平凡

平凡

嗚呼、人生カードゲーム

ぜえはあ。めっちゃ息が上がっている。

ももを上げて、あと一歩。それだけのことが次第に難しくなってくる。

わたしは先を歩く男性に声をかける。

「えっと、そこ……そこからの眺望を撮ってください」

山での撮影中なのであった。

カメラマンさんは冷静にカメラを構えて撮影する。

その間、わたしは膝に手をあて、息を整える。

――メモしなくちゃ。ここからの眺望は抜群です、とか……。なんというありふれた表現! いやいや、これは疲れているからであって。

と、ポケットから取り出したボールペンが転がる。

しゃがんで拾おうとすると、脚が震えた。

――生まれたての子鹿のよう。

なんて紋切り型なんだ。

 

わたしはなんでも屋的なライターをしているので、ときには「プチ登山に行こう!」のような記事を書くことがあり、そうすると上記のような事態におちいることになる。

わたしは心の中の「ライターにあったほうがいいもの」リストに「体力」を書き加える。

 

また別の日。わたしは“物撮り”*1の現場に立ち会っている。

繊細な布地から値札シールをはがしたり、高級な茶碗を桐箱からそーっと出したり。

撮影が終わると、返却のために現状復帰も必要だ。

桐箱はたいてい、「真田紐」と呼ばれる紐で結わえられている。

ネットで検索して見よう見まねで結んでみるが、なかなか上手くいかない。

わたしはまた、心の中の「ライターにあったほうがいいもの」リストに「器用さ」を書き加える。

 

振り返ってみれば、器用さについては、たびたび「あったらいいな」と思う機会があった。

ショップの店員をしていたころ、わたしのラッピングを見ていたお客から「申し訳ないけれど他の人に変えてほしい」と言われたとき。

日雇いバイトで回転寿司店に派遣されたときもそうだ。

ソフトクリームを絞り出してテーブルに運ぶと、「ソフトクリームがきたぁ!」と目を輝かせていた子どもが、(なんか違う……)という顔をした。

それもそのはず。ガラスの皿の上にあるのは、なんだか平べったく、不規則にとぐろを巻いた何ものか。見本とはずいぶん違う*2

 

幼いころは、器用さなんていらない、と思っていた。

たとえば、何度やっても鶴のくちばしが鋭角にならない折り紙。

大人の手前、絶対に口にはしなかったけれど、内心、

――なんで紙なんか折らなきゃいけないんだろう。これからの人生にいらないでしょ。苦手なことは、得意なことでカバーすればいいし。

と思っていた。

実に嫌な子どもである。

長じてわかったが、折り紙は遊びでもあり、「神経を通わせて指先まで体をコントロールし、外部のものに力を加えて変化させる」技能の訓練でもある。

折り紙に前向きに取り組んでいたら、わたしの不器用さが改善したかはわからない。

けれど、手指の器用さはあったほうが、何かと助かるのはたしかだ。

そして、「人より劣っている点を得意なものでカバーする」は、できるときとできないときがある。

そのうえ、本気で一生カバーしたかったら、めちゃくちゃ秀でないといけない。

筋肉疲労に震える脚について、「生まれたての子鹿」とか言っているようじゃダメなのだ。

 

そんなわたしだけれど、書くことによっかかって、どうにかこうにかやっている。

できないことも、「あったらいいな」も際限なくあるけれど、「そこそこ得意なことで、食いぶちを稼ぐ」はギリギリ叶っている。

得意なことで食いたかったわけではないけれど、社会の崖から落っこちたわたしの衣服をひっかけてくれたのが、ライティングという仕事だった。

あぶないあぶない。

 

また、仕事で予想外なものが必要とされることもあれば、仕事とは無関係にやっていたことが案外役に立つこともある。

たとえば、きものを着ていた経験。

撮影後のきものをたたんだことで、編集さんからいたく感謝されたことがあった。

 

「この職業には、こんな能力があったほうがいいですよ」といった文章は世の中に溢れている。

そこで取り上げられるのは、セオリー通りのものと、「その職業で不要と思われがちなもの」が半々ぐらいだろうか。

わたしが「ライターにあったほうがいいものはなんですか?」と聞かれたらなんと答えるだろう。

体力、器用さ、コミュニケーション能力……。

でも、実際、それらが不足しているけれど、わたしはライターをやっている。不足しているからこそ、「あるといいな」と思って上記の要素を上げている。

 

きっとどんな職業に就くにしても、なんだってあったほうがいいのだ。

 

それを考えると、人生はカードゲームのようだと思う。

手持ちのカードは限られており、状況は刻々と変化する。その状況を見極めながら、できるだけいい手を作る。

ないならないなりに安い手を作るか、ゲームによってはなるべくダメージが少ない負け方を模索する。

もちろん、人生はカードゲームと異なる点も多々ある。

そのひとつが、努力により、手持ちのカードを多少は補強できるところだ。

 

そんなことを考えつつ、わたしは脚の筋肉痛に悩まされている。

そう、努力でカードの弱さを多少は補強できる、はず。

よりよきライターになるため、わたしは「リングフィットアドベンチャーの負荷をひとつ上げよう」と決意するのであった。

 

 

 

写真は《同じ数字を場に出すハウスルールのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210130025post-33102.html

*1:物撮りについてはこちらにいろいろ書いています。みんなで作るのって楽しいね - 平凡

*2:その店ではソフトクリームはホール担当が作って運ぶことになっていた