人はなんのためにホラー映画を見るのだろう。
安全な場所で、スリルを楽しむため?
だとしたら、なんのためにスリルが必要なのだろう。
どきどきすることで、生きていることを実感できるから?
すくなくとも、いまいる場所には、命をおびやかす脅威がないと確認できるから?
母はホラー映画が大好きだった。
核家族専業主婦ワンオペ育児が当たり前、主婦に求められるクオリティも高かった時代。
幼い子どもをふたり育てながら、いつそういった映画を見ていたのかは、さだかではない。
母はそういった映画を子どもの目に入れないように徹底しつつ、どこかのすき間時間で楽しんでいた。
幼いころから怖いものが苦手なわたしは、強いて見ようとも思わなかったが、たまに、「『13日の金曜日』の新しいやつ、どうやったん?」などと聞いた。
「う~~ん。ジェイソンはなんやかわいそうやったけどねえ……」と、母は気乗りしない感じで感想を口にした。
そして最後は必ずこう言うのだ。
「しょせんはニセモノやから」
そんな母は、「衝撃の瞬間!!!!」と煽りがついた、事故映像などを集めたテレビ番組を必ず録画して、やっぱり家族に隠れて見ていた。
心霊、オカルト、ゾンビ、スプラッター。ホラーにもいろいろジャンルはある。
母は雑食で、「ポルターガイスト」も「バタリアン」も見ていたけれど、いちばんは、スプラッターだったのだろう。
それも、できるだけ“ホンモノ”に近い。
母は“ホンモノ”を求め、近所のビデオレンタル屋をさまよった。
さまよって、さまよって、当時、“ホンモノ”をうたっていた「ジャンク」というビデオにいきついた。
検索すればすぐに出てくるが、「衝撃の瞬間!!!!」を、ご遺体ふくめて映したような作品だ。
ともあれ、このシリーズ、いまとなってはかなりフェイクもあったと判明している。
想像でしかないが、母はどきどきしながら、借りてきたVHSをビデオデッキに飲み込ませたにちがいない。
母がスプラッター映画をぱったり見なくなったのは、その後だった。
それは、わたしが小学校高学年になり、母が外でパートをし始めたころだった。
後年、「なんでスプラッター見るのやめたん?」と尋ねたところ、「むなしなって」と返ってきた。
「『ジャンク』ってあったやろ。あれでグロいもんだけをつづけて見とったらなあ、『わたし、何を求めてたんやろ』って」
そしてつづけて言った。
「あんたらがちいさいころなあ、揚げものしとると、『このちいさい手、油に入れたら、どんなんなるんやろ』とよう思た。あ、もちろんほんとにはやらへんよ。ぜったいにやらへんのやけど」
「ぜったいにやらへん」と母が念押しするほどに、そういうシチュエーションになると、「ぜったいにそんなことを考えてしまった」のだなと、かえって鬼気迫るものを感じた。
兄もわたしも無事育ってよかった。
こう書くとかなりエキセントリックな母だが、いや、実際にエキセントリックなのだが、対外的には「人当たりがよくて上品な人」で通っていた。
子どもたちにとってもよい母であろうと、できるかぎりのものを与えようとしていた。食事は三食手作り、おやつもできれば手作り。
部屋はいつもきちんとして、寝る前には毎晩、「不潔のもとになるから」と、シンクの水を一滴残らずふき取った。
年末年始はフルでお節を作る。大掃除はぜったいに手抜かりなく。しめ縄も飾る。
父と母のなれそめを聞くと、母は言った。
「あのころはなあ、24、25にもなって結婚してへんと、『売れ残りのクリスマスケーキ』って言われたんよ。職場でもお局様になってしまう。焦っとったなあ」
そうして結婚した父は悪い人間ではないのだが……賭け事も酒も浮気もしないのだが……どうにもモラハラ気味で、そのうえ母との相性は悪かった。
どちらかのひと言が火種になって、ほとんどまともに会話がつづかない。
家族旅行へ出かけると、斜め向かいの斉藤さんの家の角を曲がる前に、もうケンカが始まっていた。
義実家との仲も最悪。自らの実家、つまりわたしの母方の祖母もある種の毒親だった。何しろ祖母は、幼き日の母が歯磨きを嫌がると、「かわいそう」と言って歯磨きさせるのをやめてしまった人間である。
そんな祖母に子育ての応援など、とても頼めたものではない。
祖母は料理が苦手で、母は「おふくろの味」など受け継いでいない。
結婚してから料理本を山ほど買って勉強した。
子育ても同じこと。家には育児書が何冊もあった。
そんな孤立無援の状態で「よき母」をしていた母は、血と臓物が飛び散るスプラッタ映画に、“ホンモノ”に、何を求めていたのだろう。
たぶん、聞いても本人すらわからない。
10年ほど前、母に、「インターネットにはとても残酷な動画があるんだよ、“ホンモノ”の」と話したことがある。
「そんなん、よう見やんわ。“ホンモノ”やろ。悲惨やもん。最近は、“ニセモノ”でも見たないわ。あのころ、なんであんなものが見たかったんやろなあ」
紆余曲折あって、母はいま、ひとり暮らし。
「若い子なんかにハマったことなかったんやけど」と言いながら韓流アイドルにハマり、『鬼滅の刃』の煉獄さんにハマり、なんだかたいへん楽しそうである。
他人の目から見ると、スプラッターよりも煉獄さんや韓流アイドルのほうがずっとずっと健全に映る。
いまも変わらず、ホラー映画やスプラッター映画は制作されつづけている。
人々は吹き出す血と臓物に何を求めているのだろう。
きっと千差万別の理由があろうが、我が母は、なぜスプラッター映画を見ていたのだろう。
あのころの母の年齢を追い越して、ときどきそんなことを考える。
当然、答えはない。
内容としては、以前書いた「母の人生」と共通。
母娘は近いだけに理解できないところがあり、大人になり、年を取るほどに彼女の人生を考えてしまうのです。