そのホームページにどうやってたどりついたのか、もう覚えていない。
なつかしのHTML手打ちタグで作られた「いたばしのホームページ♪」。
トップページにいくつか並んだバナーから、「掲示板」をクリックすると、
多くのひとが集まり、他愛ない世間話や仕事の愚痴を書き込み、交流していた。
そこを毎日訪れ、ただ、彼ら彼女らを見る。
当時、わたしの日課はそれぐらいだった。
その掲示板が単なる雑談交流用と違っていたのは、
掲示板にやって来た人が、開口一番、
「きょうも一日、やらずに乗り越えました」と報告することだ。
そして、サイトのトップページには、
「掲示板」と並んで、「カウンター」というバナーがあった。
そこには掲示板で見かけるハンドルネームがずらりと並び、
「開始日」と「その日から今日までの日数」が「禁パチ日数」としてカウントされていた。
当時のわたしは無職だった。
それも、クビになってのパーフェクト・無職。
「雑誌の編集者をやってみようかなあ」
「文章を持ち込むのもいいかもしれない」
友人に会うたび、いろいろなことを言い散らかしたけれど、いまひとつ行動には結びつかなかった。
というか、動けなかった。
ほんとうのところ、何をしていいのか、まったくわからなかったのだ。
働いたほうがいい、働くべきだ。
動け、とにかく動かなければ。
それはわかっていた。
でも、就職活動ではさんざん苦労をして、新卒でやっと入った会社をクビになった。
正直、前を向いて何かをしよう! とは思えなかった。
さらに悪いことに、「動けない自分」にも気づいてはいなかった。
動けばなんとかなるはずだ。
とはいえ、どうやって動けばいい?
わたしは毎日漫然とネットをさまよい、
月に2回だけ、失業手当の手続きをしに、ハローワークへ足を運んだ。
わたしがパチンコ依存症サイトに通うようになったのは、
そんなフワフワした日々のなかだった。
そこでは、皆が「今日も一日、行かない」をスローガンに、がんばっていた。
小さなきっかけでギャンブルにハマる。
ハンドルを握っている間だけは、無心になれる。
何も考えなくていい。
派手な音楽も、思考停止させてくれる。
サラ金のATMから吐き出されるお金が、銀行の残高のように感じられるようになる。
やがて借金を重ね、金を借りられなくなる。
家庭を、職を失う、または失いそうになって、「これはヤバい」と悟る。
それをいわゆる“底尽き”という。
底を尽いて、はじめてパチンコから遠ざかろうとする。
しかし、それが難しいことを悟り、困り果て、検索するうちに、互助サイトにたどり着く。
そこではじめて同じ悩みをもつ仲間に出会い、
「やめた一日」をカウントするためのカウンターに登録し、
日々、掲示板で交流を重ねるようになっていく。
掲示板に集い、積極的に発言するひとは、おおむね真面目だった。
「パチンコさえしなければね」と言われるひとが、
パチンコを全力で止めている。
そんな印象だった。
彼ら彼女らは、依存対象にもう一度手を出す“スリップ”をした仲間がいれば励まし、
“スリップ”を繰り返す仲間がいれば、ときに厳しいことばを投げかけた。
「トイレがしたくなっても、パチンコ屋には絶対に入らない」
「“自分はどれぐらい耐えられるようになっているか”を試そうと、パチンコ屋には近づかない」
そのように、“スリップ”しないためのノウハウを共有し合っていた。
「パチンコにハマっていなければ今ごろ、こんな未来もあったのにと、どうしても悲観的になってしまう」
などの相談に、「気持ちはわかる。でも、進むしかない」と同じ立場からの共感を示して答えていた。
「依存症は病気である。だから、意思の力だけでは治らない」
「依存症患者の家族は借金の肩代わりはぜったいにしない。底を尽かないとやめられないから」
「依存症の家族がおちいる共依存状態」
依存症のこと、ひいては家族の問題について、多くのことを知った。
そのころは、そういったパチンコ依存症の相互互助サイトが複数あった。
サイトの主催者と気の合う、少数のメンバーだけが集う家庭的な場所もあれば、
カウンター登録者が膨大で、主催者の顔があまり見えない巨大な都市のように場所もあった。
「いたばしのホームページ♪」はその中間だった。
借金を背負っていても、職がなくても、一家離散の危機に瀕していても、
わたしから見ると、彼ら彼女らは「やめる」という選択をしていた。動いていた。
それが、わたしにはまぶしかった。
だから、目が離せなかった。
そういった互助サイトの勢いに翳りが見え始めたのは、いつごろだろう。
都市のように大きかったサイトが、つぶれた。
既婚の主催者に交際を持ちかけられたと女性参加者が暴露したとかなんとか、そんなスキャンダルがきっかけだった。
参加者に衝撃が走る間もなく、主催者は一夜にしてサイトを閉じた。
その影響で、「いたばしのホームページ♪」にも多くのひとが流れた。
しかし、「いたばしのホームページ♪」に集うひとたちも、転機を迎えつつあった。
主催者の「いたばし」氏をはじめ、古参の参加者たちはパチンコから離れてひさしくなり、
アドバイスの頭に、「パチンコをしたいという気持ちがもうわからないけど」とつくようになった。
「最新の機種が射幸心を煽る」といった情報が書き込まれると、「俺らには、今のことはよくわからない」とこぼした。
そして、インターネットの世界も様変わりしていく。
わたしがそのコミュニティをつぶさに見ていたのは、いつまでだろうか。
失業手当が切れて、さすがにヤバいと焦ったわたしは、たこ焼き屋の前に置いてあったタウンワークを手に取った。
わたしなりに、底が尽いたのかもしれない。
大きな雑貨店での年末年始の短期バイトに応募すると、採用にいたり、その後、1年半ほど働いた。
動いてはじめて、自分が精神的に追い詰められていたことを知った。
動けば、なんでもできると思っていた。
でも、わたしはそもそも動けなかったのだ。
怖くて、足がすくんで。
接客のバイトは好きだった。ひとにも恵まれた。
しかし、上の立場になれば、いずれはマネジメントが主な仕事になる。
わたしはマネジメントにまったく興味がもてない。
ここには未来がない。
転職を決意した。
今度は、だめ元でライターになろうと思った。
編集プロダクションを見つけて応募すると、採用にいたった。
フリーター期間を経て、わたしはようやく歩きはじめることができたのだった。
その間に、ブログが「日記サービス」に取ってかわった。
やがてmixiが台頭した。
掲示板での交流は、すたれていった。
「いたばしのホームページ♪」も、「役目を終えた」といつしか閉じた。
いま、検索しても、パチンコ依存症のための相互互助サイトはほぼ見つからない。
Google検索のアルゴリズムが変わったせいもあるかもしれないが、
ほとんど存在しないのだと、わたしは思っている。
いまのひとが依存症に悩み、「やめた日数をカウントしよう」と思ったら、
なんらかのアプリを使い、その結果をTwitterなどに投稿するのではないか。
一方的につぶやき、気まぐれにリプライし合う。
掲示板よりずっとゆるくて淡いコミュニティになるだろう。
あれから20年近くが経った。
掲示板に集っていたひとたちは、何をしているだろう。
いたばし氏がときどき日記に書いていた娘さんは、とっくに成人したはずだ
シングルマザーで看護師を目指していた女性は、目標を叶えただろうか。
スリップを繰り返してやけを起こしていた女性は、立ち直れたのか。
唯一、足跡がわかるのは、いたばし氏のサイトに出入りしていたプロの物書きの男性だ。
自分の人生について、家族について、業界について、ブログをときどき更新していた。
ときにはダブルワークでからだを壊しかけながらも、2010年代初頭にはなんらかの成功をつかんだらしい。
昔々、ほんの一瞬だけ、ブログでペンネームを公開したこともあるらしいのだが、見逃したことが悔やまれる。
そんな男性のブログも、2017年から更新がない。
ほんのひととき、ネットの片隅に生まれ、そしてひっそりと終えていったコミュニティ。
思い出すたび、インターネットもわたしも、世界も、ずいぶん遠くへ来たのだなと思う。
ネットだけで知り合ったひとが亡くなる、ということももう珍しくない。
あの掲示板につどっていた、いちども言葉を交わしたこともないひとたち。
一方的にまぶしかった、あのひとたち。
みんな、元気で、幸せでありますように。
ディスプレイの前で、ときどき、そう願っている。