平凡

平凡

「才能」という言葉が出てこないマンガ描きのマンガ『これ描いて死ね』

最初はみんな、下手くそなのだ。

これって案外、忘れられがちなことではないか。

何しろ今はネット時代。

ブラウザでもSNSでも開けば即、綺羅星のごとき才能がぎらっぎらに輝き、めくるめくシンデレラストーリーが目に飛び込んでくるのだから。

 

 

そして、「最初はみんな、下手くそなのだ」は、フィクションの中でも無視されがちな要素ではないか。

スポーツものはともかく、とくに創作を扱うものだと、作中作として、「架空の小説」「架空のマンガ」「架空の映画」などを出さざるを得ない。

それがド下手くそというのは描きづらいし、何よりドラマを盛り上げにくい。

 

かように現代でなかったことにされがちな「最初はみんな、下手くそ」を正面から扱い、かつドラマを最ッ高に盛り上げているのが、とよ田みのるさんのマンガ『これ描いて死ね』だ。

 

作品紹介ページ。1話の試し読みあり。

gekkansunday.net

 

『これ描いて死ね』の筋書きはシンプルだ。

「とあるマンガの大ファンである女子高生の安海相が、マンガを描き始める」。

 

相は大のマンガ好きだが、なかでも『ロボ太とポコ太』という作品の大ファン。

作品に心を動かされ、また、支えられて生きてきた。

とはいえ、読むばかりでマンガを描く発想はなかった相だが、あるきっかけから「マンガって描けるんだ!」と知る。

漫画同好会を立ち上げようとする彼女に、顧問候補の教師はひとつの条件を告げる。

それは、1週間でマンガを1作描き上げること。

 

マンガの描きかたがまったくわからず、絵もそれほど上手ではない相は四苦八苦。

しかし、なんとか1作描き上げて提出する。

それはノートにボールペンで直書きしたものだった。

 

絵も物語も構成も何もかもが稚拙なその作品。

それは周囲の人間に、3つの反応を引き起こす。

 

教師は読みながら思う。

「構成もダメ、絵も最悪」

「いいところを探す方が難しい。」

「でも分かる。」

「これを愛して描いている。」

相のマンガの底にある愛が、元プロの漫画家であり、なんらかの理由で挫折した教師の胸を打つ。

 

相は部員勧誘と部室確保のため、マンガを周囲の生徒たちにも読ませる。

彼らは戸惑い、笑う。

「なんというかユニーク」

「これはギャグではなく?」

「逆に面白いね」

 

そしてもうひとり、自分の本心をいつも押し込めて生きている同級生。

相のマンガに込められたメッセージが、彼女を惹きつける。

 

最初に描いた作品が下手くそだった。

周囲に笑われた。

そのことで、相は作品のレベル、クオリティを知る。

凹む彼女に、教師は言う。

「真摯に気持ちを乗せた表現は人間そのもの。」

「そこに優劣はありません」

「気持ちが正しく 漫画に乗れば 技術を超えて 人の脳を揺らすのです」

そして、まさに“脳を揺らされた”同級生が相の前に現れて……。

そこからおもしろい作品を描くための相の悪戦苦闘がはじまる。

 

教師の言葉は、「なぜ、わたしたちが何もかもが嘘っぱちのフィクションに心を動かされるか」に対するひとつのアンサーだ。

ちまたにあまたあるフィクション。

商業作品として世の中に出回るだけの磨き抜かれた技術があり、そのうえに、作者の気持ちが乗っている。

その気持ちに共鳴する。脳が揺らされる。だからわたしたちは心を動かされる。

 

よくできた作品はもちろん、絵が下手、物語の運びが荒々しい――そんな少々欠点がある作品であっても、「わたしには刺さる!」と思えることがあるのもそのためなのだろう。

 

そして教師の言葉はまた、創作をする人にとっては、このうえないエールでもある。

稚拙であっても、誰かの心に響く可能性があると言っているのだから。

 

「主人公がマンガを描くマンガ」でありながらも、この作品には「才能」ということばが今のところ一回も出てこない。

マンガが大好き。

この作品が大好き。

だから、わたしも描いてみたい。

できればおもしろいものを描きたい。

そのためにどうするか考える。

がんばる。

 

1巻に出てくるのはそれだけ。

創作と結びついた愛と試行錯誤だけだ。

でも、愛だけでは多くの人の脳を揺らすことはできない。

そのためには技術が必要だ。

愛は無限ではないし、万能でもないのだから。

この愛は、相をどこへ連れて行くのか――。

 

この作品全体のおもしろさはそんなところだ。

 

最後に、もうひとつ。わたしがこの1巻で「他の作品にはない」と思った要素がある。

それは、「1作描き上げることの力」が見事に描かれている点だ。

 

1作描き上げたから、人に見せられた。

人に見せたから、自分のレベルやクオリティがわかった。

人に見せたから、共鳴してくれる人が見つかった。

プラスとマイナス、ふたつの反応を受けて、おもしろいものを作りたいと思う。

だから、前とはまったく違った姿勢で2作目に挑んでいける。

 

なんらかの創作をやったことのある人なら、これが創作初期に踏む典型的なステップであることがわかると思う*1

 

『これ描いて死ね』は、1作描き上げて、いきなり才能が人の目に止まるようなシンデレラストーリーではない。

何かが大好き。だから自分もでやってみる。でも下手くそだ。じゃあ、どうするか……。

マンガに限らず、多くの人が何かを始めるときに踏むステップ。

SNS全盛時代に忘れがちなそれを、エンターテインメントにしている。

すくなくとも1巻はそうだ。

マンガ好きな人はもちろん、何かを作り、発信したことがある人に激推ししたい作品だ。

 

画像は《朝靄残る苔生す石段のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20201204343post-32361.html

*1:そして理想的なステップ