平凡

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20年目のブーツと未来へ歩く

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オフィス街の横断歩道を渡る人たちのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210337085post-34003.html

 

ショートブーツのファスナーを上げる。

と、スライダー(つまみ)がファスナーから外れた。

「ありゃ」

もう捨てるか、と一瞬考える。

何しろこのブーツ、もう20年近く使っているのだ。

 

そのショートブーツを買ったのは、新卒で入社した会社に勤めていたころ。

「これからは多少、きちんとしたかっこうをしないと」

そう思い、銀座の靴屋で買い求めたものだ。

黒くてヒールが低い、プレーンなデザイン。

スクエアトゥがやさしい雰囲気なのが、気に入った。

革がやわらかく、履いた瞬間、足が包まれたように感じた。

価格はたしか、5万円未満。

ショートブーツにしては安いが、当時のわたしには思い切った出費だった。

「長くお使いいただけますよ」

支払いを済ませると、にっこり笑って、店員は紙袋を差し出した。

それを受け取りながら、わたしは、「いいものを、長く使う」という「すてきな未来」を漠然と思い浮かべた。

 

はじめてそれを履いて出勤した日。

ツイードの赤いワンピースと合わせて、落ち葉舞う道を、さっそうと歩いた。

ブーツは軽くてやわらかくて、どこまでも歩いて行けそうな気がした。

 

ほどなくわたしは失職し、ブーツはしばらくお蔵入りになった。

無職時代のわたしは身なりにかまわず、たいていジーンズにスニーカーを履いていた。

これではいかんとアルバイトを始めた巨大雑貨店でも、靴はスニーカーが指定されていた。

ある日、デパートのショーウィンドウに映った自分を見て愕然とした。

眉間にしわ、髪は伸び放題。

春が近いというのに、サイズが合わないぶかぶかのダウン。

足元に目をやると、履きつぶしたスニーカー。

そういえばもう何か月も、「新しい服や靴がほしい」と思ったことがない。

服を楽しんで選ぶこともなく、毎日めんどうくさいなと思いながら、ただ身にまとう日々。

ひとりのときは、いつも泣いているか、イライラしているか。

これはヤバいなと、転職活動をはじめた。

 

編集プロダクションで働きはじめると、ふたたびショートブーツが活躍した。

適度にきちんとしたかっこうにも合って、しかも下手なスニーカーより歩きやすい。

取材では立ちっぱなしのことも多く、ときにはカメラマンをサポートして駆けずり回ることもある。

休日、遊びに行くときも、足元が疲れづらいので助かった。

そんなこんなで履いていれば、靴底が減る。

何度か修理屋へ持って行き、張り替えてもらった。

 

独立後、まだ仕事が少なかった時期、ショートブーツは意外な局面で重宝した。

小づかい稼ぎになればと不定期でやっていた、携帯電話の売り子バイト。

携帯ショップに入るときは、「黒いズボンと黒いパンプス、貸与のジャンパー」が指定の服装だった。

ズボンを履いてしまえば、パンプスもショートブーツも見分けがつかない。

店頭にいる間はまず座れない環境で、長年履き慣れたブーツには、おおいに助けられた。

 

そうこうするうち、仕事が軌道に乗ってきた。

たまの出張には、必ずショートブーツを履いていった。

どんな服装にも合って、歩きやすい。

そこそこ高級な店を取材するときにもカジュアル過ぎない。

「これがあれば、だいじょうぶ」

いつしか、そんなふうに思うようになっていた。

それは、コーディネートのうえなのか、取材中の足回りなのか、ゲン担ぎなのか、そのぜんぶなのかわからないけれど。

 

サイドにあるファスナーを閉める。

「よし、行こう」と一歩を踏み出す。

ショートブーツは戦友のような存在だった。

 

そうして、気づけば20年。

戦友にだってガタは来る。

冒頭に書いたように、ファスナーが壊れた。

靴底が減ることはあれど、「履けない」不具合が出たのははじめてだ。

そろそろ捨ててもよいのでは、と考える。

駅前の靴修理店に持ち込み、「靴底もだいぶ減っているので、しめて7000円はかかる」と言われ、

やっぱり次の10年を戦えるブーツでも探したほうがいいのでは、と心が揺らぐ。

 

それでも10日後、わたしはピカピカに磨かれたショートブーツのファスナーを上げ、取材に出かけている。

 

このブーツを、わたしはいつまで履きつづけるのだろう。

「いいものを、長く使う」

あの日考えた漠然とした未来を、今、生きている。

その先は?

「若いときに買ったものを、大切に使う」から、「死ぬまで使いつづけた」になるのだろうか。

 

ファスナーを上げながら、ふと思う。

そもそも、わたしはいつまで、自分の足で歩けるのだろう。

ブーツの寿命の前に、わたしの健康寿命が尽きる。

そんな未来もありえるのではないか。

わたしは首を振って気持ちを切り替える。

なるべく食生活に気をつけて、リングフィットも怠けずにやって……。

 

そうしてわたしは、今日も一歩を踏み出す。

相変わらず曖昧模糊としていながらも、わずかに「おしまい」が見えはじめた未来に向けて。

20年目を超えたブーツとともに。