平凡

平凡

2022年、12月の夕暮れ

16時半。

発車に間に合うだろうか。

息を切らせて走ってようやっと、隣の隣の町までのバスに乗る。

あと数日で冬至だ。

日はもう暮れかけている。

電車でいけば迂回必須。

バスで行けば6キロ前後で40分あまり。

微妙な郊外の街へと向かったのは、そこにとあるチェーンのシネコンがあるからだ。

年内いっぱいで一時的に地方へ居を移す友人へ、そのチェーンで使える共通鑑賞券を贈りたかった。

鑑賞券を買って、ついでに映画を見てこようという寸法だ。

 

ふだん歩いている街を、高いところから見る。

バスの移動は、いつも不思議な感慨があって好きだ。

 

コロナ禍で前方の座席が封鎖されているから、陣取るのはいつも、後輪の上にあたる席。

そこで体を丸めて、窓に張り付く。

 

ああ、ここ、最初の緊急事態宣言のとき、夫とがんばって歩いた場所。

あの非常事態に、この何もない郊外にジェラート屋がオープンすると聞いて、ふたりでふうふう言いながら歩いた。

春にしては暑い日で、角っこのコンビニエンスストアでジュースを買って一休みして。

ジェラート屋は盛況とまでは言えなかったけれど、わたしたちのような中年夫婦のほか、近所で工事をしている人たちもいた。

それぞれが思い思いのフレーバーを選んでおり、「みんなのジェラート屋さん」という感じがしてよかった。

肝心の味や、どんなフレーバーを食べたのかは皆目思い出せないけれど。

この道は、ホットドッグがおいしいカフェを目指して来たこともあったっけ。

 

宙に浮いた、あの不思議な時間をしばし思い出す。

そういえば、あのジェラート屋はまだあるのかな。

インスタを開く気にもなれず、疑問を空に放り投げる。

 

坂を上って、くだって。畑の向こうの空は、もう昏いオレンジ色だ。

まさに「黄昏」。

葉をすっかり落とした木のシルエットは影絵のよう。

それを見て、急に不安に襲われる。

ヘッドホンを取り出して、米津玄師の「KICK BACK」を音量を上げて聞く。

 

来年はどうなるんだろう。

映画チケットを贈る友人は、いつごろ東京に帰ってくるのかな。

 

今日が暮れ、今年も暮れていく。

すべてのものには終わりがある。

冬至には、一番昼間が短くなる。

でも、冬至ははじまりでもある。

ここから日脚はのびていくからだ。

昔の人は太陽が力を取り戻すと考えて、冬至を「一陽来復」と呼んだ。

 

バス停に着くたび、冷たく乾いた風とともに、人が乗り込んでくる。

寒くなって寒くなって寒くなって、やがてある日、風のにおいが、肌ざわりが、変わっていることに気がつくのだ。

 

それまでは、生きていよう。

もう木々のシルエットは見えない。

家々の向こうに、夕暮れは尽きようとしている。

「KICK BACK」のボリュームをまたひとつあげて、わたしはバスの後輪のうえで、からだを丸める。

丸めてただ、バスが終着点に着くのを待っている。

 

***

今年最後の更新となります。

皆さま、本年もお読みくださりありがとうございました。

今年は12月に入り、ちょっとばかり、本当にちょっとばかり調子を崩してしまい、2022年がどんな年だったか、よくわからなくなってしまいました。

来年はもうすこし……なんというか、元気いっぱいにお送りしたいですね!

来年もご愛読いただけたらうれしいです。

新年が皆様にとって、よきものになりますように。

 

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画像は写真ACからお借りしました。

https://www.photo-ac.com/main/detail/23244812&title=%E5%86%AC%E3%81%AE%E7%AB%8B%E6%9C%A8%EF%BC%92