平凡

平凡

『犬王』見届けたぜ~~~~~!

でっかいでっかいでっかい鯨~♪

迫り来るでっかい鯨~♪

最近、我が家はこの歌ばかり。そう、『犬王』を見てきたからだ。

inuoh-anime.com

『犬王』は湯浅政明監督による最新作。湯浅監督といえば、『マインド・ゲーム』、最近では『映像研には手を出すな!』のアニメ化、『ピンポン THE ANIMATION』、『四畳半神話体系』、『アドベンチャー・タイム』の「Food Chain」回

とかもういろいろ……そりゃいろいろ手がけている。

湯浅監督と言えば動き! 見ていて気持ちがいいのはもちろんのこと、ちょっとした不気味さや不穏さがあって釘付けになる。

そして、音楽とダンス!

それらが結びついて、魂というより肉体の根源を揺さぶられるのだ。

 

それを強く感じたのが、劇場版作品『夜明け告げるルーのうた』。

映画館での鑑賞中、わたしは途中で泣いた。しかし、いったいなんで自分が泣いているのかわからなかった。

少年が人魚と出会い、ビーチの人々は思わず踊り出し、街はうねる水に襲われ、少年は自己を開放してラストに「歌うたいのバラッド」を歌う。

筋立てはストレートでわかりやすいし、ストーリーの盛り上がりはある。

でも、わたしが感動したのは直接的な物語や台詞じゃない。

もっともっと根源のところ。

動きと音楽の洪水により、物語の奥にあるもの(おそらく主人公の心の揺らぎ、成長)がズドンと体に打ち込まれた*1

そんな体験だった。

そう、湯浅監督作品*2、とくに劇場版作品は体験なのだ。

 

なぜこの記事内容でイルカなのかはラストに。『犬王』鑑賞済のかたはおわかりだと思いますが。

 

で、『犬王』。

これはもう、湯浅監督作品の体験としては最高のものだった。

 

以下、あまり小見出しを立てる書き方はしていないが、ネタバレゾーンを明示するため、目次をつけておく。

 

一見荒唐無稽、でも……

舞台は室町時代。猿楽の一座に生まれた異形の子・犬王と盲目の琵琶法師の少年・友魚が出会う。ふたりは舞と歌で一瞬にしてわかり合う。

 

橋の上でのふたりの初セッションからはじまり、やがてフェスとしか言いようのない大掛かりな舞台装置を使った能楽舞台へ。彼らはポップスターとしての才能を開花させていく。

 

荒唐無稽なようだが、ここには史実による裏付けもある。

まず、犬王は実在だ。ただし、異形という記録はない。残るのは世阿弥も認める才能ある能楽師として一世を風靡した、時の将軍の寵愛を受けたという文献上の記述のみ。彼の能がどんなものだったかは一切遺されていない。

 

また、当時の能楽(猿楽)は現在の2~3倍の速度で演じられていた、アクロバティックな大道芸に近いことも行われていたという説もある。

 

何より大切なのは、能にも琵琶法師の語る物語にも、本来は「鎮魂」の意味があるといわれることだ。

友魚が盲目になったのは、平家絡みの因縁からだ。犬王の父は己の芸のため、平家の物語をうたう琵琶法師を惨殺した。

平家の怨霊に近いところにいる彼らは、その声を聞き、忘れられていた物語を舞い、歌い、それにより平家の怨霊たちの魂を鎮めていく。

ほろんだもの、なくなったものは、誰も気に留めなければ忘れ去られてしまう。

自分たちが聞き届け、演じることで、平家の怨霊たちの物語を忘却から押しとどめる。

「お前たちは皆、あったんだよ」と証明してみせる。

それが犬王と友魚*3のステージだ。

新たな舞と歌、そして物語は人々を熱狂させる。そうして多くの人が聞き知ることで、歴史の中で忘れ去られそうになったものが、「あった」ことは確かになっていく。

その鎮魂の舞と歌こそが、欠損を抱えるふたりを「ここにあり!」と証明してくれる。

 

彼らの舞台は、歴史のなかで失われた者、忘れられた者、踏みにじられた者のためのもの。

 

それを見ている我々も、心の中では犬王たちのフェスに参加している。

こぶしを突き上げ、手拍子をし、平家の物語を歌う(もちろん心の中で)。

映像が、音楽が、犬王を演じる女王蜂のアヴちゃんさん、友魚役の森山未来さんの絶唱が、自然とそうさせる。

そして、わたしたちも音と動きの本流のなかで、「あった」と力強く肯定されるのだ。

だって、わたしたちもまた、歴史に翻弄され、きっと忘れ去られていくちっぽけな存在だから。

 

結末までのネタバレゾーン

※※ここからは物語の結末にふれます。知りたくない方は、「終わりに」まで飛ばしてください※※

 

終盤、ふたりの運命は急転直下をたどる。

権力がふたりを引き裂き、片方は命を奪われる。

 

幼少のころ、権力が求めた神器の呪いで視力を失った友魚。

時の将軍に寵愛され、「もっともっと美しいものを」と芸を求めた父により、生まれながらに異形のものとなった犬王。

権力に翻弄されて欠損を抱えた彼らは、最後まで、権力に振り回される。

 

しかし――。この物語には大きな救いが残されている。それは、最初と最後で現代に接続する点だ。

犬王と友魚は、平家の怨霊のために舞った。物語ることで、彼らをなかったものにしなかった。忘却から救った。

この映画は、600年を超えて、そのふたりのことを物語った。自分にはどうしようもないものにあらがいながら、生きるパワーをさく裂させ、「ここにあり!」と叫んだ彼らの生を語った*4

そう、彼らは「あった」のだ。

「語ることで鎮魂したふたりのポップスター」の物語を、「映画が語る」。

入れ子構造にすることで、この映画は、力強いメッセージを伝える。

犬王も友魚も、そして彼らの物語を見届けたわたしも、ここに「ある」。

 

終わりに

いろいろ書いたけれど、こんなことを考えずとも、見た人はきっと、何かエネルギーのようなものをもらえるはずだ。

なぜならこれは湯浅監督の作品だから*5

鳴り響くロック、あまりにも自由に見えて、その実「実」を織り交ぜたステージ*6。その奔流と物語がしっかりと結びついているから。

エンターテインメントに身をまかせているうちに、メッセージが腹にズドンと打ち込まれるから。

 

『犬王』を鑑賞するのに、難しい考えはいらない。

ただただ度肝を抜く演出と音楽に身をゆだね、びっくりしたり笑ったり、興奮したりすればいい。

この作品は、何よりもとにかく楽しいエンタメなのだ。

動きと音に溢れたエンタメを体験するには、劇場がうってつけ。

映画『犬王』、音響がよい映画館で、ぜひ。

 

この記事の冒頭で歌っている(?)「鯨」は、一部映像が解禁されている。

 

 

6月17日までの入場者特典は、脚本ご担当の野木亜紀子さんによる『幕間 犬王と友一』。これがまたいいんですよ……。

 

画像は《水族館のイルカと水槽越しの女性のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20140235051post-3851.html

『犬王』で演じられる「鯨」に登場するイルカにちなんで。

*1:この根源をもっともストレートに感じられるのが『マインド・ゲーム

*2:あと、湯浅監督といえば、声優さん以外の人も含めてのキャスティング、ディレクションの上手さ! インタビューなど読むとおひとりで決めているわけではないそうなのだけど、全作のキャスティングがすばらしいので、やっぱり監督独自のものがあるのだと思う。『夜明け告げるルーのうた』の篠原信一さんとか、あんなにハマるなんて想像ができる!?

*3:彼の名前はストーリーが進むと変わっていくのですが、ここではわかりやすさを優先し、友魚で統一しています

*4:異形の存在としての犬王、そして友魚はともにフィクションの存在だけれど、だからこそ多くの名もなきものの代表格でもある

*5:アニメは複数人で作るもの。各種インタビューを読むと、湯浅監督に加え、脚本の野木亜紀子さん、キャラクターデザインの松本大洋さん、音楽の大友良英さん、森山さん、アヴちゃんさん……などなどスタッフ&キャストがそれぞれの持ち場で意見を持ち寄り、作り上げたことがわかってそれも熱い

*6:プロジェクションマッピング風の仕掛けの実現方法とか、ちゃんと考えられているんですよ