今週のお題「赤いもの」
答案用紙はいつも真っ赤だった。
原稿用紙を模した答案用紙には、見知らぬ中高生が書いた小論文。
鉛筆書きで、筆跡はさまざま。
わたしは万年筆を握り、その欄外に赤字を書き入れていく。
ときに鉛筆書きの文章の横に傍線を引き、
「ここは具体的で伝わってきます!」
「ここをもっとこう膨らませてみましょう」
などなど。
かならず、いい点を一点以上。
そして、修正アドバイスは、できればいい点を引き立つようなものを。
――ぜったいに、書くのが嫌いになってほしくない。
――できれば、書くことは、「悪くない」と思ってほしい。
その思いで万年筆を走らせる。
文言に迷って、ときには赤字を消して書き直す。
修正液のたぐいは使用禁止。
塩素の香りがする液体を消したい文字に垂らし、ティッシュでふき取る。
ドライヤーでゴウゴウと紙を乾かし、また新たな文字を書き入れていく。
熱された紙は、存外熱い。
書き損じがつづくと、塩素のにおいで胸が焼けるよう。
六畳ひと間にカリカリと万年筆が走る音が響いた。
それが、大学時代にやっていた、小論文添削バイトの思い出だ。
さいきん、小説投稿サイトを利用するようになった。
小説を書き、読むのはごく個人的な行為なので、つながりなどないかと思っていたら、そうでもない。
趣味が合う作者同士は自然に読み合うようになり、SNSで交流している。
「書く」ことにまつわる悩みとその解決法は、みんなシェアしたいものだ。
創作論も盛んで、ときには論争を見かけることもある。
そのなかで、根強いのが「テンプレ小説と、それがウケることへの反発」だ。
テンプレとはテンプレートの略で、投稿サイトにおいては、いわゆる「俺TUEEE」と呼ばれる、主人公がとくにかく無双しまくるものや、「チーレム」などがある。
「チーレム」とは、「異世界へ転生し、なんらかの理由で"チート"な能力を得た主人公が複数の女性に好かれる」展開をさす、らしい。
ランキング上位には、そういった展開を期待させるタイトルが多い。
読者から人気のジャンルなのだ。
一方で、「安易な展開」「ヒロインがちょろすぎる」などの批判も多い。
欲望に忠実すぎる、ということなのだろう。
そういった批判は筋では理解できるものの、「ああいった小説が質を落としている」とまでなると、ちょっとよくわからない。
わたしは投稿サイトには多様な小説がアップされ、それを求める読者でにぎわっていてほしい。
その大半がわたしに理解できるとかできないとか、そんなことは関係なく。
というのも、Web小説の読者には、既存の小説になんらかのハードルを感じる、もしくは魅力を感じない読者層がそれなりにいるのではないかと感じるからだ。
彼らはWeb小説が、商業ベースの小説と同様に”質が高い”ものになったら、暇つぶしの娯楽に活字を選らばないだろう。
漫画、スマホアプリ、サブスクリプションサービスで配信されるアニメ、映画。
今どきは可処分時間の奪い合いだ。
もっともこれには根拠はない。
アップされている小説群と感想などを眺めての、ただの推測だ。
ただ、もしも。
「テンプレを使ったWeb小説『なら』読む」層がいるのだとしたら。
活字を読む層、つまり、文字の連なりから、何かを想像することを娯楽とするひとたちが世の中に増えたということにならないか?
そうだとしたら、わたしはうれしい、と思う。
なんだか何様って感じではあるけど。
「読む」なんて個人的な営みだ。
文字を追うのは楽しい。
けれど、ひとがどう楽しむか、そんなことは自分には関係ない。
そう思って生きている、と思っていた。
でも、わたしはそれが「広がってほしい」と思っていたのだ。
そう気づいたとき、ふーっと胸によみがえったのは、塩素の香り。
真っ赤に埋められた答案用紙。
万年筆がカリカリと紙面を走る音。
冒頭にあげた、小論文の添削だった。
あのときは、「読む」ではなく「書く」だったけれど、わたしは「書くことを楽しむひとが、ひとりでも増えてほしい」と思っていた。
「書く」ことなんて、ごく個人的な営みなのに。
たぶん、きっと、だれにも届かないけれど。
うまく伝えられないかもしれないけれど。
朝活か国語の授業かで、おそらく無理やり文章を書かされて辟易している彼ら、彼女らのひとりだけにでも。
「前より上手く書けたな」と感じる瞬間がきたら。
「書くのも悪くない」と思ってもらえたら。
万年筆を強く握りすぎて、たくさん書き過ぎて、いつも手が、指が痛んだ。
それは祈りにも似ていた。
現在のわたしは、「書く」「読む」喜びを広げるために、具体的に何かをしているわけではない。
ただ、時代は変わり、ネットの発達で多くのひとが「読む」「書く」が手軽にできるようになった。
このブログだってそうだし、投稿サイトもそのさいたるものだ。
わたしの意志とは関係なく、世界は変わる。
その結果、「答案用紙を埋めつくす赤字」に込めたわたしの祈りは、叶えられたのかもしれない。
キーボードを打ちながら、そう思う。