晴れた休日なので、ドッグランへ行く。
ちなみに我が家に犬はいない。
犬が遊んでいる姿を、ただ眺めに行くのである。
平日、すっきすきの公園でドッグランをじいっと見ている人間は不審者だが、おりしもゴールデンウィーク。
人々はわんさわんさと大きな公園へと詰めかけ、お子さん連れは「わんわんだよ♡」などと犬を見せるために柵の周りに滞留し、我々の存在をかき消してくれるに違いない。
果たして、予想は当たった。
ドッグランの周囲には、犬連れも家族連れもおり、我々のような“犬なし”がベンチに座っていても不審には思われない。
「だいぶ歩いて疲れちゃったね」などと言って腰を下ろす。
まず目に入るのは、か細いシルエットが特徴の、イタリアン・グレイハウンド*1の一団だ。
同犬種の集まりがあるのかもしれない。飼い主さんとともに5~6匹がいる。
被毛が短く、体が細いために寒がりなのだろう。めいめいお洋服を着ているのがおしゃれだ。
トレーナー生地のぶかっとした洋服はセレブがトレーナーを着こなすがことし。被毛に近いグレーの服を着ていても、それはそれで渋くてしゃれている。
しかし、いったん犬同士で追いかけっこがはじまると実に俊敏。
やはり猟犬なのだなと思わせる。
イタリアン・グレイハウンドをぼんやり見ている間、ふさふさした長毛の犬が柵のまわりを何周か巡っていった。
たぶん、シェットランド・シープドッグだ。
同じ家から来ているらしいチワワがときどきじゃれつくが、まったく意に介さない。
新たにドッグランに入ってきたフレンチブルドッグに尻をかがれても、静かに無視する。
ドッグランの広い敷地のなか、柵の内側を、トコトコぐるぐる。
視線は柵の外側に向けているが、特定の人間や犬を見ているわけではない。
表情は明るいけれど、それはいわゆる哨戒のように見えた。
ときどき「脅威ですよ! 脅威を見つけましたよ!」と吠え、そのたび飼い主さんにたしなめられていた。
牧羊犬の習い性なのかもしれない。
シェットランド・シープドッグのほかにも、やはり柵の内側を回るものがいる。
垂れ耳が地面につかんばかりというか、ほとんどついちゃってるバセット・ハウンドだ。
我々夫婦が「押井守犬」と呼んでいる犬種である。
シェットランド・シープドッグと違うのは、こちらはひたすらに地面のにおいを嗅いでいること。
ほとんど顔も上げずに嗅ぐ、嗅ぐ、嗅ぐ。
こちらもほかの犬にも人間にも目もくれない。
違う地域でときどき見かけたバセット・ハウンドも、散歩中は同じようにしていた。
鋭い嗅覚を利用し、小動物の狩りに使役されていたというのも納得だ。
ところで、我々夫婦はともに子どものころから猫派であり、猫しか飼ったことがなかった。
そんな我々が、猫以外の動物に“目覚めた”のは最近だ。
猫を飼いたいが諸事情で飼えないうち、動物はたいていなんでもかわいく見えるようになってしまった。
そうやって興味を持つうち、犬は犬種によってかなり性格が違うことを知った。
なかでも、「みんながみんな、人を見れば大歓迎のフレンドリー犬ではない」というのは大きな驚きだった。
犬に対する解像度が低すぎだろ、というツッコミは覚悟のうえだが……。
印象的だったのは、ある犬特集ムックの犬種別飼い主座談会ページだ*2。
柴犬の飼い主が、口をそろえて「うちの子は帰宅時のお出迎えをしたことがない」と言っていたことだった。
ざっくり分けても和犬と洋犬でかなりの性質の違いがあるし、さらには犬種関係なく、個々の性格の違いもある。
調べていくうち、たとえばネグレクトにあった犬などは、散歩を怖がるケースがあることも知った。
散歩では、大人、子ども、車、オートバイ、小型犬、大型犬。さまざまなものと行き会う。
それらとすれ違って平然とするためには、相応の社会化が必要であるらしい。
ドッグランでほかの犬と仲よく、自由に遊びまわっている犬たちは、みな大切に育てられ、社会性を身につけているのだろう。
「犬っておもしろいねえ」
「かわいいねえ」
それは上澄みなのだろう。
ドッグランを見ながらそう言い合う我々は、その上澄みの下にある飼い主さんと犬の日々の暮らし、しつけ、努力を知らない。
ともあれ、今日のドッグランでは、犬種ごとのちがいを堪能できた……ような気がする。
「今日見た子たちは、“働く犬”として品種改良された犬種だよね」
「飼うのはなかなか大変そうだねえ……」
我々は、無責任にそうつぶやく。
未知なるもの、犬。
未知だからこそ、一度は共に暮らしてみたい気持ちもある。
しかし――。
引きこもりがちな我々に、散歩でのふるまいなど、社会化を必要とする犬を飼養することができるのだろうか。
賃貸派の我々だが、集合住宅で無事に犬を飼えるものなのだろうか。
結局は、覚悟の問題なのだ。
そうこうしているうちに、「動物よりも我々のほうが絶対に長生きできると確信して飼い始められる年齢」のリミットはせまってくる。
そういうもろもろをベンチに置いて、我々は立ち上がる。
「犬、かわいかったねえ」
「シェットランド・シープドッグとチワワ、家でもあんな感じの片思いなのかね」
他愛ない話をしているうちに日がかたむき、夕暮れがせまる。
我々はまた一日、年を取る。
《勢いよくダッシュするイタリアングレーハウンドのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210319063post-33777.html》