運動はとんとできない子どもであった。
暗い顔で、本ばかり読んでいた。
そんなわたしが大学に入ってすぐ、部活動に入った。
大学公認の、純然たる体育会系である。
比較的新しい競技なので、ややゆるい雰囲気ではあるものの、
それなりのしごきもある。
先輩後輩の縦社会、校歌は全部覚えて節目に斉唱。
飲み会ではラベルを上にお酌が必須。
周囲はおおいにびっくりした。
大学から知り合った友人たちは、
当時、わたしがボーイッシュなショートカットだったので、
「運動神経がいい、俊敏なタイプなんだろう」と思ったらしい。
が、なんでもない道路でつまづいたりしているのを見て、
「これはそういうわけでもなさそうだ」と次第に悟っていった。
わたしだって、最初から、
「先輩に会ったら『こんにちは!』と(大声で)挨拶する」
「罰の筋トレ百回」
みたいな世界に入りたかったわけではない。
サークルで、フワフワ浮ついた生活を楽しみたかった。
しかし、足を運んだサークルは、どうにも落ち着かなかった。
だいたい、1か月前まで眉を八の字にして本ばかり読み、
男子とロクに口をきいたこともないわたしが、
どうやってキャッキャと浮ついた会話をしようというのか。
クラスメイトとも違う、微妙な年齢グラデーションのある任意参加の団体で、
どう振る舞えばよいのか、そのすべをわたしはまったくもたなかった。
そのすべをもたないことに気づかないほどに、わたしは無知だった。
そんなときに、サークルに来ていた男の子から、
とある競技を見学しようと誘われた。
それは前から興味があるものだったので、二つ返事でOKした。
サークル、部活といろいろ回って、結局、部活が一番落ち着いた。
当時は、「やる気があるから、入部したいんだ」と思っていた。
しかし、今ならわかる。
サークルと違って、先輩だからこう、後輩だからこう振る舞うと、
ロールプレイがはっきりしている縦社会の関係性が、居心地がよかったのだ。
サークルでは、在籍意図はさまざまだ。
その団体の主たる活動を目的とする者(たとえばテニスサークルならテニスを思い切りやりたいタイプ)、
恋愛を目的とする者、
なんとなくの居場所を求める者などが存在する。
一方で、部活動では目的は単一だ。*1
その競技にがっつり励み、取り組み、結果を出すこと。
それぞれの能力や競技へのスタンスには差はあれど、
団体としてのカラーはパッキリしている。
それが楽だったのだ。
そもそも、大学というのはとても自由な場だ。
学び方から、何を生活のメインに据えるか、自分で決めていかねばならない。
部活動は、それもはっきりさせてくれた。
講義が終わったら、即部活。
そこにはわたしのアイデンティティも用意されている。
何々部の、1年生。
だから練習場を掃除もするし、先輩の言いつけにはハイと答える。*2
入部にさいしては、己のポテンシャル以外にも、不安はあった。
大学受験前後、わたしは体調を崩していた。
下宿を決めるための上京予定日に嘔吐して以来、
貧血気味で、胸や胃のむかつきがひどく、90分の講義中座っているのがやっとだった。
そのうえ情緒不安定で、夜中まで眠れない日も多かった。
それでも、体験入部中、練習場で声を出したり、運動をしていると、
夜よく眠れたし、貧血も少しずつ改善していった。
型にはまる心地よさは、アイデンティティだけではなく、
規則正しい生活という形でも発揮されたのだった。
部活では、少ない女子部員ということで重宝はされたが、まあお荷物だった。
それでも皆、弱いわたしを弱いなりに受け入れてくれた。
いろいろなことがあった。
部活動を辞めようとしたこともあった。
それでも4年間競技を続けて、最後の試合を終えたとき、
自分でも予想しえなかった自信をもてた。
気後れしてうまく話せなかった、とても強い女性の先輩と、
会話ができるようになって、驚いた。
最後の試合後に撮った写真を、長らくわたしは手帳に入れて持ち歩いていた。
最後まで負けて、負けて、勝てなくてくやしかったけれど、
それでもそこでのわたしは、ハタチを越えた人間と思えないほどの笑顔を見せている。
今にして思えば、上京したときのわたしはボロボロだった。
その少し前まで希死念慮にとりつかれ、毎日ただ生きるのに必死だった。
当時は、病院に行こうという発想はなかった。
そんななかで、部活動でのロールプレイは、有効な回復手段だったのではないか。
ロールプレイは、考えることや選択肢を減らしてくれる。
よけいなことを考えなくてもよい。
ぐちゃぐちゃになった自我に、とりあえず容れ物を与えてくれる。
それはもちろん、危険なことでもあるのだが、
肉体を傷つけたり、搾取したり、理不尽なことを求められない限りは、
精神の安定には有効なのだと思う。
大学生活、部活動ばかりに傾注しすぎたなと思うことはある。
ただ、入部しなければ、その後の人生は今より悪くなっていただろう。
今、わたしの体は固く、体力もなく、当時のおもかげはまるでない。
根性とも無縁だ。
それでも何か、ドロドロ溶けていたわたしに、
部活動というロールプレイが与えてくれた輪郭のなにがしは、
わたしの中に残っている。
その輪郭は、今ではすっかりとフィットして、
何か、「わたし」としか言えない形になっているけれど。
今週のお題「部活動」