ショートブーツのファスナーを上げる。
と、スライダー(つまみ)がファスナーから外れた。
「ありゃ」
もう捨てるか、と一瞬考える。
何しろこのブーツ、もう20年近く使っているのだ。
そのショートブーツを買ったのは、新卒で入社した会社に勤めていたころ。
「これからは多少、きちんとしたかっこうをしないと」
そう思い、銀座の靴屋で買い求めたものだ。
黒くてヒールが低い、プレーンなデザイン。
スクエアトゥがやさしい雰囲気なのが、気に入った。
革がやわらかく、履いた瞬間、足が包まれたように感じた。
価格はたしか、5万円未満。
ショートブーツにしては安いが、当時のわたしには思い切った出費だった。
「長くお使いいただけますよ」
支払いを済ませると、にっこり笑って、店員は紙袋を差し出した。
それを受け取りながら、わたしは、「いいものを、長く使う」という「すてきな未来」を漠然と思い浮かべた。
はじめてそれを履いて出勤した日。
ツイードの赤いワンピースと合わせて、落ち葉舞う道を、さっそうと歩いた。
ブーツは軽くてやわらかくて、どこまでも歩いて行けそうな気がした。
ほどなくわたしは失職し、ブーツはしばらくお蔵入りになった。
無職時代のわたしは身なりにかまわず、たいていジーンズにスニーカーを履いていた。
これではいかんとアルバイトを始めた巨大雑貨店でも、靴はスニーカーが指定されていた。
ある日、デパートのショーウィンドウに映った自分を見て愕然とした。
眉間にしわ、髪は伸び放題。
春が近いというのに、サイズが合わないぶかぶかのダウン。
足元に目をやると、履きつぶしたスニーカー。
そういえばもう何か月も、「新しい服や靴がほしい」と思ったことがない。
服を楽しんで選ぶこともなく、毎日めんどうくさいなと思いながら、ただ身にまとう日々。
ひとりのときは、いつも泣いているか、イライラしているか。
これはヤバいなと、転職活動をはじめた。
編集プロダクションで働きはじめると、ふたたびショートブーツが活躍した。
適度にきちんとしたかっこうにも合って、しかも下手なスニーカーより歩きやすい。
取材では立ちっぱなしのことも多く、ときにはカメラマンをサポートして駆けずり回ることもある。
休日、遊びに行くときも、足元が疲れづらいので助かった。
そんなこんなで履いていれば、靴底が減る。
何度か修理屋へ持って行き、張り替えてもらった。
独立後、まだ仕事が少なかった時期、ショートブーツは意外な局面で重宝した。
小づかい稼ぎになればと不定期でやっていた、携帯電話の売り子バイト。
携帯ショップに入るときは、「黒いズボンと黒いパンプス、貸与のジャンパー」が指定の服装だった。
ズボンを履いてしまえば、パンプスもショートブーツも見分けがつかない。
店頭にいる間はまず座れない環境で、長年履き慣れたブーツには、おおいに助けられた。
そうこうするうち、仕事が軌道に乗ってきた。
たまの出張には、必ずショートブーツを履いていった。
どんな服装にも合って、歩きやすい。
そこそこ高級な店を取材するときにもカジュアル過ぎない。
「これがあれば、だいじょうぶ」
いつしか、そんなふうに思うようになっていた。
それは、コーディネートのうえなのか、取材中の足回りなのか、ゲン担ぎなのか、そのぜんぶなのかわからないけれど。
サイドにあるファスナーを閉める。
「よし、行こう」と一歩を踏み出す。
ショートブーツは戦友のような存在だった。
そうして、気づけば20年。
戦友にだってガタは来る。
冒頭に書いたように、ファスナーが壊れた。
靴底が減ることはあれど、「履けない」不具合が出たのははじめてだ。
そろそろ捨ててもよいのでは、と考える。
駅前の靴修理店に持ち込み、「靴底もだいぶ減っているので、しめて7000円はかかる」と言われ、
やっぱり次の10年を戦えるブーツでも探したほうがいいのでは、と心が揺らぐ。
それでも10日後、わたしはピカピカに磨かれたショートブーツのファスナーを上げ、取材に出かけている。
このブーツを、わたしはいつまで履きつづけるのだろう。
「いいものを、長く使う」
あの日考えた漠然とした未来を、今、生きている。
その先は?
「若いときに買ったものを、大切に使う」から、「死ぬまで使いつづけた」になるのだろうか。
ファスナーを上げながら、ふと思う。
そもそも、わたしはいつまで、自分の足で歩けるのだろう。
ブーツの寿命の前に、わたしの健康寿命が尽きる。
そんな未来もありえるのではないか。
わたしは首を振って気持ちを切り替える。
なるべく食生活に気をつけて、リングフィットも怠けずにやって……。
そうしてわたしは、今日も一歩を踏み出す。
相変わらず曖昧模糊としていながらも、わずかに「おしまい」が見えはじめた未来に向けて。
20年目を超えたブーツとともに。