日本で唯一残っていたアンナミラーズの店舗、高輪店が店を閉めるという。
アンナミラーズは、わたしのなかで、子どものころの東京、そしてゲームカルチャーへの憧れと、わかちがたく結びついているお店だ。
中高生のころ、東京に憧れていた。
当時の憧れの源泉は、「non-no」などのファッション誌と、略称が正式名称になったばかりの「ファミ通」*1。それと、カヒミ・カリィさんのラジオ番組。
「non-no」に載っているブランドの一部は近くにもあるけれど、セント・ジェームズのボーダーTとか、エルベ・シャプリエのトートバッグとか、目にしたことがないものはたくさんある。
カヒミ・カリィさんのいう「渋谷の大きなレコード屋さん」*2にも行ってみたい。「プチバトー」というフランスの子ども服メーカーの商品だって、東京ならどこかで扱っているかもしれない。
当時は格闘ゲームが大流行。なかでも「鉄拳」の猛者でもある「ファミ通」のライターさんたちは、「新宿ジャッキー」とか「池袋サラ」とか、使用キャラにエリア名を冠した通称を名乗っていた。そういった強者たちが集う新宿のSPOT21*3に行ってみたかった。格闘ゲームなんて、手加減しまくってくれる兄にさえ勝ったことがないけれど、すごい人たちの対戦を見たり、熱気を感じたりしてみたかったのだ。
もうひとつ、「ファミ通」を通じて憧れたのが、アンナミラーズだった。「ファミ通」でよく見るゲームで美少女が着ている*4、嘘みたいな制服のお店。でも、ふつうのお店らしい。「ファミ通」で連載していた女性漫画家さん*5がアルバイトをしていて、「大学生になったら、アンナミラーズでアルバイトしてみるのもいいかもしれない」と思ったこともある。
期待に胸含ませて上京して3日後、同郷の子とはじめて遊んだのは渋谷だった。ファッションビルが密集し、同じブランドが向かいのビルにも入っている――そんな環境にびっくりした。「こんなんで客の取り合いにならないのかねえ」。
そこではじめて買ったのが、当時流行っていたひざ丈のパンツ。そういったパンツがなんと呼ばれていたかもう忘れてしまったけれど、乗馬パンツに近いデザインで、千鳥チェックだったことは覚えている。チビでガリ*6の自分にも履けるサイズ感のボトムが簡単に手に入ったことに、当時はいたく感動した。
「渋谷の大きなレコード屋さん」ことタワーレコードにも行ってみたけれど、音楽にさして詳しくないわたしは、いざ行ってみると何を探していいかわからなくて、キョロキョロするばかりだった。試聴している人のほとんどはヘッドホンを下向きにしていて、「タワレコ流なんだよ」と友達が教えてくれた。
何をしに行ったときなのだろう。まだ上京して間もない頃、どきどきしながら新宿西口に行き、SPOT21を探したことがある。当時も携帯電話はあったけれど、できることは通話とメッセージのやり取りぐらい。もちろんGoogleマップなんてなく、すぐにお店の住所を確認できるような情報もない。ただ、「新宿西口にあるSPOT21」という情報だけを頼りにウロウロした。結局、見つけられなかった。当時の西口は、わたしにとって、いまよりずっと薄暗いイメージがあったように思う。新宿に行くたび探したけれど、SPOT21にたどり着くのはもっとずっと後のことだった。
友達と遊ぶときは、新宿より渋谷だった。ギャルってわけではないから109には行かなかったけれど、パルコやマルイが近くにあって洋服が探しやすいし、客の年齢層が若めなので、飲食店も選びやすい。
買い物してお茶して、夕食を食べて、おしゃべりしておしゃべりして、最後に行きつくのはスペイン坂のアンナミラーズ。
はじめてアンナミラーズに足を踏み入れたときの印象は強烈だった。わたしはあの制服を、それまでイラストでしか見たことがなかったはずだ。実際に目にすると、オレンジとピンクの制服の色調は、パステルだけれど、発色は蛍光色に近い。
そのうえ、生足に白いスニーカー*7。
あの制服デザインをリアルな人間が着ているところを見ると、チビでガリで足も短いわたしにはなかなか厳しいものに思えた。そしてアメリカンなイメージに沿い、下の名前で呼び合う店員たち。無理。
若くて怖いもの知らずだったわたしが、「憧れても、自分には無理って思うこともある」と学んだ最初期のできごとだった。
ともあれそんな店員さんがサーブに動き回る店内で、わたしたちは終電までの駆け込みおしゃべりに熱中し、季節のパイとコーヒーを堪能した。
わたしたちは進級し、就職し、渋谷で遊ぶことも少なくなった。スペイン坂のアンナミラーズは、いつの間にかスイーツパラダイスになっていた。
社会人になるかからないかのころ。出張で上京した兄と一緒に新宿西口を歩き、SPOT21をやっと見つけた。すでにUFOキャッチャーやプリクラ専門の店が増えていた時代にあって、薄暗い店内がどこかなつかしかった。格闘ゲームの筐体は多かったけれど、当然、昔期待した熱狂がそこにあるわけではなかった。わたしと兄はガンシューティングをして店を出た。
わたしは大人になり、紆余曲折を経てライターになった。そういえば、子どものころは「ファミ通」のライターに憧れた。「でも、体力のないわたしに徹夜のプレイができるかなあ。アクションゲーム下手だしなあ」なんて考えていた。それは淡い憧れに終わったし、ゲームとは縁遠くなったので、ゲーム誌との取り引きはないけれど。
最後にアンナミラーズに足を運んだのは4年ほど前。アンナミラーズは高輪に残る1店舗のみとなっていた。たまたま品川で取材を終え、編集者と打ち合わせをした。混み合っていたが運よく入店でき、「こんな企画にしよう、あんな企画にしよう」と楽しく盛り上がった。あの制服を見ても、それほど驚かなくなった。久しぶりに食べるアンナミラーズのパイは大きくて食べごたえがあった。
時期は前後するが、2013年ごろだろうか。夫と付き合うようになってから、何回かSPOT21に行った。たいていデートの場所は新宿だったから、映画を見てお茶をして、その合間にガンシューティングや太鼓の達人をプレイした。ガンシューティングが置いてあるゲームセンターが少なくなっていた――というかゲームセンター自体が激減していたので、場所も筐体も把握できている店はわたしたちにとって貴重だった。
店に行くたびに、SPOT21に憧れた少女時代の話をした。
「鉄拳」は今でも人気があり、世界大会が開かれているけれど、いつの間にか「eスポーツ」の一種となった。
2020年にコロナ禍がやってきて、ゲームセンターも例外なく打撃を受けた。2021年1月。新宿のSPOT21が閉店した。コロナ禍の影響と公表されている。
そして2022年6月、アンナミラーズ高輪店が8月末日をもって、閉店されることが発表された。パイの通販は継続するという。
アンナミラーズの1号店は1973年オープンだ。
タイトルの1995-2022は、わたしがアンナミラーズという店をはじめて知っただいたいの時期からいままで。だから、これはアンナミラーズとゲーム、そして街の記憶を巡るごくごく個人的な回顧録。
27年もあれば街はもちろん、世界は変わる。スペイン坂のスイーツパラダイスは2011年にとっくに移転しており、いまはあの場所には居酒屋一休があるようだ。アンナミラーズの高輪店で打ち合わせをしたのは4年ほど前なのに、あの編集者はいまはもういない。
アンナミラーズ高輪店閉店のニュースにさいしてTLに溢れたツイート群。それを読むうちに記憶が溢れ、どこかに書き留めておきたくなったのだった。
街は変わり、わたしは古びつづけ、記憶は抜け落ちていく。だからここに、ささいでどうでもよい回顧録を書きつけておく。
写真は《渋谷スクランブルスクエア屋上からの眺望のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210642168post-34597.html》
渋谷もずいぶん変わりました。