あまりに良かった。
あまりに良かったので、まとまった感想が書けそうにない。
それが、劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』後編を見ての素直な感想だ。
劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』とは?
劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』は、2011年にオンエアされたTVアニメ『輪るピングドラム』(全24話)の総集編だ。
『輪るピングドラム』の監督は幾原邦彦氏。オンエア当時は、『少女革命ウテナ』(1997年)で知られる幾原氏が10年以上ぶりにオリジナルTVアニメを監督するということで話題となったと記憶している。
劇場版は同作の10周年を記念したもので、前編が4月に公開。後編が7月から公開中だ。
劇場版公式サイト
ただの総集編じゃないの?
えっ、TVシリーズの総集編なのに新たに感動するとかあるの? と思われるかもしれないので解説をすると、総集編というからにはTV版の内容を再編集したもので、結末も変わらない。
ただ、前編冒頭からちょっとしたしかけがあり、「ある人物がある目的をもって、物語をふたたび紐解いていく」構造になっている。
この仕掛けが効果的で、「自分が何をなしえたのか」をその人物自身が再確認することで観客に新たな救いをもたらし、しかも2022年にふさわしいメッセージまでを発している。
そもそも『輪るピングドラム』とは
『輪るピングドラム』筋書きのベースは、双子の兄弟、高倉冠馬と晶馬が、難病の妹・陽毬を救おうとするというもの。
余命わずかな妹・陽毬が、ふしぎなペンギン帽をかぶることで命をつなぐ。そのペンギン帽は意思を持っており、「妹の命をながらえたければ、ピングドラムを手に入れろ」と命じたことから、兄弟は四苦八苦右往左往することとなる。第一ピングドラムとは何なのか? そんな状況で、兄弟はある女子高生と知り合う。彼女は兄弟の担任教師のストーキングをしており……。
この女子高生・苹果(りんご)の過激な性格もあり、前半は終始コミカルに進む。しかし、物語が進むにつれ、兄弟の抱える秘密、苹果の行動の底にある切実さ、苹果の思い人である教師・多蕗とその婚約者・ゆりの過去が明かされ、物語は重層的なものになっていく。
世界にある呪い、家族という呪い、社会という檻、いらない子どもと見つけてもらえる子ども、加害者と被害者の邂逅、罪と罰。それらに対する救いや解呪。
TVシリーズはそれが24話で語られるため、さまざまな読み解き方ができる作品になっている。
わたしが直近で通して見たときは、「理不尽な目に遭ってしまった人たちが、どうその運命に対処するか」の話のように見えた*1。
劇場版はそこをすっきり前後編4時間にまとめているので、「愛の話」という基本の筋が見えやすくなっているように思う。
「ああ、いろいろあるけど、『ピングドラム』って愛の話だよね」と。
『ピングドラム』で描かれる「愛の物語」は、「ひとがひとに分け与えるもの」「ひとの間を巡るもの」だ。全編を通してその巡り方を描いているといっていい。
胸の震えが止まらない……
とかなんとかつらつらと書いてしまったが、とにかく劇場で感じた情動が、数日経っても胸の内を去らない。
何かを書かないと胸いっぱいであふれてしまいそうだった。
誰もがそうであるように、理不尽にまみれた人生を生きるキャラクターたちが、ピングドラムを回しあう*2。
幾原監督による独特の映像・演出で、時に象徴的に描かれるそれは、理屈ではなく心をつかむ。
その胸の震えが、いまもふとした瞬間にわたしを作品世界へ呼び戻す。
上映があるうちに、もう一度見る――いや体験したい。あの情動の波におぼれたいのか、情動を超えて理性で作品について考えたいのかわからない。
ネタバレになるので感想を書きにくいのもあるけれど、そもそもこの気持ちを解き明かしたいのかどうかも、わたしにはわからない。
とにもかくにも、もう一度。
劇場の大スクリーンであの世界を体感したいのだ。
というわけで、今週のお題、この夏に見たい作品は、劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』後編だ。
蛇足だが……。
『輪るピングドラム』では、村上春樹氏の『かえるくん、東京を救う』を印象的に引用している。また、地下鉄サリン事件を扱っている点でも、村上氏の仕事に通じるものがあると思う(というか確実に意識している)。もし未見でそのあたりの接続にご興味ある方は、ぜひ。
わたしは好きすぎて、「劇場版だけ見てもわかる?」と問われると判断に困るが、できればTVシリーズを見たほうがわかりやすいと思う。