「この猫、元・人間なんじゃないの」
そんな思いを抱いたのは、とある猫シェルターでボランティアをしていたときだった。
キジトラのようなサバトラのような、サビ猫入っているような、ようするにちょっと変わった柄のその猫は、人間がシェルターに入ってくると「にゃーんにゃーん」と鳴いた。その間じゅう、人間の顔をガン見し、足元にまとわりつく。
進行方向に他の猫がいると、とにかくぶん殴って「シャーッ」と激しく威嚇。そのあとは人間に「にゃーんにゃーん」。
他の猫への狼藉を「あずきにゃん、やめなさい」とシェルターのスタッフさんにたしなめられても、そこは猫のこと。そんなことで行動を変えたりはしない。
保護猫カフェやシェルターに足を運んでいると、「ほかの猫は嫌い、大嫌い。人間が好き!」という猫は見かける。が、あずきにゃんのそれは突出していた。
ほかの猫を無下にしつつ、ひたすら人間に何かをうったえるそのようすはどこか切羽詰まっており、「わたしはこのなんか毛むくじゃらの生き物とは違うんだにゃーん、ほんとうは人間の仲間なんだにゃーん、話もとってもわかるんだにゃーん、ここから連れ出してにゃーん」と言っているように見えたのだった。
その後、シェルターは諸事情で閉鎖。猫はスタッフさんが数匹ずつを預かり、里親募集をつづけていた。
あずきにゃんの行方が気になり、スタッフさんのブログをチェックすること2か月ほど。無事、里親さんが見つかり、正式譲渡となった。
里親さんはありがたいことに、あずきにゃん専用のSNSアカウントを開設。
それによると、あずきにゃんと里親さんの出会いは、まだシェルターがあったころにさかのぼるらしい。なんでも、膝にいきなり乗ってきて運命を感じたとのこと。
「わたしたちが行ったときは、スリゴロしていたけど、膝には乗らなかったよね」
「やっぱりこういう相性って、あるんだねえ」
などと夫婦で話した。
お家の猫となったあずきにゃんは、相変わらず甘えん坊ではあった。
けれど、SNSを見ている限り、シェルター時代のどこか分離不安を感じさせるようなようすはなりを潜め、その甘えっぷりはどこか堂々としたものだった。ようするに、余裕があるのだ。
里親さんもそんなあずきにゃんを溺愛し、しあわせそうなようすが伝わってきた。
それから2年ほどが経った。あずきにゃんの家は、もう一猫を迎えた。
「あずきにゃん、猫嫌いじゃん。大丈夫なのかなー」
などとよけいなお世話で気をもんでいたが、心配ご無用。
初期こそ「気に食わねえな」という感じでお互い距離を取っていた2匹だが、しだいに距離は近づき、いまでもべったりはしないが、お尻をさりげなくくっつけあって座っている。
シェルターにいたころからは、信じられない光景だった。
そこで思い出したのが、通っている保護猫カフェに、かつて在籍していた猫のこと。
我々夫婦が推していた猫の卒業の日、キャリーに入った推し猫にパンチをお見舞いした若猫がいた。
詳しくは、この記事に書いたとおりだ。
その若猫も、他の猫が嫌いだった。
そんな若猫も里親さんが見つかり、楽しく暮らして2年ほど(やっぱりSNSアカウントがあるのだ)。里親さんは新たに猫を迎え、こちらはきょうだいのように仲よくなった。
くっついて、毛づくろいしあって、おもちゃは譲ってあげて、若猫はすっかりお兄ちゃんだ。
保護猫カフェでは他の猫から離れ、小高い本棚の上が定位置だった若猫が。
猫の数だけ事情があるので、あずきにゃんと若猫が、ほかの猫を受け入れた心境はそれぞれちがうのかもしれない。
しかしなんにせよ、里親さんの愛情を一身に受けたことや、安定した暮らしが彼らを変えたのはたしかなことに思われる。
保護猫カフェで、シェルターで、無数の猫が家庭へと旅立っていく。
何があっても離さないと覚悟を決めた家族の一員に迎えられ、仮住まいから定住の地へ。
それを祝福するとき、あずきにゃんや若猫のことを思い出す。
彼らを変えた、安住のパワー。
それをこれからこの子も授けられるのだと思う。
春から夏にかけて、世界中のシェルターや保護団体のSNSアカウントには、子猫の写真が溢れる。
そうでなくても、なんらかの理由で飼えなくなった猫や動物たちが多数持ち込まれる。
彼らにも、ペットショップやブリーダーから買われる動物たちにも。
みなに、安住のパワーが授けられますように。
それが永遠でありますようにと願っている。
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画像は登場する猫とは関係なく、フリー素材です。
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