平凡

平凡

記憶が飛んで7月

さてさて7月振り返りを……と思うのですが、7月はなんだかあまり記憶がありません。

 

 

仕事が立て込んでいたのですが、こういうときあるあるで、「じゃあなんで1日1日が忙しかったんですか?」と聞かれたらパッと思い出せない。

「う……わたしはずっとお布団で寝てたんじゃないか……」みたいな気持ちになる。

 

とりあえず月初から下旬まで、ひたすら撮影商品の手配をしていた気がします。それと別の仕事の校正。インタビューの下調べ。締め切りもまあまあありました。

 

手配系の仕事がたくさんあると、企業に電話しなくちゃいけないので、否が応でも朝型になります。自分の力と勘違いしがちですが、終わったらふつうに夜型に戻りました。

 

手配が必要な仕事というのは、ここで書いているような種類の仕事のことですね。

ライター意外と書かない問題。じゃあ何やってんの? って話 - 平凡

ライターの文字単価がいくらという話をよく見かけますが、こういう仕事をしていると、文字単価ってピンと来ないなあと思います。

 

一日完全なオフを作り、夫と映画を見に行ったり保護猫カフェに行けたのはよかったです。こういう時間大事。

 

外出が必要な仕事に谷間ができ、原稿に集中できる期間があってありがたいなと思っているとき、新型コロナウイルスに感染。

取引先にはずいぶん迷惑をかけ、申し訳なかったです。

 

8月はちょっと休み休みできるといいなあ……。

夏らしいことをひとつはしたい。

もうちょっとブログも書きたいです。

 

そして、ブログに書くことじゃないんですが、コツコツ書いてきた小説の続き1章分がほぼ完成。

8月はひさびさに投稿サイトに投稿していこうと思います。

小説投稿するの、すごく緊張するんです。でも楽しいんだよなあ……。でも刺激が強いんだよなあ……。なんとかもっと、あっさりやれたらいいのですが。

腹に力を入れてえいやっ! とやらないといけないので、ブログに書いて景気づけをしようというわけです。

 

また、『継母だけど娘が可愛すぎる』記事内に、最近の話数だけですが、1話ごとの感想をアップしています。

『継母だけど娘が可愛すぎる』がおもしろ過ぎてつらい - 平凡

 

コロナが幸いにも快方に向かい、自宅療養期間明け直前。

いきなり8月に放り出されるような、漠然と心細さを感じています。

エンジョイサマーバケーションしなきゃいけない気持ちだけがふつふつとあるというか。

 

もにゃっとした7月まとめでしたが、暑い夏、皆さまもお体にはくれぐれもお気をつけて楽しんでください!

 

画像は《ちりんちりんと聞こえる風鈴の音(疫病鎮静祈願)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200841240post-30488.html

疫病退散しますように……!

わたしとSFの「くるっとまわって30年」をぶち壊してくれ、頼むから

思春期のころ。

あるSF作家さんにハマった。

SFといっても、科学知識をバリバリと注ぎ込んだハード系というより、耽美的な雰囲気を前面に押し出した作風だった。

宇宙規模で広がっていく繊細でうるわしい世界観にひたるのが好きだった。

 

その作家さんがシナリオを書いたスーパーファミコンのソフトは、発売日に手に入れてプレイした。

大好きな作家さんが、ゲームのシナリオを手がける。そのこと自体に興奮した。

ストーリーの詳細は忘れてしまったが、静謐でうつくしくて、うっとりしたことだけは覚えている。

 

現代を舞台にしたシリーズものも好きだった。

個性的で総じてズボラな登場人物が好き放題して、すこし不思議なことが起きて、でも永遠に続くユートピアみたいに居心地がよくて……。

当時はとにかく東京に憧れていたので、「上京したら、主人公たちが暮らす下高井戸に行ってみよう」なんて思っていた。

 

ところで、わたしのオールタイムベスト、キングオブ好き小説は『百年の孤独』だ。

その名を知ったのも、そのSF作家さんつながりだった。

現代ものの文庫版解説で、「この作品は現代の『百年の孤独』なのだ!」とたとえられていたからだ。

百年の孤独』にもハマり、ガブリエル・ガルシア=マルケス*1という作家にも夢中になった。

 

2000年代半ばに入ると、SF作家さんはほとんど新作を発表しなくなった。

でも、いつかは下高井戸が舞台のあの作品の新作を書いていくれるんじゃないかと期待を抱いていた。

 

2014年だったと思う。ガルシア=マルケス認知症である、というニュースが流れた。

年齢を考えると仕方がないことではあった。

もう新作は望めない。スピーチ集なども出版されることはないだろう。

それも当たり前のことだった。

しかし、愚かなわたしははじめてそのとき理解したのだ。

「作家がご存命であっても、もう新作は望めない事態がありえるのか!」。

 

2019年ぐらいだったろうか。

そのSF作家さんとほぼ同世代の作家さんが脳梗塞で倒れ、治療中であることを公表した。

わたしはそちらの作家さんの熱心な読者というわけではない。

しかし、ゲーム、ライトノベル、アニメに興味をもって少年少女時代を過ごした者にとって、花形作家のひとりだ。

作家さんはご家族に支えられ、懸命にリハビリ中とのことだ。

とはいえ、「もう複雑な設定の作品は書けない」など、SNS上で吐露される生々しい不安には、衝撃を受けた。

 

2020年になって、新型コロナウイルスが流行し、ワクチンだなんだと世間が喧々諤々とした。

わたしは思春期にハマったSF作家さんの名前を、意外な形で目にすることになる。

「ワクチンは製薬会社が儲けるためのもの。製薬会社の副社長は打たないと言っている」という説を支持したブログ記事を書いて、悪い意味で話題になったのだ。

そのニュースは、世間の目を引いた。

「本来科学的であるはずのSF作家が非科学的な陰謀論に走った」という意外性があったらしい。

ただ、「科学的なはずのSF作家が!? 非科学的な陰謀論に!?」と驚いているひとたちは、おそらく作品を読んだことがないのだと思う。

その作風はなんとなくスピリチュアルな香りがして、それが宇宙規模の壮大さとつながっていて、そこが魅力なのだ。

そのため、陰謀論を肯定していること自体はあまり不思議ではなかった。

不思議ではなかったが、元ファンとしてショックだったのは、「もう新作が発表されることがない可能性もあるのでは」と感じたことだ。

現役作家で、すばらしい作品を生み出しながら陰謀論をとなえている人もいるにはいる。

思想が即・創作の終わりを意味するものではない。

けれど――。

話題になってすぐ、SF作家さんはブログ記事を消した。

 

その作家さんは、インターネット初期、いち早くホームページを開設した。

「検索」というものを覚えたとき、真っ先にお名前を検索した。

どきどきしながらbekkoameのサイトを開いた。

すごいすごい!

憧れのあの人が書いている日記がこんなところで読めるなんて!

胸をときめかせた私的な発信に、30年近くたって、わたしは落胆している。

それはずいぶん勝手なことだ。

 

最近では、電子書籍での読書が増えた。

話題のSF小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のページをタブレット上で繰りながら思う。

あのSF作家さんの存在がなかったら、わたしはこの作品を読んでいただろうか。

 

おもしろい作品は次々出てくる。読みたいものはたくさんある。

でも、そこにそのSF作家さんの作品が連ならないのだとしたら、かなしい。

そのSF作家さんは、「子どものころ、ピアノの練習とかしていると、嘘がぴゅーっと出てきた。それが小説の源泉」というようなことをおっしゃっていたように記憶している。

いま、ぴゅーっと何かが出ることはないんだろうか。

あのうつくしい作品はもう生まれることはないんだろうか。

 

架空の宇宙にわたしを連れて行ってくれた。

ほかのフェイバリット作家に出会わせてくれた。

インターネットで大好きなひとの発信を読むときめきを教えてくれた。

その後は……。

ポジティブなこととネガティブなことが、くるりとつながって輪になって巡っていく。

 

プロ作家になる。架空の世界で誰かの心をとらえる。大きな賞をとる。

どれをとっても並大抵のことではない。

だから、こんな愚かな読者の「輪になっている」なんて薄ぼんやりしたイメージをぶちこわしてくれないか。

現代ものでも宇宙ものでもなんでもいい。

ぎゃふんと言わせてくれないか。

わたしは待っている。ずっと待っている。

*1:あるかなしかのルールですが、今回はご存命作家さんは「さん」づけ、故人は呼び捨てルールで記述しています。もっとも日本の作家さんおふたりは、名前を伏せていますが……

ノスタルジック・ライター話

新型コロナウイルスに関しては、順調に回復しつつあります。

メッセージくださった皆様、スターくださった皆様、ありがとうございました。

療養期間がもうすこしで明けますので、そうしたらあらためて療養のことをまとめたいと思います。

本日は、下書きにあった記事をアップいたします。

 

****

 

ライターになったのは、18年ぐらい前でしょうか。

ちいさな編集プロダクション*1に入りました。

女性誌をはじめ、雑誌中心のライティング業務をしている」とあって、おもしろそうだったからです。

 

新人にまかされる定番仕事は、いわゆる「パブリシティ」のページです。

雑誌のおしりのほうに、新商品やイベント情報が細々載っているあのページです。

企業から送られてくるリリースをもとに、120字ぐらいにまとめるのです。

わたしが担当したページは、たしかそれが9マスありました。

最初は丸々一日かかりました。

朝からとりかかり、夕方ぐらいに「もう終わってるよね。いま、何をやっているの」と上司が見に来ました。

まだ終わっていないのを見て、ドン引きしていたのを覚えています。

なんであんなに時間がかかったのかわかりません。

いまならたぶん、2、3時間もすれば終わります。

そして、いま、新人が120字×9マスのページに1日かけているのを見たら、やっぱりドン引きすると思います(笑)

 

当時、すでにデジタルカメラの時代は到来していましたが、アナログカメラでの撮影もありました。

先輩のお使いをして、「ポラもらってきてね」と言われ、持ち帰るのを忘れたらめちゃくちゃ怒られました。

当時はPC上でその場で写真の内容を確認する、なんてできません。

アナログカメラに機器を接続し、ポラロイド(ポラ)を出力して、仕上がりを確認していたのです。

商品画像を借りるとき、「紙焼き」(印画紙にプリントされた状態の写真)や「ポジフィルム」が送られてくることもありました。

 

あるていど仕事ができるようになると、記事を自分で担当するようになりました。

取材に撮影にアポ取りに走り回って、素材を揃えて夜中に出版社へ行き、編集さんから「これじゃぜんぜんダメなんだよ!」とか言われながら、半泣きでレイアウトを描きました*2

新人のうちはいろいろヘマをしました。

「これを説明するには、こんな写真がいるよね」という当然の写真を撮り忘れたり、写真のアングルがわかりづらかったり……。

ドヤすだけあって、編集さんがレイアウトを引き直し、(不備があるにしても)今ある写真を配置し、キャッチをつけていくと、みるみる目を引くおもしろそうな記事構成ができあがっていきました。

それが刺激的でした。

 

わたしは原稿を書くのがとにかく遅く、やはり編集さんにドヤされながら、夜中までキーボードを打ちました。

「これでは読者の必要とする情報が入っていない」と言われて書き直し、ときには取材先を増やすこともありました。

でも、そうやって仕上げた原稿は、元のものより確実によくなりました。

 

あのころほど赤字が入るわけではありませんが、わたしはいまでも編集さんから修正をもらうのが好きです。

好き、というのはおかしな感じがしますが、原稿をちゃんと読んでもらえるのが良いのです。

編集さんは第一の読者なので、指摘はたいてい的を射ています。

あーだこーだ言いながら記事をよりよくする。

その過程が好きなのです。

 

編プロで付き合いのあった雑誌には、昔気質な編集さんが多く、「ライターは編集者が育てる」という意識がありました。

そういった思想はパワハラと隣合わせなあやうさがありますし、いまのひとから見たらずいぶん乱暴に見えるかもしれません。

同世代のなかには、同じ編集さんと仕事をしても、「育てるとか何様じゃタコ」と言っていたひともいました。

でも、わたしは彼らと仕事をするのが好きでした。

おもしろい記事を作っている実感が持てたからです。

 

ある年の忘年会で、同僚に背中を押されて「このジャンルに興味があるんです」と打ち明けたら、「そういう記事を書ける人を探していた」と言われ、はじめて自分指名の仕事をいただきました。

すごくうれしかった。

指名で書けたことも、そのジャンルで仕事ができたことも。

 

そのジャンルの仕事は、わたしの独立を良くも悪くも後押ししました。

在籍している会社では、そのジャンルについて理解が得られませんでした。

「ほんとうにその仕事をしていて楽しいの?」と真顔で聞かれたこともありました。

ライターというのは、指名で仕事を取ってナンボだと思います。

それが、編プロの社員として会社に貢献することにもつながるでしょう。

でも、それに対してよい顔をしてもらえないなら……。

実際には、実家で家族が倒れるなど、いろいろな理由やきかっけが絡んで独立に至りました。

 

あれから20年近くが立ちました。

雑誌は広告が減ってどんどん薄くなりました。

原稿料は据え置きどころか安くなりました。

経費の縛りも厳しくなりました*3

編集さんのなかには、定年した人もいます。

アナログ撮影をするカメラマンさんは特殊な人だけになりました。

「ポラを切る」の意味が通じなくなりました。

たぶん「紙焼き」も同じくでしょう。

たいていの媒体はWebにもチャネルを持ち、そちらを意識した記事を書くことも増えました。

 

なんてことを思い出したのは、ルポライターの高橋ゆきさんが、「ライターの単価」についての記事をアップされていたからでした。

焦点は単価についての話ですが、記事中の「テストライティング」の話を読んだとき、わたしの世代にはずいぶん馴染みがない仕組みだなとあらためて思いました。

ギャラを出して、ライターに「試しに書かせてみる」。

そこで受注側がふるいにかけられる。

発注側がその選考に手間やお金をかける。

合理的ではあるのでしょうが、どちらもピンときません。

そこでつるつると思い出したのが、いま書いたような「編集に育てられたライター」世代の尻尾としての体験です。

 

ライターになったとき、上司は「出版業界も景気が悪くなった」と嘆きつつ、昔話をしてくれました。

バブルがはじけた後であっても、まだまだ景気がよかった時代の昔話は、別世界でした。

 

おそらく、20~30代前半の方には、わたしの話は同じく別世界に映るでしょう。

たとえ野蛮な感性に満ちた太古の話ととらえられたとしても、やがて消えていくこの記憶をだれかに伝えたくて、記事を書きました。

 

わたしも業界の昔話をする年齢になったということです。

そこまで生き残れたことを、喜ぶべきなのかもしれません。

黄昏と忘却から逃れ、いますこし、あとすこし、いや30年ぐらい……現役で仕事ができますようにと祈りつつ、このエントリーをネットの片隅に放出しておきます。

*1:出版関係の下請け会社。文字通り編集をやる会社もあれば、ライティング中心の会社もある

*2:編プロでレイアウトを切ることも多かったですが、ハードな編集部の仕事だと、そこで編集者と額をつきあわせることもありました

*3:わたしがライターになった時点で、経費で何か贅沢をする、みたいなことは皆無でしたが、いまは必要なものも出ないのでは……という危機感がある

第7波が来たぞぉぉぉぉぉ!!!!!

新型コロナウイルス第7波が世間をさわがせております。

そしてついに我が家にも波が到来! 自宅療養中です。

軽症の軽症だと思うのですが、かなりしんどいです。

まだ療養中の身で書くなよって感じではあるのですが、「これだけは注意して!」と伝えたいことがあるので、ブログを書きます。

 

 

定期的に処方されている薬がある人は、早めに相談を!

いちばん言いたいのはこれです。

とくに、「命に別状はないけれど、飲まないとQOLに大きく差しさわりがある」薬を処方されている方。たとえば、皮膚科の薬とか、抗不安剤睡眠導入剤など。

そういったお薬を定期通院で処方してもらっている方は、次の通院で、「コロナ陽性、または濃厚接触者になったらどうするか」を相談してみてください。

電話、ネットなどの遠隔診療で処方箋を出します、みたいな対応があれば安心。

ない場合は、2週間に1回の通院で2週間分の薬をもらっているなら3週間分とか、多めに出してもらえないか相談してみてください。

病院によっては、「親族が保険証と診察券を持ってきたら処方OK」というところもありますが、別居の頼れる親族が近隣にいるとは限りません。

また、別居の親族に通院のことを話していないケースもあるかと思います。

保健所も遠隔診療の仲介はできなくはないらしいのですが、やはり混みあっているらしく……。

うちは、これで地味に困っています。

コロナ禍はじまって2年以上。すでに確認済の方も多いかと思いますが、定期的な通院とお薬処方がある方は、注意してみてください。

確認してあれば安心です。ただでさえ不安なコロナ療養、ゆっくり休みたいじゃないですか。

 

次からはほぼ蛇足。

 

パルスオキシメーターはできれば買っておきたい

なぜかというと、ふだんの酸素飽和値を知っておけるからです。

とはいえ、これは該当者があまりいないかなと思うのですが……。

我が家には、第1波か第2波のときに買ったパルスオキシメーターがあります。

買ったばかりのころは遊び半分でよく測っていました。

そこでわかったのが、夫の酸素飽和度が人よりちょっと低いこと。

ただ、酸素飽和度って「ちょっと」の差が大きいんです。

そして今。

その自前のパルスオキシメーターでいつも通りの数値を計測し、「HER-SYS」(保健所に体調を自己申告するシステム)に打ち込んだ夫には、「ずいぶん苦しいようですが」と、保健所から電話がかかってきています。

これ、「健康なときから値が低い」と知っていなかったら、すごく不安だったと思います。

いまはあまり聞きませんが、一時期、コロナといえば「ハッピー・ハイポキシア」=「幸せな低酸素症」といわれ、「酸素飽和値が下がっているのに苦痛を感じていない患者が多い」とされていましたから。

夫のような例はあまりないかと思いますが……。

患者が急増しているとはいえ、自治体からパルスオキシメーターが借りられないという話は聞きません。

5000円ぐらいなので、高いといえば高い……。

でも、あると何かと安心ですよという話。

うちはドリテック社のものを持っています。

dretec.co.jp

 

備蓄備蓄備蓄!

自治体から支援食糧ももらえると思いますが、食べなれているものがあると安心します。

また、「普段使っている当たり前のもの」が切れてすぐに買いに行けないのも地味に困ります。たとえば洗剤。ボディソープ。ゴミ袋有料の自治体ではゴミ袋。

この時期は、隔離生活に備え、「いつもの」を早めに補充しておくことをおすすめします。

また、うちは夫が最初に発症、家庭内隔離を経てわたしも発症でした。

家庭内隔離のときにあってよかったな~と思ったのは、

1.ペーパータオル

患者とタオルを分けることのわずらわしさを回避。洗濯ものが減るのもありがたい。

 

2.持ち歩き出来る除菌スプレー

患者が触れたものにシュシュっと。気休めだったかもしれませんが、ルールがあるほうがお互い安心できました。

 

3.紙コップ

これは買えばよかったと心底後悔したもの。

うちは台所はいわゆる「清潔ゾーン」扱いで、夫は立ち入り禁止。

飲み物は500ミリリットルのペットボトルが中心でした。ただ、この季節、飲み残した場合は雑菌の繁殖が気になる! 

うちはグラスをあまり持っていないこともあり、夫は「ペットボトルに口をなるべくつけない」手法で乗り切っていたようです。申し訳ない……。

 

4.500ミリリットルのペットボトルたくさん!

ネット通販もできますが、隔離の初期に麦茶10本、スポーツドリンク系10本あると気持ちが違います。

10本が無理なら各5本だけでも……。

 

5.のどぬ~るスプレー

ネットで「のどがすごく痛くなるので、コロナ療養におすすめ」と見かけて購入。わたしは使っていませんが、夫はずいぶん助けられたようです。

 

6.敷布団

これはうちだけかもですが……。

ずーっと客用の布団を買わなきゃね、いざというときの隔離のためにもと言い続けていた敷布団。

買っていなかったために、床で寝袋で寝るハメになりました。

ポチったマットレスが届くまでの3夜、けっこうキツかったです。

看病する側も健康第一です。

隔離のさいの寝床は確保しましょう……。

 

こ、これはわたしだけかもしれないが……ッ! カロナールデカすぎ問題!

解熱剤のカロナールも、もうひとつ喉の炎症抑えるお薬も、デカいんです。

また、カロナールと同じく「アセトアミノフェンが主成分」という市販薬のタイレノール。あれもめっちゃデカい。今回、はじめて箱から出してびっくりしました。

錠剤飲むのが苦手な人はお気を付けください。

わたしはどうしても飲み込めず、ゼリー飲料を「服薬ゼリー」代わりに使いつつ、服薬ゼリーとピルカッターをポチりました。

ちなみにカロナールは直径1センチあるよ!

 

保健所は機能しています

先ほども書いたように、夫は「HER-SYS」に打ち込んだ酸素飽和度の問題そのほかで、何回か保健所から電話連絡をもらっています。

「保健所から何の連絡もない!」という声も聞きますし、わたしに関しては目立った問題がないようで実際に連絡はありません。

でも、数値や自由記述欄で引っ掛かるところがあれば、ちゃんと連絡をくれます。

そこから本当にヤバいと判断されたときは、医療リソースの問題になるのでしょうが……。

 

発熱外来はさながらチケット争奪戦!

ご存じの方が多いと思いますが、喉の痛みや発熱がある場合の受診は、まずは病院に電話します。

電話したうえで、発熱外来を予約受診することになります。

発熱外来は、コロナ疑いのある患者をほかの患者とは時間を区切って診療しているもの。

で、東京都の場合(うちの地域だけかもですが)、この予約は当日のみの病院が多い!

要するに朝イチの申し込みなんです。

多くの病院が発熱外来を設置していますが、患者が3万人超えているいま、開始5~10分でその日の枠がいっぱいになってしまう模様。

当然、なかなか電話がつながりません。

むかしむかーし、プレイガイドに電話かけてライブチケットを取っていた時代を思い出しました。

行政のページで近隣の発熱外来を確認、病院のページで休診日や受付開始時間をチェックし、複数の候補をピックアップ。

たいてい受付開始は8時30分です。電話前に待機してかけまくることになります。

ただ、「うちは13時から翌日の予約を受け付けている」などの病院もあるので、あきらめないで……!

このあたり、地方により状況は違うかもしれません。

うちの近隣では、「かかりつけ患者だから、予約入れてもらえる」とかはありませんでした。

書いていて思ったのですが、これ、すでに発熱している患者さんにはかなり過酷な状況ですね。

あと、コロナ療養、意外と電話の音声通話する機会が多いです。

 

窓の外を眺める時間が安らぐ……

コロナ療養中、いちばん心安らぐのが、窓の外を眺める時間です。

この「心安らぐ」って、なんというか言葉だけの話じゃなくて、ほんとうにそのときだけ不安や肉体的な苦痛を忘れる感じ(ただし体温が38度切っているときのみ)なんです。

うちの窓からは木が見えるので、それをボーッと眺めています。

もしコロナにり患してしまったら、比較的体調がよいときに試してみてください。

 

 

ちょっとのつもりが、ずいぶん書いてしまいました。

デジタル機器を見るのはまだつらいことが多いので、もしこの記事に反応をいただいてもすぐに反応できないかもしれません。

早く具合がよくなって、みなさんのブログにも遊びに行きたい!

 

もはや誰がコロナにかかってもおかしくありません。

今回は「あー、ここまで患者が増えちゃうと、今までの対策でOKだったものがOKじゃなくなるんだな」と感じました。

肌感覚ですが。

だからといって、2020年4月のように、閉じこもってばかりはもはやいられないでしょう。

たとえばお子さんにとって「この夏」の意味は、大人とはまったく違います。

大人だって。

どうかどうか皆さん、お気をつけてこの夏を楽しんでください。

なんかほんと、「今、かかっていない人は逃げ切ってくれよ~~~」という気持ちでいっぱいです。

 

そして月並みですが、最後に医療従事者の皆さん、薬局の方(薬を届けてくれた……)、保健所の方、物流の方、ゴミ収集の方はじめエッセンシャルワーカーの皆さんにあらためて感謝いたします。

本当にありがたいです……。

安住パワーよ、猫たちに降り注げ

「この猫、元・人間なんじゃないの」

そんな思いを抱いたのは、とある猫シェルターでボランティアをしていたときだった。

 

画像はイメージです。登場する猫とは関係ありません。

 

キジトラのようなサバトラのような、サビ猫入っているような、ようするにちょっと変わった柄のその猫は、人間がシェルターに入ってくると「にゃーんにゃーん」と鳴いた。その間じゅう、人間の顔をガン見し、足元にまとわりつく。

進行方向に他の猫がいると、とにかくぶん殴って「シャーッ」と激しく威嚇。そのあとは人間に「にゃーんにゃーん」。

他の猫への狼藉を「あずきにゃん、やめなさい」とシェルターのスタッフさんにたしなめられても、そこは猫のこと。そんなことで行動を変えたりはしない。

 

保護猫カフェやシェルターに足を運んでいると、「ほかの猫は嫌い、大嫌い。人間が好き!」という猫は見かける。が、あずきにゃんのそれは突出していた。

ほかの猫を無下にしつつ、ひたすら人間に何かをうったえるそのようすはどこか切羽詰まっており、「わたしはこのなんか毛むくじゃらの生き物とは違うんだにゃーん、ほんとうは人間の仲間なんだにゃーん、話もとってもわかるんだにゃーん、ここから連れ出してにゃーん」と言っているように見えたのだった。

 

その後、シェルターは諸事情で閉鎖。猫はスタッフさんが数匹ずつを預かり、里親募集をつづけていた。

あずきにゃんの行方が気になり、スタッフさんのブログをチェックすること2か月ほど。無事、里親さんが見つかり、正式譲渡となった。

 

里親さんはありがたいことに、あずきにゃん専用のSNSアカウントを開設。

それによると、あずきにゃんと里親さんの出会いは、まだシェルターがあったころにさかのぼるらしい。なんでも、膝にいきなり乗ってきて運命を感じたとのこと。

「わたしたちが行ったときは、スリゴロしていたけど、膝には乗らなかったよね」

「やっぱりこういう相性って、あるんだねえ」

などと夫婦で話した。

 

お家の猫となったあずきにゃんは、相変わらず甘えん坊ではあった。

けれど、SNSを見ている限り、シェルター時代のどこか分離不安を感じさせるようなようすはなりを潜め、その甘えっぷりはどこか堂々としたものだった。ようするに、余裕があるのだ。

里親さんもそんなあずきにゃんを溺愛し、しあわせそうなようすが伝わってきた。

 

それから2年ほどが経った。あずきにゃんの家は、もう一猫を迎えた。

「あずきにゃん、猫嫌いじゃん。大丈夫なのかなー」

などとよけいなお世話で気をもんでいたが、心配ご無用。

初期こそ「気に食わねえな」という感じでお互い距離を取っていた2匹だが、しだいに距離は近づき、いまでもべったりはしないが、お尻をさりげなくくっつけあって座っている。

シェルターにいたころからは、信じられない光景だった。

 

そこで思い出したのが、通っている保護猫カフェに、かつて在籍していた猫のこと。

我々夫婦が推していた猫の卒業の日、キャリーに入った推し猫にパンチをお見舞いした若猫がいた。

詳しくは、この記事に書いたとおりだ。

人生に負けないように - 平凡

 

その若猫も、他の猫が嫌いだった。

そんな若猫も里親さんが見つかり、楽しく暮らして2年ほど(やっぱりSNSアカウントがあるのだ)。里親さんは新たに猫を迎え、こちらはきょうだいのように仲よくなった。

くっついて、毛づくろいしあって、おもちゃは譲ってあげて、若猫はすっかりお兄ちゃんだ。

保護猫カフェでは他の猫から離れ、小高い本棚の上が定位置だった若猫が。

 

猫の数だけ事情があるので、あずきにゃんと若猫が、ほかの猫を受け入れた心境はそれぞれちがうのかもしれない。

しかしなんにせよ、里親さんの愛情を一身に受けたことや、安定した暮らしが彼らを変えたのはたしかなことに思われる。

 

保護猫カフェで、シェルターで、無数の猫が家庭へと旅立っていく。

何があっても離さないと覚悟を決めた家族の一員に迎えられ、仮住まいから定住の地へ。

それを祝福するとき、あずきにゃんや若猫のことを思い出す。

彼らを変えた、安住のパワー。

それをこれからこの子も授けられるのだと思う。

 

春から夏にかけて、世界中のシェルターや保護団体のSNSアカウントには、子猫の写真が溢れる。

そうでなくても、なんらかの理由で飼えなくなった猫や動物たちが多数持ち込まれる。

彼らにも、ペットショップやブリーダーから買われる動物たちにも。

みなに、安住のパワーが授けられますように。

それが永遠でありますようにと願っている。

 

***

画像は登場する猫とは関係なく、フリー素材です。

《丸くなって眠るにゃんこのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20191254358post-24865.html

よそのおうちのいいにおい

結婚して2年ぐらい経ったある日。

会社から帰るなり、夫が「うちだった!」と言った。

 

 

なんでも、家の外でとても美味しそうなにおいをかいだのだという。

「どこの家の夕飯だろう」と思って鍵を開けたら、「うちだった」というわけだ。

そのとき作っていたのは、カレー風味の炒め物だったように記憶している。

 

かように家の外に流れ出る夕餉のしたくのにおいというものは、魅力的で郷愁を誘うものだ。

 

それから数年が経った。

ここ最近、自ら料理をするようになった夫は、他の家の換気扇からただようにおいにも敏感になったようだ。

最近しきりと、

「あれ、あのにおいってなんなんだろう。こっくりして、たぶん醤油を使っているような……」

と言っている。

それは間違えなく、和風の煮物のにおいだろう。

しょうゆやみりん、酒を使って煮込むとき、なんともいえない香りが立ちのぼるものだ。

そういえば、夫のレパートリーには和風の煮物はない。

 

そこで、じゃがいも、にんじん、玉ねぎが余ったある日、「肉じゃがにしてみたら」と提案してみた。

小一時間ほど経ってできあがった肉じゃがは、こっくりしつつも、澄んだ味わい。

おそらく、丁寧にあくを取ってくれたのだろう。

じゃがいもは大きめに、夫本人がちょっと苦手なにんじんは小さめに切り揃え、いずれも火はしっかりと通っていながらも煮とけていない。

じゃがいもが崩れた肉じゃがも乙なものだけど、そうでないものがこんなに上品な味わいになるなんて!

 

と、ここに書いたことをそのまま伝えながら舌鼓を打っていたところ、夫がしみじみと言った。

「俺が最近、よく『なんのにおいだろう』って言っていたあのにおいは、肉じゃがだったんだなあ……」

 

よそのお宅のいいにおい。

「カレーだな」「肉じゃがかな」と推測しているうち、それを作りたくなる。作ってみる。

よくあることだけれど、夫にとってははじめてのこと。

正確には、「肉じゃがのにおい!」とピコーンと理解して、それを作ったわけではないけれど……。

 

「今日外を歩いていた人は、『このいいにおいはなんだ』と思ったかもね。夫と同じく」

と言うと、夫はえへへと笑う。

「しょうゆとみりんと出汁で煮ると、なんでも似たにおいになるじゃん。今度は煮魚とかやってみたら」

「煮魚かあ。何煮るの」

「……鯛、とか、かな」

「う~ん、今度、ロイヤル行ってみよう」

ロイヤルとは、近所にある質が高い魚を売るスーパーのことだ。

 

よそのお宅のいいにおいが広がる。

うちの料理のいいにおいも広がる。

夫のレパートリーも広がっていく。

我々を少し先の未来へと連れて行ってくれるのは、そんなちいさな広がりだけ。

しっかりと形が残ったじゃがいもとともに、そのことを噛み締めている。

 

***

画像は《一切の手抜きがない栄太郎の煮物の炊き合わせのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20170358089post-10811.html

煮物のイメージです。この画像は、岐阜県高山市奥飛騨にある平湯温泉とのコラボ。ご当地の旅館はすべて源泉かけ流しだそう。栄太郎はこのお宿です。行ってみたいなあ……。https://oyado-eitaro.com/

ブログ絡みの3つのいいこと

今週のお題「最近あった3つのいいこと」。

ブログに書いたことに関連して、ちょうど3つあったので記録しておこうと思います。

 

 

最近あった3つのいいこと

ワンちゃんが卒業した

このエントリーに出てくるポメラニアンが、保護犬カフェを卒業(里親さんが決まり、お家で暮らすこと)しました。

抱っこさせてくれてありがとね!

里親さんに抱っこされた写真を見かけたのですが、わたしが抱っこしたときと違って「笑顔満開!」って感じでよかったです。

未知なる生物、犬 - 平凡

 

夫が『ナビレラ』を読み始めた

この記事で激推しした、70歳のおじいちゃんがバレエを始めるウェブトゥーン『ナビレラ』。

夫にもすすめていたら、読み始めました。

「おじいちゃんがいい味出してる」とか、きゃっきゃ言い合えるのが楽しい。

夫の感想として、「海外の作品ってことを忘れてしまう」と言っていたのが印象的でした。

そして、途中のあの展開でやっぱり衝撃を……。

ラストまで完走すると思われます。

マンガ好きもヒューマンドラマ好きも……老若男女におすすめの作品『ナビレラ』 - 平凡

 

作家さんご本人の捕捉

『これ描いて死ね』について書いたブログ、Twitterで作者のとよ田みのるさんに言及していただきました。お礼書いたらリプもいただき……あわわ。

gekkansunday.net

マンガをはじめとするフィクションが大好きな人にも、何か作っている人にも……。より多くの方に、この作品が届くとうれしいです。

「才能」という言葉が出てこないマンガ描きのマンガ『これ描いて死ね』 - 平凡

 

『これ描いて死ね』は、「次にくるマンガ大賞 2022」にもノミネートされており、明日月曜、2022年7月11日11時までは投票できます。

わたしも投票しました!

次にくるマンガ大賞」、ほかにも『アカネ噺』とか『ラーメン赤猫』とか『作りたい女と食べたい女』とか『光が死んだ夏』とか『ぷにるはかわいいスライム』とかいろいろエントリーしています。

部門ごとに3作品投票できるので、推したい作品がある方はチェックしてみてください。

次にくるマンガ大賞 2022

 

SNS時代、反応がある、ないは別にして、作品について何か書いたら作者さんの目にふれる可能性が高いですよね。

ポジティブに考えれば、簡単に応援エールを送れるとも言えます。

ただ、わたしは自分のレビューとか感想に自信がないので、けっこう勇気がいります。

でも、やっぱり心を打たれた作品は応援したい。

変わらずいろいろ書いてみようと思ったのでした。

 

次に回したい人のidを入力

こういうの、回せる人間でありたかった……!

 

 

画像は《ハイビスカスの枝に留まるメジロのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20211009298post-36972.html

ハイビスカスの枝にメジロがとまっているのを見かけたら、それは「いいこと」だろうなーと思って。