シーズン・オブ・ザ・そうめん!
というわけで、「豚ナスそうめん」を作った。
味つけはほぼめんつゆとすりおろししょうが(チューブ)だけ。手順もシンプル。にもかかわらず、外食を思わせるこってり感のなかにも奥行きがある、料理研究家のリュウジ氏らしいレシピである。
これがなかなか上手くできた。
冒頭で「シーズン・オブ・ザ・そうめん」と書いておいてなんだが、今回はひやむぎを使った。すこし太めの麺のため、ラーメンを思わせる出来ばえとなった。
ナスの切り方は薄すぎず厚すぎず、しっかりと油を吸って、煮詰めた汁もちょうどいい塩梅。
わたしの料理はたいていツメが甘いが、珍しく全方向死角なしにできあがって大満足。
しかし――。
おいしかったね、おいしかったねと夫婦ともに腹をさすっていた食後、わたしの口からポロッと出たのは、「やっぱり夫の料理はおいしいなあ」というひと言であった。
ちょっと待て。
今日、「豚ナスそうめん」を作ったのはわたし自身なのだ。
しかし、食後のお茶を飲んでいる最中も、仕事に戻っても、「夫の料理はおいしいなあ」と頭をよぎる。
そのたびに「いやいや」と訂正するが、だんだんと「わたしが作った料理である」事実のほうが塗り替えられそうになっていく。
思えば、夫が料理を作るようになってから3年弱。
レシピに忠実に、丁寧に作られる夫の料理はもともと味よし盛り付けよしだが、最近は品数も増え、料理する頻度も上がっている。
夫が忙しいときはわたしが作ったり、テイクアウトを利用したりするのだが、そういったことが続くと、夫は「そろそろ料理したいなあ」と口にする。
どうも、「自分で料理を作る」「それがおいしい」「心が満たされる」の三連コンボを決めることは、夫にとって大切なセルフケアであり、ストレス解消になっているらしい。
わたしはそんな彼がつくる料理の味に、いまだに毎度毎度、感動してしまう。
そういったことを繰り返すうち、どうも、わたしのなかで「すごくおいしい料理は夫の手によるものだ」という刷り込みが完了してしまったらしい。
食欲は三大欲求のひとつ。「胃袋をつかまれる」なんて慣用句があるが、おいしい料理は胃袋どころか人の認識までハックするのだ。
と、こんなことがあったのが10日ほど前。
今日、わたしはふたたび「豚ナスそうめん」を作った。
仕事合間に焦って作ったため、ナスの大きさはバラバラ、汁も煮詰めすぎて「油そばのタレ」のような状態になってしまった。とはいえ、日常の食事としては夫婦ともに満足できるものだ。
それでも、「今日の夕食を作ったのはわたしだ」という認識はゆるがなかった。
刷り込みとはなんとも正直なもの。おいしさがホームラン級でないと、認識のすり替えは起こらないというわけだ。
しかし、なんだかくやしいのも事実。もうちょっと丁寧に料理して、ホームラン率を上げたいものだ。
……たとえその結果、脳が「夫の料理はおいしいなあ」と認識したとしても。
げに恐ろしきは、刷り込みなり。
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