平凡

平凡

ネットで、複数のアカウントを使い分けている。

とはいえ、そんなに人格を変えたりはしていない。

てか、そんなもん器用に変えられない。

わりといつでもどこでも丸出しである。

違うのは、政治的な話題に言及するかしないか。

実名がわかる仕事の告知をするかどうか。

このふたつぐらい。

 

メインにしているTwitterアカウントは匿名だが、そちらでつながった人とはリアルで会ったり、仕事をしたりしている。

仕事は実名でやっており、彼ら彼女らは“中の人”を知っているわけで、完全なる匿名アカウントか? というと微妙だ。

そっちでは私的な発言をずーっと垂れ流しているので、そのうえで付き合いが続いているのは貴重だなと思っている。

 

もうあんまり分けなくてもいいんじゃないかなあ、なんて思っている。

仕事に関する文章は、同業者が見ているところで流すのもいいかもしれないし。

エッセイ的な文章だって、小説だって別に。

「へたくそだなー」と思われたら、次からは読まれないだけだ。

逆に、そっちを読んでくれている人*1に、実名の仕事が知られてもとくに問題はないような気も、する。

 

結局、わたしはわたしでしかないのだし。

今のところは、分けることで守られている、何か柔らかいものはあるかないかを考えている。

 

ブログは――。

ここがこの形であったから出力できたことがたくさんあるのはたしかだ。

また、プラットフォームやコミュニティがつくってくれるものもある。

はてな」は、UIもユーザー同士のつながり的にもとても書きやすい。

 

私的な文章「も」書く。

とにかく最後までその打席に立ち続ける。

わたしの目標はそれだけ。

形や場所については、目下迷い中だ。

 

欲求に即したことをいうと、もはや自分の文章を書かないと気持ち悪い。

それと、下手でもなんでも、どこかに公開した自分の文章を読むことで得られる落ち着き、みたいなものが存在する。

それは内面をつづったものでも、スマホをなくした体験談でも、海外でのWi-Fiでの借り方でも、小説でもなんでもいい。

で、それを続けるうち、「商業ライターの仕事も好きだ。ぜったいに続けたい!」という気持ちも同時に強くなった。

金銭と生活以外にも、仕事の出力でしか得られていないものが確実にある。

 

あと一年ぐらいはこのまま走るかもしれないし、形を変えるかもしれない。

いまの使い分けに意味を持たせ、十年先もこのままかもしれない。

 

もしも何か変更する場合、移転先または告知アカウントをお知らせするので、よろしくお願いいたします。

*1:このブログの読者の方々とか