そのむかし、独身だったころ。
友人のひとりが、配偶者から突然、離婚を切り出された。
夫婦のことはふたりにしかわからないものの、友人に目立った非はなかった。
その唐突さから、なんとなく浮気ではないかな、と思った。
理由はともかく、友人は離婚に同意し、結婚生活を終えることとなったのだった。
「ひとり暮らしに戻るので、いろいろ教えてほしい」と言われ、近所のカフェで会ったのは平日の昼間。
彼女は独身時代はひとり暮らしをしていたし、しっかりと生活を営んでいる印象だったので、その要望には驚いた。
それを率直に伝えると、ここ数年は結婚生活にあまりにフォーカスしすぎて、調子がわからない、という話だった。
料理は気楽にやればいいんですよ。ひとりなんですから。えっ、毎日一汁四菜用意してたんですか? よんさい? 彼の要望で? マジ?
まあとにかく、そういうこと考えなくていいんですよ、いっさい。
昔、具だくさんのみそ汁作って何日も飲む、みたいな話、してませんでしたっけ?
いっしょに働いているとき、料理記事のための実験で、ご飯の上に野菜置いて炊飯器で炊いたじゃないですか。ああいうの毎日食べてますよ、わたし。
かかる費用は家賃と光熱費と、食費と……。
部屋選びは、不動産者にいっしょに行ってくれる人がいるんですか。なら心強いですね。
このへんならそうですねえ。古い1Kで家賃はこれぐらいが平均かなあ……。
最後に、「こういうことを聞くのは、失礼かとは思うのだけど」と切り出された。
「平凡さんは恋人もいない、結婚の予定もない(当時)。いま、何を楽しみに、どんなビジョンを描いて生きてるの?」
聞きようによってはひどい質問だが、彼女はただとまどっていた。
仕事をしながら、夕食には必ず一汁四菜を用意するほど、家事にも打ち込む毎日。
その延長線上にあったはずの未来。
いつか子どもが生まれることも考えていただろう。
それが突然断ち切られてしまったのだ。
とまどって、落胆して、ただ悲しんでいた*1。
それが伝わってきたから、わたしはできる限りで答えた。
突然、「生きがいはなんですか」と聞かれて、面食らいはしたけれど。
ただ――。なんと答えたかが、思い出せない。
若くて、独立したばかりで、ひとり暮らしで、恋人もいなくて。
将来は結婚はしたい……ような気はしていた。
あのころ、何を楽しみに、何を目標に、どんな未来を描いて生きていたんだろう。
そんなことを思うのは、当時の彼女とまったく状況は違えど、同じ疑問が胸をよぎるからだ。
結婚をしている。仕事もしている。結婚生活もしあわせだと思う。
結婚当初から、子どもを熱望していたわけではない。
わけではない、はずだった。はずなのに。
それでも異性である夫との婚姻生活が順調であればあるほど、疑問が頭をもたげる。
この先、おとなふたりだけの人生を、どう生きていくの?
何を生きがいに、どうやって?
仕事は……ライフワークは……何か残せてる?
何かを残すだけが人生ではない。
独身、あるいは結婚、事実婚している。
子どもがいる、いない。
同性のパートナーがいる。
性欲がある、ない。
子どもを望む、望まない。
いろいろな人生があり、それぞれの生きがいがある。
他人についてはそう思う。
でも、わたしは――?
自分自身のことだからわかる。
そこには、仕事での自信のなさ、この10年もっと学ぶべきだったという後悔がないまぜになっている。
妊娠、出産の話をくっつけているのは、実にいやらしい話だと思う。
ともかく、中年の危機、というやつが目の前にある。
友人に問いかけられたのは、15年ほど前だ。
状況も違う。年齢も違う。
それでも、気になってしまう。
将来の予定が何もなかった“素”のわたしは、何を望んでいたんだろう。
子どもがいたらいたで、大きな悩みがわんさかあったはずだ。
ないものねだりが過大に含まれていることも、自覚はある。
だから、いまの自分のありようは、滑稽だなと思う。
かといって、笑い飛ばす胆力もない。
いまが見えないから、過去の答えを思い出そうと必死になっている。
でも――。でも、あのとき、わたしは「その問い」になんと答えたんだろう。
愚かなままで、きょうもまた一日ぶん、年を取っていく。
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写真はぱくたそよりお借りしました。
《ノスタルジックな感覚を誘う草木の写真素材 https://www.pakutaso.com/20201258346post-31982.html》
*1:彼女はそののち再婚し、いまはお子さんが2人。自然豊かな土地へと移住していった