平凡

平凡

書くことの不思議

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何も書かれていないメモ用紙とペンのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210902249post-36518.html

 

「頭のなかにあるうちは傑作。書いたら駄作」

とは、創作界隈ではよく言われることば。

つまり、構想しているときは名作になりそうなのに、興奮して書きはじめると、そうでもない……。

 

ブログでも小説でもなんでもそうだ。

なんなら、仕事で書く原稿でも、そういうことがある。

さすがに仕事は数をこなしているので、ギャップを感じる機会はすくないし、感じても断崖絶壁レベルではないけれど。

 

とにかく、「書きたくて書く」文章については、

「こういういい感じの情感を込めよう! エモい!」

「これはかっこいいシーンになるぞう!」からの、

「こんなはずじゃなかった……」の繰り返しだ。

 

自分のなかからアウトプットした時点で、まず、その落胆がある。

めげずに自作をネットの海に放流すれば、第二の落胆がある。

同じお題で書いた他人の文章を読んで、ひねりや技量、あるいはとんでもなく力強いストレートに驚愕し、かえりみて自分は……と落ち込んだり、

他者からの反応の多寡で、自分の立ち位置がわかってしまうこともある。

 

すみません。

「こともある」は嘘です。

そんなことばっかりです。

 

不思議なのは、

「書かなきゃよかった」

「ずっと頭のなかに納めておけばよかった」

「誰の目にもふれさせず、ローカル保存しておけばよかった」

とは思わないこと。

 

結果がしょっぱくても、また書いて、発表しようと思う。

 

立ち位置がわかるのはつらい。

上手く書けないのは情けない。

「才能がない」と直視するのは痛い。

それでも、また打席に立ちたいと思う。

ボールを投げたいと思う。

できることなら、次はもうすこしだけでも上手く、ほんのすこしだけでもひとの心を打つものを。

 

超速球を投げ、打席に入ればホームラン連発、いつも観客をわかせている、てな剛腕な書き手は別として。

おそらく、ネットで文章を発表しているひとの多くは、同じようなメンタリティを持っているのではないかと思う。

 

ただ、自分自身に関しては――。

嫌なことは極力やらない。根性がない。気力がない。

会社員時代は、通勤が嫌過ぎて、会社の近くに引っ越した。

そんなわたしが、どうしてそのようなメンタリティを持てるのかは皆目わからない。

 

書くことの不思議。

「書くことには、それだけの魔力がある」なんてピンとこない。

「書く」のはコミュニケーションの一手段だ。

なのに、どうして我々は、いや、わたしは、虚空に向けてボールを投げつづけてしまうのか。

あるかないかもわからないボールにバットを振りつづけているのか。

 

理由も機序も何もわからない。

 

頭のなかにある妄想も、胸をしめつけるあの想いも、取材に行ったいい感じの店の「いい感じ」も、ぜんぶ書きたい。

元気に思考できるうちは、できるだけ長く書いて、できるだけ遠くへ届けたい。

人生の残り時間を頭の片隅に、手書きで、ブラインドタッチで、フリック入力で、何かを書きつづっている。