平凡

平凡

分断される時間

2022年の記憶は、2月24日前とその後で、分断されている。

その日、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまった。

 

 

2月24日は撮影だった。

お取り寄せの記事のため、わたしたちはおいしいものを、すてきなライフスタイルを感じさせるように工夫して撮った。

撮影開始前に、軍事侵攻がはじまったニュースは目にしていたから、作業を手伝いながらも、そのことがずっと気にかかっていた。

 

2021年11月ぐらいからだと思う。

ロシアがウクライナに侵攻するのではないか? との疑いが強まり、関連ニュースが頻繁に流れるようになった。

ロシアはウクライナ国境に軍隊を集結させ、軍事演習を繰り返した。

なかでも衝撃的だったのは、「もしも」が起きた場合、3日かそれぐらいか、とにかくたいへんな短期間でウクライナは陥落する、といったニュースだった。たしか、NATOの軍備を借りてなお、と書かれていた。

そんな相手に、ロシアは戦争を仕掛けるの? マジで? 21世紀に「侵略されて国が陥落する」とかあるの? そうなったらウクライナはどうなるの? 

 

いやいや、いくらなんでもそれはないでしょう。

 

2022年年明けの取材でも、「最近の関心は『ロシアが戦争をしかけるのかどうか』ですね」と話題に出たことを覚えている。「でもまあ、やらないでしょ。常識的に考えて」とその雑談はしめくくられた。

周知のとおり、その“常識”は破られた。

ロシア関係の軍事研究をしている人たちのTwitterなどを読んでいると、知識があってなお、驚きがあったことがわかる。

そういうことが、現実に起こった。

 

軍事侵攻がはじまってしばらくすると、「なぜこの侵攻が世界中でことさら関心をもたれるのか」が取り上げられるようになった。

ヨーロッパの人などは、「同じ肌の人たちが、戦争で家を焼け出されている。それが衝撃だった」と身も蓋もないことを語った。

同じ肌の色の人たち――だったからかどうかはわからないが、わたしにとって、ロシアの侵攻からさかのぼること1年前に起きたミャンマーのクーデターも衝撃が大きかった。

わたしは昔から、「強権的な政府が生まれること」「民主的な選挙が行われなくなること」に強い恐れを抱いている。

なので、ミャンマーでのクーデーターによる軍事政権の樹立と、それに抵抗する市民への過酷な弾圧は胸が痛いものだった。

ミャンマーの事件では、軍事政権がインターネットを一時遮断した。軍の狙い通り、弾圧の模様はあまりネットに上がらず、その結果、人々の関心は2019年の香港民主化デモ、2020年のBLMに比べても格段に低かったように思う。

断片的に報じられる情報やNHKのドキュメンタリーを見る限り、凄惨なことが行われていたはずなのに。

情報が氾濫する世界で多くの人々の関心をひくには、市民が撮ったショッキングな映像が欠かせないのだと思い知らされた。

ミャンマーの件は2年近く経っても状況は変わらない。民主化を求める一部の人々は軍に対抗するため、少数民族武装勢力と手を結ぶようになった。

ミャンマー少数民族の歴史は、血ぬられた弾圧の歴史だ。軍により「村を焼く」ことが文字通り行われ、民族によっては、マジョリティである市民からの激しい差別感情にもさらされている。

その武装勢力と、自由を求める市民が手を結ぶ。ニュースを見るたびに心が重くなる。

 

かように憂うべきことや、悲惨なことは世界に溢れている。先日もナイジェリアの紛争でかなりの死者が出ているが、日本ではほぼ報じられないと、ニュースになっていた。

ただ、ロシアによるウクライナ侵攻に関心が高い理由もそれなりにある。仕掛けたのが大国であるだけに、経済への影響も大きい、とか。

 

「2月24日前後で記憶が分断されている」と気づいたのは、これまた不安なニュースのひとつ、北朝鮮弾道ミサイル発射だった。10月18日までに、10月は7回行われている。「最近、とみに多いなあ」と思っていたら、1月にも7回あったのだった。

それで、1月と今とでは、感じ方がまったく違っていることに気がついた。

 

1年前、ほんの短期間で陥落すると予想されていたウクライナは、いまのところ8カ月以上も持ちこたえている。

ロシアもウクライナも西側諸国もプロパガンダを流しているが、それはさておき、流れてくる動画や画像は悲惨なものだ。

黒こげの戦車、転がったベビーカーの横にかけられたモザイク、街に降り注ぐ焼夷弾

 

「ロシアが悪、ウクライナは善という善悪二元論に逃げるな」との声もあるけれど、どんな背景があったとしても、領土の侵攻をしているのはロシアである、という事実はゆるがない。

大国が領土を求めて侵攻をしており、そこに理想はない。その戦争のやり方、進め方自体、近代的な戦争の研究者からは首をひねられている。

そこには善悪二元があるのではなく、究極の理不尽がある、というのがわたしの感じ方だ。

 

子どものころは東西冷戦があったので、「核の脅威」ということばをよく聞いた。それがふたたび、頭をもたげている。

子ども時代と決定的に違うのは、「核兵器が使われても、世界はつづいていく」との確信があることだ。

局地的に悲惨なことが起こり、環境が局地的に破壊され、その局地以外ではさまざまなことが少しずつ悪くなって、日常はつづいていく。

加えて、いったんそれが起きればいろいろなことの「閾値」が一気に下がるだろう。

 

考え始めればキリがない。

1995年1月、1995年3月、2001年9月11日、2011年3月、2020年3月。見えている世界が切り換わるような出来事は、過去にも数多くあった。

何が起きても、わたしにできることは変わらない。できるかぎり日常を営むこと、できるかぎり心地よく過ごすこと。仕事をすること、家族を愛すること。

一方で、政治について、世界について関心をもつこと。何もできなくても「知る」こと。

 

とはいえ。

目の前のことを一生懸命やっていれば、世界はよくなるんですよ。

美しい生き方をすれば、美しい世界に貢献できるんですよ。

と言うつもりはない。

それはごまかしだと、わたしは思う。

 

わたしの日常的な態度は、世界になんら変化をもたらさないこと。自分が無力なこと。

それを知りながら、吹けば飛ぶような日常を、できるだけ長くつづけられるように考え、歩むこと。

 

世界が刻々と変化していくなかで、できるだけごまかさずに生きていきたい。

それが今のところのわたしの願いだ。

 

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画像はAC素材よりお借りしました。

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