平凡

平凡

思い出をつづった手帳の、そのまた思い出

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手帳を使っていた。バイブルサイズの赤い革手帳。フリーターを辞めるとき、職場の人たちが贈ってくれた。毎年、リフィルを入れ替えて使っていた。

リフィルは決まって、ウィークリータイプ。左側に月曜から日曜までの記入欄があり、右側はフリーのもの。

ときどき左側に日記を書こうとしたけれど、つづいたためしはない。というか、予定と日記がごちゃごちゃするのであまりよろしくない。

かわりに、右側にはなんでも書いた。その日、同僚が言ったささいなおもしろいひと言。思いついたこと。仕事のメモ。映画の半券も貼り付けた。リフィルタイプの手帳なので、ポケットなどをさしはさむことができる。スマホの普及はまだもうすこし先。情報がワンストップで管理できるのが便利だった。

手帳を忘れると、落ち着かなかった。携帯電話とともに、忘れてはならないものだった。

 

クリアポケットには写真を2枚、入れていた。大学時代の部活、引退試合が終ったときにみんなで撮ったもの。富士山登山したときに、頂上で撮ったもの。どちらも何かを達成した日のもので、ハタチを過ぎた人間とは思えないほどの笑顔をしている。

 

ときどき、手帳に記入したことを読み返した。当時はまだ若くて、写真を撮るのも撮られるのも、なんだか気恥ずかしかった。写真を撮るかわりに、まわりのひとたちが口にしたちょっとしたおもしろいことをメモしておくと、その場の雰囲気まで覚えておくことができる。いまでいうならスマホで写真を撮るような感覚で、わたしはよくメモを取り、それを読み返した。

「平凡さん、またメモしてるよ」「だって、さっきの『おばあは質問大好き! でも答えはいっこも聞いてない!』とか、めっちゃおもしろいじゃん」なんて会話をかわしつつ、かまわずメモった。

 

一年が終ると、新しいリフィルが入っていたビニールケースに、使い終わったリフィルを入れた。そうやってためこんだリフィルは、いまも押し入れに眠っている。

 

スマホを使いはじめてから、手帳を使うことはぐっと減った。文字通りのテキストタイプのメモのほか、メモがわりに写真を撮ることも増えた。年齢を重ねてくったくがなくなったのか、友人といるときに、よく写真を撮るようになった。思い出は写真という形で蓄積するようになった。

Googleカレンダーを使いはじめると便利で、そこから紙の手帳には戻れなかった。それともうひとつ――。独立してから人と話すことが激減し、「メモりたい!」と思うことが減ってしまった。いわゆるフリーランスになって得たものも多いけれど、こぼれ落ちてしまったものもある。人によっては心配ご無用、そんなものは失わないのだろうけれど。

 

いまでは何かあれば、スマホEvernoteに打ち込んでいる。人付き合いがめっきり減っているため、夫の語録が中心だ。映画の半券も写真に撮って、Evernoteに添付。毎日ではないけれど、簡単な日記をつけている。オールインワンという意味では、スマホ自体というよりもこのアプリが赤い手帳のかわりに近い。

ふとしたときに情報を検索すると、ついでに「このとき、こんなこと思っていたんだー」「夫がこんなこと言ったんだ」と思い出す。1年単位で押し入れに入ってしまう物理的なリフィルよりも、Everenoteのほうが振り返る幅は広い。ときには貼り付けられた写真とともに、そのときの気持ちを反芻したりもする。

 

そのときの楽しい空気を閉じ込める。アナログな手書き文字オンリーからデジタルへと変わってはいるけれど、やっていることは赤い革の手帳と変わらないのかもしれない。

正直、Everenoteは使い勝手に不満があるのだけれど、その蓄積から乗り換えることは容易ではない。

同じように、赤い革のバイブルサイズの手帳も捨てられない。傷だらけになって、やがてテカテカになった手帳。楽しい思い出が蓄積し、リフィルを通じて通過していった場所。

 

手帳とは、過ぎゆく時をほんの一時、とどめる道具。反芻できるよう、パッケージングできるストレージ。アナログだろうとデジタルだろうと、時代が変わろうと、いつだってそんなツールを求めている。

 

今週のお題「手帳」

 

写真は《木目のフローリングに置かれた手帳とボールペンのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20190301066post-19870.html