どうしてお墓参りをしようなんて言ったのか、もう覚えていない。
「そういえば、甲野のおばさんのお墓ってどこにあるのかな」
そう言ったのは、たしかわたしだった。
帰省中で、わたしは時間を持て余していたのだ。
たまに帰省したのだから、親との時間を過ごさねばならない。
しかし、何をして――?
たぶん、思いつきだったのだろう。
「お墓参り、してみようか」と言って、母は車を走らせた。
川を渡り、田んぼの中の道路を突っ切って、隣の市へ。
季節は冬の終わり。どんよりとして寒い日だった。
「あーこのへんかな」
親戚づきあいは途絶えて久しく、墓地の場所自体があいまいだった。
母が自信なさげにウィンカーを出し、とある墓地の脇にある水汲み場兼通路兼駐車場に車を停める。
田んぼの真ん中にある墓地は人気がなく、どこか落ち着かなかった。
春の彼岸がまだだからか、もともと熱心に手入れする家庭がすくないのか、通路や墓には雑草が生え、それが枯れ、さびさびとした風情をかもしだしていた。
水やお供えのワンカップ、しおれきった菊が放つ腐敗臭が鼻をつく。
「甲野って名前がいっぱいある。このへんかなあ」
御影石の墓石はみな一様にくすんでいたものの、名前は読み取れた。
が、目が粗い石でつくられた楕円形の墓は、たいてい風雨にさらされて墓碑銘が曖昧になっている。
「たぶん、ここ」
母が立ち止まったのは、並びいる墓石の端の端。囲いは崩れかけ、雑草におおわれたひときわちいさな墓だった。
目の粗い石でつくられ、もはや墓碑銘が刻まれていたかどうかすらわからない。
「たぶん……ここと思う……」
確信が持てないままに、母とわたしはひしゃくで水をかけ、だまって手を合わせた。
わたしのもっとも古い記憶のひとつは、この甲野のおばさんを巡るものだ。
三つか四つのころだったと思う。
夜。
買ってもらったばかりのE.T.のぬいぐるみを抱いて、わたしは網の張られた用水溝の上にいる。
ぼよんぼよんと網を揺らす。落ちたらこわいけれど、きっと落ちない。信じる気持ちと疑い半々で、遠慮がちに網を揺らしてはやめる。
隣には兄がいて、用水溝にたたえられた水には、月が映っていた。いや、幼いころのこと。それは広い敷地を照らす照明だったのかもしれない。
後から知ったのだが、それが甲野のおばさんの通夜か葬式だったらしい。
ある日、おばはその夫か誰かが持っていた猟銃を自分に向けたのだった。
通夜か葬式の夜、幼い兄とわたしが外に出されていたのは、そういった亡くなり方と何か関係があるのだろう。
「おばさん、家のこと、あんまり上手く行ってなかったんやって」
意味もわからず耳にしたその大人の事情は長い間、わたしのこころに沈殿し、遅効性の物質のように不安をまきちらした。
家のこと、つまり婚姻生活が上手くいかないと、人は死んでしまうらしい。
まわりの大人たちはみな結婚し、他人との共同生活に苦しみ、子はかすがいどころか軛となり、死ぬか生きるかの争いを演じ、ときとして命を落とした。
わたしも大人になったら結婚してそうなるのだろう。
村上春樹作品に出てくる野井戸みたいなものだ。
成長する。森を歩く。結婚という野井戸に落ちる。結果は神のみぞ知る。しかし、だれもそこから這い出てきたものはいない。
そういう世界観を抱きながら、わたしは大人になった。
友人たちは結婚し、その一部はやがて離婚し、また再婚した。
初婚での教訓をいかし、友人たちは二回目の結婚生活を営み、たいていは幸せそうに暮らした。
彼女たちは深く傷ついても命は落とさなかった。前に進んだ。
結婚は野井戸ではないのかもしれない。
おばの墓に手を合わせたのは、そんなふうに考えが変わり、カウンセリングに通いはじめた時期だった。
となりの母にちらりと目をやる。荒れた墓地をぼんやりと見ている母も、また、死にはしなかった。
おばが何を思って生きたのか、亡くなったのか、わたしには知る由もない。
彼女が亡くなった当時、わたしは幼く、直接ふれあった記憶もない。
母をかわいがり、高価な時計をくれたというおば。
母の嫁入り道具のきもののうち、ひときわ質がよいものは、たいていたとう紙に「甲野」の名前がある。
わたしが知っているのは、そんな外面的な情報だけだ。
あの墓は――。たとえおばのものであったとしても、おばはあそこにはいない気がする。
もはやおばとは切り離されたものとして、あの墓石のことを思い出す。
いまも風雨にさらされつづけているであろう、ちいさな墓石。
やがてわたしも死ぬ。あの墓を覚えている者はだれもいなくなる。
わたし自身も同じように、ひとの記憶から消えていく。
あの墓に手を合わせてから数年後、わたしは結婚した。
結婚は野井戸ではなかった。わたしはいまも生きている。
ときどきそれを、不思議に思う。