平凡

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シルバニアファミリー遊び。その敗北の歴史。そして親の愛

ちいさいころシルバニアファミリーで遊んでいた――というか、持っていた。こんな言い方になるのは、シルバニアでの遊びには、ある種のつまずき、敗北があったように感じるからだ。

 

 

最初の敗北は、シルバニア遊びの入り口、お人形選びからだ。わたしが最初に買ってもらったのは、たしか自分のなかで「シルバニアといえばこれ!」と思っていたグレーのうさぎのお姉さんだったと思う*1。つぎはたしか、ベージュのねずみ。いずれも選定理由は、「なんだかかわいいから」「着ているお洋服が似合っているから」。そのあと買い集めた数体も、そんな理由だったと思う。結果、手もとにあるのは自分でもなんだかよくわからない寄せ集めファミリーになった。当然、お父さん、お母さんといった役割もない。

 

次はインテリアだ。ある年のクリスマス、特大プレゼントとして、シルバニア用の大きなログハウス風の家を買ってもらった*2。包みを開けたときはうれしく、目の前のシルバニアライフは前途洋洋に思えた。

しかし、悲しいことに、わたしにはインテリアに対する想像力がとことん欠如していた。大きなおうちはいつまでたってもがらんどう。おもちゃを次々買ってもらえる環境になかったこともあるが、気が利いた子どもなら、空き箱などを利用して家具っぽいものでも作るのではないかと思う。

しかし、当時のわたしにはどうしてよいかわからなかった。わかるのは、お店で見てあこがれた夢いっぱいのログハウスと現状が、明らかに異なることだけ。次のクリスマスにはキッチンセットを買ってもらったが、それだけでは家っぽくならなかった。お人形を漫然と2階に置いたり、手で動かしてとことこと階段を降りさせて1階に連れて行ってみたり。憧れのログハウスでの遊びは、いつも家をウロウロさせているだけで終わってしまった。

 

こういった敗北の原因には、いま思えば心当たりがある。ちいさいころからごっこ遊びをしたことがなかったのだ。家具を置こうという発想がなくても、お人形がバラバラでも、人形に役割を与えさえすればごっこ遊びが成立、したがってログハウスも上手く使えたのではないかと思う。

そんなわけで、わたしにとって、シルバニアファミリーは見ていてかわいい、手触りのよい動物のお人形以上にはなかなかならなかった。

 

圧倒的敗北。

 

だからといって、シルバニアファミリーで遊ばなかったかというとそうではない。ログハウスの外で、物語の一場面の再現のようなことはやっていた。

記憶にあるのは、小学校中学年ぐらいのときの「ドンドコドンドコ」だ。

わたしの子ども時代は、いわゆる「モンド映画」――世界の衝撃的な風習(とされるもの)を見せるフェイク・ドキュメンタリーの流行の最後期だった。もちろんそんなものを見せてもらえるわけがないが、いかがわしさを感じるからこそ、子どもらしく好奇心をそそられたものだ。

そんなわけで、『食人族』か何かのポスターを映画館の前で見たのではないかと思う*3。わたしはある時期、「秘境で食人族につかまって食べられてしまう~。あやうし!」というありきたりなシーンを思いつき、それをシルバニアファミリーで再現して遊ぶのにハマっていた。

数少ないシルバニアファミリーを車座に置く。服は着ているけれど、頭の中では腰蓑を巻き、槍なんかを持っていることになっている。真ん中に燃える焚き木も、想像力で補完する。そこにかわいそうな犠牲者・うさぎが吊るされる――はずだが、道具を使うような頭も、そこまで残酷なことを再現する根性もないので、うさぎの人形を手でつかんで「わあわあ」というように揺らす。やはり頭の中だけで、車座になったシルバニアファミリーたちが「ドンドコドコドコ」と原始的なリズムを刻む――。

内容はそれだけだ。うさぎは殺されてしまうのか、はたまただれかが助けに来るのか。そういった物語性はなく、ひたすら「わあわあ!」「ドンドコドコドコ」の繰り返し。ちょっといけない妄想という自覚はあったので、無言だった。

 

ある日のこと。それを父に見られてしまった。ハッとしたわたしはうさぎを下ろし、ただの背景と化していたログハウスに置いた。あたかも「わたしはうさぎさんをお庭で遊ばせていたんですよ。今度はお家の時間ですね」というように。

しかし、父はニコニコと言った。

「平凡は感性豊かだなあ。さっそく、ミュージカルの真似をしている!」

そのころ、母が劇団四季にハマっており、わたしも『キャッツ』や『オペラ座の怪人』に連れて行ってもらっていた。どうやら手に持っていたうさぎは、舞台を滑空する役者であると父は解釈したようだ。親の欲目のありがたさよ。

「うん、ミュージカル、すごかったから。音楽も、よかったし」

音楽も何も、実際は「ドンドコドコドコ」なのだが。わたしはモゴモゴとごまかしたのであった。

 

その後、家族にさまざまな問題が持ち上がったが、それでもわたしが父のことを父として好きでいられる理由のひとつが、このミュージカル誤認事件だと思う。

 

わたしのシルバニアファミリー遊びにまつわる思い出は、そんなところだ。正統派の遊びには敗北した。しかし、邪の道にそれたことで、父の思わぬ親バカぶりにふれられた。こういうの、なんていうんだっけ。勝負に負けて、試合に勝った――だろうか。

シルバニアファミリーのことを思い出すと、あの短い毛が生えたお人形のなんともいえない手ざわりとともに、いつもこんな記憶がよみがえる。

 

今週のお題「何して遊んだ?」

 

画像は《モコモコのうさぎのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20121122324post-2139.html

なんとなくわたしのなかでシルバニアファミリーの王道トップスターはグレーのうさぎでした。注釈に書いたとおり、現在は廃盤。発売されていたのは初期の10年ほどで、当時はやはりシルバニアの中心を担う商品だったようです。

*1:たぶん製品の設定としてはお母さん。グレーのうさぎは現在は生産中止になっているようです

*2:1985年発売の「デラックスハウス」と思われます。

https://www.sylvanianfamilies.com/ja-jp/world_view/history/

*3:年代的には『食人族』ではなかった可能性が高いです。あのころは平気で2本立てとかやっていたので、リバイバルしていたのかもしれませんが。とにかくああいう系の映画ポスターを見たものと思われます