古い革の手帳には、一枚の写真が挟まれている。
大学時代、部活の引退試合を終えて、同期みんなで撮った集合写真。
高校時代まで、わたしは部活とかスポ根とかとは無縁だった。
運動神経も皆無。
団体行動も苦手。
そんなわたしがどうして大学でわざわざ運動系の部活に入り、曲がりなりにも4年間つづけられたのか、周囲も不思議がったし、自分自身もいまもってわからない。
集合写真のなかのわたしは、歯を丸出しにして、ハタチを過ぎた人間とは思えない笑顔を見せている。
負けて、負けて、負けて、うまくできたためしのない4年間だった。
思えば苦手なことをやりきったというのははじめての経験で、それはわたしに一定の達成感と自信を与えてくれたような気はする。
その達成が、とくに人生を劇的に好転させたことはない。
それでも自分の一部になっている。そういうもの。
リフィルを変えながら使っていた古い手帳は、もう長い間ほこりをかぶったままだ。
スケジュール管理はGoogleカレンダーに、メモはEvernoteに移行してしまった。
わたしは手書きすることに意味を見出すアナログ派だが、同時にメモリがあまり大きくない人間でもある。
手帳を手放し、スマホに一本化したことで、外出時の荷物管理の負担は大きく減った。
たぶんもう、手帳が復活することはないだろう。
写真のことも手帳のことも長らく忘れていた昨今。
冒頭は、主人公の中学時代の最後の試合からはじまる。
第1話は主人公の敗北だ。
それ自体はよくある展開なのだけど――。
主人公は試合後の更衣室でつぶやく。
「けっこう頑張ってきたきたつもりだったけど」
「あんまり強くなれなかったねえ」
ころころとかわいらしいものの、線が多くて空気感がビシビシと伝わってくる絵柄で描かれる、試合中の描写、更衣室のざわめき、多くの学校の生徒が入り乱れる体育館のホール。
そこにいる、周囲から注目もされない、強くもないワンオブゼムとしての主人公たち。
そのとき、一気によみがえってきたのだ。
汗をかいたときの、道着のむせかるようなにおい。
次第にほつれていく襟首のやわらかさ。
夏のダッシュ。
寒げいこの早朝ランニング。
受け身をとってとってとってとって投げられて。
わたしがやっていたのは柔道ではないのだけど、
「けっこう頑張ってきたきたつもりだったけど」
すごくすごく頑張ってきたけど。
「あんまり強くなれなかったねえ」
ほんとうはもっと強くなりたかった。
部活をやっていたのは、「人間関係のモデルがない寄る辺のない大学生活で、ロールプレイがしたかったから」。
長年そんなふうにうそぶいてきたし、上記のようなエントリーも書いたことがある。
それも嘘ではないけれど。
でも、ほんとうは何かを求めてがんばっていたのではないか。
それはきっと、とても単純なもの。
勝ちたいとか強くなりたいとかことばにしたら、かえって本質が見えなくなってしまうほど、純粋なもの。
ひとが追い求めるものは、時として結果をともなうものばかりではない。
でも、結果をともなわないものは、すぐにノイズにかき消されてしまう。
ひさしぶりに手帳を開いてみる。
写真のわたしは、もうほとんど他人に見える。
きっとあなたは気づいていないけれど。
何かをもとめて、毎日毎日稽古に明け暮れていたんじゃない?
10年近く前のリフィルがはさまったままの革のバイブル型手帳。
時を止めた写真のわたし。
ずいぶん遠くまできてしまったな、と思う。
それでも白い歯を見せて笑うわたしが見ていた光は、まれに時空を超え、瞳を刺して、心を貫く。
宇宙をたったひとりで歩くように老いに向かう日々のなか、それはあまりにもまぶしい。