平凡

平凡

よ、読まれねえーーーッ

今週のお題「叫びたい!」

 

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空き箱の中で大あくびする猫のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20190210051post-19647.html

タイトル通りである。

このブログをはじめて5年。

最高のアクセス数は、どれぐらいだろう。

世の中に言ったら鼻で笑われるような数字であることは、まちがえがない。

 

それでいいと思っていた。

なにしろタイトルは「平凡」だ。

平凡な暮らしのよろこびをつづろう、そう思って開設した。

備忘録のつもりだったのだから。

 

振り返れば、テキストサイト、ブログ、mixiツイッター、そして最近は小説投稿サイト。

インターネットの歩みとともに、ときのサービス上で、ずっと文章を書いてきた。

 

しかし、いまのことばでいうなれば、バズったことは一度もない。

一方で、ありがたいことに、常に読者はゼロではない。

どのサービスを使っていたときも、数人は読んでくれる方がいた(いる)。

それと、テキストサイト時代に比べれば、ブログの検索流入のチカラはすごい。

だって、何かが書いてさえあれば、一日のアクセス数がゼロってことはまずないのだ。

こうした「お題」記事で、ほかのユーザーとつながる機会もある。

たとえほとんどの訪問者が、即ブラウザバックしたとしても、いちおう、開いてはくれるのだ。

これって夢のようです、ほんとうに。

 

ついでに言うなら、小説投稿サイトも同じことで、何かを本気で書いていれば、それなりに読んではもらえる。

ブログよりさらに純度を増した、書きたい、読みたい人の集いである。

そんな場所がこの世にあるなんて!? 

最後の桃源郷なのか!?

と驚きつつ、気づけば自分も、ひとの小説やエッセイを、むさぼり読んでいる。

 

こうしたサービスの恩恵を感じると同時に、悟るのだ。

「開いてもらえる機会はあるのに、読まれない。これって力不足ってことだよね」。

 

思えば、わたしは「ひとに読ませないこと」を前提に文章を書いたことは、ほとんどない。

Evernoteにつけている日記ですら、「未来の自分」という他人が楽しめるように、だれか酔狂で感性が合った他人の目に入ったとき、最低限、読んで苦ではないように、意識して書いている。

 

何より、「書く」ことは、コミュニケーションの手段なのだ。

吐きだし、記録、といった意味合いもあるけれど、こうして外へ公開している以上、コミュニケイトを意識していることは間違えがない。

ほぼ返ってこないボールを投げて、投げて、投げて、投げて。

ある日、気づくのだ。

肩が疲れたな。

 

趣味性が強い文章を、たった数人でも読んでくれる。

繰り返すけれど、それはすごいことだ。

そりゃ、わかっちゃいる。わかっちゃいるけど、気づいてしまった。

わたしはもっと、読まれたい!

 

そのために。文章のクオリティが足りない、詰めが足りない。

それを埋めるための思考が足りない。

インプットが足りない。

試行回数が少ない。

とかく、不足が多い。

そして、内容もそうだが、「読まれたい」ともっと開示することや、

自分のスタイルを保ったままで、「読まれる」ための努力をすることも、もっと必要なのではないか。

 

読まれたい、読まれない、それは苦しい。

なれば、どうするか考えるしかない。

だって、書くことはやめられないのだから。

 

とにかく、「読まれねえーーッ!」「読まれたい!」。

それがわたしのいまの叫びだ。

 

何かを叶えたいならば、求めつづけるしかない。

そして、その第一歩は、不足に気づくことなのだ。

不足を、そして、自分が何かを求めていることを悟ることは苦しい。

でも、わたしは信じている。

「求めよ、さらば与えられん」。