平凡

平凡

雪の日、北陸、甘い水。

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東京に、雪が降った。

窓を開けると、街路樹に、畑に、向かいの民家の屋根に、白いものが積もっている。

キンと冷えてわずかに湿り気を感じる、雪の日特有の空気。

こんな日にいつも思い出すのは、もう10年近く前の年明けのことだ。

 

年明け早々、北陸に大雪の予報が出た。

「明日は飛行機が欠航します。電車も欠便の予定……」

ニュースを聞いてマジかよ、と思う。

次の日は、北陸のカフェへ取材に行く予定だったからだ。

あわててカフェ、編集者、カメラマンへ連絡を入れる。

「雪ならしかたない」とみな納得してくれ、再セッティングが叶った。

 

「また大雪が降ったらどうしよう」と心配だったが、その後、順調に交通は回復。

無事、予定通りに現地に向かうことができた。

北陸新幹線はまだ開通しておらず、たしか上越新幹線で越後湯沢まで出て、特急はくたかに乗り換えたのだと思う。

日本海側に出ると、えんえんと雪原がつづいた。

曇天のした、白い白い雪に、民家も田畑も何もかもが埋もれ、人は誰も歩いていない。

背景には、見慣れない山の威容。

かための特急シートに腰かけ、窓辺で冷える指をあたためながら、あきることなくそれを見つめた。

 

目的地は特急停車駅だけあって、駅前は除雪されており、歩くぶんには問題がなかった。

道路わきに寄せられた泥に汚れた雪。

欄干や信号機、小さな川の土手の草を押しつぶしている白い雪。

日常としての積雪だと思った。

 

こぢんまりした一軒家風店舗で迎えてくれたのは、やわらかな雰囲気の夫婦だった。

二階客席に通され、「いま、コーヒーを淹れますので」と、夫婦が去った。

シンプルなコップで出された水を口にふくむ。

雪国の冷えた空気のなか、なんともいえない甘みが舌の上に広がった。

喉がかわいていたことに、そのとき、はじめて気がついた。

これでもかというぐらいに着込み、カイロを貼り付けて、暖房がきいた電車を乗り継いできたのだ。当然といえば当然だった。

古材を使った床、よく手入れされたアンティークのテーブル、石油ストーブが静かに燃える気配。

ちいさな窓からは、雪にしなる気の枝が見えていた。

コップにくちびるをつけるたび、しんとした冷えが伝わってきた。

 

「お待たせしました」

コーヒーは美味しかった、と思う。

香りよくまろやかで、その空間、その空気にふさわしい味だったはずだ。

ただ、何度思い出そうとしても、水の甘さにすべてがかきけされてしまう。

 

軒先から雪が落ちる音や雪かきするひとの声を聞きながら、取材をした。

そのひとたちのヒストリーや土地と結びついたストーリーが、静かな店内に吸い込まれるように語られていく。

わたしはペンを走らせた。

 

ひととおり取材が終わると、「まだお時間ありますか」と、店主夫婦がます寿司弁当をご馳走してくれた。

「いろいろなます寿司弁当が売られているけれど、わたしたちのおすすめはこれなんです」

「みんな好みがあるけれど、わたしはもう、これ以外は考えられなくて。どうしても食べてほしくて!」

熱心なおすすめにたがわぬ味だった。

わたしが食べている間、ご当地の話を楽しそうに聞かせてくれた。

 

帰路のことは覚えていない。

原稿もどこかへ行ってしまった。

お店は10年を超えて、いまもつづいている。

 

今、東京で。

冷える体にかまわず、雪の日の空気を胸いっぱいに吸い込む。

10年以上前に飲んだ水が、喉を通る感覚。その甘さがよみがえる。

そして、詳細がぼやけて、「ふくよかな香り」という概念だけが残ったあの日のコーヒー。

美味しいことしか思い出せないます寿司。

そういえば、ます寿司を食べたとき、「きれいな味がする」と思った。

あの水にふさわしい、土地の味だと、腑に落ちるような感覚があった。

 

あの店に、もう一度行きたい。

そう思いながら、なかなか果たせないままにいる。

せめて、あの店の焙煎コーヒーを取り寄せてみようか。

雪の日、通販サイトを開きながら、そんなことを考えている。

 

 

※新幹線の路線名、一部間違えておりました。

教えていただき、修正いたしました(誤/長野新幹線 正/上越新幹線)。

ご指摘ありがとうございました。助かります……!

 

写真は《冬の水田と雪化粧した風景のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20211237343post-37910.html