冷え込む部屋のなか、スマホ片手にため息をつく。
探しているモノが、ネット上で見つからないのだ、珍しく。
ほしいのは、フリースのルームスリッパ。
それも、足の甲にバンドがついた、小学生が履くうわばきのような形をしたもの。
スリッパと靴下の中間ぐらいの感覚で履けて気に入っているのだが、手持ちはひとつ。
いい加減みすぼらしくなってきたので、もうひとつ、ふたつ求めたい。
雑貨屋で気まぐれに買ったものだから、一度はそういう形が市場に出回ったことがあるはずなのだ。
なのに、「フリース」「靴下」「スリッパ」「ルームスリッパ」「ルームシューズ」「上履き型」など、
次々と検索窓に打ち込んでも、同じような形のものは出てこない。
2020年現在、たいていのほしいモノは、ネットで探せばなんとかなる。
多くのケースでは通販で「ポチる」ことができるし、ポチれなくても、どこで買えるかの実店舗情報を見つけることができる。
そんな時代にあって、まれにこうして見つからないものがあると、
なんともいえないさみしい気持ちに襲われる。
広大なネットにある、細くて深いすき間。
ふだんは見えないその場所に、自分の欲望がストンと落ちてしまったような心細さ。
ただ、さみしさの理由はそれだけではない。
そのルーツをたどっていくと、上京したばかりのころに行き当たる。
「東京って、ホームセンターはどこにあるの?」
できたばかりの数少ない知り合いに尋ねると、
みな、一様に「あらためて聞かれると……」と困った顔をした。
上京して最初期にぶち当たった壁のひとつが、
「ほしいモノがどこへ行けば買えるのか、まったくわからない」というものだった。
そのとき、わたしは廉価な包丁とまな板がほしかったのだ。
しかし、どこへ行けば買えるのか、見当がつかなかった。
地元では、ほしいと思ったら、自動的にホームセンターやイオンに向かっていただろう。
当たり前すぎて、「こういう場所でこれが買える」と考えたこともなかった。
わたしが上京した90年代後半、
インターネットは存在したもののそれほど普及しておらず、
PCを個人所有している学生も多くなかった。
加えて、100円均一ショップも今よりかなり少なかった記憶がある。
「そんなになんでも詰めんでええよ。東京行ったらなんでも揃うんやし」
上京の荷造りしているとき、手伝ってくれた父にそう言った。
ここは大都会。なんでも揃う。
ただし、「どこで何を買えるか」を把握していれば。
しかたがないので、わたしは唯一思いついた東急ハンズへ向かい、
包丁とまな板を買った。
両方とも、予算を大幅にオーバー。
まな板は、実家で使っていたものよりも、ずっとがっしりとした重いものだった。
夏前になると、大学でそれなりに知り合いができた。
ある友達から、「ほしいものがあったら『たけや』へ行けばいいよ」と教えてもらった。
なんだか昔風の、不思議な名前。
その子に連れられて、上野へ向かう。
始発から終点まで、どこで乗っても降りても同額という、都バスの料金体系に驚きながら、上野へと向かった。
着いてみると、「たけや」は「多慶屋」だった。
そこでは、たいていのものがディスカウントされて売っていた。
食品、家電、カジュアルウェア、家具、文具……。
「どこにでも売っている、誰でも知っている商品なのに、
あらためて探すと見つからない」モノの筆頭株、
カラーボックスを見つけたときは興奮した。
しかし、多慶屋で最初に買ったのは、パジャマだった。
当時住んでいた学生会館は風呂が共同で、湯上りにはみな、
パジャマで館内をウロついた。
地元から持ってきた、着古したペラペラのパジャマでは恥ずかしかったのだ。
やはり雑貨屋もどこにあるのかわからず、なかなか求めることができなかった。
その日はちょっと胸を張って共同風呂へ行ったことを、覚えている。
ここへ来れば、なんでもそこそこ安く揃う。
多慶屋はわたしに安心感を与えてくれた。
やがて生活に慣れてくると、大学のまわりに
ちいさな個人経営のディスカウントショップやリサイクルショップを見つけた。
キャンパス近くの格安の衣類店では、パジャマでなくても、
気楽なスウェットが求められることがわかった。
大きなスーパーの2階では、生活雑貨が購入できる。
そうやって、すこしずつ「何をどこで買えばいいか」の「地図」ができていった。
いまでは、「どこで何が買えるか」は、だいたいわかっている。
都心から郊外まで、行ける範囲にあるホームセンターのありかだって把握している。
何より、冒頭にも書いたとおり、困ったときはネット検索をすれば実店舗の場所もわかるし、
モノ自体を「ポチる」ことができる。
それでもごくまれに、「フリースでできた上履き型のルームシューズ」のように、
ネット上の検索では見つけることができないモノもある。
そういうときは、懐かしいなと思う。
途方に暮れる、この感じ。
何がどこで手に入るかを記した自分なりの「地図」を、
少しずつ、少しずつ頭の中に作っていた時代には、
よくあった感覚ではないか。
あのころは、東京のことはほとんど知らなかった。
知るには「東京23区マップ」を手に実際に歩くか、
雑誌を読むか、ひとに聞くしかなかった。
いまのわたしの手には、途方に暮れながらもスマートフォンがにぎられ、
部屋にはWi-Fiが飛んでいる。
あのころとは雲泥の差がある。
自分なりの「地図」を脳内に作っていた時代の記憶は、
どんどんおぼろげになっていく
ネットでモノが見つからないとき。
それは、「地図」を作っていた時代を思い出すタイミングでもあり、
その時代の感覚が、記憶がおぼろげになりつつあることを感じ、さみしくなる瞬間でもある。
なんでも揃うネットで、何かが見つからないときの孤独感。
「何をどこで買えばよかったかわからない時代」が遠くなっていくさみしさ。
そんなさみしさや孤独感は、昔は想像すらしなかった。
そう思いつつ、わたしはスマホのブラウザを閉じた。