平凡

平凡

不思議な空間、カウンセリングルームで起こること

カウンセリングに通っている。

8年ぶり2回目、同じ先生にお世話になっている。

 

カウンセリングとは、つくづく不思議な時間だ。

 

守秘義務がある他人に、ひたすら話をきいてもらう。

わたしがお世話になっている先生の場合は、話が途切れたところで、適度に解釈しすぎない解釈を入れてくれる。

 

「いろいろ話して、無意識下にあるものを拾い、ひとつひとつ棚に入れていきましょう」とか、

「夢って無意識のいろいろがあらわれるので、それを拾っていくだけで何かを整理することになるんですよ」とか。

 

車輪が回るのを、そっと押してくれる感覚だ。

 

強い肯定も否定もされず、感想すらも挟まれないまま、ひたすらに話しつづける。

 

最初は何を話そう、と思う。

わたしの悩みなんて、たいしたことじゃないからなあ。話すことなんて、そんなにあるかな?

 

ところがどっこい、「どうしてここへ来ようと思ったか」「たいした悩みじゃないけど、やっぱり解消したくて」と口火を切り、「保護犬の申し込みをしたんですよ」*1などと近況を話すうち、芋づる式に出てくるものがある。

 

そのなかで、いろいろなことが浮かんでくる。

忘れていたこと。

一見、関係のないように見えること。

大きな問題だとは思っていなかったこと。

 

気づくこともある。

8年前にカウンセリングにかかるきっかけとなった問題は、わたしのなかで解消され、過去のものになっている。

でも、ひとつだけ――。

8年前にも話し、今に持ち越している問題がある。

過去のものになった問題と、現在進行形のものでは、生々しさがちがう。

かさぶたの横に、むき出してじゅくじゅくとしたものがある。

そのことに、ぎょっとする。

 

どうしてもどうしても、口に出せない内容にぶつかることもある。

抵抗、ではない。

怖いわけでもない。

恥ずかしいのとも違う。

でも、話せない。

「これを話そう」と思っているのに、どうしても口が動かない。

そんな経験ははじめてで、新鮮ですらあった。

不思議なのは、「口に出して話せない」のが、ブログには書いた内容であることだ。

 

たいしたことじゃない、と思っていたこと。

 

「ひとりで書くことと、声帯をふるわせ、物理空間で話すことの間には、大きなへだたりがあるんですよ」と先生は言う。

 

「中年の危機」とひとくくりにしていたものをひもとくと、思っていたよりもずっと柔らかいものが露呈する。

キャリアの不安も紐づいた問題だと思っていたけれど、いまのところ、カウンセリングルームで仕事の話をしたことはほとんどない。

 

大きなトラウマがあるわけではない。

でも、だからこそ、日常では気づくことができない問題、というものがたしかにある。

 

傷、というほど大げさなものじゃない。

皮膚がむけたままはりきらず、露出した生々しい領域。

それが揺れて震えて、心を不安定にさせる。

 

でも、だいじょうぶ。

わたしは自らの手で予約して、カウンセリングルームへ足を運んだのだ。

わたしには、回復力が備わっている。

痛い痛いとわめく強さを、わたしは持ち合わせている。

 

目下、ぐらぐらとして不便な日常のなかで、わたしはわたしの治癒力を信じている。

 

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*1:ちなみに問い合わせを送った先から返事が来ず、どうやら不調和に終わったようである

「産む性」から「わたし」を、べりっとはがせたら

医者ってときどき、いらぬことを言う。

 

「あ~、これは子ども、産めないなあ」

 

高校一年のときだった。産婦人科医は、わたしの下腹にエコーを当てながら言った。

モニターには、不鮮明なモノクロ画像で、白い何かが映し出されている。

粗い画像で見る子宮の形は、ネス湖で撮影されたネッシーか何かのようにあやふやだった。

 

「ぜんぜん、子宮が育ってないから……」

 

はあ、ともなんとも言えず、わたしは診察台の上で下腹を出したまま、それを聞いていた。未成年のうちは、産婦人科医独特の内診はない。エコーのすべりをよくするために塗られたジェルが冷たかった。

 

子宮が育ってない。子どもが産めない。それで。わたしはつづきを待った。

 

「とりあえず、薬を飲んで、ホルモンの数値を整えていこう」

 

オーケー。とりあえず、薬を飲む。

それでその日の主訴であった、「生理がダラダラ続く問題」は解決するのだろう。

でも、それ以後の人生はどうするんだろう。

 

子どもが産めないんだって。

 

当時のわたしは、「将来は子どもがほしい!」「お母さんになりたい!」と、はっきりした夢を抱いていたわけではなかった。

それでも、「当たり前にあるかもしれない」と思っていた可能性がひとつ、なくなった。何かがひょいっと、持って行ってしまった。そのことに、わたしは呆然としたのだった。

 

そのころのわたしは体重が減っていた。よく「やせすぎて生理が止まる」というが、わたしの場合は逆だった。ダラダラと少量の出血がいつまでもつづいて気持ち悪かった。

ホルモンのバランスを整えるために薬を飲み始めると、とりあえず生理は止まった。かわりに、食生活を変えていないのに、うっすらと脂肪がつくようになった。なんだかからだが重い。わたしじゃないみたい。やっぱりちょっとした気持ち悪さを抱えながら、そして、将来への呪詛として「子どもが産めない」を頭の中にひびかせて、わたしは高校の三年間を過ごした。

 

もう記憶はずいぶんあやふやだが、薬はずっと飲んでいたわけではなかったと思う。高校三年生を迎えるころには、生理は規則正しいとはいえなかったが、一カ月もだらだらとつづくことはなくなっていた。進学をひかえ、上京前に、最後の通院をした。

診察台に寝る。ジェルはあいかわらずひやっとする。

 

「おっ、育ってるね! これなら子どもも産める!」

 

医者はずいぶん気軽に言った。

そのころのわたしは、自分のからだについて問いかける言葉を持たなかった。

いまなら、「何が変わったのですか」「どうして産めないと思ったのですか」「どうして何が良くなったのですか」と質問をすることだろう。

 

妊婦さんが圧倒的に多い待合室で、母親の支払いを待ちながら、わたしはぼんやりと考えた。この三年間、ずっとわたしの心のどこかを圧迫しつづけていた、「産めないんだ」はなんだったんだろう。

誰かが何の気なしに言ったことに悩み、あとからそれが撤回されたとしても、悩んだ時間は取り戻せない。

そういう世の真理をぼんやりと悟ったのだった。

 

 

「女性の場合、『産む性』であることが、自分の在り方、どうありたいかに強く結びついていることがあります」

 

それから25年を経て、わたしはカウンセラーと相対している。わたしは結局、子どもを持つことはなさそうだ。

 

「強く、強く結びついているから、それがぐらぐらすると、こう、『自分の在り方』が揺れてしまうことがあるんです」

 

カウンセラーは、左手を握り、そのうえに右手のひらを開いて乗せ、ぐらぐらと揺らした。左手が「自分の在り方」、右手が「『産む性』であること」なのか、その逆なのか。

 

思えばせいぜい十五、六だったわたしが「産めない」に傷ついたのは、やっぱり自分という存在と、「産む性」であることを強く紐づけていたからだろう。

 

そうだ、あのころ、絵を描いた。

結婚が怖くて、将来が怖くて、その反面、安定した自分だけの家庭がほしくて、でもそんな未来はとうていありそうに思えず、その矛盾に耐えきれなくて。

下手くそな漫画絵だった。

若い男女が寄り添っている絵。

その絵はわたしをみじめにした。

稚拙に表出したストレートな欲望は、どうしてあんなに心を傷つけるのか、いまもって不思議だ。

スケッチブックに描きなぐった男女は、手に赤ん坊を抱いていた。

 

 

目の前で、カウンセラーが言う。

 

「だから、自分がどうありたいか、土台を考えていきましょう」

 

「自分の在り方」がはっきりすれば、このぐらぐらがおさまるのだろうか。何か答えが見つかるのだろうか。「産む性」であることと自分を、べりっとはがすことができるのだろうか。こんなにも長い間、ずっと無意識下でくっついていたのに。

そもそもべりっとはがせたら、何が見えるんだろうか。それってわたしなんだろうか。

 

「子どもを持たない人生」を受け入れられず、かといって不妊治療にも踏み切れない。子どもが絶対にほしい! とも思い切れない。そんな自分が全部、許容できない。

こんな複雑骨折した願望とあり方を、どこかでまっすぐにすることができるのか*1

 

ただ――。

死ぬまでは生きなければならないし、どうせ生きるなら「だいじょうぶ」に生きたい。

暗中模索の中で、そんな図々しさだけが、わたしに光を見せてくれる。

 

 

写真はぱくたそからお借りしました。《野原にひとりぼっちの写真素材 https://www.pakutaso.com/20150820222post-5872.html

*1:このあたりの迷走ぶりは、こちらのエントリーに書いています。

子どもをもつことについての本音の話 - 平凡

 

たとえ何ひとつ残らなくても

「そんなものは、あの世に持っていけないでしょう」

「お金はあの世では使わないし」

「あのひとは後世に残る研究をした」

「残る」「残らない」をめぐる言説は多い。

 

 

そういえば、書籍の編集をしていたとき、社長や上司は言った。

「雑誌と違って、書籍は残るんですよ」

だから、書籍のほうが上だ、誇りを持て、といったニュアンスがあった。

 

巡り巡って、わたしが居場所を見つけたのは、読んだハナから忘れられていく雑誌の世界だった。

人々の楽しみのために、1号分に、1記事に全力を投じる。

それが性にあっている。

一瞬で忘れ去られる記事であっても、読んでもらうからには、いい加減な情報は載せたくない。

正しい情報を濃密に、引っかかることなく、するりと理解できる文章で。

それが喜びであり、誇りだ。

 

書籍編集時代の社長や上司が言った通り、わたしが編集した数少ない書籍とは、いまだに図書館で出会うことがある*1

それはそれですばらしく、ありがたいことだと思う。

が、とくにうれしいとは感じない。

 

生業では、燃え尽きるまで、花火のような仕事をしていきたい。

一瞬のきらめきが、それでも読む人の心を照らしますように。

消えることは惜しいと思わない。

わたしの書いたものはどうか読み捨ててほしい。

ただ、インタビュー記事では、インタビュイーのことばが誰かの心に残ったらすてきだとは思う――。

 

でも。

 

こうやってブログを書く。

小説を書く。

生業以外の文章では、何かを残したいと思っている。

 

むかし、ある文芸系の編集者に言われた。

「何かを後世にのこしたい、ですか。

そんなことは、創作をする人間はみんな考えているんです」

 

死後も残るようなものを書ける可能性は低い。

その可能性は、キーボードを打つ指がかじかむほどにわかっている。

それでも、内から出るものは書きつけたい。残したい。

 

この前、小説を一気読みしてくれた人があった。

その量、20万字。

おそらく夜を越えて読んだうえで、感想をくださった。

 

そういう体験があると、心からの満足がため息となってもれる。

ああ。

わたしの身が尽きても、いつか小説が消えても忘れ去られても。

たとえ何も残せなくても。

この喜びだけは、わたしのものだ。

わたしだけが抱きしめて、棺桶までもっていって、ともに燃え尽きるもの。

 

世界に何を残せなくても、それでも、「わたしにはこの喜びがある」と思えるもの。

今回のコメントに限らない。

創作に対してもらう感想には、すべて、それぐらいの喜びがある。

 

書くことを含むコミュニケーションすべてには、「誰かにこの想いを届けたい」という祈りがこめられている。

思うに、フィクションを書く行為は、その「祈り」成分がひときわ濃いのだ。

だからこそ、届いたときの喜びは深い。

 

どこから来たのかわからない空想。

それを形にすることでしか、届けられないものがある。

書いてみるまで、あるいは書いてみても、それが何であるかわからないこともあるけれど。

投げて、投げて、叫んで、叫んで。

たまに遠い世界から、自らのこだま以外が返ってくる日がある。

 

文芸系編集者はつづけて尋ねた。

「残したい。それは大前提として、あなたは何を書きたいんですか」

それがよくわからんですよ。

「人の心に届くもの」というのは、ちがう。

それは結果であって目的ではない。

でも、届いたらうれしいんですよ。

 

何も残せないことは*2、怖くない。

「死後も残るものも」なんて大それたことも、もう考えない。

ただ、頭が働くうちはできるだけ長く、できるだけ多く、意味あるものが書けますように。

それが誰かに届きますように。

 

やっぱり創作は祈りだ。

 

祈りを込めて、今日も歩きながら、読みながら、キーボードを打ちながら、何を書くかを考えている。

 

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*1:売れたとか質がよかったわけではなく、ある分野での基礎の基礎的な本を作っていたため、息が長い

*2:と考えることができるのは、「書く」行為だけで、子どもをのこす、のこさないはまた別なのである

疾風怒濤の10月が終わり

10月が終わりました。近所の柿が熟して地面に落ちています。

コロナ療養中は日ざしにきらきら輝いていた並木からは葉が舞い落ちています。

秋です。

寒い……!

年に一回いただいているお仕事がありまして。

10月はそのハイライトになるので、毎年、繁忙期となります。

手も頭も回らないながら、ブログは7回更新できました。

 

更新できないときも、何かは書くようにしています。

10月はまとまらないままに下書きがたまっていったり、一行書いてこりゃダメだとなったり。

 

思うに、書くときって“仕上げ力”みたいなものがいりますよね。

ブログの1エントリーであっても、書き上げるには「ガッ」と最後の馬力がいる。

坂道を上がりきる力、に近いでしょうか。

そして、それをWEBにアップするときに、また力がいります。

自分が書いたものをワールドワイドウェブに放流するぞと決意して、「公開ボタン」を押すときのあの緊張感。

これはなんといえばよいのか。

公開するときの胆力って、「よっしゃ脱いで踊ったる!」って思い切りに近い。

“露出力”が近いかもしれません(笑)

 

何もしないと、ぜんぶにぶっていくんですよね。

書かないと、出力がにぶる。

無理やりにでも書き上げないと、“仕上げ力”がにぶる。

公開しないと、“露出力”がにぶる。

 

その段階を意識したうえで、ぜんぶやるのが無理なら、出力だけしておく。

 

何もできない日はとりあえず出力しておけば、次の日“仕上げ力”が発動しやすくなる。仕上げたら、みんなに見てほしいから“露出力”が発揮されるというわけで。

 

そして、出力だけしかやっていないと、“仕上げ力”と“露出力”がにぶっていることをひしひしと感じます。

そうすると、「出力だけは毎日死守せねば!」となる。

結果、「書く」は気分に左右されにくくなりました。

そんな進歩が感じられ、うれしかった10月でした。

 

そして、この問題。

自分の中で消化できないものがありまして……。

その問い。 - 平凡

6月に以下のエントリーを書いたら、調子を崩してびっくりしたことがありました。

子どもをもつことについての本音の話 - 平凡

「自力ではどうしようもないくらい情緒不安定になる、理屈で解決できない悩みがあるなら、さっさとプロを頼るべし」のポリシーにのっとり、カウンセリングに通い始めました。

「カウンセリングにかかるほどか~?」ともうひとりの自分がささやきますが、だまらっしゃい! 日常生活に差し支えないうちに、早め早めに対処するのが肝要なのです!

カウンセラーの先生には8年ぶりにお会いしました。いい感じなので、しばらく続けていきます。

カウンセリングはいいものなので、気楽にやるといいな~と思います。

都市部でないと選択肢が十分ではないかもしれませんが、今はネットを使っての、テキストのみのカウンセリングもあるようです。

 

10月はほか、賃貸の規約上、ペットは(我々の契約時の希望で)「猫2匹」となっているのを、「柴犬サイズの犬1匹まで」に変えられないかをかけあっているうちに終わっていた月、でもありました。今のところ行き違いがあり、要交渉です。

賃貸住宅というのものは、「ペット可、ただし犬1匹」が多いわけで、常識的に考えれば希望は通るはず。

もし交渉が進んだら、そのあとどうするか。まだわかりません。

カウンセリングである程度、気持ちに決着をつけてからかな。

 

ちょっとずつ何かが進んでいるのか。どうなのか。

 

いま、ちょっと波があるので、皆さんのブログに遊びに行けたり行けなかったり。

なにはともあれ、にしむくさむらい11月!

休息はしっかり取り、日光にはなるべく当たり、いままでやってきたことを信じて、歩みを止めずにやっていこうと思います!

 

***

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その問い。

そのむかし、独身だったころ。

友人のひとりが、配偶者から突然、離婚を切り出された。

夫婦のことはふたりにしかわからないものの、友人に目立った非はなかった。

その唐突さから、なんとなく浮気ではないかな、と思った。

 

理由はともかく、友人は離婚に同意し、結婚生活を終えることとなったのだった。

「ひとり暮らしに戻るので、いろいろ教えてほしい」と言われ、近所のカフェで会ったのは平日の昼間。

彼女は独身時代はひとり暮らしをしていたし、しっかりと生活を営んでいる印象だったので、その要望には驚いた。

それを率直に伝えると、ここ数年は結婚生活にあまりにフォーカスしすぎて、調子がわからない、という話だった。

 

料理は気楽にやればいいんですよ。ひとりなんですから。えっ、毎日一汁四菜用意してたんですか? よんさい? 彼の要望で? マジ? 

まあとにかく、そういうこと考えなくていいんですよ、いっさい。

昔、具だくさんのみそ汁作って何日も飲む、みたいな話、してませんでしたっけ?

いっしょに働いているとき、料理記事のための実験で、ご飯の上に野菜置いて炊飯器で炊いたじゃないですか。ああいうの毎日食べてますよ、わたし。

かかる費用は家賃と光熱費と、食費と……。

部屋選びは、不動産者にいっしょに行ってくれる人がいるんですか。なら心強いですね。

このへんならそうですねえ。古い1Kで家賃はこれぐらいが平均かなあ……。

 

最後に、「こういうことを聞くのは、失礼かとは思うのだけど」と切り出された。

「平凡さんは恋人もいない、結婚の予定もない(当時)。いま、何を楽しみに、どんなビジョンを描いて生きてるの?」

聞きようによってはひどい質問だが、彼女はただとまどっていた。

仕事をしながら、夕食には必ず一汁四菜を用意するほど、家事にも打ち込む毎日。

その延長線上にあったはずの未来。

いつか子どもが生まれることも考えていただろう。

それが突然断ち切られてしまったのだ。

とまどって、落胆して、ただ悲しんでいた*1

 

それが伝わってきたから、わたしはできる限りで答えた。

突然、「生きがいはなんですか」と聞かれて、面食らいはしたけれど。

ただ――。なんと答えたかが、思い出せない。

 

若くて、独立したばかりで、ひとり暮らしで、恋人もいなくて。

将来は結婚はしたい……ような気はしていた。

あのころ、何を楽しみに、何を目標に、どんな未来を描いて生きていたんだろう。

 

そんなことを思うのは、当時の彼女とまったく状況は違えど、同じ疑問が胸をよぎるからだ。

結婚をしている。仕事もしている。結婚生活もしあわせだと思う。

結婚当初から、子どもを熱望していたわけではない。

わけではない、はずだった。はずなのに。

それでも異性である夫との婚姻生活が順調であればあるほど、疑問が頭をもたげる。

この先、おとなふたりだけの人生を、どう生きていくの?

何を生きがいに、どうやって?

仕事は……ライフワークは……何か残せてる?

 

何かを残すだけが人生ではない。

独身、あるいは結婚、事実婚している。

子どもがいる、いない。

同性のパートナーがいる。

性欲がある、ない。

子どもを望む、望まない。

いろいろな人生があり、それぞれの生きがいがある。

他人についてはそう思う。

 

でも、わたしは――?

 

自分自身のことだからわかる。

そこには、仕事での自信のなさ、この10年もっと学ぶべきだったという後悔がないまぜになっている。

妊娠、出産の話をくっつけているのは、実にいやらしい話だと思う。

 

ともかく、中年の危機、というやつが目の前にある。

 

友人に問いかけられたのは、15年ほど前だ。

状況も違う。年齢も違う。

それでも、気になってしまう。

将来の予定が何もなかった“素”のわたしは、何を望んでいたんだろう。

 

子どもがいたらいたで、大きな悩みがわんさかあったはずだ。

ないものねだりが過大に含まれていることも、自覚はある。

だから、いまの自分のありようは、滑稽だなと思う。

かといって、笑い飛ばす胆力もない。

 

いまが見えないから、過去の答えを思い出そうと必死になっている。

でも――。でも、あのとき、わたしは「その問い」になんと答えたんだろう。

 

愚かなままで、きょうもまた一日ぶん、年を取っていく。

 

***

写真はぱくたそよりお借りしました。

《ノスタルジックな感覚を誘う草木の写真素材 https://www.pakutaso.com/20201258346post-31982.html

*1:彼女はそののち再婚し、いまはお子さんが2人。自然豊かな土地へと移住していった

分断される時間

2022年の記憶は、2月24日前とその後で、分断されている。

その日、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまった。

 

 

2月24日は撮影だった。

お取り寄せの記事のため、わたしたちはおいしいものを、すてきなライフスタイルを感じさせるように工夫して撮った。

撮影開始前に、軍事侵攻がはじまったニュースは目にしていたから、作業を手伝いながらも、そのことがずっと気にかかっていた。

 

2021年11月ぐらいからだと思う。

ロシアがウクライナに侵攻するのではないか? との疑いが強まり、関連ニュースが頻繁に流れるようになった。

ロシアはウクライナ国境に軍隊を集結させ、軍事演習を繰り返した。

なかでも衝撃的だったのは、「もしも」が起きた場合、3日かそれぐらいか、とにかくたいへんな短期間でウクライナは陥落する、といったニュースだった。たしか、NATOの軍備を借りてなお、と書かれていた。

そんな相手に、ロシアは戦争を仕掛けるの? マジで? 21世紀に「侵略されて国が陥落する」とかあるの? そうなったらウクライナはどうなるの? 

 

いやいや、いくらなんでもそれはないでしょう。

 

2022年年明けの取材でも、「最近の関心は『ロシアが戦争をしかけるのかどうか』ですね」と話題に出たことを覚えている。「でもまあ、やらないでしょ。常識的に考えて」とその雑談はしめくくられた。

周知のとおり、その“常識”は破られた。

ロシア関係の軍事研究をしている人たちのTwitterなどを読んでいると、知識があってなお、驚きがあったことがわかる。

そういうことが、現実に起こった。

 

軍事侵攻がはじまってしばらくすると、「なぜこの侵攻が世界中でことさら関心をもたれるのか」が取り上げられるようになった。

ヨーロッパの人などは、「同じ肌の人たちが、戦争で家を焼け出されている。それが衝撃だった」と身も蓋もないことを語った。

同じ肌の色の人たち――だったからかどうかはわからないが、わたしにとって、ロシアの侵攻からさかのぼること1年前に起きたミャンマーのクーデターも衝撃が大きかった。

わたしは昔から、「強権的な政府が生まれること」「民主的な選挙が行われなくなること」に強い恐れを抱いている。

なので、ミャンマーでのクーデーターによる軍事政権の樹立と、それに抵抗する市民への過酷な弾圧は胸が痛いものだった。

ミャンマーの事件では、軍事政権がインターネットを一時遮断した。軍の狙い通り、弾圧の模様はあまりネットに上がらず、その結果、人々の関心は2019年の香港民主化デモ、2020年のBLMに比べても格段に低かったように思う。

断片的に報じられる情報やNHKのドキュメンタリーを見る限り、凄惨なことが行われていたはずなのに。

情報が氾濫する世界で多くの人々の関心をひくには、市民が撮ったショッキングな映像が欠かせないのだと思い知らされた。

ミャンマーの件は2年近く経っても状況は変わらない。民主化を求める一部の人々は軍に対抗するため、少数民族武装勢力と手を結ぶようになった。

ミャンマー少数民族の歴史は、血ぬられた弾圧の歴史だ。軍により「村を焼く」ことが文字通り行われ、民族によっては、マジョリティである市民からの激しい差別感情にもさらされている。

その武装勢力と、自由を求める市民が手を結ぶ。ニュースを見るたびに心が重くなる。

 

かように憂うべきことや、悲惨なことは世界に溢れている。先日もナイジェリアの紛争でかなりの死者が出ているが、日本ではほぼ報じられないと、ニュースになっていた。

ただ、ロシアによるウクライナ侵攻に関心が高い理由もそれなりにある。仕掛けたのが大国であるだけに、経済への影響も大きい、とか。

 

「2月24日前後で記憶が分断されている」と気づいたのは、これまた不安なニュースのひとつ、北朝鮮弾道ミサイル発射だった。10月18日までに、10月は7回行われている。「最近、とみに多いなあ」と思っていたら、1月にも7回あったのだった。

それで、1月と今とでは、感じ方がまったく違っていることに気がついた。

 

1年前、ほんの短期間で陥落すると予想されていたウクライナは、いまのところ8カ月以上も持ちこたえている。

ロシアもウクライナも西側諸国もプロパガンダを流しているが、それはさておき、流れてくる動画や画像は悲惨なものだ。

黒こげの戦車、転がったベビーカーの横にかけられたモザイク、街に降り注ぐ焼夷弾

 

「ロシアが悪、ウクライナは善という善悪二元論に逃げるな」との声もあるけれど、どんな背景があったとしても、領土の侵攻をしているのはロシアである、という事実はゆるがない。

大国が領土を求めて侵攻をしており、そこに理想はない。その戦争のやり方、進め方自体、近代的な戦争の研究者からは首をひねられている。

そこには善悪二元があるのではなく、究極の理不尽がある、というのがわたしの感じ方だ。

 

子どものころは東西冷戦があったので、「核の脅威」ということばをよく聞いた。それがふたたび、頭をもたげている。

子ども時代と決定的に違うのは、「核兵器が使われても、世界はつづいていく」との確信があることだ。

局地的に悲惨なことが起こり、環境が局地的に破壊され、その局地以外ではさまざまなことが少しずつ悪くなって、日常はつづいていく。

加えて、いったんそれが起きればいろいろなことの「閾値」が一気に下がるだろう。

 

考え始めればキリがない。

1995年1月、1995年3月、2001年9月11日、2011年3月、2020年3月。見えている世界が切り換わるような出来事は、過去にも数多くあった。

何が起きても、わたしにできることは変わらない。できるかぎり日常を営むこと、できるかぎり心地よく過ごすこと。仕事をすること、家族を愛すること。

一方で、政治について、世界について関心をもつこと。何もできなくても「知る」こと。

 

とはいえ。

目の前のことを一生懸命やっていれば、世界はよくなるんですよ。

美しい生き方をすれば、美しい世界に貢献できるんですよ。

と言うつもりはない。

それはごまかしだと、わたしは思う。

 

わたしの日常的な態度は、世界になんら変化をもたらさないこと。自分が無力なこと。

それを知りながら、吹けば飛ぶような日常を、できるだけ長くつづけられるように考え、歩むこと。

 

世界が刻々と変化していくなかで、できるだけごまかさずに生きていきたい。

それが今のところのわたしの願いだ。

 

***

画像はAC素材よりお借りしました。

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駆け出しフリーランスに必要なのは「未熟さに耐える力」では

あいかわらず。ずーっと考えてしまうのです、このこと。

とても短い雑感です - 平凡

手短にいうと、あるWebライティングスクールが破綻した……という話ですね。

そこは27万円払うと月2回×6回の講座が受けられ(原稿添削含む)、修了後は月3万円を払うことで、単価がとてもよい仕事を紹介してもらえると謳っていました。

しかし、スクール始動から6~7カ月で破綻。

 

このスクールに通っていた人、あるいは別のスクールに通っている人のツイートを追っていて感じたのは、「未経験だから、とりあえずスクールに入りたい」需要がけっこうあることです。

順当っちゃ順当です。

 

スクールに通う人たちの目標は、表向きは「スクールでしっかり学び、スキルを身に着け、自信を持って仕事を請けられる自分になる」こと。

 

ただ。

このスクールに限らず、漏れ聞こえてくる講座の内容を聞く限り、何万円、何十万円も払う価値があるようには思えないんですね。

実用書1冊読んで、「自分が書いた文章の読み方、直し方」を工夫すれば対応できるのではないか。

スクールに通っていた人たちの声を追っていくと――。

「フィードバック(原稿を読んでの添削)はまあよかったかな」とか、「講師によって質はまちまち」とか、いろんな感想が目に入ってきます。

ほめているものであっても、「費用対効果」を実感しているようには思えません。

受講生の方々も、スクールの講座の内容がお金に見合ったものではないとうすうす感じているのでは……と思いました。

 

じゃあ、なぜ受講生の方々はスクールに通うのか。

「練習ライティングでの添削」「クライアントへの提出原稿の添削」があることに魅力を感じている人が多いようです。

破綻したスクールの場合、何より「高単価な案件紹介」がウリ。それがあまりにもまぶしいので、他の不足や不満はかすんでしまう。

でも、そこだけで思考が止まってしまうのは、ちょっと違っていて――。

本当に根っこのところで受講生の方々が買いたいと思っているのは、「安心」なんじゃないでしょうか。

 

そう思ったのは、

「ここがつぶれちゃったから、次のスクールも探さないと!」

クラウドソーシングで仕事を請けてみた。クライアントからOKもらっても安心できないから、スクールに通いたい」

という声を見かけたとき。

 

みんな、未知の仕事をやってお金をもらうことへの不安や、スキルに自信がない状態でお金をもらうことへの罪悪感がある。

それを、「誰かに指導してもらうこと」「スクールで学んだという既成事実」の安心感で塗り替えたい。

さらに、「仕事が取れるかどうかわからない」不確定要素もある世界。

スクールが仕事を紹介してくれたら、そこもちょっとは「確定要素」に変えていけそう。

 

単価が高い案件にしても、原稿添削にしても、魅力的に見えるのは、「なんだか荒れ地に見える『フリーランス稼業』に軟着陸させてくれそうだから」。

そのための料金として、みんな決して安くはないお金を払っているのではないかと感じました。

要するに安心料です。

 

でも、こういった不安って、スクールで解消できるのでしょうか。

安心はお金で買えるのでしょうか。

わたしは「ノー」だと思うんですね。

 

駆け出しのころって、みんな不安です。

わたし自身、編集プロダクションに入るとき、「書くのは好きです……でも、書いてお金もらったことはないし、雑誌に載るような文章を書いたことはありません……」とぶつぶつ言って社長を困らせたので、よくわかります。

てか、よくそんなこと言って入社できたな!

フリーになるときは、ライティング経験は多少は積んでいましたが、むき身の個人が裸一貫で仕事をするのは不安でした。

 

「駆け出しでもベテランでも、仕事は仕事。発注者側には関係ない(だからクオリティで勝負せねばならない)」とはよく言います。発注者側の絶対的な現実です。

けれど、誰にだって駆け出し時代はある。これは、受注者側の絶対的な現実です。

 

「駆け出しでもベテランでも、仕事は仕事」の世界の中で、「でも、駆け出しの自分は駆け出し以上になれないから、そこでベストを尽くすしかない」時期があります。

必ず、誰にでも。

そして、「未熟な自分がやった仕事」に対して、お金をいただく。

それに耐える瞬間も、誰にでもやってきます。

どこかに所属して、ベテランになってから独立するなら別ですが、未経験、または駆け出し状態でフリーになる場合はもれなく、です。

 

フリーになったら、「クライアントがOKと言ったらOK」なんです。どんなに自信がなくても。それを受け入れ、次へ進んでいく。それしかやりようがないんです。

 

スクールに行っても行かなくても、それに耐える瞬間は絶対にやってくるんですよ。

「駆け出しのうちは、講師が添削します!」と言ったって、いつまでもそうするわけにいきませんし。

スクールに行ったことで自信が身につけば、ひょっとしたら「未熟さに対する罪悪感」をやわらげてくれるかもしれません。

でも、ゼロにはしてくれません。

 

もっと良心的な価格、内容のスクールが世に溢れていたら、わたしも「不安がゼロにはならなくても軽減されるなら、スクールもありかもね」と言えたと思います。

けれど、現状、多くのスクールや情報商材の講座内容は不透明で、費用対効果があやしい。「安心料」にしても高すぎると、わたしは感じています。

みんなが持っている“ベーシックな不安”につけこんでいないかい? と思っちゃうわけです。

 

駆け出しのフリーランスに必要なのは「未熟さに耐える力」。

というとかっこよすぎで、テーマパークに入るときの入園料みたなもんです。

「そのタイミング」が来たら否応なく求められ、支払うもの。

待機列を多少短くしたり、あるいは短く感じる工夫はできても、「ないこと」にはできないもの。

あきらめるべきもの、といったほうが近いかもしれません。

 

ついでにいうと、わたし、独立して16年経ちますが、「クライアントがOKというからOKなんだろう」と言い聞かせることはまだまだあります。

駆け出しのころと、深度や方向性は違いますけれど。

フリーランスには、相対的な評価がほぼありません。

あの仕事はよかったの? 悪かったの? あの人から最近仕事をふられないのは、わたしの何かが悪かったの?

それでも――。会社での評価に皆目馴染めなくて、個人プレイしか理解できないわたしにとっては、フリーの方が断然「わかりやすい」のです。

不安だけど、そっちのが安心できる。そんなタイプの人間もいます。

もちろん、会社にもなじめるけれど、フリーになっている人も大勢いて、それはすばらしいことです。

 

ちょっと話がそれてしまいました。

独立して時間が経っても、「未熟さに耐える」「相対評価のなさに耐える」ことはある。

入園料を支払って「フリーランス」という名のテーマパークに入った後も、アトラクション料はときどき発生するってことです。

新しい仕事や、大きな仕事を任されることもありますしね。

そんなときにプレッシャーを感じるのは、会社員でも団体職員でも変わらないとは思うのですが、フリーランスの場合は、よりはっきりくっきりしています。

 

そういった“心の通貨”に対して、現実の通貨が対価として求められるのはちょっと違うかなあ、とわたしは思うのでした。

すくなくとも、ライティングの世界において、何十万円に値するような、どこにでも通用するような絶対的な技術はないんじゃないでしょうか。あったとしても、教えられる人は相当希少です。

また、フリーランスの世界にお金で買える安心はないんじゃないかな。“安心感”はあるのかもしれないですが。

 

「だから甘えるな」と言いたいのではなくて。

「お金をいただくならちゃんと学ばなきゃ」「未知の業界で仕事をするのはやっぱり不安」。

どちらも真面目だから感じることですよね。

それを利用しようとする人もいる。

でも、わたしはそれらを利用されてほしくない。

それだけなのです。

 

*画像はphotoACより。未熟さってことで……。

8月の栗の木(青イガ) - No: 24638143|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK