平凡

平凡

年末年始から誕生日にかけてのこと。そして、年賀状とラジオについて

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年が明けて2週間以上が経った。あらためて新年の抱負を見返したところ、立てた目標のただのひとつも実行できていなくてびっくりした。リングフィットアドベンチャーは? 「何かひとつだけでも決める」はずの暮らしのルールは? 健康と運動に関することは、何ひとつできていないのだった。

 

いつもなら、それは黄信号。ダラダラと過ごしていることを意味し、「黄信号だ!」と気づく以前に、すでに精神的に落ち込んでいることが多い。っていうか、例年そんな感じになりがちで、年明けの日記にはどんよりと暗い影がただよう。が、今年はそうでもない。

振り返れば、年の瀬から年明けのランディングが、今年は心穏やかだった。その理由は、おそらくラジオを聞いていたことと、年賀状を書いたこと。

 

ここ最近、仕事中はJ-WAVEを聞くことが多い。年の瀬も、同局のレギュラー番組は編成が変わらなかった。大みそか直前まで、やさしい語りのクリス智子さんがパーソナリティを務める平日帯番組の「GOOD NEIGHBORS」がオンエアされていたし、記憶がたしかなら、12月31日でさえ、金曜のお約束、LiLiCoさんと稲葉友さんの「ALL GOOD FRIDAY」が流れていた。J-WAVEは祝日は特番編成になることが多いので、意外だった。

たった一日、日付が変わるだけで、何かを切り替えなければならない。合理的なような、不条理なような、そんな仕組みに何はなくともソワソワしてしまう年の瀬。そこに当てられて気持ちが不安定になることが多い時節に、この「平日、いつも通りのラジオ」が安定剤となってくれた。

 

年末ギリギリまで仕事はしたけれど、年賀状は「今から書くぞ」と時間を取って、落ち着いて用意した。かといって凝ったことをしたわけではなく、出す人、出さない人を選定して、パソコンでプリントをして、メッセージをひと言そえただけ。出したのは年が明けてからになったけれど、「それでもいい」と割り切った。

年賀状は無駄だという見方もあるし、昨年はそれに乗っかって、「もう2021年だもの」「誰も気にしていない」とごまかし、ほとんど出さなかった。

けれど、やっぱりごまかしはごまかしだ。わたし自身にとっては、最低限でよいから出したほうがいいみたい。

一年お世話になった仕事関係者には「ありがとうございました」と書きたい。伝わるかどうか、彼ら彼女らがどんなテンションで見るかは知らないけれど、自分がそう書くことに意味がある。

ご無沙汰続きの友人たちには、健康と幸せを祈る言葉を書きたい。それで何かが挽回できるわけではないけれど、せめて一年に一回、彼ら彼女らの顔を思い浮かべて、そうしたためることに意味がある。

どれも自己満足なのだけれど、人に迷惑をかけるわけでもなし、自分を整えるのは大事なことだ。

 

そして先日、誕生日を迎えた。この年齢になると、「今年も誕生日を無事に迎えられてありがたい……」と思うようになってくる。ごく親しいひとからお祝いのメッセージをもらって、自分用に発注しておいたコーヒー豆とお菓子が届いて、いい一日だった。*1

実は例年、年末年始のソワソワ期間は松の内が明けても終わらず、たいてい誕生日までが一セットになっている。今年はちゃんと、いろんなことを受け止められたと思う。

 

年明け早々、「自分を整えるって大事なことだなァ」などとうなずいているが、抱負が実行できていないことにはちがいがない。やっぱりからだがなまっているし、生活はめちゃくちゃだ。

今年の年末年始を心穏やかに過ごすためにも、来年も「無事に迎えられてありがたい……」とひとつ歳を重ねるためにも、やっぱり明日はリングフィットアドベンチャーぐらいはやる……やるぞ……と誓いつつ、せめてもの四十肩対策に、夜中にタオルを持ってぐるぐる肩を回している。

 

画像は《アンテナのラジオのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210349061sony-icf-51w.html

*1:更新停止中の小説投稿サイトにも、一本番外編的なものを投稿したら、変わらず反応くださった方々がいてとてもうれしかった……