平凡

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ライターとエッセイスト、作家はぜんぜん違うって話

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昨日の記事のつづきです。ライターとエッセイスト、作家、評論家はぜんぜん違うって話です。

こういうエントリーを書くときは、自己紹介からはじめたほうがいいのかもしれません。こんにちは。雑誌などでライターをしている平凡といいます。今日も寒さに震えております。

 

昨日のエントリーはこちら。

hei-bon.hatenablog.com

 

ライター仕事は、エッセイ、評論などとごっちゃにされがち。

「雑誌に記事書いているんだよ」と不特定多数に説明すると、だいたい、「映画評論みたいなやつ?」「エッセイみたいなやつ?」と質問されます。

それもわかるんです。商業的なライティングの仕事って、「書き手を感じさせない」もの。たとえばレンタルビデオ店の店頭でフリーマガジンをもらってきて、新作映画紹介を読んだとします。「これ、誰が書いてるんだろう」とは思わないはず。週刊誌で、「最新!! ポイ活はここを狙え!」みたいな記事があっても同じ。インタビューで特色があった場合は、ちょっと気になる人もいるかもしれません。

だから、興味がないとライターの仕事ってわからない。興味があってもわからないかもしれない。ライターになる前のわたしがまさにそうでしたから、人のことは言えんのです。

 

で、エッセイストとか評論家とか作家、ライターの違いってなんでしょうね。

 

わたしは、ライターは「何かを紹介する記事を書く人」「その材料を、外に求める人」だと思ってます。カフェに取材して、その雰囲気を紹介するとか。ポイ活に詳しい人に現状を語ってもらって、その現実に即したサービスを探して紹介するとか。

 

エッセイストは「材料を内側に求める人」。経験や感じたことを、一度自分のフィルターをぐぐいっとくぐらせて言葉を紡ぎます。作家はそれを「物語」に仕立てる人。

大元の材料は「外」にあるのでしょうが、ライターはその材料を野菜スティックにしてお出しするけれど、エッセイストや作家は変わった味のソースとか、いろいろなものを混ぜ、原型がわからないような形で提供する、みたいなイメージです*1

 

評論家は、「膨大な知識をもとに何かを冷静に分析し、論拠をもとに新たな切り口や価値を示す人」。書く原稿の種類はまったく違いますが、ライターとまだしも近いと言えるのはこの職業。なぜなら、ライターをやっていると、ある分野の知識が蓄積します。なので、ライターから評論家になる人も一定数いるからです。ただ、繰り返しますが、書く原稿の性質や求められることはまったく違います。なので、「ライターをがんばっていたら、『いつの間にか』評論家に」ということはほぼないと思います。

評論家に必要なのは、やっぱり自分のフィルターです。それを通して、「料理(対象)」の構造を分析する。または、多数の料理を集め、誰も見つけられなかった、あるいは言語化できなかった共通項や違いを明るみにします。その分析を見て、そのものの新たな美味しさ(あるいは繊細な不味さ)をみんなが感じられるようになったり、「こんな価値がある料理だったんだ」と理解できるようになる。

映画などコンテンツ系の評論家はそんな感じですが、美容評論家などは、ライフスタイルを提示する人も多いです。

 

このフィルターを作家性、というのだと思います。ライターだと、作家性は不要というかむしろ邪魔になります。ハンティングしてきた素材(情報)を、自分のフィルターを通して、形を変えてお出ししてはいけません。

 

そしてライターとそれ以外の作家、エッセイスト、評論家は、仕事の取り方、依頼のされ方がそもそも違います。

ライターは、「いい仕事を見つけたら、それを糸口にその職業に就ける」性質の職業なんですよ。「ポイ活について書ける人を探しているんだー」と、ある種の“募集”があって、「じゃあ、独立したてだけど、この人に任せよう!」あるいは、「わたしやりたいです!」みたいな。無名でいいんです。その仕事を遂行できさえすれば。

 

でも、エッセイストや小説家は違います。作品がないと転がりません。書く、鍛錬する、実力を見せつける。その作品に、センスにファンがつく。そこで、「仕事を依頼しよう」となる。その人でないといけない、属人性の高い仕事です。「こんなエッセイ書ける人募集ー」「誰でもいいよ遂行できれば」ということは、ありえません。文芸誌など内内で仕事があったとしても、まずその候補に名を連ねるには、なんらかの「見せつけ」が必要です。そして、期待されるのは、「その人ならではのセンス、表現」です。ハンティングしてきた素材や、誰もが感じていることを、そのままお出しするのは禁忌です。ここはライターとは真逆です。

 

ライターもポートフォリオを見せることがありますが、「何を売っているか」が違うんですね。「誰でも遂行できる能力を開示するか」「自分だけが表現しうるものを開示するか」。そういう意味では、漫画家さんなどが、「単行本は名刺がわり」と発言するのは言い得て妙です*2。「すでに誰かの目に留まって商業出版された」証であり、その人の作家性をもっとも物語る。そんな名刺であり、いちばん強いポートフォリオと言えましょう。

 

作家とライターの文章が同じ記事に載ることは、数少ないですが、ありえます。その例を挙げると、仕事の違いが伝わるかもしれません。

 

たとえば「ああすばらしき哉! 酒肴と日本酒の世界」という特集があったとして。わたしたちライターは、酒蔵や居酒屋などの紹介記事を書くでしょう。情報を集め、そのものの魅力を、なるべく加工せずストレートに伝えます。

記事巻頭に、作家の先生が書いた400字ぐらいの文章が載ることがあります。「酒と肴のマッチングが人生に与える豊かさ」みたいな内容が、短い文章のなかに、その人ならではの視点とスタイルで表現されている。そこには「たしかにそうだな」と思わせられる共感、あるいは「考えたこともなかった」という驚きが潜んでいることでしょう。

 

というわけで、ライターの仕事がエッセイや小説につながらない、ということはおわかりになったのでは……と思います。求められる文章が、そもそも違うのです。上位互換や下位互換でもありません

ライターの経験を積んだから、エッセイストや作家になれるという一本道はそもそも存在しません。

めちゃくちゃレアなケースで、たまたま編集者に「作品」的なものを見せていて、そこから声がかかることはあり得るかもしれません。あとは、編集者もミニコミ誌や同人誌を作っていて、寄稿を依頼され、その活動が他の人の目に留まり……。みたいな。それにしても、ライター仕事とは別に「作品」を作り、かつそれを見せていることが必要です。で、前のエントリーに書いたように、「書くのが好き」ってわりと警戒されるワードなので、ライターをやりつつ自分の世界を見せるって、それなりに胆力がいります*3

編集者もみんなが文芸畑に通じているわけではないので、「突然、作品を見せられた知人」と変わらぬ反応が返ってくることも多いでしょう。新しいもの好きな人も多いですけれども……。

 

で、複数の「例外」をあげましたが、どれも「たただたライター仕事を積み重ねた先に、エッセイストがある」ではないですよね? ライターとしての腕を磨いていたら、「自然に」作家やエッセイストにジョブチェンジしている、ということはありません。

 

ここまで書いた「例外」に共通していること。それは、「作品を作っている」「見せている」こと。エッセイストや作家になりたいなら、とにかく作品を作る、書く、発表する、が大事なんだと思います。

編集者やライターが本業で、エッセイ的な文章で人気を博している人はいます。そういった人たちは、SNSなど、仕事とは別の場所で、自分の世界観を見せていたはずです。そしてその多くはなんらかのライフスタイルを提示していることが多いです。

 

いつかはエッセイストや作家になりたくて、でも、書くのが好きだからライターで稼げたらいいなと思う。別に悪いことではありません。ワナビー万歳。ワナビーとか言ってくる奴は心で殴りましょう。ただ、ライター業と作家性の強い仕事が一本道の右肩上がりでつながっているものではないことは、声を大にして主張したいのです。

 

Web時代の今、発信さえすれば、作家性を発見してもらえるチャンスは昔よりずっとずっと増えています。その気になれば、文、写真、絵の複合技で自分の世界を発信することもできます。

本業があるなら、並行して作品を発表し続けるのが、いちばんその人の「強み」をいかせる方法ではないでしょうか。

 

で、最後にモノ申したいのは、ライターよりも、エッセイスト、評論家のほうが上、みたいな見方ですね。なかでも、「ライターは書きたくもないことを書いてかわいそう、ほんとうはやりたくないんでしょ。ほんとうは自分を出したいんでしょ」みたいな……。わたしもこうしてブログにエッセイをつづっている以上、そう思われているかもしれません。

でも、そうじゃないんだ。

わたしは、自分を出さないライティングが好きです。エッセイや小説と、ぜんぜん違う喜びがあるものなんですよ。誰かのことばを伝えて、そのすばらしい仕事の姿勢が大勢の人に伝わる。新しい商品について取材して、そのすばらしさを伝える。舞台の照明にも近い仕事ですが、とてもやりがいを感じます。

でもこの「やりがい」、やってみるまでわからなかったです。ライター的なライティングって、意外とそういう側面がある。ありふれた仕事だけど、ふだんは意識されづらいから。

わたしはそれとは別に自分の文章を書くのも好きだから、書いている。ライターの仕事はイヤイヤやっているわけじゃないのです。

 

そして、最後の最後に。理由は口にしづらいのですが、本当にエッセイと小説「だけ」を書きたくて、すでに書きまくっている人には、こういった商業ライターの仕事をフルタイムでやるのはおすすめはしません。あまりやろうと思っている人もいないかもしれませんが。

エッセイや小説を「いつか書こう」と思っているなら、ライターに挑戦するのはありかもしれません。人生は有限なので、書いて稼ぐことで生活と精神が安定するなら早いほうがいいですから。

 

多くの人の「書く」が、誰にも搾取されず、幸せでありますように、祈っています。

*1:あるいはにんじんを咀嚼し、にんじんの形をした、にんじんとはまったく違う何かを出す

*2:何回か似た発言は目にした記憶があります。今、思いつくものだと、ニコ・ニコルソンさんの『マンガ道場破り 破』で、羽海野チカさんが言っていました

*3:やってやれないことはないですよ……