今日も今日とて、保護犬の譲渡会なるものに行ってみる。
そして今日も今日とて、お目当ての犬がいる。
ネットで見かけたある犬の、能天気な笑顔とつぶらな瞳にノックアウトされたのだ。
寒風吹きすさぶなか、たどりついた譲渡会場は市民センターの一角。
手指の消毒と検温を済ませて引き戸を開けると、7~8頭ほどの犬がいた。
目当ての子はすぐにわかった。
ひときわリラックスして、腹を上にして人にわしゃわしゃとなでてもらっていたからだ。
ほとんどの犬は緊張している。隣に控えるボランティアさん(たいていはその犬と一緒に暮らしている預かりさん)にぴったり寄り添ったり、あるいは壁と一体化したり、丸まって寝たりフリをしている犬の中での、ヘソ天である。
短毛雑種のその犬は、いったい何犬がまじっているのか、こんがりとした小麦色をして、適性体重にもかかわらずお腹はぽっこり、どことなく脚が短く見えた。
「こんにちは」
と、人と犬に声をかけ、話を聞く。
犬は近寄るわたしたちを見て、さすがに姿勢をフセに戻した。
が、別の来場者が頭をなでるとおもむろにゴロンと腹を出し、手を止めると前脚でちょいちょいとつつき、さらなる「なで」をうながすのだった。
誰にでもフレンドリーではあるが、見ていると、やはり犬扱いに慣れている人に対しては、「ゴロン」に転じるのが速い。
話を聞いた結果、その子と暮らすにはどうにもこうにも車が必要なことがわかった。預かりさんはそこまで言わなかったが、状況を考えると、夫婦ともに運転ができることが望ましいだろう。
その理由の詳細も、預かりさんが書類を見せながら説明してくれた。
我が家は車を持っていない。わたしは運転が大の苦手で、独身時代の一時期、実家に帰ろうかと毎日運転の練習をしていたのだが、三か月目に事故を起こしそうになってやめた。
なかなか厳しいものがある。
ちょっと他の子にも挨拶してきます、と腰をあげる。
「おびえている子が多いけれど、人になれる訓練のためには必要なこと。ひと声かけて、いっぱいなでてあげてくださいね」
会場にはいろんな犬がいた。
目を合わせようとすると「僕はいません……」と目をそらしつつ、「あっ、でもちょっと気になるかも……」と近づき、「やっぱり怖っ、僕はここにはいません……」とソワソワしている若犬は、家ではたいへんアクティブでやんちゃだということだった*1。
「力も強いので、はじめてのお迎えだと、ちょっと厳しめかもしれません」
預かりさんは、その犬のことをいろいろと教えてくれる。そこには人間に都合のいいこともあれば悪いこともあるけれど、犬の性質を語ることばはすべてフラットだ。短所も長所もない。ぜんぶがその犬の特徴なのだから。
5カ月の女の子は、栄養失調だったとかで、一部の毛がはげてしまっていた。からだを丸めているが、手を差し出すと姿勢を変えずにちらりと見上げて、くんくんとかいでくれた。喉のあたりをなでると、ときおり、ちらりちらりとこちらを上目づかいに見る。
「この子はビビり(怖がり)で……。いろんなことがまだまだ怖いので、今はお散歩が楽しいものだと思ってもらえるようにがんばっているんですよ」
と、預かりさん。それには、まず人間が楽しむこと。犬がおびえても人間は動じないこと。できるだけその犬が怖がるものを先読みして、落ち着かせてあげること。怖がったときは抱っこして、「だいじょうぶ」と伝えてあげること。
そうやって育てたビビりの子が成長したあかつきには、とてもかわいくなりますよ、と預かりさんは言った。
「飼い主一筋になりますからねえ」
5カ月の子に限らず、たいていの犬は近寄るわたしたちにおびえながらも攻撃性は見せず、こちらをちらっと見る。その視線にドキッとする。愛らしい、と思う。
忠犬を求めているわけではない。ただ、この視線がある日、まっすぐ自分だけに向けられたら――。たまらない気持ちになるだろう。
「でもね、ビビりな性格は治るわけじゃないんですよ。怖いことも飼い主さんと一緒だからなんとかできる。そうなるだけなんです」
黄金色の中毛がうつくしい犬をなでようとしたところ、「この子は参加犬ではないんですよ」と声をかけられた。
「この団体の卒業犬なんです。わたしが預かっていたんだけど、すごいビビりで……。結局、うちの子になっちゃった」
中毛の犬は、お座りをしてまっすぐに飼い主を見つめる。他の犬がちょっかいを出しても、人が寄ってきても、積極的にかかわりはしないものの、儀礼的に軽くあしらっている。
落ち着き、信頼、できあがった体格。「飼い主がいる犬」は、こうも違うものかと思う。
犬の知識も経験も豊富な人と暮らし、愛情とともに最高のしつけを受け、食事にも散歩にも気をつかってもらい……その結果としての理想的状態がそこにはあった。
ここまではなかなかできない。わたしたちには無理だろう。でも、この十分の一の状態にでもなれたらとてもすてきだろうな。
そんなふうに思わせるものが、ひとりと一頭にはあった。
どの預かりさんにもたいてい、「今日は目当ての子がいるんですか」と尋ねられた。
「ヘソ天ちゃん(仮名)です」と答えると、「いい子ですよね!」と激烈におすすめされるのであった。
わかる。
譲渡会場の空気があたたまってきて、犬たちもすこしずつ場所を移し、ほかの犬と交流をはじめた。
人間同士がしゃべっている間、ヘソ天ちゃんはシレっと他の犬にマウンティングをかまそうとして、相手の犬にガウッと一喝されていた。
ヘソ天ちゃんは、「ええ~なんでなんで? 怒られたんだけど~。ねえねえ納得いかないんですけど~。悪いことしてないのに。なぐさめて~」と上目づかいで預かりさんを見つめ、その悪びれない態度が会場中の笑いを誘っていた。
来歴には不明な点が多いものの、どこにどんな状態でいて保護されたかは公開されている。苦難の道のりを歩んできているはずなのだが、ヘソ天ちゃんはあっけらかんとしている。
そういえば、ヘソ天ちゃんの隣にいた若い犬をなでていたとき。
「この子は若いから、まだ肉球が柔らかいんですよ」と預かりさんにうながされてポウをさわった。
猫にくらべてずっと大きな肉球は、ふにっとやわらかかった。
「ヘソ天ちゃんはどうかな~」
どさくさにまぎれてさわると、その肉球は若い犬に負けず劣らずやわらかかった。
ヘソ天ちゃんは8歳の中型犬だ。
ほんとうに、どういう暮らしをしてきたんだろう。
会場を出るころには、「ヘソ天ちゃん、おすすめだよね」「しあわせになってほしいよね」という気持ちになっていた。
ヘソ天ちゃんには多くの申し込みがあるはずだ。実際、その日もわたしたち以外にも、名指しでの問い合わせがあったと聞いた。そのうちのひとつやふたつやみっつぐらい、車をすぐに出せるご家庭があるだろう。
でもそれは、ウチではない。
しかし、収穫もあった。
まだまだ犬経験値は浅いわたしだけれど、先の譲渡会に比べれば、落ち着いて犬をなでられるようになった。
まず下から手を近づけてにおいをかいでもらい、それから首筋あたりをなでる。譲渡会に出られるぐらい人になれた犬は、おびえてはいても受け入れてくれる。それも難しい犬には、無理強いをしない。
犬というものへの自分なりのイメージも、多少はできてきた。
犬は人間より強い。なのに、大なり小なり怖がりだ。しかし、ほとんどの犬はむやみに人間を攻撃しない。そこにはもちろん最低限の人間の介入あってこそだが、好戦的に攻撃したくて攻撃する犬はほぼいないように思える。
長い年月、伴侶動物として生きてきた犬は、本能的に人間との暮らしを求めている。このあたりは猫も似ているけれど、犬は一対一で関係を結んだ人間が隣にいることを望んでいる。そういった人間がいてはじめて犬は安心し、その犬らしく生きることができる。
英語圏の犬動画や犬記事には、「we don't deserve dogs」が頻出する。直訳すれば、我々人間は犬に値しない。転じて「犬はすばらしい」といった意味合いだ。
猫だってすばらしいのだが、犬には「deserve(値する)」を使いたくなる種類のすばらしさがある。
それは犬が人間と一対一の関係を望んでいることとつながっている。
そういえば、ネットで有名な動物愛護読本「犬を飼うってステキです-か?」は、以下のことばで結ばれていた*2。
犬を飼うってステキです
あなたがステキな人なら
ね。
だから、今週のお題、「2022年のビフォーアフター」は、“犬なれ”だ。
飼い主とトコトコと路上を歩いている「なんかかわいい生き物」から、自分とかかわりのある(かもしれない)生き物へ。
我々の年齢を考えるとあまり悠長にしていられないけれど、来年はさらなるステップが踏めたらいいなと思う。
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ちなみに2022年、犬関連の歩みはこちら
前回までのお話
未知なるもの、犬。そして夕暮れ。覚悟がある者だけが得られるものについての話 - 平凡
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画像は写真ACからお借りしました。