘技などでの、瞬発的な人の動きに魅せられることが多かった。いや、そういったものは「見る快楽」を考えて作られているので、みんなそうかもしれない。ともあれ、
「あの回し蹴り、かっこよかったなあ!」
「ダンスのあの動き、いいな。手がしなるように動いてこう~~~」
と味わいつつ、何か物足りなさを感じていた。その感動を何かしたい、でも何をしていいかわからない……。自分が動いて再現したいわけじゃない。この心に残った感動の軌跡をなんとかできないものか。モヤッと求めていたその「出口」を、いま、絵という形で見つけたのだった。
わたしが参照しているのは、YouTubeのGES DRAW PARTY(じぇすどろパーティ)チャンネル。モデルがポーズを取る動画が毎週1本配信され、そのポーズを、1分、2分、5分で描いていく。描いた絵はSNS投稿可能(公式ハッシュタグあり)。
モデルを務めてくださるのは各種ダンサー、パントマイムの人、武道の人、シニアモデルの人と、さまざまだ。体形もさまざまで、思わず「ナイスバルク!」と声をかけたくなる筋肉質の人から、わりと普通寄りの(と見えるが、「見せる場」で普通に見えるということは、ある程度節制している人なのだと思う)体形の人もいる。

動きを魅せることに長けた人たちが、描かれるためのポーズを取るのだから、どれも魅力的に映る。……と感じるようになったのは最近の話で、ジェスドロをはじめてやった1年ほど前は、正直、描いていておもしろさを感じないポーズもあった。
しかし、ヌードのクロッキー会に参加して「人間の体っておもしろい!」と感じてからは、どのモデルのどのポーズも描きたいものに変わった。それをこの手で表現できたらと強く思うようになり、自らの絵の出来栄えを見るたびに、「モデルさんは魅力的なのに……」と悔しく思う。
絵を描き始めたときは、とにかく動物を描くのが楽しくて、「人間はややこしくて描きたくないなぁ」なんて思っていたのに、人はどうなるかわからないものだ。
ヌードのクロッキー会に参加した話はこちら。
ジェスドロは、自分の絵のブラッシュアップのための練習としてやる人が多いが、わたしの場合はこれ自体が目的であり、楽しみだ。この先に何か目的があるわけではない。
心を動かされたいろいろな動きを魅力的に描けるようになりたいので、たまに好きなダンス動画を一時停止して動きを描いたりもしている。
おりしも犬と暮らしはじめたばかりで、生活にまだ慣れない今日この頃、25分でサクッと完結するジェスドロは生活の中に無理なく取り入れやすいメリットもある。
ただ、この25分は、わたしの場合はジェスドロが目的化しているので苦もなく捻出できるのだろう。描きたい絵がある人が練習としてやる場合はそうではないのだろうな、ということは、やっているとよくわかる。働きながら仮に1日1時間絵に時間が費やせるとして、そのうちの半分を差し出すことになるのだから。

人に「すごい」と言われる絵を描きたいという気持ちはないけれど、やっぱり人に褒められればモチベーションが上がる。わたしが出入りしている分散型SNSのMisskey各サーバーでは、つたない練習絵であっても、ありがたいことに応援のリアクションがもらえる。ときには「前よりうまくなっていますね!」といったことばをかけてもらえることもある。ひとりで続けていると、「ちっともうまくなっていないのでは」と感じることも多いので、楽しく続けていくために、こうした反応はほんとうにありがたい。
そんな感じで、描きたいものだけを、無理なくぼちぼち描いている。ジェスドロをやっていると、自分がいかに顔を描くことに興味が薄いかも感じるが、そのへんもあまりがんばらないことにしている。とはいえ、おいおい興味をもつ日が来るのかもしれないので、時間が余ったらすこしだけ、なるべく、できる範囲で描く……こともある。

お絵描きは、何をどう描いてもいい。デジタルお絵描きソフトでレイヤーを何百枚も費やして美麗な絵を目指して絵を描くのもお絵描きだし、紙と鉛筆で25分だけ人の形を描くのもお絵描きなのだ。幅広くて、いろいろな楽しみ方がある。
わたしにとって、ホームグラウンドである「書く」はこうはいかない。何しろ長年続けていて商業的なライティングを仕事にしてしまったし、小説にしろエッセイにしろ書きたいことが山積みだし、積み重ねてきたものもあり、慣れがある一方でぜんぜんうまくできない歯がゆさもあり、貪欲に求めるものもあり、楽しいけれどもはや「楽しいだけ」ではない。

まだまだ超初心者であるお絵描きには、それがない。ただ線を引くことを、「上手くいった!」「いかない!」と言いながら楽しんでいる。とても静かな心地だ。
動物から家族、そしてジェスドロ。1年半で描くものはだんだん変わってきて、半年先には自分が何を描いているかわからない。けれど、できるだけ長く、こんな気持ちで何かを描いていけたらいいな、と思っている。