平凡

平凡

西向きの部屋

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部屋なんて、なんでもいいと思っていた。

そう思って引っ越したのは、私鉄沿線、駅から徒歩7分の1K、20平米未満、家賃は5万7000円、築15年の物件。

ターミナル駅までは普通電車で20分。交通の便もそれほど悪くない。

その物件で、わたしは新卒社会人としてのスタートを切った。

 

「なんでもいい」とはいえ、治安は気になるところだ。

最寄り駅を降りると隣駅までは、車二台がやっとすれ違える幅の道がうねうねとつづき、そこに商店街があった。物件はその商店街沿いで、途中にはコンビニもある。夜道もそれほど危なくはなさそうだった。

 

ベランダの向きは、西。

不動産屋は「どうせ日中は会社にいるのですから、何向きかはあまり関係ありませんよ」と言った。実際、わたし自身もそのように考えて、方角はあまり気にしていなかった。

西日というと暑さが心配だが、窓の外には、道を挟んで3階建てのビルがあり、日当たりはよくもなし、悪くもなし。夏の夕方が苦痛ということもなかった。

 

物件には不満はないものの、そこに住んでいた数年は、社会人としてはもっともつらい時期だった。

新卒で入った会社とはそりが合わなかった。毎日、心をすり減らして帰宅し、ときどき、みじめさに追い立てられるように、文章を書き綴った。休日になると、近所の公園へ出かけていき、池の波紋を何時間か見つめて帰った。

 

そんな会社員生活も2年でご破算となり、わたしはその物件からハローワークに通い、半引きこもり状態で無職期間を過ごすこと約7か月、ターミナル駅でのアルバイトをはじめた。

 

紆余曲折を経て会社勤めのライターになったとき、引っ越すことにした。事務所がやや遠かったのだ。それまでは私鉄を乗り継いでの通勤だったが、山手線を使い始めたら、一気に「無理」となった。宴会シーズンの終電間際には、人が落ちないことが不思議なほど、ホームに人がひしめきあう。引っ越すなら職住近接に限る。

とはいえ、会社は都心近くにあった。そのため、「なんでもいい」を通り越し、四の五の言わず、とにかく「予算と折り合いがつき、『住める』と思う最低限の物件」を探すこととなった。

その結果見つけたのは、築30年ほどの古色蒼然としたアパート。バランス釜の風呂、洗濯機置き場は共同通路。家賃は7万3000円。そのかわり、ターミナル駅まで歩いていける。それと築が古いぶん、同じ1Kでも広く、暮らしてみると実に住みやすかった。

 

物件は閑静かつ品のよい住宅街にあり、ベランダの前には大家の敷地があって草木が茂っていた。

何しろ「最低限の物件」を探していたので向きに注文はつけなかったが、その部屋はたまたま南向きだった。

日当たりがよく、休日、畳の上に寝転んでいると、大家の敷地に遊びにきた鳥の声や虫の音が聞こえてきた。平日は夜中まで働くことが多かったけれど、だからこそそれは貴重な時間だった。

その物件に引っ越して、わたしははじめて気がついた。

前の物件は、うるさかった。商店街のひとつ向こうには高架があり、終電まで電車の音が聞こえていた。「すごくうるさい」というわけではなかったけれど、じわじわと苦痛を感じていた。

それと、たとえ平日の昼間はほとんど家にいなくても、日当たりはいいに越したことはない。日当たりのよい南向きの部屋というものは、朝から夕方まで日光が入るのだ。朝の気分だって違う。すくなくとも自分は「部屋の向きはなんでもいい」人間ではない。

建物も設備も古くてもよいから、日当たりがよく、風通しがよいこと。静かなこと。自分は案外、環境を気にしていて、落ち着いた暮らしを求めている。

そういったことが、はじめてわかった。

 

仕事も同じだった。新卒で入った会社ではまるでダメ社員だったが、ライターになり、仕事を覚えると、そこそこ褒められることも増えてきた。

振り返れば、新卒で入った会社でやっていたのは書籍の編集者。編集者の仕事は当然「本づくり」であり、具体的には企画立案、それと著者、ライター、イラストレーターなどいろいろ人に依頼をし、それを取りまとめる進行管理がメインとなる。

進行管理。マネジメント。どれもこれもわたしがもっとも苦手とするところだ。

プレイヤーとしてライティングだけを担当し、短期間で走り抜ける雑誌のライター仕事は、性に合っていた。

ポンコツ過ぎる」と言われた校正技術も、雑誌媒体に来てみると、「細かく見てくれる」と評価が反転した。

 

商店街沿いの物件への引っ越し、挫折、転職、南向きの部屋への引っ越し。ほんの数年だったけれど、わたしにとっては波乱多き期間だった。

自分は何を求めているのか。自分がどんな人間なのか。何に合っているのか。何なら上手くできるのか。

就職活動のときにいくら自己分析してもわからなかった答えは、結局、生きてみることでしか発見できなかった。

 

西向きの部屋に越したのは、春だった。いまでは当たり前のことが、まだわかっていなかったころ。西向きの部屋の思い出には、どろどろとした未分化の苦しさが詰まっている*1

 

写真は《自然光が入る明るいワンルームのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220122019post-38482.html

*1:精神的にあまり状態がよくなかったせいか、今までで一度だけ、金縛りにあったのもその西向きの部屋だった。この部屋でスピッツの「大宮サンセット」を聞き、おんおん泣きながらものを書き、無職になってからはRadioheadの「No Surprises」を聞いて、やっぱりおんおん泣きながら何かを書いていた。あの曲、無職にしみませんか……