豚のステーキ肉が安い。グラム99円だ。これ幸いと買ってきた。
今日の夕食の調理担当は、夫だ。
オーブンのグリル機能で肉を焼き、天板の空いたスペースにきのこ類を並べてつけあわせに。
焼いている間に大根をすりおろし、しそを添える。ついでにこの前、撮影に使った柑橘類もカットしてみる。カットしてなお、ライムだかすだちだかよくわからない。よくわからないけれど、なんだかおしゃれに見える。ソースは作らず、各自ポン酢を大根おろしにかけるだけ。玉ねぎだけが具材のコンソメスープとご飯と並べてできあがり。
簡単なのだけど――。
皿にステーキ状の肉があるだけで、なんだか外食っぽさが出る。シンプルだけれど、薬味がいろいろあるのも“外”っぽい。「“夫シェフ”の料理って感じだね」と言いながら堪能する。
それにしてもシンプルなコンソメスープというものは、昔ながらの洋食店を思い出させる。そうそう、こんな味あったなあ……。
「どうせなら、ご飯もお茶碗じゃなくて、平たい皿に盛ればそれっぽかったね」
夫も同じことを考えていたようだ。
「せめて、フォークでご飯食べちゃお」
箸も出したけれど、置いておく。
「気分出るね」
「『こまくさ』気分だね」
「こまくさ」というのは、夫が子ども時代に家族で行ったという洋食とステーキの店だ。親戚の子が来ると、みんなでこまくさ。ちょっとしたご馳走というわけだ。
「『こまくさ』行くと、ステーキの前に、まずはスープが出て、サラダが出て……。スープはやっぱりあのちょっと平たい皿でさ」
わたしはもちろん、「こまくさ」に行ったことはない。が、なんとなくその雰囲気や店の位置づけは理解できる。夫やわたしが子どものころ、ステーキハウスというほど専門性はなく、しかしステーキがメインの、ちょっとお高い洋食店というものがたしかにあった。
おしゃれではない。子どもを連れていけるぐらいの雰囲気で、それでいてそこはたしかにご馳走を食べるための場所だった。高級店ではないけれど、お値段はそれなり。
わたしたちはそこではじめて体験したのだ。メインディッシュの前にスープとサラダが出てくるサーブ形式。やや大きめのスープスプーンでスープをすくって口へと運ぶこと。そして、ナイフとフォークを使い、どきどきしながらステーキを切った。
「デザートには、脚付きの金属のカップでアイスクリームが出るんだ」
もちろんアイスはちょっと小さめの半球形だろう。わたしはそのカップのひんやりとした感触を思い浮かべる。きっと幼い夫も、その冷たさを楽しんだことだろう。
「平たいあのスプーンで食べるんでしょ」
「そうそう! 四角いやつ」
こういった幻想を共有するとき、夫とわたしは同年代同士なのだなと思う。
「今度このステーキを作るときは、忘れず平たい皿にご飯を盛ろう」
「ライスって感じになる」
「デザートにアイスも用意しようよ」
さすがに金属製のカップは無理だけれど。
ムーディーというにはただ薄暗い店内。テーブルクロス。そんなにきらめいたりはしない、使い込まれたナイフとフォーク。
外食がいまよりもっと高価で特別だったころ、それでいておそらくいまよりもっと質が低かったころ。肝心のステーキの味は、いまひとつ思い出せない。
蛍光灯の下、家庭の食卓にグラム99円の豚肉を並べて、わたしたちは昭和の洋食を幻視する。それもまた、家庭料理のひとつの喜びなのだと思う。
写真は《銀のナイフ・フォーク・スプーンのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220105031post-38654.html》