平凡

平凡

生き恥をまき散らして生きる

ツイッターを開いたら、政治学者の河野有理さんのツイートが目に飛び込んできました。

 

 

学者の方のツイートなので、「書く」とは、論文、学術書などのことをさすのかなと思います。

そして、上記ツイートに対する反応で、「自分はそう思って書かなかったけれど、生き恥をさらさなくてよかったと思っている」というような内容を見かけました。

 

その方が想定しているのは学術書などかもしれず、「生き恥」とは学術界でのことかもしれません。学術書でなくても、違うジャンルには違う感覚があるはずなので、一概に自分と重ねるのは筋違いの可能性もあるのですが――。

 

わたしは若くもないいまも、こうやって現在進行形の黒歴史をブログだの小説投稿サイトだのにまき散らしているので、びっくりしたんですね。ああ、そういうことを「しない」を選ぶことで、「生き恥をさらさなくてよかった」と納得できる人生もあるのか、と。

 

じゃあ若いときは慎み深かったのかというともちろんそんなことはなく、編プロ(出版業の下請け会社)受けるときにこのブログに書いているような文章を持って行ったり(×2回)、短編小説書いたらまわりの人にやたらと読ませたりしていたので、恥の閾値は相当に低いほうなんだと思います。

ただ、このブログや小説投稿は匿名でやっているように、自分を守りたい気持ちもある。

ブログは知り合いが見たら高確率で誰かわかるだろうけど、別にいいんです。ライターについてあれこれ語っているのは恥ずかしいけれど、業務上の秘密などを書いているわけではないし。

締め切り時期にブログアップしてる! こんにゃろー! と思われたら困りますが……。

 

書きたいものがあったら書くしかないし、書いたら誰かの目にふれさせたい! という欲求があるじゃないですか……。ブログを書いている皆さんはどうですか……。

 

下手なら下手でいいんです。いや、よくはないけど下手なんだもの、しかたない。そして、書くことで「どのように下手なのか」がわかる可能性があるのです。

ここでもって回った言い方をしているのは、「どう下手なのか」がわからないこともあるからです。つらい。

やっているうちに、「脳内にあるときは名作でも、書いたらめちゃくちゃヘナヘナなものができあがる!」とわかってくる。けれど、やっぱり出力するしか選択肢はないんです。

 

書くのは「書きたいことがそこにあるから」と、「それを自分の文章にして読みたいから」。毎度毎度、うぎゃぎゃぎゃぎゃ、なんて下手くそなんだと思うんです。いま書いている小説はとくにそうです。技量・経験不足と、頭の中での文章変換が上手くいかず、台本? いや、すぐれた台本は読んでいるだけで情景が浮かぶから、台本に失礼では……みたいな有様です。

それでも、自分が書いた文章でしか得られないものがある。

頭の中にあるものを文章にして、読みたいと思う。それって、かさぶたはがしたくなる衝動とか、臭いのに嗅いじゃうとか、嫌な感じだったのに妙になつかしい夢を何度も思い出すとか、そんな感じです。わたしにとっては。

「もっと上手くなりたいから」は、その後付けかもしれません。

書いても上手くならないかもしれないし、下手になる可能性もなくはない。でも上手くなるとしたら書く、書かないならめちゃくちゃに読む、あるいはその両方をやるしかないんですよね。

それと、書かないで「書いたら上手い気がする」って言ってるのは居心地悪いんです。瀉血して気持ちよく生きようぜ! 

 

と、ここまで考えて、冒頭のツイートに「生き恥をさらさなくてよかった」と反応をされた方は、「書いたら上手い気がする」とすら思わなかったのかもしれないな、と考え至るのです。

自分のことがよくわかっているから、先が見えた。そしてそのレベルのものを出力し、ひと目にさらすのは我慢ならなかった。だからこそ、やらなかったことに納得している。

「なんとなく書かない」ではなく、冷静に自分を見つめて、「書かない」を選ぶ。それに納得する。

自分を知る大人の態度のひとつであり、尊敬すべき生き様です。

現代日本、とくにツイッターなんかでは、「チャレンジはいいこと!」という空気感が強いように思います。なので、今回とりあげたような本音は、多くの人が抱えながらも、なんとなく語られないのかも、とも思うのです。

 

ともあれ、自分は凡庸どころか下手くそでも書きたいことは書きたいし、形にしたい。

ちょうど小説投稿サイトへの投稿を再開したので、タイムリーな話題だったのでした。

投稿は久しぶりなのに読んでくれる方がいて(少数ですが、ありがたすぎる)、でも、前より淡々と更新ができている気がします。

ただ、この後の展開がキツくてつらいので、数少ない読者に見放されないか不安です。実際、いままでに「波乱を乗り越えたかと思ったら、また波乱で疲れてしまった。もうすこしまとまってからでないと評価できない」とご意見頂戴したことがあり。しかし、これはキャラクターを応援してくださったからこその感想。つらくはあっても、ありがたい……。

最初は、「読者ゼロでも、最後まで書ききるぞ」と思っていたのに、文字通り“有り難い”読者がいると不安になる。コントロールが難しいものです。

 

どちらにしてもEvernoteに散らばったその"おつらみ展開"をそろそろまとめなければならないし、このブログも書いていきたい。とくに最近、ライターをやっていて感じたことを書き残しておきたいと思うようになりました。

 

いろんな生き方があるけれど、自分はそうやってしか生きられないし、それを選んでいる。

Twitterを見ていて、あらためてそんなことを感じた、という話でした。

 

画像は《ノートにメモをする女性のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210434106post-34389.html