眼科へ行く。
視野検査のためである。
もともと10代前半から、眼科の定期通院が必要な身だ。そこに視野検査が加わったのは、30代前半のころだった。
「こういう人は緑内障になりやすいから、定期的に視野検査しましょうね」
それから10年経って、まわりはみんな「1年に1回ぐらい、視野検査はしたほうがいいらしい」と言うようになった。
40代になったら、「こういう人」であろうとなかろうと、緑内障のリスクはぐぐっと上がってくるということだ。
時代がわたしに……いや、年齢がわたしに……追いついたのか……?
何か違う気がするけれど……。
白い半球形のドームに頭を突っ込むようにして、光の粒を追う。見えたら手元のスイッチを押す。
見えた! 押す! 見えた! 押す!
視野検査はシューティングゲームをやっているようで、楽しくはある。
ゲームと違うのは、常に「視野がどっか欠けていたらやだなあ」と、不安が胸に渦巻いていることだ。
終わったらフロアを変えて、その他の検査。視力、眼圧、網膜や角膜の撮影、いろいろ。
「はい、こちらの機械で」「いったんここでお待ちになって」「今度はこっちで」。一フロアをぐるぐる回る。
わたしのほかには、金髪で白いロングコートを着た若者が、このサーキットレースに参加している。
「じゃー、コンタクトレンズを外しまーす。ちょっと下の方見てもらえるかな? 見える?」
検査の合間には、コンタクトレンズを外すことがあり、着脱は検査技師がやってくれる。隣の若者に対しては、検査技師はタメ口まじり。珍しい。
などと思っていたら、わたしの番だ。
「平凡さん、下の方見てくださいねー。まずは右から外します」
検査技師がわたしのまぶたに細くひんやりした指を当てると、ペチッとコンタクトレンズが外れる。
いとも簡単に。
他人のコンタクトレンズを外すなんて、わたしには絶対に無理だ。
「あ、左のレンズ、ちょっとズレちゃいましたねー。右上のほう見てもらえますかー」
ズレてもまったくあわてない。
ここの人たちは、訓練して他人のコンタクトレンズが着脱できるようになったのだろうか。他人への着物の着付けを習うように、お互いに練習したりしたのだろうか。この仕事に就く前は、「ヒトのコンタクトレンズをつけたり外したりなんて、無理ですよ~」と、素人と同じように思っていたのだろうか。
人間が、自然に「わたしは、差し向かった他人のコンタクトレンズを着脱できる」との発想に至るとは考えにくい。たぶん「無理ですよ~」と思っていたのだろう。
でも、いまでは、ズレたコンタクトレンズも、たちまちペチッ。
ちなみに隣の若者も、わたしも、着脱しているのはハードコンタクトレンズである。似たような問題を抱えているのかもしれない。
サーキットの終わりは、医師の診察だ。診察室の声は、ふだん聞こえないものだが……。
「めっちゃいいですよ~! 目にフィットしてるし! 最高です! このまま帰りたいぐらい!」
あの金髪の若者が、興奮気味に言っている。医師も看護師も、笑っている。検査技師がタメ口まじりになるのもわかる気がする。
おそらく初診。今日はハードコンタクトレンズを作るための検査に来ているのだろう。目にぴったり合ったコンタクトレンズを装着するのも、きっとはじめて。
ある種の問題があると、視力は眼鏡では矯正できないし、コンタクトレンズもその辺の店や眼科医では買えないし、こういう眼科医に来ても、即日コンタクトレンズを作ることはできない。それなりにカスタムしてもらう必要があるからだ。
診察室から出た後も、若者の興奮は冷めない。
「世界がくっきり見えました! はっきり見えると、人生、変わりますね!」
そのことばで、わたしは遠い遠い昔、ティーンエイジャーのころの記憶を呼び覚まされた。
病院の窓から見える緑がきらきら光って見えた。
履いていたスニーカーの先に、細かい傷がついているのを知った。
「世界って、こんなに明るいんや……」
わたしは大学病院の廊下で、目をしばしばさせながらつぶやいた。生まれてはじめて装着したコンタクトレンズの縁が視界の端で揺れ動き、目の中でゴワゴワゴロゴロしたけれど、それ以上に世界の鮮やかさに心を奪われた。
さかのぼることその一年ほど前。わたしの目の異変に気づいたのは、母親だった。
「平凡ちゃんの目、なんか変」
「気のせいやろ」で済ませようとすると、母親は鏡で自分自身の瞳をためすすがめつ見て、またわたしの瞳をのぞきこんだ。
「やっぱり、なんか、変。目医者、行こか」
近所の眼科医に行くと大学病院を紹介され、定期通院することになり、「高校生ぐらいになったら」と考えていたコンタクトレンズの装着を早々にすすめられたのだった。コンタクトレンズなら視力の矯正がかない、病状の進行を抑えることも期待できるとかなんとか。
「どうですかー」
中年の男性がしゃがみこんで、わたしを見上げる。わたしはあのとき、なんと答えただろう。ゴロゴロします、よく見えます、木の葉っぱって、あんな輪郭をしているんですね。それとも思春期に入ったばかりの気難しさで、あいまいに笑っただけだったろうか。
月に一回ほど学校を早引けして、大学病院への通院は続いた。診察が終わると、大学病院の喫茶室で、昼食をとるのが恒例だった。
お気に入りは、カレーとスパゲティを炒め合わせた「インディアン」。鉄皿に薄く卵が敷かれて焼かれ、そこにこびりついたカレーもカリカリとして、おいしかった。
「ミルクセーキ、頼んでもええ?」
「ええよ」
喫茶店でドリンクまで頼むなんてぜいたくなこと。その自覚はあったけれど、なぜか通院の日は甘えてオーダーをした。
脚付きのグラスに入った、薄黄色の飲み物が運ばれてくる。卵と牛乳、それとお砂糖。ホットケーキを作るときに混ぜ合わせるそれらは、とくに美味しそうには感じないのに、こうしてすするとありがたい飲み物になる。それが不思議だった。
カスタードに近い、わかりやすい甘さ。
毎月、仕事を早上がりして、娘を病院へ連れていき、決して安くない外での昼食を食べさせて。母は、いまのわたしと同じような年代だったはずだ。何を考えていたのだろう。
視力検査ではなく、人から見た「瞳の外観」によってこの症例が見つかるのは珍しいと知ったのは、ずっと後のことだった。
「平凡さーん」
待合室で、我に返る。診察は、今度はわたしの番だ。遮光ののれんをくぐって、診察室へ入る。通う病院は何度も変わったけれど、そういえば、この診察室の暗さと薬くささは変わらない。
目に光を当てて、何かリトマス試験紙のようなもので目の縁をちょん、ちょんとされて。
「視野もその外も問題ありませんね」
自分でもわかりやすく、相好が崩れたのがわかる。
「ただ……」
「ただ……?」
医師がいたずらっぽく笑う。
「今回はすこし、久しぶりでしたね」
「もうちょっときちんと通います」
わたしはだらしなく笑って、診察室をあとにする。
そうだ、次こそは一年もあけず、半年ぐらいで予約を入れよう。そろそろ老眼も出てくるはずだ。付き合うべき友だか敵だかは、年々増えていく。
眼科を出ると、街は夕暮れに沈もうとしている。あの青年は、「これから仕事なんです」と言っていた。やがてできあがってくるコンタクトを着けて、はっきりくっきりした世界に感動して、何を見るのだろう。
電車に揺られて、家へ帰る。車窓の外に、たわんだ電線や、夕日に照らされ、輪郭をはっきりと浮かび上がらせたビルが過ぎ去っていく。葉を落とした木々の枝の繊細さ。
すべてに輪郭がある。わたしはそれをはっきりと見ることができる。レンズを通した世界は明るい。
いまではすっかり当たり前になったそれらを目に焼きつけながら、日常へと戻っていった。
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画像は写真ACからお借りしました。