平凡

平凡

春分の日に、一年の目標にかえて

「人生、先が見えないとつらいんだな」

そんな当たり前のことに気がついたのは、フリーター時代だった。

新卒で勤めた会社をクビになり、とりあえずはじめた接客バイトの仕事。

意外なことに、それは自分に向いていた。

目の前のお客さんの求めるものを、なるべくなら解決してあげたいと思い、そのためにフロアを走り回る。売り場を整え、商品を切らさないようにする。

それはわたしに充実感を与えてくれた。

ただ、その職場には先がなかった。

経験を積めばバイトもそれなりに知識をたくわえ、発注し、売り場を作るぐらいの権限は与えられる。

「ベテランね」とお客さんが目を細める店員は、たいてい自給なんぼのアルバイトだ。

この社会ではよくある話ではある。

そこで、より人生を安定させようと、正社員を目指す者もいる。

しかし、それは全店舗で年に二~三人通るかどうかの狭き門なのだ。

加えて、正社員になれば求められるのは、フロアでの接客ではなく、マネージメントである。

わたしはマネージメントは絶対にやりたくなかった。というか、合わないことは火を見るよりも明らかだった。

新卒で就職し、やっていた仕事は編集者だったからだ。編集者の仕事とは、各所に発注をかけ、その進捗を管理するマネージメントにほかならない。

それが、わたしはまったくできなかった。

 

接客は好きだ。周囲からは「まじめな人材」と目されていたようで、重宝もされていた。人間関係も悪くなかった。でも、そこには先がなかった。

 

わたしはだんだん笑えなくなった。

いまでも覚えているのは、春分の日のことだ。暖かい風が吹いて、それでもわたしはブクブクのダウンコートを着ていた。冬用のコートを脱ぎ去り、次の季節の服装を考えなければいけない。それが心底めんどうくさかった。

「春なんて、来なけりゃいいのに」

次の季節の到来を喜べない自分に驚いた。それまでの人生にはなかったことだったから。

 

エスカレーターに乗っているとき。ふと、ガラスに映った自分の顔が目に入った。特別いやなことがあったわけでもないのに、ものすごいしかめっ面をしていた。

「わたし、いつもこんな顔して歩いてるんだ」

そういえば、最近、笑ったことがあっただろうか。思い出せる感情は、怒り、イライラ、悲しみだけ。

 

わたしはそんなわけでアルバイトを辞め、会社勤めのライターになった。

ライターが、唯一「やったらおもしろいかも」と思える仕事だったからだ。

具体的なことは何一つわからないまま飛び込んだ世界だったけれど、商業ライティングの世界は、わたしに社会での居場所を与えてくれた。

 

ライターになって、フリーランスになって、人生は安定した。世間から見てどんなに不安定であっても、わたしにとっては安定だった。はじめて「つづけられる」と心から感じられる仕事だったから。結婚して、さらに情緒は安定した。

 

しかし、中年というか、中高年の域に達した昨今、迷いが生じた。

「わたしはこれから、どうすればいいのだろう」。

 

自分は一ライターとして記事を書いていきたい。が、出版不況の中、それをつづけていけるのだろうか。もちろん、ウェブ時代であっても、いや、ウェブ時代だからこそ、プロが書いた文章は求められてはいる。ただ、ウェブで情報を発信するメディア側のスタンスはあまりにもいろいろ過ぎる。「こうしたい」がないと、泳ぎ切れないように感じられた。

 

同キャリアの人たちは、どんどん専門性を身につけていく。自分は何かの専門家になりたいのだろうか。「こういうこと、もうすこし詳しくやってみようかな」と口にすると、いつもことばが上滑りした。

 

依頼に応じて書く、いまの仕事は好きだ。ずっとつづけていきたい。でも、つづけるためにもビジョンが必要だ。

仕事だけではない。

子どもができなかった――というか、主にわたしのふがいなさから子どもを(なかば)あきらめたこともあり、「未来」が急に見えなくなった。

 

「いま」に満足していても、未来が見えないと、人生に倦む。

「いまのままをつづけたい」と心底思えるなら、それはそれでビジョンだ。でも、どこかでそうは思い切れない自分がいる。

 

変えたい、では何を?

 

だからというわけではなく、まったく別の衝動からなのだが――。

コロナ禍に、いままでになかったタイプの小説を書き、のちに投稿サイトに掲載しはじめた。

そこで更新回数の大切さを思い知り、数年間設置しつつも、数カ月に一回の更新だったこのブログの更新回数を増やした。

ブログに「子どもをもつこと」について書いたら、驚くほど情緒不安定になって、カウンセリングに通いはじめた。

仕事の激務期間が訪れ、そのストレスで、原始的なジャンルの小説を書くようになった。

そうしたら、何か別の扉が開いたらしく、今までになく他ジャンルの小説も書きやすくなった。

そういうことがドミノ倒しに起こり、わたしはこの春、利用している投稿サイトのイベントに乗っかって、何篇か短編小説を書いた。

勢いで書いたそれらは、いままでにない題材で、でも、どれも「自分だ」と思える作品になった。

テイストはバラバラだけれど、どれもさまざまな理由から世間から外れてしまった存在が主人公だ。

わたしが利用している投稿サイトは、比較的、文芸的な作品を書くひとも多い。しかし、わたしの作品はエンターテインメントからあまりに大きく外れているように思われた。

 

わたしはときに、比喩表現ではなく、泣きながら書いた。

「なんでこんなものを書いてしまうんだろう」

「だれにも読まれないのに」

なにより、物語に登場する人物は誰もが痛みを抱えていて、それがつらくて泣いた。

 

ある朝、もっともいびつな短編を書き上げた。詰め込み過ぎだし、主人公が抱える葛藤は異常だし、0PVだろうと思ってアップした。

それが意外に、読まれた。

と書くと、皆さんは万のPVを想像するかもしれないが、そうではない。数でいえば極少だ。「それで喜べるのは、異常者ではないか」と思われるぐらいの数だ。

それでも、「これはもっと読まれてほしい」「ほんとうによかった」と書いてくれた人がいた。

投げて投げて投げて、暴投かもしれないと思っていたものが、誰かのミットにすっぽりおさまった。

 

うれしかった。

 

生まれてはじめて、「わたしにも書けるものがあるのではないか」と思えた。

上手いとか、売れるとか、そういうんじゃない。そのもっと手前の話。

「わたしだから書けること」があるんじゃないか。わたしには、それを書いて、ひとに届けることができるのではないか。その可能性が、万に一つでもあるのではないか。

 

「仕事以外の文章を書いていること」を、本心から肯定的にとらえられた瞬間でもあった。

「なんで小説を書くんだろう、書いてしまうんだろう」「なんでエッセイみたいな文章を書くんだろう」と、ずっと思っていた。

仕事のテキストだけ書いていればいいのに。それでもじゅうぶん発散できて、楽しいんだから。

ここ二~三年は、自分の書くものが冷静に見えるようになってきて、「つまらなさ」に愕然としていたから、なおさら肯定的にはなれなかった。

 

でも。書いていて、よかったのかもしれない。

わたしには、書けるものがあるのかもしれない。

 

カウンセラーの先生は、一連の流れを聞いて、「巡っていますね」と言った。

「小説に書いている内容が、たとえあなたが抱える問題と直接関係なくても。心のどこかが巡っていれば、必ず違う箇所にも循環があらわれます」

ああそうか、とわたしは思う。

「先」というより、人生には「循環」が必要なんだ。

 

その必要なものをもたらしてくれたのが、「書く」だったことを、心からうれしく思う。

 

というわけで、年初の目標も立てられなかったわたしだが、一年も三分の一が過ぎたところで目標ができた。

 

わたしはわたしの人生を循環させていきたい。

せっかく見つけたこの、「内面と文章をつなぐ回路」を、なんとかもっと太いものにしていきたい。

 

春分の日、ずいぶん早く咲いた桜が散り始めているなか、そう誓う。