平凡

平凡

魔法はいつか解ける。だから魔法なのだ

「好き」の理由やきっかけは、意外とわからない。

たとえば、わたしはいつどのように文章を書くことを覚えたのか。なぜこういった文章を書き散らしているのか。いまひとつわからない。

 

 

Fate/Grand Order」(以下、「FGO」)というスマホゲームをプレイし始めたきっかけも不可解なものだった。

ゲームのリリースは2015年夏だった。しばしば「『FGO』とはなんですか」と人に聞かれることがあり、「実際やってみないとなあ」と思い続けて2年。

2017年の夏、突然、「そうだ、今日やろう!」と思い立った。それは、「無職の息子が親のクレジットカードを使い、『FGO』に多額の課金をした」というニュースを読んだ瞬間だった。

わたしは商業ライターなので、とくに「ソシャゲ課金の闇!」といった社会派のレポを書こうと思ったわけではない。ものすごく平成な言い方をすれば、「ビビビ」と電撃が走ったのだ。

そんなニュースを見て、なぜ、「そうだ、FGO、やろう!」と京都旅行のプロモーションのような状態になったのか、よくわからない。よくわからないままに4年以上遊んでいる*1

 

反対に、「なぜ始めたか、なぜ辞めたか」がはっきりくっきりわかっているものもある。

一時期ハマっていたスマホ向けのゲーム「Ingress」もそのひとつ。

Ingress」は、現実を舞台にした陣取りゲーム。同じ会社が開発した「ポケモンGO」(以下、「ポケGO」)のほうが一般的なので、「ポケストップ同士をつなげて三角形を作り、陣取り合戦をするゲーム」と説明するとわかりやすいかもしれない。

陣営が3つの「ポケGO」と違うのは、「Ingress」では、プレイヤーは青と緑、2チームに分かれること。

街中にポケストップならぬポータルがあり、それに近づきタップ(ハック)すると、「ポータルキー」がもらえる。

ポータルキーを持っているポータル同士をつなげて三角形を作り、青と緑、お互いの陣地を広げていく。

すでに敵の陣地があったらどうするのか? ポータルに近づき、武器で攻撃するのだ。

 

ご存知の方も多いと思うが、「ポケGO」にさきがけて開発されたのがこの「Ingress」であり、ポケストップは基本、「Ingress」のポータルの情報をもとにしている*2

 

この「Ingress」、「ゲーマーを外に連れ出すゲームを目指した」と開発者が語っており、それを見かけたわたしは、非常に興味を持った。

現実を舞台にしているのがおもしろそうだし、このゲームなら、出不精なわたしも外に出たくなるのでは!? と期待したのだ。

スマホの機種変更とともにゲームをスタートすると、実際、期待通りの効果をもたらしてくれた。

 

Ingress」はとにかく外へ出ないと始まらない。

ポータルをハックしたいので、毎日お散歩。ポータルが多い地域を通りたいので回り道。取材終わりに知らない場所をぶらつくことが増えた。旅行にだって行きたくなる。

 

リアルを舞台にしているうえ、2チーム制で敵陣への攻撃もアリ。「Ingress」は「ポケGO」に比べ、かなり攻撃的なゲームだ。

リアルのトラブルも多いゲームだったが、基本ソロプレイのわたしは何かに巻き込まれることもなく、おおむね平和に遊んでいた。

 

そんなにハマっていたのに、ある日突然やめてしまった。時期も明確で、2018年冬だった。

そのきっかけは、「スキャナー(地図)の画面がリッチになったから」。

初期のスキャナーは、8bitゲームを思わせるシンプルなものだった。それが、大幅アップデートとともにゲーム名が「Ingress Prime」に変わると、何もかもが立体的になった。

ポータル同士をつないで三角形を作るときのエフェクトは、以前は、「単に線が伸びたなー」というものだった。それでもじゅうぶん気持ちよかったが、アップデート後は、光の筋がぎゅわーんと弓なりに伸びるようなものに変わった。

 

旧スキャナーの画像はこんな感じ。この記事にはゲームの解説もあり。

internet.watch.impress.co.jp

 

アップデート後の「Ingress Prime」のプレイ画面がわかる記事。記事に埋め込まれたプレイ動画の30秒ぐらいのところで、ポータル同士をつなぐシーンもあり。緒方恵美さんのナビゲート音声も含め、ゲーム全体の雰囲気もわかる。

k-tai.watch.impress.co.jp

 

リッチになったのだ。

リッチになったのに、嫌になってしまった。これには自分でも驚いた。リッチになったらうれしいはずなのに……。

当時はその理由がよくわからなかった。「無職の息子が親のクレカで課金したニュースを見て『FGO』を始めた」と同じぐらいわからなかった。

 

が、いまはわかる。夢から覚めたのだ。

 

Ingress」の何よりの魅力は、現実を舞台に究極の“ごっこ遊び”を叶えてくれるところだった。

“厨二ゴコロ”をくすぐるといえばよいのだろうか。

 

プレイヤーは「エージェント」と呼ばれ、ポータルなどが光って見える地図画面は先ほど紹介したように「スキャナー」、自軍の陣地にした三角地帯は「コントロールフィールド」。

ゲームの基本ストーリーは、謎のエネルギー物質XM(エキゾチックマター)が発見され、その利用法を巡り、青チームと緑チームが対立しているというもの。

正式には、青チームは「レジスタンス」。「XM」の利用は慎重にしよう派。

緑チームは「エンライテンド」。「XM」をガンガン使っていきましょうぜ派。

もう、思わず口にしたくなる、なんかカッコいいカタカナ語の連発なのだ*3

たまらん!

 

そういった”厨二感”満載の単語とともにわたしに夢を見せてくれたのは、あの8bit的なさみしさが宿った画面だった。

シンプルな画面だからこそ、手のひらのなかにあるスマホが「もうひとつの現実を見せてくれるエージェント御用達の道具『スキャナー』」だと錯覚させてくれた。

一方で、新バージョンでは、地図は立体的で、ポータルからは燃え立つようにエネルギーが吹き上がり、ポータル同士をつなぐときに、派手なエフェクトがかかる。

それはリッチだった。

リッチだからこそ、カタルシス以上に「これはゲームなんだ」とわたしに自覚させた。

 

ごっこ遊び”の夢が覚めたのだ。

 

もちろんいい大人なので、それが“ごっこ”であることや、いま書いている内容も含めて恥ずかしいことも自覚しているけれど。

 

パッチ的なものを使えば古いプレイ画面に戻すこともできたけれど、わたしはそれを選ばずゲームを辞めた。いったん夢が覚めてしまえば、魔法は二度とかからなかった。

 

Ingress」をプレイした時間は無駄ではなかった。プレイしている間は運動量が増えたし、知らない土地にも足を運んだし、何より楽しかった。いい思い出にはなっている。

 

幼いころから頭のなかはバカらしい妄想でいっぱいだったわたしだが、ごっこ遊びはあまりしたことがないように思う。

何かになりきって、現実と想像をまぜあわせて遊ぶこと。

Ingress」は現実を舞台にしているからこそ、いい大人の“ごっこ遊び”をかなえてくれた。

引きこもりがちのわたしを外へ連れ出してくれた。

 

ときどき、「またポータルをハックしたいなあ」と恋しくなることがある。そうすれば、もっと遠くまで散歩ができるのに。

しかし、もう二度と魔法がかからないこともわかっている。魔法はいつか解ける。だからこそ魔法なのだ。

 

写真は《夜道、明るい大通りのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20160309061post-7112.html

Ingress」やっているときは、仕事が終わった夜によくハックお散歩をしていたものでした。

*1:課金は年に1、2回、必ず高レアリティのキャラクターが当たる「福袋」ぐらい。平和な微課金プレイをしています

*2:で、そもそもポータル情報はどうやってゲーム上の地図に反映されたのか? 全世界の「Ingress」プレイヤーが、「街中にあるポータルになりそうなもの」を探し、せっせと投稿したのである

*3:日本版がリリースされているけれど、開発はアメリカなので、「カタカナ語」というのは正確ではない

点心、そしてピカールで飛ぶ

何をいまさらと言われそうだけれど、ずっとティム・ホー・ワン(添好運)に行きたかった。

ご存知の方も多いと思うが、ティム・ホー・ワンは香港発の点心専門店。ホテルレベルの味がリーズナブルに食べられると人気を博し、2010年にはミシュラン一ツ星を獲得。「世界一安いミシュランレストラン」と呼ばれたとかなんとか。

日本には2018年に上陸。現在は一号店となる日比谷店のほか、新宿のサザンテラスに店舗がある。

ティム・ホー・ワン(添好運)公式サイト - Tim Ho Wan Japan Official Website

 

写真はティム・ホー・ワンとは関係ありません

 

わたしはずーっとここに行きたかったのである。しかし、いつ行っても日比谷店は長蛇の列。コロナ禍まっさかりのときですら「常識的な行列」がついていた。

コロナ禍直前の2019年11月、新宿店で全メニューテイクアウト可能になったものの、「窓口に並べばいいのかな……」とまごまごうだうだしているうちに2022年になってしまった。光陰矢の如し。いや、時間が速いんじゃない。わたしが遅いのだ。

で、先日、日比谷で仕事があった。これ幸いとmenuというアプリを使ってテイクアウトをオーダーし、夢のティム・ホー・ワン(の点心)が家にやってきた。

 

オーダーしたのは同店のテッパン商品「ベイクドチャーシューパオ」、「牛挽肉のチョンファン」、「蓮の葉ちまき」。

ひと口食べればそこは異国。

こっくりとした甘辛いチャーシューと甘めの生地のバランスがよい「ベイクドチャーシューパオ」。

チョンファンとは米粉のクレープらしい。「牛挽肉のチョンファン」の皮の歯ごたえと牛挽肉にふっと香るレモングラスは、食べ慣れた日本の料理にはないものだ。

もっちりとしたもち米おこわにごろごろ豚の角煮が入った「蓮の葉ちまき」。「これが蓮の香り!」とわかるわけではないけれど、やはりなんらかの葉っぱの香りがして、それが風味にやわらかさを添える。

 

都心からはるばる運んできたので多少冷めてはいたけれど、それでも「美味しい~~」と身も蓋もない感想を口にしながら、夫婦でうっとりとした。

 

香味、歯ごたえ、コク。

それはたしかに異国の味だった。異国の味が、紙のテイクアウト容器に入って我が家にやってきた。

香港で点心を食べたことがない我々が思い出したのは、かつての台湾旅行で出会った美味であった。

いや、台湾で点心を食べたわけではないのだが――。

ピリッと辛かった担仔麺、豆乳スープの鹹豆漿に揚げパンを浸して食べたこと、サバヒーという魚がデカデカと乗った粥。

日本人の口になじみやすく、しかし、日本では使わない食材や香辛料を効かせた料理の数々。

それらの記憶とないまぜになり、ティム・ホー・ワンの料理を家で食べていると、旅行先のホテルにいるような気分になった。

 

そういえば、わたしはフランス発の冷凍食品専門店「ピカール」も大好きである。店舗がある街へ行くと必ず買って帰る。

Picard(ピカール)冷凍食品 Online Shop

「ジャガイモのロテサリー風」だとか「リコッタとほうれん草のカネロニ」だとか、商品名を見るだけで気分がアガる。

幼い日、海外文学を読みながら、「ワッフルってなんだろー。メープルシロップをかけて食べるっぽいぞ」「カネロニ……?」と空想し、あるいは想像することすら叶わず、音の響きだけで憧れた料理。

長じて親しんだアメリカやヨーロッパの映画で、主人公がつつく「なんだかよくわからんが、ホワイトクリームやチーズを使ったカロリーが高そうな料理」。そういったものが一堂に会する夢の空間なのだ。

実際食べるとたいてい胃がもたれるのだが、こりない。こりることができない。紙皿に入ったラザニアをオーブンに突っ込んでいる間ですら、「わたしはパリの安アパルトマンに住む冴えない中年女性……パリジェンヌだがまったくおしゃれではなく……」と妄想がふくらむのだからやめられない。

 

ああ、「ピカール」で心を欧州へ。「ティム・ホー・ワン」で香港、ひいてはかつて旅した台湾へ。冷凍食品にしろテイクアウトにしろ、家でこれが叶うのはありがたい。

外食ほど非日常ではない半・非日常だからこそ、心が遠くへ飛ぶのを感じる。

この「飛ぶ」効果は、海外旅行へ行くのがたやすかったコロナ禍前より強く感じるように思う。

 

だからといって、「制限されるのも悪いことばかりじゃないね」などとまとめるつもりは毛頭ない。

やはり実際に遠くへ行きたい。見たことのない国で、未知のものにふれたい。とても日本に上陸しないようなものを食べて胃もたれしたりしたい。

 

点心と一緒にそういった願望やら夢まぼろしの霞を詰め込んで、わたしは箸を置いた。

 

写真はティム・ホー・ワンとはまったく関係ないフリー素材。《せいろに入った中華まんのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20110709196post-386.html

ちいさなお墓

どうしてお墓参りをしようなんて言ったのか、もう覚えていない。

 

「そういえば、甲野のおばさんのお墓ってどこにあるのかな」

そう言ったのは、たしかわたしだった。

帰省中で、わたしは時間を持て余していたのだ。

たまに帰省したのだから、親との時間を過ごさねばならない。

しかし、何をして――?

たぶん、思いつきだったのだろう。

 

「お墓参り、してみようか」と言って、母は車を走らせた。

川を渡り、田んぼの中の道路を突っ切って、隣の市へ。

季節は冬の終わり。どんよりとして寒い日だった。

 

「あーこのへんかな」

親戚づきあいは途絶えて久しく、墓地の場所自体があいまいだった。

母が自信なさげにウィンカーを出し、とある墓地の脇にある水汲み場兼通路兼駐車場に車を停める。

田んぼの真ん中にある墓地は人気がなく、どこか落ち着かなかった。

春の彼岸がまだだからか、もともと熱心に手入れする家庭がすくないのか、通路や墓には雑草が生え、それが枯れ、さびさびとした風情をかもしだしていた。

水やお供えのワンカップ、しおれきった菊が放つ腐敗臭が鼻をつく。

「甲野って名前がいっぱいある。このへんかなあ」

御影石の墓石はみな一様にくすんでいたものの、名前は読み取れた。

が、目が粗い石でつくられた楕円形の墓は、たいてい風雨にさらされて墓碑銘が曖昧になっている。

「たぶん、ここ」

母が立ち止まったのは、並びいる墓石の端の端。囲いは崩れかけ、雑草におおわれたひときわちいさな墓だった。

目の粗い石でつくられ、もはや墓碑銘が刻まれていたかどうかすらわからない。

「たぶん……ここと思う……」

確信が持てないままに、母とわたしはひしゃくで水をかけ、だまって手を合わせた。

 

わたしのもっとも古い記憶のひとつは、この甲野のおばさんを巡るものだ。

三つか四つのころだったと思う。

夜。

買ってもらったばかりのE.T.のぬいぐるみを抱いて、わたしは網の張られた用水溝の上にいる。

ぼよんぼよんと網を揺らす。落ちたらこわいけれど、きっと落ちない。信じる気持ちと疑い半々で、遠慮がちに網を揺らしてはやめる。

隣には兄がいて、用水溝にたたえられた水には、月が映っていた。いや、幼いころのこと。それは広い敷地を照らす照明だったのかもしれない。

後から知ったのだが、それが甲野のおばさんの通夜か葬式だったらしい。

 

ある日、おばはその夫か誰かが持っていた猟銃を自分に向けたのだった。

 

通夜か葬式の夜、幼い兄とわたしが外に出されていたのは、そういった亡くなり方と何か関係があるのだろう。

「おばさん、家のこと、あんまり上手く行ってなかったんやって」

意味もわからず耳にしたその大人の事情は長い間、わたしのこころに沈殿し、遅効性の物質のように不安をまきちらした。

家のこと、つまり婚姻生活が上手くいかないと、人は死んでしまうらしい。

まわりの大人たちはみな結婚し、他人との共同生活に苦しみ、子はかすがいどころか軛となり、死ぬか生きるかの争いを演じ、ときとして命を落とした。

わたしも大人になったら結婚してそうなるのだろう。

村上春樹作品に出てくる野井戸みたいなものだ。

成長する。森を歩く。結婚という野井戸に落ちる。結果は神のみぞ知る。しかし、だれもそこから這い出てきたものはいない。

 

そういう世界観を抱きながら、わたしは大人になった。

友人たちは結婚し、その一部はやがて離婚し、また再婚した。

初婚での教訓をいかし、友人たちは二回目の結婚生活を営み、たいていは幸せそうに暮らした。

彼女たちは深く傷ついても命は落とさなかった。前に進んだ。

結婚は野井戸ではないのかもしれない。

 

おばの墓に手を合わせたのは、そんなふうに考えが変わり、カウンセリングに通いはじめた時期だった。

となりの母にちらりと目をやる。荒れた墓地をぼんやりと見ている母も、また、死にはしなかった。

 

おばが何を思って生きたのか、亡くなったのか、わたしには知る由もない。

彼女が亡くなった当時、わたしは幼く、直接ふれあった記憶もない。

母をかわいがり、高価な時計をくれたというおば。

母の嫁入り道具のきもののうち、ひときわ質がよいものは、たいていたとう紙に「甲野」の名前がある。

わたしが知っているのは、そんな外面的な情報だけだ。

 

あの墓は――。たとえおばのものであったとしても、おばはあそこにはいない気がする。

もはやおばとは切り離されたものとして、あの墓石のことを思い出す。

いまも風雨にさらされつづけているであろう、ちいさな墓石。

やがてわたしも死ぬ。あの墓を覚えている者はだれもいなくなる。

わたし自身も同じように、ひとの記憶から消えていく。

 

あの墓に手を合わせてから数年後、わたしは結婚した。

結婚は野井戸ではなかった。わたしはいまも生きている。

ときどきそれを、不思議に思う。

「書き慣れちゃったなあ」からの……

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書き慣れちゃったなあ、と思う。

上手い、下手は別にして。

わたしは書くのが遅いけれど、それでも説明的なエントリーなら、書き上げ時間の目測がつく。

最近では、「どうまとめていいんだ!?」と迷うことはあっても、「これはいつになったら書き上げられるんだ!?」と、茫然とすることはあまりない。

迷ったときは、即「じゃあ、いらないものをそぎ落として、まとめられるような形にしよう」と考え、実際、そうする。

問題に対して解決法がある――すばらしいのではないか?

そう思う一方で、「これでいいのか」という思いがある。

「文章に悩んだときのTips」(https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/01/06/070000)とかアップしておきながら矛盾しているようだけれど。

上記エントリーにあるTipsは、「頭のなかにある抽象的なものをいかにアウトプットするか」を考え、試し、長年かけて編みだしたものだ。

しかし、それがこぎれいにまとめる技術になっていないか。

「こぎれいにまとめる技術」それ自体はじゃまになるものではない。

けど、それ「だけ」でいいのか。

世の中はわたしにとって、そんなに簡単に書けることであふれているのか?

解像度が低いんじゃないのか?

Tipsを使ってなお迷いに迷う。そんな経験がなくていいのか?

 

評論的な文章、エモい文章。

何を書くにしても、どこかで「書けないことを書こうとする」プロセスはぜったいに必要なのだと思う。

ひとつの語句を選ぶたび、頭をガツンガツンぶつけるように考えなければならない、そんな文章。

 

と思うのは自分の文章に対してであって、他人の文章はどんなタイプのものでもみずみずしく、「生」あるものに思える。

だからいろいろなブログを訪れる。

誰かの広がりのある人生。

ほかの方のブログ記事は、その一部を切り取った尊いもののように感じる。

 

ただ、自分の文章に関しては、あくまで自分から出たものだ。

書き慣れて、「自分が書ける範囲でしか、世界を見ない」ことはおそろしい。

文章には、その人の世界の見方が反映される。逆もまたしかり。

世界の見方が、文章に反映されることもあるだろう。

 

とはいえ机上で嘆いて思考を空回りさせるのは、得策ではない。

動くこと。

外に出て、人に会って、書物を読んで、映像含め、さまざまな作品にふれてインプットすること。

椅子に座るなら、不完全でもいいから何かを書くこと。読むこと。

 

――とかなんとか書いて、下書きにしまいこんだのは数ヶ月前だった。

今日は、「ああああっ」と叫び、ひっくり返ってしまった*1

一年ほど前に書いた文章を読み返したら、あまりにもあまりにも……な不備を見つけたのだ。

そのうえ客観的に見て、文章がつたない。心の奥底がカタカタ震えるほどにつたない(ブログもつたないが、この件はブログ以外)。

「心の奥底が震える」って感動に使う表現じゃないのか……。

 

つたなさを客観視した動揺が、いまも指先を冷たくする。

こうして書く文章は何かが足らない。

それがいままでの生き方、取り組み方の帰結であることもわかる。

しかし、何を書くとしても、公開せずに閉鎖空間で素振りをしていたら、ぜったいに前に進めない。

 

昔読んだ五木寛之氏の著書には、「『あきらめる』の本来の意味は、『あきらかに見る』こと」と書いてあったような記憶がある。

書いて、丸出しになったものを「あきらかに見る」。「これがいまの自分だ」とあきらめて飲みくだす。

苦さにくらくらしながら、よりよきものをつかむための方法を考えられたら。

ひとつだけたしかかなのは、その「方法」とやらが魔法のようなものではないことだ。

明日もEvernoteに何か書こう。エディターを開こう。読もう。歩こう。考えよう。

結局は、それしかできることはないのだから。

 

みそかに、こんなエントリーを書いた。

自分の文章が下手過ぎて笑っちゃった話からの、結局、文章は中身って話 - 平凡

今年は何度自分の文章の下手さに思わず笑い、声をあげ、頭を抱え、肩を落とすんだろう。</p>

願わくば、その先に何かが見えますように。

《ノートにメモをする女性のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210434106post-34389.html

*1:ほんとに声が出たので自分自身驚いた

あんまり言及されないけど、フリーランスに必要だなーと思うこと

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フリーランスのライターです。自営業です。在宅稼業です。

職業に関して自己紹介をするなら、そんな感じでしょうか。こんにちは、平凡と申します。

フリーランスな働き方」が世間で(一部)もてはやされることがありますね。Twitterなどで検索すると、「フリーランスとして必要なのはブランディングである」などなどのアドバイスがたくさん引っかかってきます。

 

フリーランスとひと口に言っても、製造業もデザイン業もサービス業もあるでしょう。書籍だけ、文房具だけなどの特化型PRをフリーランスでやっていらっしゃる方もお聞きしたことがあります。

「独立したい」と考えたとき、必要なことは職種によりさまざまなはず。

 

ただ、フリーランス歴15年のわたしが、つねづね「あまり言及されないけれど、これは職種を問わず、絶対にあったほうがいい」と思っていることがあります。

それは、人とのつながりです。仕事以外の。

 

「仕事以外の」と書きましたが、これは意味を広く取っています。たとえば会社勤めしている場合は、業務以外の会話や同僚の存在感もここに含まれるとわたしは考えています。

というのも、独立したときに愕然としたのは、日常会話が激減したことだったからです。

会社にお勤めの方で、職場での日常会話がまったくない、口をきくのは業務連絡だけ、というケースはあまりないと思うんです。プライベートな付き合いではないけれど、職場を、仕事を共有している人たち――。それが同僚であり、彼ら、彼女らとの会話はいわば「基礎人付き合い」であったとわたしは気づきました。

なくなってはじめて、それらがどれほど貴重なものだったか身に沁みたのでした。当時は独身でひとり暮らしでしたからなおさらです。

そのころ、わたしは20代後半から30代でした。周囲には出産する友人が多く、そうするとプライベートで会えることも減ってきます。

これ自体は誰にでも起きる普遍的な変化ですが、フリーランスだとベースが違うんですね。朝から晩までひとりでいて、職場での「基礎人付き合い」がない状態で、さらにプライベートの付き合いも減ってくる。

 

人付き合いがないと、刺激も情報も減ります。驚くほど減ります。同僚が何を着ているかをぼんやりと見る。今日は元気があるなあ、元気がないなあ。そんなちょっとした変化を感じる、それだけですでに刺激なのです。

もちろん、その刺激が居心地の悪さやトラブルを生むこともあるのですが。

ついでにいうと、通勤がないとやっぱり刺激が激減します。独立前、わたしは職場から徒歩10分以内の場所に住んでいましたが、それでも毎日、外に出て道行く人を見るだけでも違うのです。

 

フリーランスになって減るのは「人とのつながり」と書きましたが、もうすこし正確に表現すると、「外部からの刺激」全般です。

製造業の方など、人との協業が前提になる職業の場合は、独立しても定期的な人付き合いがあるかもしれません。

同業者でも、「編集さん、カメラマンさん、同業者、またはPRの方々と半プライベートで仲良くなっている」という方もいます。また、ご近所付き合いなど、職場以外の「基礎人付き合い」がある方もいらっしゃるでしょう。そういった方はあまり心配いらないと思います。

ただ、

・メインとなる作業がだいたい在宅で完結する職業

・もともと人付き合い、コミュニケーションが苦手

こういった条件を兼ね備えている方は、独立にさいして、外部からの刺激をどう摂取するかを考えたほうがよいのでは……というのがわたしの考えです。なぜならわたしがそうだから!

 

刺激の摂取方法は、コワーキングスペースの利用かもしれないし、犬の散歩かもしれないし、習い事かもしれないし、ジム通いかもしれないし、Twitterかもしれません。

そして、プライベートのお誘いで苦痛でないものは、極力大切にする。

「リアルで・定期的に接触があって・そこそこ深さがる」付き合いでなくても、広く浅くでいいのです。チャネルや所属していると感じられるコミュニティを意識して複数持っておくことが大切だと思います。

また、対人接触を伴わずとも、「ニュースは必ず見る」「自分の職業と関連あるショップには週に1度は足を運ぶ(わたしだったら書店)」といった、外部刺激の「窓口」を決めておくのも有効だと感じます。

 

苦痛や無理があるものはつづきません。自分が楽しくできる範囲で、外への窓口を確保すること。先に挙げた2点に当てはまる人は、ほうっておくと年々閉じてしまいます。いったん閉じたものをこじ開けるのはなかなか大変です。

そして、独立して仕事が軌道に乗ってくるほどに、窓口を開くための「すき間」を作ることが難しくなってくる瞬間があります。

独立前は何かと不安になるものですが、納期を守って、遅れるときはきちんと連絡してまじめにやっていれば、多忙になる可能性のほうが高いです。

独立前にあれこれ準備する必要はないと思いますが、できる範囲でいいので気をつけておくと、「死守ライン」のようなものがわかるのではないか。外への窓口を開け続けられるのではないか……と思っています。

 

わたしは……「わたしはこうしてるよ! こうやってバッシバシに外に開いているよ!」と言えたらカッコいいのですが、残念ながら閉塞との戦いに悪戦苦闘中です。

時間の使い方が下手なので、せっかくお誘いいただいた貴重なオンライン飲みの機会を逃すことも多かったり……。

 

そして、あまり言及されないということは、閉塞で悩んでいるのはフリーランス界隈でもわたしぐらいなのかもしれません……とほほ。

考えてみれば、会社員の方は「基礎人付き合い」があった上で、勉強したり刺激を受けるよう努力したりしているわけで、在宅稼業者ならなおのこと努力が必要、という話でもあります。

というわけで、ひょっとしてとても局地的な必要性かもしれないけれど――。

わたしが考えるフリーランスに必要なものは、「人や外部とのつながり」でした。

 

写真は《古びた窓枠と植物のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20171156317post-14010.html

 

ちなみに結婚はこういった閉塞感の解決方法にはならない……という話がこちら。子どもがいると、また違うのかもしれません。

hei-bon.hatenablog.com

ライター仕事で知った“美味しい”を伝える才能

こんにちは。紙媒体などでライターをしております平凡です。

コロナ禍で避けられていた対面取材やインタビューも増えてきました。この季節は着るものに困りますね……。

 

ところで。「食」系の取材ってありますね。わたしもときどきやっております。ジャンルは料理とかコーヒーとかスイーツとかかき氷とかいろいろです。こちらもコロナ禍で激減したものがぼちぼち戻ってまいりました。

 

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取材撮影時は、料理をカメラマンさんに撮ってもらって、わたしはひたすらお店の方に料理について聞くわけです。食材は何を使っているのか、調理法のポイントはどこか、味付けは……などなど。あと、お店のコンセプトや歴史について*1

 

撮影が終わると、たいてい「試食していってください」となります。食系の記事というと、「『プロバンスの風が駆け抜けるような爽やかな味』とか書くの?」と聞かれることがありますが、そういう主観的なことは書きません。「隠し味のレモンが香り、後味さっぱり」とか「何々の酸味となんとかの甘味がマッチ」とか、事実ベースに「どんな味覚体験ができるか」を書きます。

で、味覚体験について書くのだから、実際に食べられるなら食べたほうがいい。ここで注釈をつけておくと、撮影した料理を食べられないこともあります。撮影用なので味付けをぜんぜんしていないとか、そういったケースもあるのですね。

 

何らかの理由でそのお店を選び、「取材させてください」と依頼したわけで、お料理にしてもなんにしても非常に美味しい。しかも、お店の方から「美味しさの秘密」的なお話を聞いているからなおさらです。で、感想を伝えるわけですが――。

わたしは緊張しやすい性質なので、美味しければ美味しいほど「伝えねば!」と肩に力が入ってしまいます。結果、モゴモゴなんか早口で言って、「お、美味しかったです」とやっぱりモゴモゴ伝えることになります。表情も固い。

食べてわからないことがあれば、「この香辛料がサーッとした香りで……なんていうか、サーッとしていい感じですが、何が入ってるんですか?」と、職業を疑われかねないボキャブラリーと重複表現で感想を伝えつつ質問をすることがあります。

そうすると、お店の方の表情が切り替わるんですね。なんというか「食べるお客様を見つめる柔和な表情」から、「取材を受けるスタッフとして、説明しなきゃ」のインタビューモードになる。

これはもちろんお店の方のせいではなく、わたしが「ライターとして質問しまーす!」という姿勢になってしまうから。

 

で、ここで救ってくれるのが、わたし以外の取材スタッフです。他のスタッフが「美味しい!」とひと言言うと、お店の方は、再び「食べるお客様を見つめる柔和な表情」に戻るんです。そうしてリラックスすると、「そういえばこのお料理は……」と、取材時以上の情報を語ってくれることがあるのです。

「わたし以外のスタッフ」とざっくり書きましたが、ことにカメラマンさんだとその効果は絶大です。「美味しい料理をものすごく美味しそうに、美しく撮影した」信頼感があるからひとしおなのでしょう。

 

そのなかでも、お店の方を笑顔にする天才だなーと感じた人がふたりいます。ひとりはカメラマンさん。ひょうひょうとした男性で、彼が「美味しい!」とひと言言うと、お店の方の顔がパッと明るくなる。ちょっと気難しい方なのかもしれない……なんて思っていたケースでも、そのカメラマンさんが「美味しいですね、これは何が入ってるんですか?」などなど話すと、お店の方が本当にうれしそうに料理について語ってくださる。

 

もうひとりは、広告関係の仕事で一緒になった営業の女性でした。彼女はとにかく食べるのが好きで、さまざまな食べ歩きの経験も豊富。でもグルメという雰囲気は醸し出さない。試食時、「この何々がほんっとに美味しいです!」と彼女が顔を輝かせると、お店の方も「そうなんですよ!」と元気になり、我々スタッフ一同も楽しい気持ちになったものです。そのお仕事では、試食の時間や会話が楽しみでした(コロナ禍前のお仕事でした)。

 

何が違うのかわかりません。わたしにわかるのは、彼や彼女の「美味しい」には魔法があったこと、そして「美味しい」とその場で伝えるのに特別な言葉はいらないことでした。

 

ライティングとは外れますが、今回はお料理取材で実感したひとつの才能の話でした。

彼、彼女のような天才になれなくても、もう少しこう……リラックスして話してもらえるようになったら……と、食系の取材に限らずいつも思っています。

 

画像は《話題の九州パンケーキにフルーツ盛りのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20180413102post-15912.html

*1:WEB系のライターさんには、ご自身でめちゃ美麗な写真を撮影し、かつ取材される方もいます。撮影の腕もすごいですが、カメラマンさんとの分業なしに、撮影から取材までを限られた時間でこなしているのがすごいなと思うのです……

AI文字起こし、何使う!? どう使う!? 問題

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こんにちは。平凡です。

紙媒体を中心として、商業ライターをやっております。

ライターを日々悩ませる文字起こし! ライター以外でも、議事録作成だるいよ~となっている人も多いであろう文字起こし!

皆さんどうしていますか?

わたしは最近、AI文字起こしを使っています。自動で音声データを文字にしてくれるサービスですね。

今日はわたしが使った範囲での雑感を記していこうと思います。

使い方が偏っているのですが、どなたかの参考になれば。

感想とあわせて、各サービスの使用時期も書いておきます。なぜなら、AI文字起こしは日進月歩。データの蓄積で、より自然な起こしが可能になっている可能性があるからです。

 

利用したサービス

1.RIMO

「日本語に特化した文字起こし」サービス。運営は国内企業で、サービス名と同名のRIMO社。2020年9月リリース。わたしは2021年5月~10月に合計100分ほど利用。

特徴は、文字起こしにかなり正確な句読点が入ること。読み返すのはかなり楽。

魅力は初回無料枠が60分あること。この60分は、リアルタイムの文字起こしではなく、音声データのアップロードもOK(Nottaの無料枠はリアルタイム起こしのみ)。

スポット利用は60分以降は30秒/20円。たとえば20分のインタビューなら800円。40分なら1600円。

人に依頼するよりはずっと安いですが、人力とはクオリティが違うので一概に比較はできません。

定額利用は月10万円(音声データは40時間分)。編プロなど、会社契約が前提かなというお値段。

https://rimo.app/

 

2.Notta

こちらは中国は深センにあるLangogo Technology Co., LTD.が運営。104言語に対応。サービス開始時期不明ですが、会社は2018年設立。

定額制のみで、1か月約883円(年払いの場合。月払いだと約1497円)/月1800分(30時間)*1

リーズナブルさが魅力です。

わたしは2021年12月から2022年4月現在まで利用し続けています。

Nottaも無料お試しがあるのですが、こちらは「音声データをアップロードする」形には対応しておらず、リアルタイム文字起こしのみ。つまり、会議や取材のときにアプリ起動して起こす、というタイプですね。

https://www.notta.ai/

 

3.Group Transcribe

Microsoftのアプリ。こちらはリアルタイム文字起こしサービス。無料。一時期、取材中に回していましたが、RIMOやNottaを使い始めてから使わなくなりました。リアルタイムの文字起こし「だけ」をやりたいならいいサービスだと思います。無料だと30分1セットで切れるので、その点注意が必要。2021年3月~5月ぐらいまで使っていました。

 

それぞれ、精度はどうですか?

で、これらを比較できれば理想なのですが……。

個人的な感想としては、文字起こしの精度は、RIMOもNottaも(そしてGroup Transcribeも)あまり変わらないように思います。

RIMOはたしかに句読点をかなり正確に入れてくれます。ただ、使ってみてそれがすごく便利に感じたかというとそうでもなく。

AI文字起こしの紹介記事では、どのサービスについても、「これは文字起こしを変える!」と書いてあることが多いです。たしかに昔と比べれば夢のような精度ですし、実用レベルに達しつつあります。が、わたしは単純なので、そういった見出しを見ると「めんどうな文字起こしから解放される!」とか思っちゃうんですね。

使ってみての実感では、「めちゃくちゃ便利だし進歩しているけれど、修正なしの利用は難しい」です。

 

AI文字起こしの精度はそもそも音源に左右されがち

AI文字起こしがどれぐらい正確に起こしてくれるかは、「発言者とその発話状態」によるところが大きいです。アナウンサーや声優のインタビュー音源と、一般人の座談会、会議では精度は大きく異なります。

「発音が命の職業の人」にインタビューした音源だと、インタビュー相手の発言の文字起こしの精度と、わたしの発言の文字起こしの精度がまっったく異なります。

それと、発音の違いももちろんですが、「聞いて答える」形式のインタビューはもともと話される言葉が「書き言葉」に近く、座談会や会議では「会話」に近いので、そのあたりでも精度は変わってきます。

テスト的に夫と会話して、リアルタイム起こしを何社か比較したことがあるのですが、やはり力が入るというか、通常の会話とは違ってしまうらしく……。「実際に使用したときよりも、テストのほうがずっと精度が高く見える」傾向があります。工夫次第ですが。

 

AI文字起こしだから修正がやりやすい部分、やりづらい部分

文字起こしした後、文章に不完全な部分がある(これは多かれ少なかれ、絶対にあります)場合、必要あれば聞きながら修正することになります。

 

AI文字起こしならではの「やりづらい部分」は、人間の発想を超えた変換をしてくること。そういった誤変換は、インタビューの記憶が鮮明なうちでも、一読しただけで修正していくのは難しいです。たとえば、とある音声起こしにあった「ちょっと中身仕上がりながら」。これは、実際は「ちょっと何か召し上がりながら」と言っていた部分。

 

次に「やりやすい部分」を。RIMOもNottaも、音源をアップロードしてテキスト化したあとは、テキストの一部分をクリックすると、その部分の音声だけを聞くことができるようになります。なので、「発想を超えた誤変換」がある場合は、その箇所だけを聞いて修正していくことができます。これはすごく便利……なのですが、サイト上では文字修正がやりづらい。なんとなく、「起こしたものをがっつり修正する」前提ではないのかな、と感じます。

 

AI文字起こしで気をつけたいこと

めったにないですが、ひとつは数字の間違え。「なんでその数字とこの数字を間違えるの?」という経験があるので、数字がある箇所は聞き直す、その場でメモを取って照合するなど気をつけることをおすすめします。

もうひとつ、これはインタビューする人向けですが、「あ~」とか「ええと」とかの省略。とくにNottaはこういった「いらない発話」をガンガン削るときと、残すときの振れ幅が大きいです。

わたしの場合ですが、インタビューでは、こういった発話を完全に削られるとちょっと困るのです。「あ~」とか「ええと」とか、そのまま原稿に残すことはありません。とはいえ、迷いのニュアンスをどこかに入れたいなと思ったときは、参考にしているんですね。

それと、これもまれですが、「あ~」とか「ええと」がほぼ完全に削られているケースでは、「必要な発話部分」の一部が削られていたこともありました。何しろ「自動文字起こし」なので、そのあたりはちょっと注意が必要です。

 

とはいえ便利です、AI起こし

いろいろ書きましたが、AI文字起こしはとても便利です。いまではNottaは必需品になりました。

インタビュー音源の場合、運がよければ(体感的に)7~8割程度完成した文字起こしを超スピードで手に入れることができます。「???」という部分が一部にあったとしても、一読すればかなり正確な内容を把握できます。

「ある製品製作に関わったスタッフに次々とインタビューする。明日は別の人のインタビューがあるので、今日やったインタビュー内容をおさらいしたい、編集さんとテキストを共有したい」ときなんかは本当に便利です。

それと、あまり精度を問わないケース。なんとなく会議の流れが追えればOKな場合は、AI文字起こしはかなり便利だと思います。

1時間程度の音声起こしが5~10分で上がってくるのは驚異です。Nottaはたまに時間かかるときがありますので、そういうときはやり直しましょう。

 

自分の使い方

わたしのAI文字起こしの使い方は……。「完璧に文字に起こしたい」ニュアンス重視のインタビューの場合、以下の流れでやっています。無駄が多いので、そこまでニュアンス重視でなければ、気になるところをNotta上で修正するぐらいです。

 

Nottaで文字に起こす

テキストをSpeechnotes(Google音声認識を使った音声入力メモアプリ)に貼り付け

Okoshiyasu(音声再生ソフト)で音声を再生しながら、音声認識とキーボード両方を使いながら修正。Okoshiyasuを使うのは、巻き戻しと再生停止にショートカットキーまたはフッドペダルを使いたいから。

 

NottaやRIMOのサイト上でも、再生&巻き戻しのキー割り振りができれば、こんなに無駄しなくてよいのですが……。できるのでしょうか。

 

 

そして、最近は、Web版Wordのトランスクリプト機能での文字起こしが話題です。精度もかなりのものと聞いているので、試してみたいものです。

それにしても、この仕事始めたとき、文字起こしは「テープ起こし」でした。カセットテープレコーダー(テレコ)で録音して、それを聞いていました。それがいまやAI文字起こし! テクノロジーの進歩はめざましく、ありがたいものです。昔はあの小さなカセットレコーダーの再生/停止ボタンを物理的に押していたのですから……。

というわけで、今日はAI文字起こしのわたしなりのレビューを書いてみました。

皆さん、「自分は文字起こし、こうやってるよ!」ってな方法があったら教えてください!

 

 

写真は《ワイヤレスヘッドフォンのある生活のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20170325088post-10797.html

*1:本来はドル表記なので、価格に「約」がついています