老いは恐怖だ。
つかれやすくなり、太りやすくなり、歯間にものがはさまりやすくなり、しわが増える。
若いころは、「年を取って時間ができたら思い切り本を読んで……」なんて考えたものだ。
が、親世代を見ていると、加齢後に希望を託すのはあまりに無謀だとわかる。
母は視神経が疲れやすくなり、映画や本を集中して楽しめなくなった。
おもしろい本に夢中になりすぎると、肩こりからの目まいを起こし、数日立ち上がれなくなる。
父と焼肉屋へ行って、オーダーのさいに「父がほとんど食べない」ことを考慮するようになったのはいつからだろう。
なじんだ芸能人が亡くなり、行きつけの店が閉店し、街が変わってゆく。
新奇なものを楽しむスピードよりも、喪失のスピードのほうがずっとずっと上まわっているように感じる。
とにかく老いは恐怖なのだ。
そして、加齢とともにふりつもる贅肉。嗚呼。
そんなある日、
「平凡ちゃん! 当たった! 当たった!」
スマートフォンを見ていた夫が声をあげた。
数カ月間応募しつづけたNintendo Switchの購入権に当選したのだ。
Switchを入手できたら、絶対にやってみたかったのが、「リングフィット アドベンチャー」。
からだを鍛えながらアドベンチャーができるという、あのソフトだ。
さいわい、近所のショッピングモールで運よくソフトを入手でき、8月の終わりから、わたしの在宅フィットネス生活がはじまった。
ゲーム初回は、どれぐらいの運動負荷が適正かをソフトに判断してもらう。
押し込み、引っ張りができる「リングコン」と呼ばれる円形コントローラーを使い、簡単に測定。
わたしの負荷は「ゼロ」からスタート。
わたしはプレイヤー全員がゼロからスタートすると思っていたのだが、そうでもなく、これは最弱である。
毎回、ゲームを起動すると、「ダイナミックストレッチ」からスタート*1。
ダイナミックストレッチとは、「動的ストレッチ」とも呼ばれ、実際の運動を模した動きでからだを動かし、柔軟性を向上させる……ものらしい。
動きは単純。
1.リングコンを両手で持って上げ下げ。同時に、左右の膝を交互に上げ下げしてリングコンに当てる。
2.リングコンを両手で持って上げ下げ。同時に、左右のくるぶしを上げ下げして、リングコンに当てる。
3.リングコンを両手に持つ。片足を前に出して、重心を下げ、同時にリングコンを上にあげることで背筋をぐっと伸ばす。
4.リングコンを頭上にかかげ、左、右とからだを傾けて体側を伸ばす。
なんてことはないストレッチなのだが、初日から1カ月ほどは、これだけで息が切れた。
いまも「2」はくるぶしにリングコンがまったくつかない。
「4」では「反動をつけずに体側を伸ばそう!」とアドバイスが入るが、からだが固すぎて、反動などそもそもつけられない。
スタートからして「在宅稼業者のなかでも最弱……」と現実を突きつけられたが、ゲームは予想に反して楽しかった。
ゲームは、主人公がしゃべるリングコン、「リング」を手にするところからはじまる。
リングは、かつての友であり、悪に染まったフィットネスマニア「ドラコ」を救いたいと思っている。
そのために、主人公が力を貸すという筋書きだ。
具体的に何をするかというと、まず、部屋のなかで模擬的にランニングをしてステージを駆け抜ける。
途中で敵と遭遇すれば、スクワットしたり、腕を上げ下げしたり、リングコンを押し込んだり引っ張ったりして戦う。
さらに、スクワットで進むブランコやトロッコ、リングコンを引っ張ると進むリフトなどなども用意されており、バランスよく各所の筋肉を鍛えることができるようになっている。
リングフィットアドベンチャーが楽しい理由はいろいろあるが、大きいのは、他者のリアクションがあることだ。
からだを動かすと、「いいね!」「その調子!」「筋肉が輝いているよ!」とリングが褒めてくれる。
もともと、からだを動かすことは大なり小なり楽しい。ただ、筋トレは短調な苦行になりがちだ。そこに、他者の「褒め」が加わると、やる気が起きる。
ゲームバランスは絶妙で、軽いがんばりでサクサク進むようになっている。
壮大な滝が流れ落ちているステージ、原っぱ風のステージなど、見ていて飽きないし、
自分のからだの動きと連動して、敵を攻撃するのも気持ちよい。
負荷が低いと、スクワットなど、多くの運動のノルマは一桁だ。
無理なく、「今日もからだを動かして気持ちよかったな~」と思うことができる。
(難易度によるが)簡単に確実に達成感を与えてくれるゲーム性と、運動の気持ちよさがあわさった、実によくできたソフトだと思う。
無理してもつづかないので、やるのは一日1ステージと決めた。
最初のストレッチから最後のクールダウンまで20分ほど。
仕事の気分転換にもちょうどよい。
そう思って2週間ほどつづけたころ。
仕事で、ちょっと気張った場所へ行くことになった。
そこで憂鬱になるのが、服選び。
ここ数年は、すっかり贅肉がついてしまい、ほとんどの“きれいめ”の洋服は、「着られるけど、お腹周りがキツイ」「シルエットが……」となっている。
かつて母に言われたことばがよみがえる。
「わたしもあんたも、骨格が細めやから、太っても横にはいかへん。そのかわり、『前』につくで。肉が」
親の言うことは正しい。
それを噛みしめる。
「いやだなあ」
憂鬱な気分で、お気に入りのワンピースに袖を通す。
近年、ジッパーをあげるのに苦労するようになり、なんとか着られるものの、お腹がぽっこり出てしまう一枚だ。
しかし、あら不思議。昔ほどではないけれど、お腹まわりが苦しくない。
無理に引っ込めなくても、自然なシルエットになる。
「すごい、すごい!」
興奮しつつ、細身のスラックスも履いてみる。
こちらは、ボタンはとまるが、履くとお腹がぽっこり乗ってしまう一枚。
その「お腹の肉が乗っている」感覚が嫌で、タンスの肥やしになっていた。
なのに、ボタンをとめるのは苦しいものの、肉があまり乗らない。
同様の理由で避けていたレギンスなどを次々履いてみる。
お腹はぽっちょり出ている。
しかし、細身のズボンを履いたときに不快なほどではない。
明らかにからだが変わっていることを感じた。
わずか1日20分。楽しくゲームをして、2週間でこれだけ効果があれば、やめるほうが難しい。
せっせと続けること、のべ1か月。
いわゆる“脇肉“がみるみる減った。
こちらもお腹と同じで、「はみ出ている」身体感覚そのものに不快感を覚えていたことが、なくなってからわかった。
痩せているときから寸胴だったところに、「くびれ」ができた。
お尻も引き締まった。
そして、お腹にうっすらと線が入った。
鏡の前に立ったとき、いちばんよく見えるのは腹まわりだ。
自然と、腹を毎日観察するようになった。
しかし、しかし。
お腹にぽっちょりとついた肉は落ちない。
「引き締まったお腹に、贅肉がついている」。
文章にするとどう考えても矛盾している、校閲から赤字が入りそうな状態が現実にある。
タイミングよく、リングフィットで豆知識が提示された。
「お腹の肉はいちばん落ちにくい。そして、お腹の肉がいちばんつきやすい」。
Twitterで愚痴ったところ、「体脂肪がかなり落ちても、お腹の肉は落ちなかった」との衝撃情報まで寄せられた。
現実とはなんと残酷なのであろうか。
とまどううちにも、筋肉はついていく。
腹の下に亀の甲羅があるのでは……との気配がしだいに濃厚になっていく。
が、その上には変わることない贅肉。
よく見ると、くびれの上、腰にもうっすら肉が乗っている。
まだまだ割れていないとはいえ、シックスパックに贅肉が乗る。
くびれボディに贅肉が乗る。
奇妙な洋ナシ体型。
それがなんとも滑稽で、ある日、思わず吹き出してしまった。
同時に、思った。
こんな体型、若いときは想像した? いや、想像すらしなかった。
これはおそらく、中年だからこそ、そこそこ長く生きて代謝が落ちたからこそ、成しえた形ではないのだろうか?
滑稽であっても、美の基準から外れていたとしても、それはまぎれもなく「老いないと見られないもの」だった。
それが物理的に、わたしのからだに、腹の上に乗っている。
大げさにいえば、顕現している。
老いることに、はじめて「おもしろみ」を見出した。
その「おもしろみ」自体、加齢しないと味わえないものだった。
老いることは相変わらず怖い。
リングフィットアドベンチャーをやったことで、あらためて自分の体力のなさ、からだのかたさを自覚した。
70日以上つづけて、いまだに負荷は「6」だ(最大は30)。
負荷を公開しているひとで、一桁台のひとはほかに見たことがない。
このままでは、さらに筋力が落ちる老後が不安だ。
いまのうちに、なんとかせねばならない。
それでも、老いに対する漠然とした恐怖は、緩和された。
すこしずつからだは変わっている。
外出から帰っても、以前ほど疲れなくなった。
「どうしてこんなに体力がないんだろう」と落ち込むこともなくなった。
「老後もずっと歩きたいから、脚の筋肉をもう少しつけよう」と、不安に対する具体的な「解」が見えた。
生きていて、変えられないものは多い。
さいたるものが、人間が生まれて老いて、死んでいくことだ。
けれど、自分が動くことで、わずかに変えられるものがある。
そのことは、いつだって人生に光を与えてくれるのだ。
それを「リングフィット アドベンチャー」はあらためて教えてくれた。
だから、わたしはきょうも変わらずリングコンを握って遊ぶ。
いまのところ80戦ぐらいして全敗している、「ディスクヒット」*2で全部ロボを壊すミッションを、いい加減達成したい、人間やればなんでもできるはず、と唱えながら。