同人誌。なんだか作ったことがあるような気がする。
みんなでワイワイ合宿をして、缶詰になって、原稿を手伝い合って……。
コミケ。なんだか売る側で参加したことがあるような気がする。
自分が作った一冊を求めてくれる人との一期一会を噛みしめて……。
しかし、これらはすべて事実ではない。
わたしはコミケに頒布側(同人誌を作る側)*1で参加したことはないし、同人誌を作ったことはない。
第一、ワイワイ合宿をするような仲間がいたためしはない。
書いていてどうかと思うが、それが現実だ。
ところで、以前にも書いたが、わたしは「Fate/Grand Order」(以下「FGO」)というソーシャルゲーム(ソシャゲ)をかれこれ5年ほどプレイしている。
ソシャゲにはたいてい季節イベントがある。
2018年夏、「FGO」では「サーヴァント・サマー・フェスティバル!」(以下、「サバフェス」)という期間限定イベントがあった。
ストーリーをかいつまむと、架空のハワイで同人誌即売会が開かれ、なぜかそこで時間がループしてしまうというもの。理想の同人誌を作り、そのループを抜け出すことが物語の目的となる。
なんでハワイで同人誌即売会!? なぜ理想の同人誌を作るとループから抜け出せる!? と、基本設定からツッコミどころ満載。
さらに、「FGO」は世界の英雄や神様をキャラクター化した「英霊」たちが活躍するゲームだ。なので、同人誌を作るのも自然と英雄や神様となる。
謎い。
謎いのだが、わたしにとってこの「サバフェス」が、「FGO」でいちばん好き、というか「思い出深い」イベントとなっている。
ゲーム内で、主人公(人間)や英霊たちはそれぞれサークルを作り、ハワイのホテルに缶詰めとなり、同人誌作成に励む。締め切りを守って優良進行をする英霊あらば、ギリギリ進行なのにゲームの誘惑負けてしまう英霊もあり。
主人公と一緒に活動する英霊は毎回、「自分の同人誌に何が足りなかったのか」を考える。そこにはたしかに、創作者の苦悩が見てとれる。
行き詰まるとハワイの海で遊んだり、砂浜を散歩したり。
そこで出会ったほかの英霊に刺激を受けて、また創作意欲に火がつくのだ。
わたしはこのストーリーにいたく興奮した。
というのも、サークルを作っての同人誌作りは、わたしの憧れだからだ。
しかもその憧れは、いうなれば「宇宙飛行士になりたい!」「サッカー選手になりたい!」というような、「実現しないことがわかっている寄り」だ。
「サークルを作っての同人活動」とは何か。
萌えを共有したりしなかったりする仲間と原稿を手伝い合ったり、あるいはスカイプしながら励まし合ったりして、萌えを詰め込んだ一冊の本を作る。
それを印刷所に入れて形にする。
当日は搬入し、仲間内で売り子を交代でする。
なぜこれが憧れに終わるかというと、まずわたしは二次創作ができない。
わたしはどんなに好きな作品でも、原作の展開を、「ほー! そうか!」と受け止めて終わってしまう。
「もっとこのキャラクターの姿が見たーい! 自給自足できたらなあ」と思っても、それを自力で作成することができないのだ*2。
萌えが足りないので萌え語りができず、そうすると萌えを分かち合う仲間もできない。
萌えがどうのの前に、何より協調性がないので、共同作業ができない。
活動するとしたらオリジナル作品(一次創作)で、単独で、となると思う。それはそれで同人活動の立派なひとつの形だ。
しかし、だからこそわたしは憧れているのだ。
「サークルを作っての」「仲間たちとの」「同人誌作り」に。
それを疑似的にかなえてくれたのが、「FGO」のサバフェスだったというわけだ。
ゲームなので自分で何かを作るわけではないのだが、悩みながら一冊の本を作り、それを頒布する……という流れを物語を通じて疑似体験できた。
「疑似体験」だと感じられたのは、ループしていることも大きい。
何度も何度も同じことを繰り返し、そのたびに違う同人誌ができ上がる。
まるで、ひとりの人間が何度も何度もコミケやコミックシティ*3に参加して、そのつど違った本を作るように。
そのうえ、仲間たちとの楽しいカンヅメ! しかも場所は世界のリゾート、ハワイのホテルだ。
憧れのきれいな上澄みだけをすすれた、そんな感動があった。
ただ、理想の同人誌作成は、ゲーム内とはいえハードルは高かった。
ループを抜け出すにはものすごい量のバトルをこなさねばならなかったのだ。
これもまた「疑似体験感」を高めてくれるすぐれた仕掛けではあったが、その仕掛けのできが良すぎた、というべきか。
実は期間内にイベントをクリアできなかった*4。
「仮想の思い出」というと、病み病みな印象を与えるが、わたしはこの思い出をそう悪いものだととらえていない。
なぜなら、ゲームとは、一種の体験だからだ。
それがたとえテキスト主体のゲームであっても、ストーリーがほぼ一本道であっても、何かを入力してゲームを進める以上、ただ「読む」よりも体験に近いものになる。
そして、仮想であるから、さまざまな憧れが叶う。
忍者になったり、格闘家になったり、同人作家になったり。
それがゲームのすごさでもあるのだと思う。
夏になると、「『サバフェス』楽しかったな~」と思い出す。
お気楽なBGM、それに反して厳しいバトル、繰り返される同人誌執筆。
仮想の中でだけ叶えられた、ひそやかな憧れ。
客観的に見れば「ゲームで憧れが叶った」なんて実にバカバカしいとわかってはいても――。
現実とはレイヤーが違う夏の思い出が、いまもわたしの脳にひっそりと刻まれている。