平凡

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未知なる生物、犬2

目があった瞬間、ビビビときた。

「あっ、このワンちゃんとは無理」

おそらく、犬も思ったに違いない。

「あっ、この人間は無理」

 

よく晴れた日曜日。

わたしたち夫婦は電車を乗り継ぎ、川をわたり、林立する団地地帯や工場群を抜け、果てはSuicaPASMOが使えないローカル線に乗り込み、郊外の街を目指していた。

目当ては保護犬の譲渡会。

なぜそんな遠くまでやってきたかというと、気になる犬がいたからである。

シニア手前の大人の柴犬。

里親募集サイトやInstagramの写真から感じる、なんともいえないのんびり、どっしりとした雰囲気に惹かれたのだった。

説明文には、「柴犬だけど、人にも犬にもフレンドリー」「犬が初めてでも飼いやすい子です」とあった。

「柴犬だけど」とつくからには、ふつうはフレンドリーでない前提がある。

猫派のわたしは最近まで知らなかったが、聞くところによると柴犬とはかなり特徴的な性格の犬種らしい。

里親募集サイトにおいて、柴犬にはたいてい「和犬の性格をよく理解し、愛してくれる人に」といった説明文がついてくる。

 

柴犬に限らず、我々には圧倒的に犬経験値が不足している。

犬という生き物が皆目わからない。

譲渡会には、複数の犬が集う。

その柴犬を目的にしつつも、さまざまな犬と間近に接することで、犬を知り、慣れることも目的だった。

何しろ、猫と違い、犬は触れ合える場所があまりない。

中型犬以上となれば、なおのこと。

 

最寄り駅に着く。

踏切を渡り、ちいさなロータリーを渡り、5分ほど歩くとログハウス風のフリースペースの前に「譲渡会会場」とのぼりが立っていった。

 

入り口ではじめてである旨を伝えると、スタッフさんが簡単に説明してくれた。

今日参加する犬たちの中には、怖がりの子もいること。

しかし、みな、ゆっくりであればさわれるので、ふれあい希望の場合は、横についているスタッフに声をかけてほしい、と。

 

ベビーゲートのような脱走防止柵をくぐると、15畳ほどのスペースに、7匹の犬がいた。

新たに姿を見せた人間に対し、犬の反応はさまざまだ。

こちらに興味を持つ子あらば、壁と一体化している子あり、どっしり構えて動かない子もいる。

 

入り口のボードには、写真入りで各犬の簡単な説明、体重、健康状態が一覧にして掲示してあり、どの犬も胴衣タイプのハーネスをつけ、そこに名札を貼っている。

どの子がどの子かとてもわかりやすい。

犬1頭につき、人間スタッフがひとり付き添っている。

このスタッフは「預かりさん」と呼ばれる人たちで、犬たちの飼い主が決まるまで一緒に暮らし、面倒を見ているボランティアだ。

 

さっそくお目当ての犬の元にいく。

 

で、残念至極だが、冒頭の状態になったわけである。

お見合いは初手でご破算。

我々は犬を選び、また、犬から選ばれる存在なのだ。


ビビビとはいかなかったものの、柴犬は、説明書き通りの穏やかですてきなワンコであった。

夫に対しては興味を持ったようで、まずペロペロと手をなめ、しゃがんだ足元にもぐりこみ、手の甲にぎゅうぎゅうと鼻を押しつけ、次に手や腕のあたりをあむあむと口に入れ始めた。

わたしはびっくりしてしまったが、夫は「あひゃひゃひゃひゃ、くすぐったい」と笑っていたので、悪いものではないらしい。

預かりさんによると、これはこの子の愛情表現で、甘噛みですらなく、歯を当てるような動作をするのだという。

そんな話をしている間も、あむあむ、あむあむ。

それにしても柴犬というものは、驚くほどに表情が変わらない。尻尾もふらない。

Twitterなどでよく見る子たちもそんな感じがするので、これは犬種の特性なのだろう。

あむあむ、ペロペロ、ぎゅうぎゅう、あむあむ。

やがてなぜか短くうなり、預かりさんの足元に戻って伏せの姿勢でくつろぎ始めた。

猫をもしのぐ気まぐれさ。


くつろぐ柴犬をなでながら、預かりさんにいろいろなことを聞いた。

その子の性格、散歩の頻度、脱走防止の方法、柴犬の抜け毛のすさまじさ。

車のない家庭で中型犬を飼えるのか。

将来、介護状態に入ったとき、どうやって通院させるか。

そして、我々の大きな疑問であった、「散歩以外の時間、犬はどうやって時間を過ごしているのか?」。

ちなみにその子はふかふかした場所でくつろぎ、たいてい寝ているのだそうだ。

いまいちその犬と通じ合えず、犬も塩対応ではあるが、額やのどをかくようになでると、気持ちよさそうな顔はしてくれた。

 

お礼を言い、他の子とも触れ合ってみる。

 

分離不安気味の中毛ふわふわの雑種は、工場地帯を放浪しているところを保護されたらしい。

お座りどころかお手もおかわりもする。

預かりさんが大好きで、しゃがんだ預かりさんの肩に手を乗せ、しっぽを振っていた。

「きっと人に飼われていたんだと思います。なんであんなところでさまよっていたんだろうねえ」

預かりさんは犬をなでながら言った。

「ま、犬に聞いても答えてくれないんですけど」

 

最も心惹かれたのは、体重20キロのオス。

こちらも雑種だ。

どでかいポウにやさしい瞳。

ラブラドールなど大型犬には及ばないが、思わず抱きつきたくなるしっかりとした体躯。

そばにいれば、血中犬濃度は爆上がり。

暖炉の前でのんびり寝そべってほしいサイズ感だ。


おびえて体を丸めているが、なでるとキョロリと上目遣いをするのも愛らしい。

というかこの、「おびえているのになでなではできる」状態に、猫派は大変驚く。

えっ、噛んだりしないの? に、人間の方が弱いよ? 犬ってなんて優しんだ……。

まだ若いがとても落ち着いているとのことで、覇気のない中年夫婦の暮らし向にはマッチしそうだが、何しろサイズがうちの賃貸ではNG。

 

犬たちと触れ合いながら、それぞれの預かりさんから、いろいろな話を聞く。

 

とくに、賃貸契約には飼える犬の体重まで明記してもらったほうがよい、というアドバイスは有益だった。

かつてマンションにて、大家との口約束で「柴犬オッケー」と言われて飼い始めたところ、実は以前、柴犬NGと言われた家庭があり、そこから物言いがつくというトラブルもあったそうだ。

「そういったときにモノを言うのは契約書ですよ!」とのこと。

我が家は目下、「柴犬OK」というあいまいな許可を取り付けている。

できれば柴犬くらいの中型犬、もし許されるなら同サイズの雑種と暮らしたいので、とても参考になった。

 

総じて会の人たちはおだやかで、現実的だった。

犬のために守ってほしいことは理由も含めてしっかり伝えてくれるが、決して高圧的ではない。

犬のことはいいことも悪いことも教えてくれる。

ここからなら犬を譲り受けたいと思えた。

保護動物を譲渡されるさい、飼い主にふさわしいか我々は審査される側だが、我々も団体はしっかりと選びたいと思っている。

 

小一時間ほど滞在して犬をなで、話を聞き、スペースを出た。

申し込みには至らなかったが、犬経験値はすこし上がった気がする。

 

しかし、課題も見えた。

複数の犬と触れ合っていて感じたのは、人間が心を開く重要性だ。

おそらく、初手から心をドーンとオープンにしないと、犬との暮らしは大きくつまずく。

そして、わたしはそれがなかなかできない。

柴犬はそこを瞬時に見抜いた気がする。

猫に対して「コミュ障や遠慮はよくないな」と感じたことがあるが、犬はその比ではない。

猫はシェアメイト感があるが、犬はもっと親しく暮らすバディ。

もっとシビアに選び、選ばれる必要がある。

と、また肩に力が入ってしまうのは悪い癖なのだろう。

 

「鼻、しっとりしてた。あむあむされた」

 

駅で電車を待ちながら、夫がニヤニヤしてつぶやく。

夫は触れ合ったほぼすべての犬から手をペロペロされていた。

夫の方が、心を開くのが上手なのだ。きっと、犬ともやっていけるだろう。

でも、わたしは――。

もうすこし心を開けないと、マズい気がする。

 

そして、犬のことはまだまだわからない。

次なる謎は、お散歩……とは??? である。

今度、保護犬カフェでお散歩体験をしようかと話している。

我々の犬経験値蓄積の旅はつづく。

 

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写真は写真ACからお借りしました。

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