平凡

平凡

ときどきよみがえるそれは、「若き日の思い出」の顔をしている。

明確に後悔している。

人生でそう断言できることは多くはないけれど、パッと思いつくものがひとつある。

それは、「着付けをやめたこと」だ。

 

きものに憧れていた。

きっかけは、書店で出会った一冊のムック『KIMONO姫』。

KIMONO姫 1 ことはじめ編 (Shodensha mook) | |本 | 通販 | Amazon

「アンティークきものからきものをはじめましょう」と提案する一冊だ。

幼いころ、大切に取っていた包装紙にも似たうつくしい布地、

柄×柄の組み合わせの自由さ、

ちいさな帯留めの愛らしさ。

「着る」よろこびに溢れたその世界に魅せられた。

 

ただ、きものはハードルが高い。

 

まず何を揃えていいかわからない。

成人式のレンタルきものに必要な下着類だって、呉服屋で見つくろってもらった。

次に保管場所だ。

実家には、母の嫁入り道具のきものがほぼ手つかずで残されている*1

それを持ってくればスターターキットとして役に立ちそうだが、どこに置くのか。

きものは厚みはないが、「長い」。

最後に、着つけだ。

KIMONO姫』には簡単な着つけ方法が解説されていた。

ネットには、「半幅帯なら簡単!」「浴衣をベースにすればきものもイケる!」といった情報もある。

が、とても自分ひとりでなんとかできるとは思えなかった。

何しろ不器用だ。

雑貨店で働いていたとき、お客さんから「あの……ラッピング、他の方にかわっていただける?」と言われたこともある。

単発派遣のファミレスバイトでは、ソフトクリームを持っていったら、子どもに「コレジャナイ」という顔をされたこともある。

申し訳ないことである。

教室へ通うとして、無料の着付け教室は、いろいろなものを売りつけられると聞く。

アンティークきものショップがときどき開く教室は、気後れする。

 

とりわけ、そのころは新卒で勤めた会社を辞め、精神も生活も安定していなかった。

2、3年ほど『KIMONO姫』をなめるように読み、ネットでアンティークきものショップのサイトを見ては、ため息をつくだけの日々がつづいた。

 

一念発起したのは、現在の仕事で独立して2、3年経ったころ。

おそらく、経済的な安定を感じたのだろう。

思い切ってカルチャーセンターの着付け講座に見学を申し込んだ。

半年契約でそれほど安くはなかったけれど、とにかくやってみないことにははじまらない。

下着などは教室で買って、きものは実家からピンク系の小紋とクリーム色の紬、橙色の塩瀬の帯を一枚ずつ持ってきた。

先生はすらりと背が高く、きりりとした着こなしをして、「粋」な人だった。

現実的で、肩が痛いという生徒には、帯の前結びを教えたりしていた。

とはいえ、わたしはまずは基本の着付けから。

ボンボンに補正*2して、きものを羽織り、できるだけ皺なく伸ばし、からだに沿わせて紐で結わえ、「筒型」の着姿をつくるところから。

 

ためにためた憧れが爆発したのか、きものには予想以上にハマった。

家でほぼ毎日練習した。

1Kのアパートにきものを収納できる場所などなく、メタルラックの一番上、本の山の上に無理やり置いた。

2週に一度の教室には、必ずきものを着たうえで通った。

帯はまだ結べないので、ベースとなるきものだけを着て(もちろん着付けの紐は丸見えだ)、羽織を羽織り、それを前でかきあわせてごまかして移動*3

 

そんなにハマっているのに、きもので一番ポピュラーな帯結び、「お太鼓」はなかなかできなかった。

半年以上かかって、ある日、突然できるようになった。

お太鼓の下にちょろっと出た「たれ」の部分。

それを指で決められるようになった瞬間は、いまでも覚えている。

 

アンティークきものを少しずつ買った。

わたしは肩幅が狭いため、昔のきものは選び放題だった。

手足が短いことにアドバンテージを感じたのは、おそらくこのときだけ。

手芸店で見つけたビーズで羽織りひもを自作して、かわいい箸置きをアレンジして帯留めに。

 

とにかくきものに袖を通したいので、未熟なきつけで美術館にライブに、どこへでも足を運んだ。

一度、帯の締めが甘かったらしく、出先で帯が「どすん」と落ちてしまったことがあった。

幸い、床がきれいな手洗いがあったので、そこで締め直した。

そんな目にあってもめげず、またきもので出かけた。

 

楽しかった。

 

きもの熱を上げているうち、仕事もどんどん忙しくなっていった。

 

それほどハマったきものを着るのをやめたのは、ほんのささいな予感だ。

着付け教室の更新時期に、「来期は仕事が忙しくなりそう。更新はやめておこう」と思ったこと。

実際、忙しくなった。

わたしはうれしかった。

「趣味ができないほど、忙しくなった」

独立一年目は、経済的に不安定でバイトもしていたことを思えば、夢のようだった。

 

きものに袖をまったく通さなくなるのに、そう時間はかからなかった*4

来期も来々期も、わたしは教室に申し込まなかった。

仕事はどんどん趣味や生活の時間を侵食していった。

 

あのとき、着付け教室を辞めたのは、間違えだった。

いまはそう思う。

趣味は、「好きなこと」は、手放すべきではない。

心身に無理が出ない範囲なら、すこしは頑張るべきだった。

いや、心身に無理がない範囲に、仕事をなんとかするべきなのだ。

それが教室など「場」をともなうなら、なおのことそれは貴重だ。

在宅稼業で、人づきあいがほとんどないのだから。

 

いま、きものは、何度目かの引っ越しのさいに買ったIKEAのたんすにおさまっている。

きものは年を取っても着られるが、年代によって似合う色柄がかなり変わる。

あのたんすにおさまったきもののほとんどは、今は着られないだろう。

 

いつかは、もう一度。

とはいえ、いまの暮らしには、きものが入る余地がどこにも見つからない。

時間のコントロールが苦手なまま、仕事の合間にねじ込んで、こうした文章を書いているのだから、仕方がない。

 

ふるい絹特有の、しっとりとした肌ざわり。

それをからだにそわせ、指で皺をのばす、「まとう」よろこび。

きものや帯を広げて、あれこれコーディーネートを考えた、胸躍る時間。

ときどきよみがえるそれは、「若き日の思い出」の顔をしている。

そのことが、ちくりと胸を刺す。

 

写真は《暖簾の前で天を仰ぐ着物の女性のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20190125008post-18670.html

*1:時代もありますが、嫁入り道具をがっつり持たせる土地柄でした

*2:

補正とは、からだの凹凸をなるべくなくすこと。わたしはやせ型だったので、腰のあたりや胸のあたりに、タオルやらガーゼと綿やらをボッコボコに入れていた。「補正なんかするから、きものが流行らない」という意見もあるが、初心者で不器用なわたしには、これがよかった。「きものに一番適したからだつき」にしたうえで、きものを着られるからだ。からだに凹凸があると、皺がめっちゃできるのだ。それを「自然な着姿」にするためには、かなり着付けが上手くないと無理

*3:半幅帯はかえって上手く結べなかった

*4:一時期は自転車にハマったという理由もあったりする……